歩かない旅人

 彼がなした馬鹿げたこと・・・彼がなさなかった馬鹿げたことが・・・人間の後悔を半分づつ引き受ける。ヴァレリー

メディアも外務省の外交もどうにかならないのか

2016-02-08 10:14:07 | 月刊雑誌「WiLL」から

 

  

 

 だいぶ暖かくなってきました。年寄りにとっては何もかにもあっという間に変わってしまいます。月日は飛ぶように過ぎ去ります。毎日忙しくて昼寝などの時間はありません。

 今日取り上げたのは、月刊雑誌の『WiLL』3月号からの書評のページからです。担当する評者は大体石井英夫氏が書かれていますが、文章の達人だと改めて勉強になります。

   

 石井英夫氏は、『産経抄』を35年間書き続けたといいますから、並大抵の事ではありません。産経抄によって天声人語が常に比べられ、クササレテいるのはそのほとんどが天声人語で、その矛盾をからかわれていました。

 その石井英夫氏は、毎月今月の一冊を推薦していますが、中々忙しくて、読みたくても読めませんが、石井氏が推薦文を書くと、大体の内容は知ったことが多いし。読んでしまった気分になって仕舞うのも毎度の事でした。

   

 今回取り上げた『日本、遥かなり』  門田隆将氏の本は硬派で、中々週刊新潮の出身らしく、きわどい記事を買いてる反骨のライターですが、日本の癌ともいえるリベラルメディアに対しては大変厳しい見方をしています。

 

 🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺

 

 (月刊雑誌『WiLL』2016年3月号より)

 【石井英夫の 今月のこの一冊】

   

 『日本、遥かなり』  門田隆将 著

     PHP研究所  1836円(税込み)

       評者   石井英夫

 

 この国は、なぜ横田めぐみさんを助け出せないのか。いや、相手がめちゃくちゃな拉致テロ国家ならその難しさも分からないではない。

 しかし、イラン・イラク戦争などでも日本は邦人救出に尻込みし、政府専用機や自衛隊機を現地に飛ばすことをしなかった。国家にとって最も大切なものは国民の「命」ではないのか。その大切なものを救い出せない国家とは一体、何なのか。

 本書はそうした日本の悲しい現実を抉(えぐ)りこの国の抱える“内なる敵”の罪の深さを暴き出す。胸打つノンフィクションの感動作だ。

 プロローグは昨年六月、和歌山県串本町で町と在日トルコ大使館が共催した追悼式典で幕を開ける。

   

 今から125年前の1890(明治23)年夏、オスマン帝国(いまのトルコ)の軍艦「エルトゥールル」が効い大島沖で台風に遭い、587人の乗組員が死んだ。しかし、村民が懸命の救助を行い、69人のトルコ人の命を救った。

 しかも、日本の軍艦二隻で彼らを本国に送り届けている。それがトルコの人々の胸を打った。その後、日露戦争で日本は勝利し、長くロシアに苦しめられていたトルコの日本への敬愛は増していく。

 それから95年後だ。イラン・イラク戦争でイランの首都テヘランが空爆され、駐テヘランの外国人はパニックに陥った。それに対し、欧米各国は次々に救援機を派遣して自国民の救出に当たったが、日本から救援機は来なかった。

 この時、伊藤忠イスタンブールの森永事務所長が信仰を結んでいたトルコのオザル首相に頼み込み、トルコ航空の救援機派遣が実現する。

 それによって、テヘラン在住の日本人約200人がトルコ航空機で救出された。こうした日本とトルコの熱い友情交流が、今も語り継がれているのである。

 この日本が邦人救出の飛行機を送らないという事態は、イエメン内線の時も、リビア動乱の際も再現されていた。国家が自国民の命を守るという当たり前のことが、なぜおこなわれなかったのか。

 一つには、人命よりも安全が大事だという外務省などの体質がある。著者は、かって駐ペルー特命全権大使を務めた青木茂久氏(76歳)に、インタビューし、

 「外務省には“起こって欲しくないことは起こらない”と言う考え方というか体質があるんです」という言葉を引き出している。

 二つには、この国は自国民を助け出すことは「憲法違反」とか、「戦争法案」などを扇動する“内なる敵”のマスコミを抱えているのだ。

 「疑念残る自衛隊機派遣」(1994年11月12日付)と書いた朝日新聞社説を始め、毎日、東京などの左巻き新聞派、「それは海外での自衛隊の武力行使になる」と主張するのである。

 それについて著者は、世界各地で活動する青年海外協力隊員から「戦争なら誰だって嫌なんです。でもそれとこれとは番う次元の話だ」と証言させている。

 また、前記の青木氏からも「他国と同じように自国民を救い出す法案は“戦争法案”などと言われてしまう。要は国民の意識を変える必要がある」と語らせている。

 自国民の救出、それが世界の当たり前の感覚であり、国際的な常識というものではないか。疲れを見せない旺盛な取材力に脱帽した。

 

 🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺

 

 この本で一番言いたかったことは日本の外務省がクズだと言うことでしょう。「外務省には“起こって欲しくないことは起こらない”と言う考え方というか体質があるんです」と言う体質はいったいどうして出来上がったのでしょう。

