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Scrap Scramble

食べ歩き,道の駅,食べ合わせ,ウォーキング、ダイエット。
興味が湧いたことを調べたり。

美味しんぼ・とんかつ慕情

2009年04月17日 01時10分38秒 | 映画
美味しんぼ「とんかつ慕情」


ある青年が東京に出てきて一人暮らしをしていた。
貧しい生活の中で、細々と暮らしていた。
雨の日の夜、路上でカツアゲに遭い、殴られ、
道端でうずくまっているところをオジサンに助けられる。
オジサンの店に連れていかれ、破れた服を縫って
もらいながら、とんかつをご馳走になる。
「立派な人になってね。」と、かみさん。
「いやぁ、立派になんてならなくていい。
食べたい時にとんかつが食べられるくらいがちょうどいい。」
とおやじさん。
その言葉をかみ締めながら食べたとんかつ。
こんなにうまい食べ物は初めてだった。

青年は夢を見てアメリカに行く。その後もエアメールで
おじさんに手紙を書いていたが、宛先不明で手紙が
返ってきてしまう。
友人に頼んで居所を探してもらうが見つからない。

そうしているうちに30年が過ぎた。
アメリカで大成功した青年は、久し振りに日本に帰ってくる。
あの時のとんかつの味を求めて、いろいろな店で食べてみるが、あの時の味に出会えない。
そんな時に、東西新聞社会部が人情モノを記事にしようとしていた。
白羽の矢が山岡に向けられた。

新聞で探し人記事を掲載し、千葉の老人ホームに移り住んでいた2人を探し出した。
30年振りに再会したおじさんと青年。
青年は涙を流し、アメリカでくじけそうになった時、
あの時のとんかつの味を思い出して頑張ったと語る。

おじさんは不動産屋にだまされて店の権利書を奪われ、
日雇い暮らしをしていて、最近老人ホームに入ったと語る。

山岡は青年とおじさん夫婦を店に連れて行く。
ここでとんかつを作って下さいと、おじさんに頼む。
おじさんはこだわりをもってとんかつを作る。
「あの時の味だ!」と、涙を流して食べる青年。
「あの時の腕は衰えちゃいないよ!」と、豪語するおじさん。
「では、このお店、お任せできますね。」と青年。
「え?」、「おもての看板、見ませんでした?」
おもてに出てみると、おじさんが掲げていたお店の「とんかつ大王」の看板。
青年はおじさんにお店をプレゼントしたのだ。
おじさんは涙を流して感謝する。
そして、青年はアメリカに帰っていく。


はたち前の青年がおじさんの店でとんかつを食べさせてもらっているところで、涙が滲んだ。
僕も同じことをしてもらった気がする。
あの時は、その優しさに気付けなくて、ただで食べさせてもらっちゃった。
それくらいしか感じていなかった。
おじさんが僕のことをジーっと見て微笑んでいたのを、照れくさくて笑っていた。
むしろ、自分が貧乏なのを不憫に思って見られている気がして、嫌だった。

きっと、これだったんだ!と今頃になって気付かされた。
僕は運がいいんだ!と思っていたけど、こんな優しい人達に支えられていたんだと、今頃になって気付かされた。

こんな事は若い頃には何度もあって、明確に記憶に残っていない。

僕は、感謝を形にしたことあるんだろうか?
胸に手を当てて、確認してしまった。

帰ってきたウルトラマン 「怪獣使いと少年」

2009年02月23日 03時06分12秒 | 映画
帰ってきたウルトラマン

東京MXテレビで毎週月曜の23時から放送している。
「あいのり」に飽きてきて、こんな番組を録画している。


「怪獣使いと少年」の回。

宇宙人だと疑われる少年が、東京の臨海地域に住んでいる。
周りは光化学スモッグを発生させる化学工場が煙を吐いている。
少年はひたすら穴を掘っている。
中学生が少年を吊るし上げ、お前が本当に宇宙人か?と、締め上げる。
中学生が少年の住居のオンボロ小屋の二階に上がろうとすると、超能力で宙に浮かせ、追い返す。
さらに締められる少年を、MATの郷隊員が助ける。
「ありがとう!」と少年が応える。

