『不器用な生き方』

うつ病の診断から12年余り。その間に精巣がんや糖尿病の宣告を受け現在も薬を服用しながら不器用に生きる日々の出来事を。

『野に咲く・・・』

2006-03-06 23:09:30 | 思いつくままに

   本日の調子/10点。

魔のBlack Monndayだったが、なんとか会社にも行く事ができた。

仕事も今日は一人で思うようにできたので、快適だった。

 野に咲く花みたいに、今日をやさしく生きたい。

明日は今日よりほんの少しでいいから、より良い日でありたい。

 


『気分を変えて・・・。』

2006-03-06 02:17:00 | 思いつくままに

 本日の調子 /10点。

昨夜はDVDで映画や撮り貯めていたドラマなどを見ていたため、寝るのが明け方5時近くなってしまったが、朝8時に起き、またテレビで今週のニュースチェック。ほとんどのチャンネルが荒川静香の“イナ・バウアー”と贋メールに踊らされた民主党の話題。

笑っていいとも増刊号を見ながら食事をした後、また別の映画を見始めたらいつの間にか寝てしまった。夜は「輪舞曲(ロンド)」。真剣になって見入ってしまう。展開が読めなくておもしろい。

こうしてみると、家に居る時はいつもテレビばかり見ている。

自分は小さい頃、幼稚園にも保育所にも行けなかった。うち(栃木)の実家の方では、小学校に入る前でも、家に子供の面倒を見る人がいる家庭は保育所に入れなかった。自分の場合、祖父母がいた為らしい。(その辺のいきさつはよく解らないが。)だから小学校の同級生で保育所や幼稚園に行っていなかったのは自分の他はわずかだった。でも学校でそのことでコンプレックスを持つ事はほとんどなかった。

じいちゃんとばあちゃんがその頃健在だった事は、自分にとってはとても嬉しくまたありがたい事だった。じいちゃんは自分が高校生の時他界したが、ばあちゃんは98歳まで生き、天寿を全うしてくれたと思う。ばあちゃんは頭が良く温和な人で、自分の分からない事は何でも知っていた。自分が分からない事があって聞いたりすると、自分に分かるように教えてくれた。それに90歳を過ぎてもぼけなどなく記憶力も良くて、その上さらに新聞などで新しい知識を覚えていた。自分もあんな人になれたらいいと思っていたし、今でも思っている。教え方が温和だったので、気安くなんでも聞くことができた。だから自分はばあちゃんっ子ではないと思ってはいるが、ばあちゃんが逝ってしまった時は悲しい思うと共に悔しい気がしたように覚えている。

小さい頃の、自分の先生はテレビだった。今と同じようにテレビばかり見ていた。文字も言葉も時事も社会科も音楽も、入学前の知識はほとんどテレビに教えてもらったような気がする。だから、かえって他の同い年の友人達の知らない事でも自分は知っていたりする事も多かったような気がするし、なまりや方言も、テレビで標準語を耳にしていたので、家族との会話にはなまりなどがあっても、他では標準語で話していた(そうだ。よく覚えてないが家族がそう言っていた。)まあ、幼くしてバイリンガルだったってことか。(違う?)

でもテレビを見ている以外の時間は、いつも家の仕事の手伝いの時間だった。実家は農家で葉たばこや米、麦、椎茸などを作って出荷していてそれ以外にも、お茶、トマト、メロン、スイカ、葉物野菜や根菜を何種か、その他八百屋に並んでいるものはほとんど自給自足で作っていたので、忙しかったのだろう。家の仕事を手伝うのは当たり前と思っていて、遊びの時間というものは実家にいた頃は存在しなかったように思う。

あえて覚えているものを挙げるなら、父親としたキャッチボールくらいだったように思う。兄とは4歳離れていたし、弟とも6歳離れていた為、兄弟で遊ぶ事もほとんどなかった。本当は2歳くらい下に妹が産まれる予定だったらしいが、死産だったらしい。あえて両親には聞いていないので、今でも詳しくは知らない。ただ記憶の片隅に、小さな棺をかすかに覚えている。後から生まれた記憶なのか、本物の記憶なのかは解らない。もし本物の記憶だとしたら、自分の中では一番古い、一番最初の記憶という事になる。

今日は文字だらけのBLOGになってしまった。遅筆な方だが文章を作るのはおもしろい。いつか小説かエッセイでも書きたいと思っているが、いざあらためて望もうとすると、なかなか書き出せないものだ。これも遅筆のせいにしようか!?

明日は会社だ。カレンダーを見ると、明日は旧暦では自分の誕生日らしい。月曜日は休みがちで、自分にとっては鬼門の曜日だが、気分も新たに行ければいいなと思う。

明日に響くので、今日はこの辺にしよう。みなさん、おやすみなさい。