 明治維新を経た日本政府の外交は、白人列強の中に有って、一歩も引かず、ただ植民地になることを阻止するために、軍事にも外交にもまるで綱渡りのような、緊張した時代の中で、精一杯、日本を守り通してきました。

 明治政府が一番重視した、白人支配の世界を、その目的の為だけではなかったかも知れませんが、日露戦争に勝ち、大東亜戦争ではアメリカには負けましたが他の国々には敗けてはいません。白人支配を一掃したのですから。

 しかし今の外交は、だらしがないと言わざるを得ません。官僚の中でも一二を争う優秀な難関を通って来た、優秀な頭脳集団は、受験勉強の抜け殻のような、責任感の無い、保身に長けた、意気地なしばかりになって仕舞ったようです。

 しかもいい訳だけは、流石に上手く、大使館の前に捏造された慰安婦像まで作られたり、石や汚物を投げ込まれても、自分たちは汗も流さず、何となく丸く収めるだけが仕事だと思っています。

   

 しかしながら丸く収めたつもりが、卑屈な日本の国益なぞ眼中になく、自分たちの立場や地位や権利を生かして、保身に汲々としている様は、薄見っとも無い有様になって居ます。

 外交官と言う今までのイメージは、容姿端麗、頭脳明晰、外国語に堪能で、大使の立場は天皇陛下の名代ということに一応なって居ますので、一般的に「閣下」と呼ばれているということです。まるで時代劇の悪代官のごときです。

 こういう変な権威に敢然と立ち向かう傾向のあるのが、門田隆将氏です。書かれていることは想像がつきます。しかし彼らはメディアと言うバックアップがあるから面倒なのでしょう。リベラルなメディアが日本の“内なる敵”の正体でしょう。

 そんな門田隆将氏が2月7日に次のコラムを載せていました。実に的確な最近の新聞を皮肉っています。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

【新聞に喝!】

週刊誌の後追いが定着 なぜ新聞は「見識」を失ったのか 

  ノンフィクション作家・門田隆将

 新聞の力がいかに衰えているかを示す事例が、ここのところあとを絶たない。新聞がいくら懸命に書きたてても、世の中は動かない。それは、新聞にとって「笛吹けど踊らず」と言うしかない現象だろう。

 週刊誌が火をつけ、それを新聞やテレビがあと追いするというパターンも定着しつつある。年明け以降、そんなケースが目立つが、私は甘利明・経済再生担当相が辞任に追い込まれた一件に、いろいろ考えさせられた。

   

 最初に報道したのは週刊文春だ。だが、当事者が甘利事務所の秘書に金銭を渡す場面を同誌のカメラマンが撮影するなど、告発者と“一体化”する取材手法が果たしてメディアとして許容されるのか、釈然としない。

当コラムは週刊誌報道について取り上げる欄ではないので、その点については措(お)かせてもらう。

  私は、むしろその後の新聞報道が興味深かった。それは、日頃、安倍政権打倒に熱心なメディアが、この問題に「飛びついた」ことだ。

 朝日が〈政権の姿勢が問われる事態だ。首相は内閣を挙げて全容解明の努力をする必要がある〉(1月22日付社説)と書けば、毎日も〈第2次内閣以来「政治とカネ」で3閣僚が辞任している中での疑惑発覚は重い〉(同)と、安倍晋三首相の責任を問う姿勢を鮮明にした。

 朝日は、なおも同29日付社説で、〈疑惑のさなかに、自民党の中から気になる声が聞こえた。党幹部から「わなを仕掛けられた感がある」といった発言が続いたのだ。現金を受け取った甘利氏の側が、あたかも被害者であるかの言い分である〉と糾弾した。

  朝日は発覚後、告発者にインタビューもしている。しかし、そこでも「甘利氏を嵌(は)めるためにおこなったのか」という疑問の提示はしていない。つまり週刊誌に“丸乗り”したのである。

 だが、政権への打撃を企図したこれらの記事は、記者たちにとって虚(むな)しい「結果」に終わる。文春報道1週間後の1月28日、甘利氏は記者会見を開いて辞任を表明。

 週末、これを受けて各メディアは世論調査を実施した。内閣支持率が「どこまで下がったか」を見るためである。

 しかし、大方の予想に反して支持率は前回(昨年12月)より上昇していた。毎日は8ポイント、共同通信は4・3ポイント、読売が2ポイントと、いずれも下落どころか「上昇」していたのだ。まさに読者は「笛吹けど踊らなかった」のである。

  新聞の衝撃の大きさが伝わってくる気がした。週刊誌のあと追いで、政権への打撃を目的とした報道を繰り広げたにもかかわらず、読者はとっくにそんな意図的な記事を書き続ける新聞を「見限って」いたのである。新聞は、いつからここまで「見識」というものを失ったのだろうか。

 いま新聞がやるべきことは、週刊誌に丸乗りすることなどではなく、大人としての見識を示すことではないだろうか。

                   ◇

【プロフィル】門田隆将(かどた・りゅうしょう) 昭和33(1958)年、高知県出身。中央大法卒。ノンフィクション作家。最新刊は、迷走を続ける邦人救出問題の実態を描いた『日本、遥かなり』。

 長くなるのでここらへんで止めておきます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