風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

根雪

2004年10月21日 | チンゲル亭過去日記

昨日の雪はどうやら、根雪になったようです。
日中も白く残っていた雪のうえに今朝も更に白さを増して、凍り付いています。

聞くところによると昨年は今の時期にすでにマイナス10度を記録していたそうです。
それを知っていたら、友人の来蒙を止めただろうなぁとおもいます。

知らなかったおかげで、宝の存在を知ったわけなのです。

にぎやかな彼女達が帰ったら、さぞ寂しいだろうと思っていたのですが、意外にもそうではなく、まだその辺にいるような感じです。
台風が、彼女らの住む地域に襲い鰍ゥっているため、彼女らを思い浮かべながらテレビのニュースに見入っているからでしょうか。

                ☆

さて、夫はここに来て暇になるはずが予定外の仕事が入って、遅くまで机の前、そして、朝もいつの間にか起きてまた机の前という日々が続いています。

JICAに提出する報告書は終わったのですが、教授の還暦祝いの発表会のための先生達への助言と、ザミンウードの井戸を掘りあてたときのセミナー報告をしなくてはならなくなって、その準備のために忙しくなったのです。

帰国のための、荷造りや、お土産の買い物など、のんびり楽しくUB生活の締めくくりをするはずだったのですが。
いつものように、手当たり次第箱に詰めて、送り出して、日本に届けばよい状態になりそうな気配です。

そして、一人ずつ顔を思い浮かべながら、相談してお土産を選ぶ幸せな時間は取れなくなりそうな気配も。
もうすでに、お土産は買ったという方もいらっしゃるというのになぁ。。。

今夕は民族舞踊団の演奏会にお誘いいただいたので、出かけます。
どうやら、家に迎えに帰る暇が無いので途中で待ち合わせになりそうです。
やり始めると、ほどほどで止められない夫ですから、こちらから電話を入れないと待ちぼうけになりそうです。

そうそう、必要があって、健康診断を受けました。
異常なところは無かったようで、ほっと一安心です。
かなりの無理は大丈夫のようなので、帰国まで、心残りの無いように仕上げができそうです。

あと20日
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晴れ女大証明とその友情

2004年10月20日 | チンゲル亭過去日記

昨夕仕事から帰った夫は、寒そうに肩をすぼめて帰宅しました。
「明日は、雪になるよ」と言って。

その予想通り、朝、カーテンを開けると真っ白に凍っていました。
今までの雪の様子と違って、このまま根雪になるのではないかと思うくらいカチンカチンに凍り付いていました。

しかし、ここはモンゴル。
昼になると外気温があがって、黒い道路の雪は完全に溶けてしまいました。
草むらの草の無いところや日陰は白く氷となって残っています。

週末になると、大雨だったり、雪で冷え込んだりの今年の天候でしたから、先週末は、雪になり、マイナスを記録するのではないかとどきどきとして待っていたのですが、晴れ女のおかげで、かじかむことなく乗馬を楽しみ休憩のとき、アイスクリームまで美味しく食べるほどの暖かい2日間でした。

今日まで、冷え込むのを待っていてくれたようなタイミングです。
また、モンゴルに来るようなことがあったら、晴れ女さんたちと来るとよいですねぇ。

今、台風が四国北上とのニュースです。
帰国が一日遅れたら、足止めを食ったかもしれません。

あー、よかった。

それぞれ3人が個性派なので、それに私が加わると、どんなことが起こるのか少々の心配があったのですが、ご一緒したモンゴル在住の日本人のお二人とも「みなさん個性的だけど、ぶつかってないね」「言いたい放題言いながら、しっかり気使いして」いて、『素敵な仲間』とのお墨付きを頂きました。

深夜出発のおかげで、最後の晩餐をゆっくり家で出来たのは大正解。
夫も含めて、アドーチンとの6人の酒盛りは、それぞれが、最高の笑顔をみせてくれました。

それぞれが、子育てを終えてのんびり自分の時間をもてるようになったこともあるのでしょうが、何より、以前どおりの気持ちの良い仲間でいてくれたことが最高の宝になりました。

今度は、なぜかトンガに行きたいねぇといっておりますが、だれが、引き受け係りになるんでしょうね。
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晴れ女軍団帰国