別の日、また中学生がやってくる。
少年がご飯の炊き出しをしているところを、鍋を蹴飛ばされ、
涙を流しながら歯をくいしばって地面に散らばったご飯を拾い集める少年に、
中学生は足で踏みにじり、ドーベルマン犬を放つ。
朦朧として小屋から出てきた犬が、中学生の目の前で爆発する。

郷隊員の調べで、少年が宇宙人でないことは分かった。
北海道・旭川で母親が死んだ後、父親を追って東京にやってきた。
しかし、何か、秘密を隠している。

商店街で食パンを買おうとする少年を門前払いする店。
少年を追って食パンを売ってくれたお姉さんに、「ありがとう!」を連発。
少年は、人の優しさを記憶に残すように、しっかりと受け止めているようだ。

小屋に戻ると、小屋に郷隊員がいた。
二階に住んでいたおじさんがほんとのことを話し始めた。
地球の風土気候を調べるためにやってきた宇宙人だった。
その時出会った地球人の子供は瀕死の状態だった。
宇宙人は、その子供と親子のように過ごした。
しかし、地球の大気汚染でもうすぐ死んでしまうことを悟っている。
少年はおじさんが隠した宇宙船を探して、穴を掘っている。
そして、一緒に宇宙に行くことを望んでいる。

町の住民が小屋に押しかけてきた。
宇宙人を退治するために。
子供を守るために、おじさんは姿を現す。
郷隊員も制止する中、警官が発砲し、死んでしまう。
それと同時に、念動力で地下に眠らせていた怪獣が暴れ始めた。
逃げ惑う住民は、「早く退治してくれよ!」と叫ぶ。
郷は「勝手なことを言うな!おびき出したのはお前たちだ!まるで、おじさんの怒りが乗り移ったようだ。」
と、心の中でつぶやく。
怪獣を倒し、町に平和が訪れる。

怪獣もおじさんもいなくなっても、少年は宇宙船を探し続けている。
おじさんの宇宙に行くつもりだ。
「きっと地球にさよならを言うつもりなんだろう。」と郷隊員は言う。


ウルトラマンがこんなに深いテーマを扱っていたとは!
目が潤んだ。
少年が中学生にいじめられ、けなげにご飯を拾ったり。
こんな星に未練がなかったり。
確か、昭和44年くらいの放送で、当時、高度経済成長の真っ只中、
環境汚染を訴えても、誰も聞いていなかったのでは?
まだ生まれていなかったけど、再放送で観ていた。
しかし、こんなテーマだったとは!今気づいて、とても考えさせられた。
少年の心は、純粋だな。心ある人のことを信じきっている。
だから、心無い地球人とは居たくない。優しいおじさんの星はきっと、皆優しいから、僕はその星に行く。
誰かのことを思う心って、人間も宇宙人も関係ない。
思ってくれる人に応えるものだよ。
だから、郷隊員も理解する。協力する。助ける。
郷隊員はウルトラマン。
こんな地球人を守る意味があるのか?と、自問自答している気がする。

銀河鉄道999

2009年02月15日 03時41分38秒 | 映画
録り貯めたテレビ番組を観るか。

2008年の年末にMXテレビでやっていた、「銀河鉄道999」。


確か、この映画、TVアニメが好評で映画になったやつ。
しかし、TVでは主人公・星野哲郎が10歳だったのに、
映画では14歳になっていて、何で?と思っていた。

僕が小学生のとき、映画館で観た。
TVでもそうだったが、この映画、内容が何だったか?憶えていない。
最後のシーンで、メーテルが哲郎にキスするところだけ憶えている。
子供心に「いいなぁ~」という気持ちと共に。


当時のSFアニメものだと思っていたので、1.5倍速で観始める。
が、序盤でそうでないと分かり、すぐに等速に戻す。


永遠の命を得るために、自分を機械化する。
それとは別に、機械化されたことにより人間の感情を失い後悔している人がいる。
そして、機械化された者達に支配される恐れと闘う人達。
星野哲郎は機械伯爵に殺された母親の恨みを晴らすために、999に乗る。

