本当は、「超苦手」としたいところだけれど、「死んでも使いたくない日本語」を読んだばかりなので、表題に「超」を使うのは、控えました。
面白い本でした。
さて、本題です。
和歌、俳句、新体詩 の分野は、避けて通れない状況になりました。
去年から、いや、もっと前から、私自身の練習を始めねばと考えていました。
ぐずぐずと先延ばしにしていたわけですが、重い腰をスイッと軽くしてくれたのが、辰巳快水先生の「幾山河」です。
このほど、関吟和漢名詩選その五を手に入れまして、超うれしいことに、辰巳先生の和歌が入っていました。
すべての吟詠をすっ飛ばして、辰巳先生の吟詠をまず聞きました。
なんてことでしょう!
うれしくて、うれしくて、「幾山河」だけをリピートして聞いています。
必ずテキストを前に、細心の注意を払いながら、神経を集中して聞いています。
復帰間もないころ、野田 芦孝先生から和歌のご指導を受けた時、「音が取れない!」と衝撃が走りました。
もともと柔らかい音を出すのが苦手な上に、まだ、心の支えができてなかったから、その、衝撃は、自分の可能性をほぼつぶしてしまったようでした。
それから、紆余曲折。
発声法、呼吸法を学ぶ機会を頂いて、昔の強いだけの声の出し方、すぐに喉を嗄らしてしまう出し方から、今は脱出しつつあります。
その、もうそろそろと思った良いタイミングで、辰巳先生の「幾山河」が目の前に出現するなんて、嬉しくて仕方がない。
よし、一人カラオケだ。
まず一番にしたことは、私の吟詠を録音すること。
惨憺たる吟詠を残しておいて、将来どこまで、スキルアップできるか、比べるためと、戒めのために。
まぁ!なんてことでしょう。聞いてみてると、細心の注意を払ったのに、取れてない音がザクザク。高い音は、声がひっくり返るし、水の音程は、ちっとも響かないし。
どうして和歌になったら、二半の音が素直に出てこないのだろう。
漢詩の吟詠の時は、音が飛んでもちゃんと取れるのに、和歌になるとからっきしダメ。
なんてことだ!
頭に響いている辰巳先生の声と音程は、きっちり同期していると思ったのに、外れてる、出てない、次の音程の予想ができない。
初めて、吟をならったとき、こんなことはなかった。
若かったからねぇ。反応が鋭敏だったよね。
漢詩の吟詠は、何十年にもなるけれど、和歌というお稽古事は、去年から始まったばかりだからと、頭ではわかっていても、これほどひどいとはねぇ。
会員さんへの練習で、したり顔で、「トラブルの根源はその一つ前にあり」と言ったのは、そっくり私に返ってきた。
不安定な踏切をすると肝心な音がふらついている。
ふらつく音だけを練習しても、その原因となる一つ前の音を大事に、確実に音程をとりキチンと発声をせねば、練習したことにはならない。
そのことを、頭でわかったと思っていたのは、大間違い。自分の音の不安定さを感じて、それを治していく過程で、やっと、わかってきました。
ゼロからのスタートは、こうして、一人カラオケと言う、昔はなかったシステムで、始まりました。
自分が、まだ何も出来上がっていない状態を体験して、会員さんたちの気持ちが、少しわかった気がします。
螺旋を上がりながら、超初心に戻って、思うことはたくさん、発見もたくさん。
去年から、今日に至るまでの、心模様を、振り返ると、和歌に到達するための、あれやこれやだったのかと思う。
にぎやかに、元気いっぱいに始まった漢詩の吟詠と打って変わって、静かに、相手は、CDからの音源、そして、音源の元は、おととしのグローバルで、模範吟詠をしてくださった辰巳先生。
あの時、生で聞いた和歌に、感動し、心が動いて、やっと今。
一度でいいから、辰巳先生の隣で、合吟をさせていただきたい。
CDの音から想像する体の使い方を、目の当たりにしたい。
そして、少し音を下げた楽な発声で、練習できるのは、音程を変えられるICレコーダーのおかげ、それとコンダクターのおかげ。
吟詩部での練習の始まりは、手助けとなるものはなく、ひたすら自分の耳だけが頼りだった。
それを長く続けていると、身につくものだなぁ。
けれど、年を重ねてから習う、初めての音の連なりは、なかなか、体が吸収してくれない。
と、愚痴をこぼしたくなるけれど、学生の頃は、一日に何十回となく吟じたものねぇ。
和歌もそれをすればよいのだよ。
ぶきっちょさんは、くりかえす、くりかえす、くりかえす。
さぁ、今日から『超』の看板を下ろして、「にがて」になりましょう。
たった一時間半の練習で、こうも変われる私って、超強気じゃない?
