風のこたろう

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漢文学窓『里仁』新越谷

2016年05月23日 | 論語と
12人の思想家について、4月からの学びが始まっています。

今日は、墨子   
     須藤明実著 漢文学窓『里仁』教科書  
           『仁の里』古代中国の思想家たちのお話


先生の著書を教科書に、読み進めます。

今日の学びは、墨子の「非攻」と「兼愛」
  戦わないことそして、人を愛すこと。
 
チャップリンの映画「殺人狂時代」で訴えたかったことは、非攻。
兼愛とは、博愛と違い、平等に愛し合いお互いの利益のために尽くそうという考え方。


孔 猛 老 荘に比べれば、無名に近い墨子を良く読んだ、チャップリンとトルストイ。
トルストイは、兼愛について、繰り返し読んだそうです。

墨子は単なる平和主義者ではなく、行動する人だったそうです。
その様子をあらわすて、「墨子暖席なし」といわれ、現代の席の温まる暇もないとの言葉へとつながっています。

もう一つ、「墨突黒まず」(墨子の家の煙突は、黒くなるときがない)という言葉も生まれ、生涯戦いと、行動の一生だったそうです。

憎めば憎まれ、愛せば愛されるという、兼愛の思想は、今こそ学び生かされるべき思想哲学と言えるのではないかと思えてならないのですが、いかがでしょうと、先生は結びました。


今、まさに、思い悩んでいることも、兼愛の思想を深く学び、自分なりの結論に導くことができたらと思うことがあります。

しかし、愛しきることもできないのに、憎み切ることもできず、憎み切ったら、愛に変化するだろうか、それとも、戦うしかない方向に行ってしまうだろうか。

その戦いを憎む人がいて、何事も、穏やかに、納得して事を進めていくとなると、凡人には悩みが増えてしまう。
ただ、戦いに発展しない方を選ぶことは、とても難しいのですが、大事なことのように思います。

戦いと言っても、私の生活圏では、賛否を問うということくらいなのだけれど、これさえしないという出来事がありました。
決裂を避け、歩み寄れるまで、考え抜くという姿勢は、尊い。
戦うよりも、辛く長い道のりになるのだろうねぇ。


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