風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

譜№ 31-2

2020年02月19日 | 詩吟
「山行同志に示す」 承句 「鞋底従り雲を曹、て廻る」は、最難関。

一オクターブの差のある個所、頭高の「く」しかも高さは七、すぐに八の音、そして、譜№31-2と来る。

今日は、さらりとおさらいをして、次に進む予定が、とどまって、再度格闘。

「大中山」の名の通り、大山と中山が合わさって、双こぶの吟法。

正直にやろうとすればするほど、崩れてくる。

余り、正直に要求を高くするのが、良いのか悪いのか。

さらりと、流して、宿題とするにしても、その転換点が、わからない。
上級者ほど、違いがわかるから、置き去りにできなくなる。

素直に真似をしていた時の方が、よく音を捉えていたりする。

結局、時間切れで、転換となる。



こだわりすぎると、咎になる。

さらりと、持ち越しができる度量が欲しい。

懸命になっていると、周りの音が聞こえなくなる。
その人の声だけに集中して、どういう声の出し方をして、どこに問題があるか、今日のうちに矯正できるか否か。

それをやりすぎると、禍根を残す。

良かれと思った判断も、あやまると、マイナスとなる。

それを乗り越えて、耐えて、耐えて、辞めないで、頑張って、自信につなげた人もいる。

同じように、対処しても、受け取る魂が違うと結果は、正反対。

判断を過たずに、行うには、私は、相手の声を集中して聞くのみ。

数年前の、出来事を、今も、想像して、申し訳ないことをしたと思う。
原因は、私。
私のいないところで起こったことに、気にしないでという言葉で、結果的に流してしまい、ひずみが大きくなって、バン!

いまだから思うのだけど、更に特訓すればよかったのか、結局どちらの対処をしても、禍根を残して、同じだったかもしれないのだが...


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再生回数云々

2020年02月18日 | こたろう語録

















いろんな才能あるやつの映像を見せてくれるもんだねぇ。

あんなベストショットを、どうやって撮るんだか。
よほど暇なんだねぇ。

ドアを開ける兼魔竄竄ニはやし立て、再生回数何万回なんてさ。

俺様だって、1歳になる前からやってるよ。

ただ、母さんが、撮り損ねるもんだから、話題の猫にはならないけど。。。ふぁ~~眠い。。。





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助長

2020年02月17日 | 徒然に日々のことを
娘たちの、卒園したひかり幼稚園の園長先生は、在園の2年間で物事を測らず、成人したその先を見据えて、成長の手助けをして下さいました。
卒園の時の、言葉は、「何も加えず、何も引きさらず、そのまま、お父様、お母様にお返しいたします。」

短期決戦に不向きな娘たちにとって、本当に、素晴らしい環境を頂いたと思います。
おかげで、幸せな今があります。

「助長」の故事を聞いたとき、すぐに園長先生の言葉を思い出しました。

そして今日は、マンデイ。

娘は、ある講座を受けてきたと言う。
10センチ以上も厚さのある本にかかれていることを(娘の表現そのまま)、1500円!2時間!で、かいつまんではあるが、とても親切に、話されたとか。