2004年10月19日 | チンゲル亭過去日記

今朝、0時20分ボヤント・オハー空港発で、3人の友達は帰国しました。
旅行に行って、雨に会ったことのない晴れ女のおかげで、雨にも雪にもあわず快晴の4日間でした。

先週があまりに暖かな日が続いたので、急激な変化を恐れていたのですが、穏やかな毎日で、移動も大変楽にスムーズでした。

夫の友人の手配の運転手さんも、礼儀正しい、好青年で、何より、約束の時間まえにきちんと来てくれたことは驚きでした。
しかも、空港に送って来て、駐車場に車を止めたあと、彼女らにお別れの挨拶をしたくて、待合室まで追いかけてきてくれたのです。

彼女らも気のいい人ばかりですから、運転手のバータルさんも好感を持ったようでした。
4日間のお付き合いでしたが、初日から日ごとに車のお聡怩ェきれいに行き届いてきて、心地よく過ごすことが出来ました。

よき仲間は、よき環境まで提供してくれるもんだと思ったことでした。

予定到着時間は、午前11時50分です。
台風23号の進行を気にしながら、来蒙したわけですが、一日遅れたら、鉢合わせをしたかもしれないタイミングをうまく避けて、帰国しました。

遅れていなければ、今頃荷物を受け取っている頃でしょうか?
無事帰国のメールを首を長くして、待っているところです。
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酒盛り中

2004年10月18日 | チンゲル亭過去日記

友人達の最後の夕食は、レストランではなくて、チンゲル亭のダイニングキッチンで、彼女達手作りの料理で、盛り上がっています。
ビールの缶がずらりと並んで、明るい声がはじけています。

マドーチンともすっかり意気投合して、あはは、、、と笑い声が上がり、みんな上機嫌です。

まもなく、9時半。
お迎えの車が来たら、空港へ向かいます。
旅のご報告は、あした。
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マドーチンとの会話

2004年10月14日 | チンゲル亭過去日記

UBには、さまざまな形で日本人が生活しています。
マドーチンのように、私費でモンゴル語を学んでいる人、留学生、企業の出張組、JICA関係の人たち。

JICA関係は、後ろ盾がしっかりしているのですが、マドーチンのような学生は何の後ろ盾も無いのです。
たとえば、泥棒に入られたとき、日本大使館に被害届けを出さねばなりませんが、それ以上は何の手助けも無かったそうです。
授業を休んで、警察の事情聴取にいったら、約束の時間大幅に遅れて始まるし、何度も同じことを聞かれ何度も足を運ばせられ、犯人の見当はついているのに、結局どうにもならなず、時間もとられ、疲労が残っただけだったとか。

それを、たった一人で背負い込まなければならず、不安は増大するし、相談をする場所も無く、途方にくれたそうです。

単身UBに来ている人たちの、相談場所が欲しいといっていました。

私は、夫がいて夫は、職場の相談相手いて、JICAの後ろ盾があるわけで、そんな安全の中にいても、限りない不安を抱いてしまっているのです。
たった一人で、頑張っている人たちに比べたら、なんて恵まれた立場にいることか。

マドーチンとの会話で、不安を意味無く増大させているんだなぁとわかりました。
マドーチンはビール、私は麦茶とコーラを飲みながら夜が更けた昨夜でした。

母との10年の間に、これだけのことに耐えられたのだから、もう何がきてもOKと思っていたのですが、これが大間違い。
別の種類のストレスが来ると、又、同じように悩み落ち込む私です。

辛さを忘れることができるのは、人の心の大きな安全システムなんだなぁ。
忘れられたから、又、あらたな出来事には、又、新たな反応をするのかしらん。
人の心は、悩むようにできているのかなぁ。

「どんなことが有っても大丈夫」とは、私の中で崩れたのでしたが、元の木阿弥になったというのではなく、一つ階段を上がったような気持ちです。

気持ちが塞ぐことがあると、ありがたいのは、そのたびに、強い助っ人が現れることです。私も、捨てたモンじゃないな。

昨夜の会話の中で、チンギスハーンの墓の発掘のことが話題に出ました。
ヘンティ県は、UBからそれほど離れていないところなので、帰国前にいけたらいいねと言ったことでした。

さて、10時にはいつものタクシーが迎えに来てくれて、空港へお迎えです。うわー、どきどきしてきた!
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通訳さんその後3

2004年10月14日 | チンゲル亭過去日記

昨日は、夫の通訳のソロンゴさんと午後を過ごしました。

皮のベストの仮縫いに当てにしていた学生さんが見つからなかったので、夫に相談に行ったら、ソロンゴさんにお願いしてよいと言う許可をもらいました。

仕事の通訳さんをプライベートに使うということを夫が許可すると思わなかったので、驚きました。
ちょうど、仕事の区切りもついたことだし、私が相談に行ったタイミングも良かったのです。