会員さんが待っているという追い込まれた状況が、そうさせたのだ。
がんばれ!がんばろう!
面白い本でした。
さて、本題です。
和歌、俳句、新体詩 の分野は、避けて通れない状況になりました。
去年から、いや、もっと前から、私自身の練習を始めねばと考えていました。
ぐずぐずと先延ばしにしていたわけですが、重い腰をスイッと軽くしてくれたのが、辰巳快水先生の「幾山河」です。
このほど、関吟和漢名詩選その五を手に入れまして、超うれしいことに、辰巳先生の和歌が入っていました。
すべての吟詠をすっ飛ばして、辰巳先生の吟詠をまず聞きました。
なんてことでしょう!
うれしくて、うれしくて、「幾山河」だけをリピートして聞いています。
必ずテキストを前に、細心の注意を払いながら、神経を集中して聞いています。
復帰間もないころ、野田 芦孝先生から和歌のご指導を受けた時、「音が取れない!」と衝撃が走りました。
もともと柔らかい音を出すのが苦手な上に、まだ、心の支えができてなかったから、その、衝撃は、自分の可能性をほぼつぶしてしまったようでした。
それから、紆余曲折。
発声法、呼吸法を学ぶ機会を頂いて、昔の強いだけの声の出し方、すぐに喉を嗄らしてしまう出し方から、今は脱出しつつあります。
その、もうそろそろと思った良いタイミングで、辰巳先生の「幾山河」が目の前に出現するなんて、嬉しくて仕方がない。
よし、一人カラオケだ。
まず一番にしたことは、私の吟詠を録音すること。
惨憺たる吟詠を残しておいて、将来どこまで、スキルアップできるか、比べるためと、戒めのために。
まぁ!なんてことでしょう。聞いてみてると、細心の注意を払ったのに、取れてない音がザクザク。高い音は、声がひっくり返るし、水の音程は、ちっとも響かないし。
どうして和歌になったら、二半の音が素直に出てこないのだろう。
漢詩の吟詠の時は、音が飛んでもちゃんと取れるのに、和歌になるとからっきしダメ。
なんてことだ!
頭に響いている辰巳先生の声と音程は、きっちり同期していると思ったのに、外れてる、出てない、次の音程の予想ができない。
初めて、吟をならったとき、こんなことはなかった。
若かったからねぇ。反応が鋭敏だったよね。
漢詩の吟詠は、何十年にもなるけれど、和歌というお稽古事は、去年から始まったばかりだからと、頭ではわかっていても、これほどひどいとはねぇ。
会員さんへの練習で、したり顔で、「トラブルの根源はその一つ前にあり」と言ったのは、そっくり私に返ってきた。
不安定な踏切をすると肝心な音がふらついている。
ふらつく音だけを練習しても、その原因となる一つ前の音を大事に、確実に音程をとりキチンと発声をせねば、練習したことにはならない。
そのことを、頭でわかったと思っていたのは、大間違い。自分の音の不安定さを感じて、それを治していく過程で、やっと、わかってきました。
ゼロからのスタートは、こうして、一人カラオケと言う、昔はなかったシステムで、始まりました。
自分が、まだ何も出来上がっていない状態を体験して、会員さんたちの気持ちが、少しわかった気がします。
螺旋を上がりながら、超初心に戻って、思うことはたくさん、発見もたくさん。
去年から、今日に至るまでの、心模様を、振り返ると、和歌に到達するための、あれやこれやだったのかと思う。
にぎやかに、元気いっぱいに始まった漢詩の吟詠と打って変わって、静かに、相手は、CDからの音源、そして、音源の元は、おととしのグローバルで、模範吟詠をしてくださった辰巳先生。
あの時、生で聞いた和歌に、感動し、心が動いて、やっと今。
一度でいいから、辰巳先生の隣で、合吟をさせていただきたい。
CDの音から想像する体の使い方を、目の当たりにしたい。
そして、少し音を下げた楽な発声で、練習できるのは、音程を変えられるICレコーダーのおかげ、それとコンダクターのおかげ。
吟詩部での練習の始まりは、手助けとなるものはなく、ひたすら自分の耳だけが頼りだった。
それを長く続けていると、身につくものだなぁ。
けれど、年を重ねてから習う、初めての音の連なりは、なかなか、体が吸収してくれない。
と、愚痴をこぼしたくなるけれど、学生の頃は、一日に何十回となく吟じたものねぇ。
和歌もそれをすればよいのだよ。
ぶきっちょさんは、くりかえす、くりかえす、くりかえす。
さぁ、今日から『超』の看板を下ろして、「にがて」になりましょう。
たった一時間半の練習で、こうも変われる私って、超強気じゃない?
会員さんが待っているという追い込まれた状況が、そうさせたのだ。
がんばれ!がんばろう!