とりあえず、まったくその分野を知らない人に対する啓蒙ではあるが、娘のように、かなり実践している者にとっても、気づきのある内容だったとか。

その気づきとは、その内容ではなく、まだ、入口に立ったばかりの頭の良い人の考える、その言葉だったと。

もっと頭の良い人は、娘の実践していることをわかったうえで、その上のやり方を、対象の心に沿って、サメ[トできるんだろうね。

その点、お母さんは、0.5秒の笑顔で、育ててくれたよねぇ。

あれやこれや、深い学びがあって、実行されたたとしても、子供に取って大事なのは、瞬間に反応する笑顔なんだそうだ。

良い意味の「助長」は、どこに?と、思いめぐらしているその時、娘の「笑顔なのよ」という言葉に、気が付いた。

娘の言う最高の笑顔は、どんなに疲れていても、最高だったのだねぇ。娘に向けてだったからなんだねぇ。


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哲学猫

2020年02月17日 | 徒然に日々のことを
「大人たちの心を猫にする哲学猫」は、言う。 

         99番  親とはちがう人生

親は子を従属物としてとらえるのではなく、一個の人格としてとらえねばならない。

だから、離れ、独立して、別の路を歩まねばならないと言っています。

もしそうしないと、子はずっと演技を続けなければならなくなり、ついには自分の人生を失ってしまうことになる。



         120番  良い景色

 良い景色を眺めなさい。

 その美しい景色に染められた心をどこにでも持っていけるようになるまで。

                          白取春彦著

美しい景色に染められた心をもって、吟詠をしたら、どんなことになるだろう。
美しい景色とは、染められた心とは。

一つに執着することとは、全く違うよね。

今の、心のチクタクは、猫さんの言葉に助けられる。

一杯、心を満たす言葉がある。

そう言えば、犬の皮をかぶった猫、あまりにも🐈である我が家の誰かさんは、こたろうの在り様に、ずいぶんと、学ぶところがあって、日々、変わりつつある。

間もなくくる「毎日が日曜日」を、心豊かに過ごせるようになるらしい。なってほしい。なるだろう。



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山に登る

2020年02月16日 | 詩吟
吟詠の練習では、何度も何度も試して、ここと思うまで繰り返して、そして、一つの譜を完成させる。
その譜をいくつも集めて、一つの漢詩を詠えるようになる。
詠える漢詩を一つ二つと増やしていき、やがて、これと思う詩に巡り合う。

声を出す楽器としての体を自由に操って、やっと、一つの吟詠となる。
その時の吟詠が、人の心にダイレクトに届き、心を動かすときは、いろんな欲を忘れた時ではないかなぁ。


隠れたコンプレックスは、傲慢さを助長し、心を固くする。

せめて吟詠の上では、心を柔らかくしましょう。

今のその吟詠と、今ある自分を、喜んで受け入れて、今ある自分に自信を持つ。

誰とも比べない、誰にも比べられない吟詠を実現するのは、難しいだろうか。

ここまで生きてきて、いやおうなく付いてしまった「くせ」を治すのは、容易なことではない。
せめて、吟詠の上では、悪い癖を治しましょう。

「癖だからしょうがないねぇ」と匙を投げないように、吟じる本人も、見守り導く先輩もね。

そう思って、しつこくダメ出しをする。
言われなければ、自分の本当の姿は、見えないと知っているから。
見えてほしいと、言葉が出る。
そこを乗り越えたら、高い山に登った感覚を味わえるよ。

      絶壑の層雲 許(かく) 胸を盪(うご)かす 
                   〈酔うて祝融峯を下る 朱熹〉
                       百度百科より
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夢青葉の節目

2020年02月13日 | 詩吟
2010年4月に誕生した夢青葉は、創立10周年になりました。
それで、ささやかな記念の会をしようと計画しています。

どのような会に、なりますやら、夢青葉のもう一人の指導者さんと、幹事二名の方たちとで、初めての相談がありました。

先ずたたき台として、いろいろな思いが見え隠れする項目が挙げられていて、なるほどと思う行き届いた計画書の下書きが示されました。

まず、私への感謝が第一項目で上がっていましたので、それは、あり難く気持ちだけ頂くことにしました。
まだ、1年間は、今のままですから、やる気の失せそうな、今からさよならを思わせる項目は、願い下げです。
そのほかの実行項目は、お任せしました。

いきなりのダメ出しで、「意見は言わない」が嘘になりました。ごめんなさいね。
その計画に当たって、来年の引継ぎについて、語らねばならないことをたくさん話し合いました。


今の段階で決められる事は、夢青葉の最寄り駅付近の施設で、6月にというところまでです。

3月下旬に日程が決まったら、外に向けて動き始めます。

規模でもなく、気の利いたプログラムでもなく、大事なのは、本気の吟をすること。
懇親会を催せる会場が取れたら、懇親会で、はじけましょうか。



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体の精妙な働き

2020年02月12日 | 体を整える
人体力学・井本整体のフシギ vol.104が届きました。


つい先日、テレビで有名な理学療法士の先生が、動かない側ではなく、健側を動かすことが大事だと仰っていたそうです。


すでに、井本整体の機関誌「原点」2002年4月号に掲載されていた「脳卒中への対処」という記事で、懇切丁寧に書かれているそうです。

「井本先生が以前から仰っていたことが、ようやく科学的データなどで裏付けされてきたんですね。」と、メルマガの筆者が、おっしゃっています。

我が家のカレンダーの下には、同じメルマガからの言葉が、張ってあるのを、時が経って、うずもれていたのを、今、発掘?しました。


この言葉は、二人の娘には、刷り込み済みだけどね。
運よく、何かの時に、娘のいずれかがそばにいてくれるといいね。




そうなのか、井本先生の人体力学体操は、井本先生の設計という表現をするんだねぇ!

