創価学会体験記

選挙前になると電話をかけてくる 不思議な人達。そんな創価学会を体験してみました。(中傷と信仰賛美は 削除対象になります)

自分の中の 汚い部分

2005-06-19 20:31:53 | 体験記
 自分のblogでは 汚い心を排除して なるべく優しい気持ちで書こうとしている。でも 実際の私は 汚い心も 持ち合わせているし、人間関係の嫌らしさに閉口していることもある。今日は自分でも もてあましている心の部分を吐露してみよう。

 bookmarkの創価学会放棄宣言のBBSに ある方がこんな事を載せていらした。
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一人くらいゴミを捨てても地球は腐らない。
じゃあ、この人のことは好きだから、ゴミを捨てても許してあげよう。私が拾ってあげればいい。
そういうコトです。
それは違う。一人がゴミを捨てるところを見れば、見た人の中でゴミを捨ててはイケナイという気持ちが減ります。
そしてゴミを捨ててはイケナイ、という事が対して大事な約束ではなくなっていく。
私は自分の目の前にある現実が、世の中すべてに与える影響を、自分の力で受け入れることは出来ないんです。
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見たときに 唸った。まさしく 私が感じていて 表現しきれなかったことだ。
ぎりぎりの選挙違反かもしれない行為も 聖教新聞を近所のポストに入れる行為も 強引な折伏も ほんと 些細なことだけれど、つもりつもっていけば やはり世間の迷惑だ。

福岡の 山拓さんの選挙当選も 民意とはかけ離れたものであろう。そして それが起爆剤になり、人権擁護法案が可決されたら、創価学会、朝鮮問題に苦しむ方々の声は かき消されていくだろう。

一人一人の 罪は ほんのかすかなものだろうが、被害は甚大であろう。
そうなったときに 私は創価学会信者という方々を許すことは出来ないであろうし、反創価も 創価学会信者も 仲良くやっていこうという 提唱は 片腹痛いと感じている。