松田聖子 赤いスイートピー 【60fps】
笑いは余裕がなければ美しい笑いにはなりません、楽しい笑いにもなりません。また笑いほど深くて難しいものはありません。人間しか笑わないかどうかはわかりませんが、笑いは複雑です。
冷笑、嘲笑、嗤い、憫笑、哄笑、蔑笑、人間にとって嫌な笑いもいくつかあります。誰が見ても微笑ましくなる、楽しい笑いこそ人間が求めてやまない高度な文化とも言えます。
今やテレビは安直なお笑い番組全盛で、毎度毎度同じ顔ぶれが出てきて、その場その場の出まかせやアドリブで、座持ちのいい芸人がもてはやされますが、心に残る場面はほとんどありません。
日本のお笑い文化の中で、川柳ほど洗練された、短い17文字で世相や、心理を、鋭くえぐって笑いに持っていくという、欧米のジョークより、よほど進んだ教養と技術を要する世界に類を見ない素晴らしい文化です。
しかし、川柳もいざ作れとなると中々出来るものではなく、一種の才能が絶対に必要だと思います。
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【国語逍遥(80)】 平成29年1月4日 付
「(笑)」の効用 対談本から携帯メールまで
清湖口敏
下手なほど拍手が多い福笑い
(岡田史郎)
『川柳マガジン』2013年3月号からの引用。かつては正月の代表的な遊びだった「福笑い」は、出来栄えが下手であればあるほど周りは喜び、腹を抱えて笑った。
やはり正月の遊びで、妙齢の女性も含めた女の子に人気の「羽根つき」でも、負けた子の顔に墨で黒々と×印が付けられると、路地一帯が大きな笑い声に華やいだものである。
このような遊びについて考古学者の樋口清之は、笑うことで厄を落とすのだと説く。古事記に残る有名な天の岩戸伝説でも、笑いは重要な意義をもった。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を岩戸の中から招き出せたのも、天鈿女命(あめのうずめのみこと)の踊りに合わせて八百万(やおよろず)の神々が大いに笑ったからであり、ここには、笑いが魂の力を奮い起こさせるという思想があるという。
そこで小欄も正月らしく「笑い」をテーマに、「(笑)」という文字を取り上げてみようと思う。いや、(笑)が文字と呼べるのかどうかがそもそもよく分からない。
「(^^)」などのように、文字や記号を組み合わせて喜怒哀楽の表情を表したマークが「顔文字」の名で通用しているのだから、(笑)だって「ナントカ文字」という名付けがあってもよいような気がする(実際にあるのかもしれないが)。
昨年9月に結果が公表された文化庁の平成27年度「国語に関する世論調査」では、(笑)(汗)(怒)などを「感情等を表す表現」と示していた。
こう呼ぶよりほかはないのかと思った次第だが、それはともかく、これら「感情等を表す表現」を使うことがあると回答した人は全体の約4割、20歳代に限れば8割以上にも達していた。若者世代ではすっかり定着しているといえる。
とはいえ(笑)は、現代の若者の新案特許でもなければ彼らの専有品でもなく、携帯メールが世に現れるよりもずっと前から使われてきた。試みに手元の書籍から対談形式で書かれた何点かを選び、
ページを繰ってみたところ、すぐにも(笑)の表記が見つかった。例えば『日本語と日本人~司馬遼太郎対談集』(昭和53年刊)には《書いてくれて有り難う。(笑)》《秋風落莫?(笑)》《津軽もどき。(笑)》などなど、(笑)にあふれている。
作家の平野啓一郎さんに「顔文字考」と題する評論(『「生命力」の行方』所収)があり、三島由紀夫と河上徹太郎の対談「創作批評」でも随所に(笑)が見受けられると紹介している。
こちらの対談は昭和25年だというから、(笑)は随分と古くから使われていたことになる。
平野さんの説では、対談の(笑)には、可笑(おか)しくて笑っている様子の描写というよりも、文意を緩和したり、ニュアンスをつけたりする機能があるそうだ。
なるほどと、あらためて感じ入った。対談の現場では互いの表情や声の調子、しぐさなどから言葉の真意や細かなニュアンスが、たとえ言外であったとしても、相手によく伝わる。しかし活字で読む段には、そのような機微は読者にほとんど響いてこない。
多くの若者が携帯メールなどで頻繁に(笑)を使うのも、あるいは対談本と同じような効果を狙ってのことだろうか。
実をいえば私は、メールでわざわざこの種の感情を表す表現を用いるくらいなら、直接会うなり電話をかけるなりして気持ちを伝えればよいではないかと、ずっと思ってきたクチである。ところが最近、考えが少し変わり始めた。
肉声を介しての会話を大切に思う気持ちは全く揺らいではいないが、メールがもはや若者だけでなく幅広い世代に浸透し、私も含めた多くの人にとって
公私ともども欠かせない連絡手段となっている現在、手紙には手紙の書き方があるようにメールにもメールの書き方があり、それに則(のっと)ることはある程度必要なのではないかと思い始めたのである。
平野さんも先の評論で「携帯メールには、携帯メールのコードが求められる」と述べている。
仮に友人から「お前の先日の態度は何なのだ」といったメールが送られてきたとしたら、受け手は友人が怒っているかもしれないと狼狽(ろうばい)するだろう。が、
「お前の先日の態度は何なのだ(笑)」とあれば、友人は実際に面白がっているのか、それとも、怒りの気持ちもなくはないけれど、ま、許してやるよと配慮を示してくれたものか…と戸惑いつつも、ひとまずは安心できよう。
深刻な悩みや愚痴を連ねた文面でも、最後に(笑)を付けるだけで、読み手は何とか救われた気持ちになれるだろう。
肉声で話すのが最善だとしても、メールに(笑)を挿入することで直截(ちょくせつ)的な文意が和らげられ、感情の伝達がいささかなりとも補えるなら、それはそれで結構なことではなかろうか。
それにつけてもこの「笑」という漢字は何とも不思議である。字面を眺めているだけで、訳も分からず可笑しくなってくるのだ。
よし、今年はメールだけでなく、日々の生活のあらゆる場面で(笑)をいっぱい挿入し、一年を笑って過ごせるよう努めたい。読者のみなさまもご一緒にいかがですか?(笑)
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最近の2チャンネルに書き込まれた文章などを読むと、短い文章ながら絵文字や、独特の一文字で表す(怒)などを使って、言いたいことをうまく伝える技術を若い連中は身に着けています。
あまりメールというものには縁がありませんが、中々読んで笑ってしまうような文章を巧みに使います。
日本も笑いという高度な新しい文化が発達しだして、楽しみです。余裕が出てきたのでしょうか。