たまには、楽しんで来ればよいということで私の用事が済んだら帰宅してよいとのこと、時間を気にしないで出かけることができました。

途中で、良いタイミングでマドーチンさんからも電話が入って合流することになりました。

「さくら」と言うパンとケーキの店で、まずランチです。
ソロンゴさんははじめて入ったといって喜んでいました。
「さくら」が開店したばかりのときよりも、パンもケーキもどんどんおいしくなって来ているし、お店も繁盛しているようで、うれしくなりました。

次に、CDショップ。開店時間になっているのに、ドアが閉まり、若い子たちの行列ができています。
人気男性グループのテレビ取材をしていたようです。
それをキャッチしたファンの列だったようですが、この店の前でよく行列や人だかりのあるのをよく目にしたのですが、ソロンゴさんのおかげで謎が解けました。

マドーチンは、アリナだったかな?のャbプスのCDを、わたしはノルパンザットのCDを買いました。
目的のCDのほかに、あれは何これは何と気軽に尋ねて答えてくれる人のいる買い物は欲求が満たされます。
この、目的以外のものにも目を向けるのは、女性特有の楽しみなのです。
マドーチンは日常会話には不自由しないのですが、やはり、モンゴルの人がそばにいると突っ込んだことが聞けるから、嬉しいと言ってくれました。

皮のベストも、細かい調整を通訳してもらえたので、随分ぴったりと好みの仕上がりができそうで、楽しみです。
ちなみに、皮のベストの仕立ては、4万五千トグルクです。3日ほどで完成です。
知り合いの方がコートを仕立てたとき、まもなく帰国するからと言ったら仮縫いを含めて3日で仕上げてくれたとのことでした。驚きです!

一人で意を決して買い物に出かける時は非常な緊張を強いられるのですが、今日は通訳がいることと親しい友人もいることで、楽に用を済ませることができました。
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とうとう明日になりました

2004年10月13日 | チンゲル亭過去日記

明日、午後10時20分、3人が到着します。
うれしくて、うれしくて。

一挙に高校生時代に戻るのだろうなぁ
空港で、子供のようになったら目立つだろうなぁ。
夫が、「私とは関係の無い人たちです」という顔をするだろうか?

そして、夫にとっても、とうとう明日になりましたなのです。
と言うのは、TV5というチャンネルでJICAで活動している人の紹介をする番組があり、そのビデオ撮りの日なのです。

放送作家のKさんから、まず、質問状が送られてきて、(仕事の内容から趣味にいたるまで)メールで返信し、画像的に面白い資料(写真、ビデオ)を提供しました。

そして、昨日は、教授たちも大乗り気で遅くまで台本について打ち合わせをしていたようです。
そして、今日は、6時からテレビ局の人たちと打ち合わせをする予定です。

地質の中でも、夫の専門の物理探査の分野は地味で人気が無いのですが、これで興味を持つ人が増えてくるとよいなと思います。

テレビの放送ですから、子供やお年寄りが理解できるように話してくださいとの以来があったのですが、これが一番難しいことですねとゲレル教授がおっしゃっていたそうです。

そして、この打ち合わせをすることで、思いがけずドガラ教授が話し好きだったことを発見したようです。
9月から、通訳を使うようになってから、何かとお互いが接近したようです。
決してよそよそしかったわけではないのです。仕事の話をする上では専門の用語という強い見方があるので、何の支障も無かったようです。
仕事だけに集中することで、お互いを良く分かり合ってよいコミュニケーションを作ったきたはずです。

最終の仕上げをするためにどうしても通訳さんの必要が出てきて、雇ったわけですが、11月の別れを目前にして、もっと話がしたいという欲求が出てきたようです。
教授だけでなく、助手の先生方にもその思いが強いようで、通訳のソロンゴさんは、仕事と雑談との通訳で忙しいことでしょう。

仕事がまず有って、その中からコミュニケーションを図り、あまり深入りせずプライベートは他人に頼らない。その考え方を終始貫いてきた2年間でした。
2年間の総集編ともいえる取材で降って沸いた話題から、実感したのでした。

これって、失うものは少なく、得るものは大きいのだけれど、私の立場では辛いのよねぇ。
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宿泊予約

2004年10月12日 | チンゲル亭過去日記

16日のテレルジ宿泊予約をしました。
といっても、通訳兼ガイドをお願いしたトヤさんにすべて、おまかせしたのですが。

モンゴル体験をしてもらいたくて、ゲル泊を最後まで言い続けたのは私ですが、トヤさんによると今の時期ゲルに泊まるのはかなり寒い。
と言うのは、ツーリストキャンプのゲルは夏仕様なのと、ホテルの人が常にストーブが燃えているようにと約束したとしても、当てにならないと言うのです。

