風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

長い漢詩

2016年05月16日 | 詩吟
これまで、必要に応じて、律詩も課題に取り入れてきましたが、いよいよ定期的に取り入れて、絶句の延長としてではなく、律詩としてきちんと吟詠できるようにする時期が来ました。

律詩は、より、情景描写、心理描写が深く、その表現をよりよく表すために難しい譜が出てきます。
今までは、勢いで吟じていた絶句と違った取り組みが必要となります。


落ち着いて、律詩に取り組むには、いろんなアプローチがあると思うのですが、先日の青葉では、譜の練習をしてから、全体の吟詠へと持っていきました。

今まで習ったことがある譜でも、格段に実力が上がってきたので、丁寧にやり直しをする必要が出てきました。
このことをこのように取り上げて、練習するのは、夢組だけかもしれません。ほかのみなさんは、自分の個人的努力によって、スキルアップをなさっているはずです。

新しく出てきた譜については、特に丁寧に、キチンと音を拾って、滑らかに力の及ぶ限りの努力と工夫をしましょう。

一節ずつ、吟詠の繰り返しをしているとき、わからない譜があると気づくだけで、気がそがれていくのを、どうしようもなく、感じます。
それで、譜を先に解明して、吟詠に入れば、新出の譜にだけ耳を集中してしまって、他の部分におろそかになって、詩の流れや、次に移るときのタイミングなど、吟詠として大事な部分を聞き逃さないで済むと思いました。



そうやって、練習をすれば、「まず、私の吟を聞きなさい」と、偉そうに言い放っていますが、やがては、「私」の部分が、関吟の指導者の、少壮吟士の、あるいは、他流の尊敬する人の名前に当然のことのように入れ替わる日がくるわけです。

その日が楽しみです。
会員さんたちと、吟詠についての意見交換ができる日が早く来ると良いのです。



その日が来るまで、『相反する「部分」と「全体」をどちらかを優先して、練習をするのは、良いのか悪いのか』などと、悩むといたしましょう。





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