風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

勝海舟講演会

2014年09月06日 | 徒然に日々のことを
詩吟仲間からのご案内を頂いて、藤沢市民会館で行われる「勝海舟」の夜叉孫の高山(こうやま)みな子さんの講演会に出席しました。

湘南○○会20周年記念講演会とのことでした。

歴史の勉強デビューの私は、どうなることやらと、恐る恐るの参加でしたが、高山さんの講演は最後まで、飽きることなく聞くことができて、驚きのお話ばかりです。

だれもが知っている歴史上のことに加えて、確かなエピソードは、注意が散漫になるどころか面白かった。
なにより、高山さんが愛してやまない海舟の話だから、静かで押しつけがましさはないのに迫力がある。
こんな風に歴史を語ってくれるなら、もしかしたら、はまるかもしれない。

極貧の中にありながら「ヅーフ・ハルマ(日蘭辞書)」を2部書き写し、1冊を売った。
その辞書の存在が、その後の彼を助けたこと。
福沢諭吉との違いは、人材登用、人命第一主義であったこと。
ペリー来航の時提出した「愚存書」に軍艦の必要性、江戸の警備を唱え、兵制改革と訴え、火薬引きの制作を唱えた。人材登用の一つとして、火薬武器の制作に、その時代必要とされなかった次男以下の者、病弱なもの、恒例のものを登用した。愛ですねぇ。

そういう彼を最後まで援助した豪商がいたこと。

咸臨丸で、渡米の時は船酔いに苦しめられ、一刻も早く帰国したかったこと。

咸臨丸の渡航費用は、2億円 そしてお土産に2億円を投じたこと。

ロサンジェルスでは、アイスクリームをこよなく愛し、シャンパンの味に驚き、婦人をエスコートする様子に驚き、最後には人の上に立つ人は力があると観察し述べた。
この観察を口に知ることで、帰国後ほされてしまったとか。

そして、渡航の際に世話になったブルック大尉に、異例のお礼状を書いた。その末ヘ、ジョン万次郎であったと。

ブルックス大尉の自宅には、航海士に書かせた勝の油絵があり、その絵と同じメ[ズの写真も残されていた。その絵から、勝の着ていたものは、少し光沢のある水色の羽織であったことがわかる。

そして、その写真は、注ホの手紙に同封されていた。その写真を拡大して調べたら、三つ葉葵の紋所だったと、このことから、幕府から下賜された着物であったことがわかった。

などなど、歴史を語る上で、残されたものの検証が、見る角度によっていかようにも料理され、史実が、面白くなったり、険悪になったり、正反対の結果になったりするものと、今日の話と、そのほかの小説から、気づいたことでした。

勝は、博愛の人であった。その証拠の一つは、刀が、常にこよりで止めてあったと。
そして、いまスカイツリーの見えるところに建っている彼の銅像もこよりで止めてある刀を差しているそうだ。

歴史を知ることは、その人を知ることなのね、複雑に絡まった関係を、シンプルに見通せば、私にも、歴史を知ることを面白いと感じるようになるかな。
それには、高山さんのような語り手が、必要だなぁ。文字をせっせと読んで、学ぶには、到底1冊の本も読み切れない気がする。

それにしても、高山さんは魅力的な方だ。さすが、今日身近になったばかりだけれど、勝の末裔と思う。

懇親会では、参加したグループの代表が一言ずつ挨拶をされました。
関吟グループ(谷中)として、K先生がご挨拶をなさり、勝海舟作の律詩「失題」を吟じられ、高山さんからやんやの喝さいを浴びました。

先生の博識と吟とで、今日参加したとあるグループからお話をというオファーもあったりして、異業種交流の会は、ふけました。

帰りの電車では、このような会に出席しなければ、お目にかかれないような紳士とお隣になり、ちょっと私にしては格調の高い話題で盛り上がり話し込みました。
おかげで、電車を乗り過ごさせてしまって、申し訳ないことをしてしまいました。

お誘いいただきありがとうございました。また、懇親会では、おいしく頂きながら、心地よい会話が続きました。




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