
桜前線は今北海道へ渡り、北海道の北部からの満開の知らせをSNSで観ることができます。
一番最初に桜咲く、沖縄から2ヶ月近くかけて北へたどり着きます。
私の夢は、南から順次、桜前線を追いかけて、桜の開花に合わせてのんびり旅をすること。
かなり近いプランを実現していますが、全国を北上して旅するというのは、実現が簡単そうで意外とできません。
さて、角館の桜に今年も振られた私は、潔く、角館を後にして、盛岡へ向かいました。
宿は盛岡・つなぎ温泉と決めてはいたので、盛岡は観光なしの予定でしたが、石割桜が5部咲きと聞き、石割桜を観にいくことにしました。
岡地方裁判所にある、巨大な花崗岩の割れ目から育った桜で、樹齢360年の桜は、石割桜を呼ばれ盛岡市の桜の名所のひとつ。
もちろん、桜の樹が岩を割って育ったのではなく、落雷によって割れた石の間から桜が育ったのだそうです。
盛岡地方裁判所が家事になった際、一部が焼けたそうですあ、当時の庭師が怪我をしながらも桜を守ったといいう話は有名だそうです。
石割桜の満開の様子は何度か見ることができています。
今年は五分咲きでしたが、今年も見れました。
さて、このままでんでんむし号を待ち、つなぎ温泉へ行くか。。。
ふと見ると、桜が綺麗に咲いている並木が見えました。
桜ににつられ歩いているうちに、桜山さん方面へ導かれました。
盛岡の桜山神社周辺に広がるヤミ市を起源とする横丁へ
桜山神社参道でもある盛岡の桜山神社周辺に広がるヤミ市を起源とする横丁。
かつてに海外引揚げ者がバラック店舗をつくり、地元の人や観光客にも人気があった場所だそうで、飲み屋さんがほとんど。始まる商店街
盛岡の桜山神社周辺に広がるヤミ市を起源とする横丁へ
戦後の盛岡をささえたといっても過言ではない街並みのため、存続に力を入れているようです。
飲み屋さんが多いので、夜はにぎやかなのでしょうが、昼間は閑散としていました。
まっすぐ、桜山神社へお参りします。
南部信直公と盛岡城の築城天正十九年(1591)九月、南部信直公は浅野長政らの助言に従い、この地に新しい城を築く決心をしたそうです。
櫻山神社には、巨大は烏帽子岩があります。
この烏帽子岩は盛岡城を造るときに現れたそうです。
盛岡藩主は、宝大石を喜び大切に守ってきたそうです。
烏帽子岩の裏手は盛岡城址。
この日、盛岡城跡は桜満開宣言が出されました。
石割桜や、盛岡城跡公園のほか、岩手銀行中ノ橋支店
啄木新婚の家
開運橋
このブログ内には、岩手県をはじめとした東北のいろんな旅記事があります。
東北6県の県庁所在地の中で、青森の次に私は好きです。
今年の大河ドラマ、「軍師 官兵衛」のお椀の兜は、なぜか、ここ盛岡に保管されています。
城跡公園のそばにあることを知ったのは後でだったので、いき損ねちゃいましたが。。。
場所がわかったので、次回は行かねば。
東北の力強さや見所の多さを、旅で訪問する度に感じます。
知ってるようで知らないところや、知らないことがたくさん。
日本発見の旅。
一日目の東北新幹線の旅は、角館から盛岡へ移動。
盛岡市内はサクッと見学して、お気に入りのケーキ屋タルトタタンでケーキを買って、お宿のつなぎ温泉へ移動したのでした。