空中を漂うようにある、数少ない知識のあれとこれが、ある日、突然結びついて、大きな塊となり、理解へ一歩前進。

と、思ったら、またまた、わけがわからない浮遊物が、漂い始めて、また、混沌として来る。

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朋友

2020年02月11日 | 詩吟
朝から、帰るまで、心地の良いときが過ぎ、満足の体であったなぁ。
希な一日。

ちょっとだけ、スパイスが効いていたけどね。
そのスパイスも、御愛嬌。
偏りなく、大人対応で、共感をもってじっくり話を聞いてもらうことは、この上なくすっきりする。

信頼したり、期待したりする人の言葉には、本来よりも振幅が大きくなり、さらに、自分の中で、好都合な部分だけが増幅するものだ。

その行き過ぎを、「おとな」に聞いてもらって、フィルターを通すと、正しい姿が見えてくる。

そこに、「おとな」が一人いれば、そして、鷹揚に受け止めてくれるなら、物事が、とても良いところに収まるものだ。

あり難きかな「朋友」

今年一年、何かと、動きがあって、気持ちの調整をしなければならないことが、増えることでしょう。

決めたことは覆すことはないけれど、やはり、きもちは、ゆるやかに、決めた方向に向かって進んで行ってほしいし、思いを十分にわかって欲しい。

一人だけでは、難しいところだ。

今日、コンクールの吟じ方について、ご意見とお知恵を拝借したく、向かった教場でのこと。

いつもの顔ぶれに一人足りなかったのではあるが、お知恵を拝借して、なるほどと納得し、次回の私の教場の課題を解決し、その先へと続く、おけいこも、方針が固まることでしょう。

もう一つ、この教場に来て、いつも思うこと。メンバーとして定着してきた、諸兄、諸姉。
その遥かな先輩の吟詠は、こざかしいことは、さておき、いつも感動します。
まぎれもない、人生が、刻み込まれて、耳に心地よい。

こえが出るの、出ないの、節調がどうのこうの。超越している。
まだまだ、鼻たれ小僧だということを、改めて認識する。

芦孝会のどこの教場へ参加しても良いという機能を、いかんなく発揮し、恩恵を受けた今日一日でした。



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ウグイス吟詠

2020年02月09日 | 詩吟
「福祉ウグイス吟詠教室」あるいは、「ウグイス吟詠」は、愛称、または、略称です。

正式名称は、「横浜詩歌福祉吟詠同好会」です。

横浜スタジアムの隣にある障碍者スメ[ツ文化センター横浜ラメ[ルの会議室を活動場所にしています。

今日は、先生もいれて9人の出席でした。

この会は、いろんな意味で、自由そのもの。

かく言う私も、指導者の指方先生(社団法人日本吟道学院)とは違う流派に属しながら、参加しています。

メンバーに、他流と関わりを持ちながら、流派を超えたかかわりを続けている方も居ます。

今日は、全員参加の上に、見学の方も一人いました。

その見学の方は、笛を吹いてくださり、他流でも練習しているという方は、「外郎売り」の全段を立て板に水とばかりに、演じきりました。

多彩な人が、参加して、技を披露できるプログラムができたら、それを引っ提げて、秋の件p市場の舞台に何が繰り広げられるのか、楽しみができました。

この処、みなさんの腕前の上達が、加速していて、目を見張ります。

それぞれの吟詠を拝聴して、今までとりとめのなかったものが、具体的にサメ[トの箇所が見えてきて、とうとう、私の出番が来たなぁ。
これからも、お邪魔虫をしつつ、遣り甲斐が見つかりそうです。

うふふ、楽しみ。


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あれは何だった?

2020年02月07日 | 体を整える
楽しみに待っていた今日の山田先生の予約の日、「あの痛みは、何だったの?」の質問を、先ずいたしました。

先生たちにも、そんなことは起こるようです。

それは、赤信号、あるいはイエローカードかもしれませんが、不調部分を教えてくれたサイン。
体の反応が鈍くなると、その反応も関知できないそうです。

先日の背骨の痛みの場所を探ろうとして、手を背中に回したことで、「引き合い」が期せずして起こって、凝りが消えたのだそうです。

この「引き合い」というメカニズムは、本当に不思議。

今日は、左の首筋に少し残った鈍い痛みに焦点を当てて、「引き合い」という動作を教えていただきました。

痛みのある個所を両側の外に向けてのちょうどよく引きあう角度を見つけて、腕の上げ下げ、捻りを試行錯誤したら、ぴったりと、問題の部分を中心に正に引きあっている感覚を体験しました。

あら不思議、痛みが消えて、右と左の違いがなくなって、収まりました。

体が、動き始めて、異常個所を自分でわかるようになったと、おほめを頂きました。

目覚めた猫が、見ていて気持ちが良いほどの伸びをするあの動作が、理想なのだそうです。

まず、痛みを感じて、そこを何とか解消しようとする力を、少しずつ得てきていると。

痛いとすぐに、薬、医者へと走らないで、自分で何とかする力を少しずつ、授けていただいているようです。


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