機械伯爵の城で見たものは、母親の剥製。
この絵柄は、子供の時に感じなかったものを今の僕に見せた。
あまりにもショックだった。
怒りと悲しみで涙がこぼれた。
自分の母親が剥製にされている!このことに対しての怒りと悲しみにあてはまる表現が浮かばない。
人間が永遠の命(機械)を得たことによって、こんなにも思考が変わってしまうのか?
これほど恐ろしいことはない。


哲郎は、機械伯爵を殺し、恨みを晴らす。しかし、新たな野望を立てる。
人間を機械化するシステムを破壊することだ。
自分をハーロック号のシステムにすることで永遠の命を得るトチローの遺志を引き継ぐべく、
哲郎は、終着駅の機械化母星・メーテルに着く。
意思のあるネジにされるために、女王の一人娘・メーテルに連れられるように、終着駅に着く。
メーテルは、そのような人を連れてくる役割だった。
しかし、だますかのように連れてきた人との間には、以前にも恋愛感情があったことも感じられる。
そして、哲郎のことが好きになっている自分にも気づく。
その前に、哲郎は、メーテルが好きになっている。
反機械化を唱えていた父親の支えに、心無い母親に反逆する。
キャプテン・ハーロックやトチローのことが好きだったクイーン・エメラルダスの助けにより、
メーテル星を破壊する。
破壊後、女王・プロメテウスの娘・メーテルへの恨みの反逆に遭ったとき、999のウェイトレス・クレアの命と引き換えに助けられる。
メーテル星を破壊した後、メーテルは、人間の時の自分に戻ろうとして、旅立つ。
そして、別れの時に、哲郎にキスをする。

哲郎は、少年から大人になる半分大人な歳なのに、とてもしっかりしている。
そして、クレアやメーテルの心をつかんでしまっている。
永遠の命を手に入れるために必死だった哲郎が、人間であることが一番大事だってことに気づいてしまう。
だから、そんな哲郎のことを好きになってしまったクレアは、自分の命を捨ててまで哲郎を救う。

メーテルは人間の時の姿に戻ったあとに哲郎のそばにいても、哲郎はきっと気づかないだろうと悟す。
ホントのメーテルはきっと美しくないんだろうと思う。
姿かたちで人を見ていたら絶対気づけない。
でも、哲郎ならきっと見つけてくれるかも?という淡い期待をメーテルは持っていると思う。


子供用アニメ映画だとばっかり思っていたのに、何でこんなに涙が出るんだろう?


人の心なんだよな。きっと。一番大切なのは。
感情なんだよ。人を想う心なんだよ。一番欲しいのは。
決して、永遠の命ではない。
傷付いても修復できる機械でもない。

30年経ったあとに再度観た映画は、僕に感動を与えてくれた。


電車男DX

2009年02月13日 01時48分50秒 | 映画
録り貯めたドラマとか映画とか、そろそろ観なきゃ。

日付の古い順に観るか。


2006年7月。電車男DX。

まあ、いつものように1.5倍速で。


ダサダサたっぷりで、心地良い。
ん?ちょっとシリアス?

後半から等速に戻した。

ぅぅっ。

ネットの仲間の声が、心に響くよ。
え?共感してる?
自分に驚きながらも、不覚にも涙がこぼれた。
まさか、電車男で泣くなんて?!
でも、こらえずに涙を流した。
気のおもむくままに泣いた。


ダサさを飛び越えて、むしろ潔い。
あぁ~、もの分かりのいい大人になるより、
いっそ、馬鹿だと言われながらも純粋に人を好きになる。
この情熱が一番欲しいと思ってしまう自分がいる。
これが、いかに難しいか!

