UBには、さまざまな形で日本人が生活しています。
マドーチンのように、私費でモンゴル語を学んでいる人、留学生、企業の出張組、JICA関係の人たち。
JICA関係は、後ろ盾がしっかりしているのですが、マドーチンのような学生は何の後ろ盾も無いのです。
たとえば、泥棒に入られたとき、日本大使館に被害届けを出さねばなりませんが、それ以上は何の手助けも無かったそうです。
授業を休んで、警察の事情聴取にいったら、約束の時間大幅に遅れて始まるし、何度も同じことを聞かれ何度も足を運ばせられ、犯人の見当はついているのに、結局どうにもならなず、時間もとられ、疲労が残っただけだったとか。
それを、たった一人で背負い込まなければならず、不安は増大するし、相談をする場所も無く、途方にくれたそうです。
単身UBに来ている人たちの、相談場所が欲しいといっていました。
私は、夫がいて夫は、職場の相談相手いて、JICAの後ろ盾があるわけで、そんな安全の中にいても、限りない不安を抱いてしまっているのです。
たった一人で、頑張っている人たちに比べたら、なんて恵まれた立場にいることか。
マドーチンとの会話で、不安を意味無く増大させているんだなぁとわかりました。
マドーチンはビール、私は麦茶とコーラを飲みながら夜が更けた昨夜でした。
母との10年の間に、これだけのことに耐えられたのだから、もう何がきてもOKと思っていたのですが、これが大間違い。
別の種類のストレスが来ると、又、同じように悩み落ち込む私です。
辛さを忘れることができるのは、人の心の大きな安全システムなんだなぁ。
忘れられたから、又、あらたな出来事には、又、新たな反応をするのかしらん。
人の心は、悩むようにできているのかなぁ。
「どんなことが有っても大丈夫」とは、私の中で崩れたのでしたが、元の木阿弥になったというのではなく、一つ階段を上がったような気持ちです。
気持ちが塞ぐことがあると、ありがたいのは、そのたびに、強い助っ人が現れることです。私も、捨てたモンじゃないな。
昨夜の会話の中で、チンギスハーンの墓の発掘のことが話題に出ました。
ヘンティ県は、UBからそれほど離れていないところなので、帰国前にいけたらいいねと言ったことでした。
さて、10時にはいつものタクシーが迎えに来てくれて、空港へお迎えです。うわー、どきどきしてきた!