結局、友人に電話して、確認をしました。
「風邪は引きたくないねぇ、あったかいほうが、私らは南国のにんげんだから。」と言う答えに、ホテルのほうを予約しました。

4日間の大まかな予定は、

15日  市内観光(ザイサントルゴイ、ボクトハーン宮殿、おもちゃ博物館
     自然史博物館、歴史博物館、トメン・エヘ)
     これらの場所を時間の許す限り、マイペースで見学のつもり。

16日  
 ↓   テレルジ 乗馬体験 ホロホグ 草原体験などなど
17日

18日  みんなで相談の結果市内観光が、遠出か決める。

と言う具合です。
テレルジに泊まるかどうか、悩みましたが、どうしても気が進まなければ、かえってっ来ることのできる距離ですから、流れに応じて、足があるので自由にいたしましょう。

今週に入って冷えているので、週末はどう天候がかわるのか。
神のみぞ知る。

彼女達って、確か「晴れ女」だったよね。
それと、あんまりお土産にこだわらなかったと思うのだけれど。
最終日は、草原へ繰り出すことになるかも。

年賀状も、いい加減にお休みしつつのお付き合いだけれど、きっと、空港で会ったら、一瞬にして、時を越えてしまうのだろうな。

小学校、中学校、高校、短大それぞれ一緒に遊びまわったし、そのうち二人は短大時代の吟詩部で大暴れをした仲間です。
しかし、このメンバ
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電話

2004年10月11日 | チンゲル亭過去日記
朝、14日に来る友人の一人から、確認の電話が入りました。
防寒具のことやブーツについて、魚はどんなんがいいか、するめは買ったよ。ご主人は日本酒好きなの?
彼女と、話をするのは10年ぶりかなぁ。
学生時代とちっとも変わらない声と語り口だった。

今日のお天気のように、すっかり気持ちが晴れて明るくなった。

帰国を前にして、気持ちの振幅が更に大きくなっていて、ちょっとのことで明暗がくっきりと出てしまう。

さぁさぁ、楽しいことをいっぱい見つけて、元気でいられるように、今からはお客さんを迎えることに集中しよう。
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改正の空...愚痴。。。

2004年10月10日 | チンゲル亭過去日記

昨夕は、雪にでもなりそうだと言って帰宅した夫の言葉に覚悟をしたのですが、青い空に大きな白い雲が広がりまぶしい日差しの暑い日になっています。

外気温度計は、相当高い気温を示しています。
窓ガラスの外に接着する外気温度計は、嘘でしょという高温を示しています。
あまりのことに、その数字を書くのはためらわれます。

とうとう寒暖の差の激しさにこわれたのか、それとも、直射日光の暖かさはそうなのかもしれないと思ってみたり。
この分だと、街は半袖の若者が歩いているのだろうと思います。

週末は、仕事を忘れて田舎の空気を吸いに行こうねという約束は、反故同然になったんだなぁと、今日になってやっと実感する。

ちょっといけば、自然がたっぷりあるのに、週末は来週分の食料の買出しだけに終わるのである。

誰かに誘われなければ、外に出ることも無く、誘われても何かと断ることも多く、これでは、東京の生活と変わりは無いのである。

何の為にここにいるのかなぁと、つい思ってしまいます。
こんなにいい天気なのに、外に出たいと思わない夫はどういう心の動きをしているのだろうと真剣に考え込んでしまった。

2年近くを、UBで生活し、色々感じることもあり、50歳を過ぎての生活について、語り合ったはずなのですが「仕事」をまえにすると、すっかり元に戻ってしまうのです。

ほんとに、仕事から解放されたら、それはそれなりにやるよと言うのですが、どうも、こんな様子をみせられると、信じることができません。

今は、まとめをしているからほかのことを考えられないというのですが、辛らつな友人に言わせれば、「あんたの教育がわるかった」ということなのか。。。

私なんて簡単にやっていることなのに、心から、面白いと思うこと、何も忘れて笑い転げることって、ほんとにむずかしいらしい。
何に対して、そんなに構えているの?
あーぁ、つまらない。

パソコンが治ってしまって、また、何を書くのかと気がかりが夫に始まりました。だったら、壊れたままにしておいてくれても良かったのだけれど、私のイライラを見ていられなかったようで、治る兆しをちゃんとキャッチしてくれました。   ありがとう!

心地よいお天気の休日に、それぞれのパソコンに向かって、黙々とキーボードに指を走らせているのは、傍から見ると勿体無いよねぇ。
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