この純粋な感情は、「青春」というものかもしれない。



二十歳の頃は、友達にダサいとよく言われた。
最近は、どっち?と言われればイケてると言われる。

ホントの自分は、、、、ダサいままなんだよな。


イケてることと、自分に素直になることの隔たりが大きすぎて、
ダサいことも理解してるから尚更出せない。


「お前、高校の時から変わってないな~。」と高校の時の友達に言われたけど、
どうしてだろう?なんとなく違和感。
キチっとしなきゃ、という自分とだらしない情けない自分のギャップに、
自分が苦しんでる。



今週から、新しい仕事に就いた。転職じゃないけど。
取りまとめ役&推進役。
自分にできるの?と自問自答しながら、なんとか推し進めている。
自分の弱さを出すのは今じゃない。旗振りしなくちゃ。


いつから、こんな要領のいい男になってしまったのか!
もっと涙を流して、心を清めたい衝動にかられる。
でも、「明日も仕事だよ」と囁きが聞こえる。
一人でいても、一人の気持ちになり切れない。

でも、涙を流したい自分が居る。


きみに読む物語(プレミアム・エディション)

2009年01月31日 00時22分09秒 | 映画
邦題:きみに読む物語
原題:THE NOTEBOOK

Disc1:本編123分
Disc2:映像特典112分



この映画、僕は知らなかった。
映画館で観ることがほとんどなくなって、テレビで放送される映画ばっかりで。


会社の後輩の子が、「これ、感動しますよぉ~!大画面で観たらいいですよ~。」
と言って貸してくれた。
最近、40インチテレビを買ったからか?
その時、返した言葉が「え?120分もあるの?!疲れる~。倍速で観ようかな~。」
まぁ、そのあと、罵声を浴びせられた。
録画した字幕付き映画は、いつも2倍速で観ている。つまらない映画は途中で観るのをやめることもある。
期待してないけど、観てみるか。


冒頭のシーン。夕焼けで紅く染まった川で一人、ボートを漕いでいる。このシーンで流れるピアノ曲に心をもっていかれた。
僕の心を潤す曲だった。
岩代太郎という作曲家がいて、似たような曲を書いている。もしかしたら?とクレジットを先に確認してみると、違っていた。
岩代太郎は、ドラマ「With Love」のテーマ曲&サウンド・トラックをつくり、その後、映画音楽も作っている。
日本映画だけでなく、韓国映画のサウンド・トラックも手がけている。


最初から等速で。
先入観無しで最後まで観た。


観終わったあと、心の震えがとまらなかった。
これほど涙を流したことはなかったと言う程、涙が流れ続けた。涙が溢れ出てくる。
今、こうして記事を書いていても想いが沸いてしまって、滲み出てくる。

何がどう良かったのか?
うーん、観てない人がそれを受け取ってほしいから、書きません。
ちなみに、他の人はどう評価してるのかな?と検索してみると、映画漬けのシロウト批評家は辛口だったりしてます。
まぁ、それを先入観にせず、観てください。


心を揺さぶるものには、小説/映画/ドラマ/音楽/絵画と色々ありますが、これらを見て聴いて、どう感じるか?
それって、その時の心理状態や心の成長状態でかなり変わると思います。
だから、以前観た映画を再度観てみると、「あっ!」と気付いたりすることがあります。
以前の自分では感じることができなかった感性。今、それを受け止める感性。
自分の心をどう成長させようなんてことは、考えもしないし、考えても答えはないですよね?
だから、今、感じることを真正面から受け止めて、自分の中でどのように解釈するか?の繰り返しだと思います。


最近、仕事場で自分から周りに話す内容が、「業務だから」という立場で、本音と建前で話していたことから、本心で話す環境に変わってきています。
純粋でいることと、うまく振舞うことのバランスが崩れていて、「ホントの僕はこうなんだ!」と言いたくても言えなかった。
アラフォー世代になって、いろんなしがらみも抱えているけど、自分の出し方も学んできた気がします。


<心のつぶやき>

僕は、年を重ねるごとに、純粋になっていく気がする。
純粋に一人の人を愛する。
これでいいんだ。これがいいんだ。
僕は、そういう人間なんだ。




最後に。
この映画、好きな人、付き合っている人、旦那・かみさんと一緒に観て下さい。
二人の関係がどういうものか、確認できます。