「おおしたさん」のブログです

2005年6月に始めたこのブログ、鍼灸院をやってた頃のことを含め、今も気ままに書いています。

実年齢に自分が近いた感じがする

2023年10月19日 | 考えていることとか思っていることとか
この歳になり、色々と落ち着いてきた感じがする。若い頃はあんなに悶々と過ごしていたのに、日々を無難に過ごせているようになっている。もちろんあたふたする事もあるし、怒りや不安もあるのだが、そこから逃げるか、はたまた逃げられない時は戦うか、これらができるようになったのも、日々落ち着いて暮らすことができるようになった要因のような気がする。

若い時は本当に荒れていた。学生時分の酒の席での失態は数知れず。酔って守衛を殴り退学になりかけたとか、見知らぬ人の家の庭先で眠ってしまい、警察沙汰になったとか。挙句の果てに2階の自室から転落し、背骨の骨を折ってしまった。

あっ、思い出した。2階から転落した時に大家が実家に電話してくれた事を。電話をしたものの誰も出ず、打った電報の文面が「ムスコキトクスグキタレ」。病室で目を覚ました時、枕元に両親がいてびっくりした記憶を、これを書きながら思い出してしまった次第だ。

そんな荒れた学生生活の話はさておき、そのうち結婚、子育てが始まり、子ども一色となった。連れ合いの1/4も1/5も子育てには関わっていないが、大きい子チームと小さい子チームを同じ場所に連れて行ってもどっちも楽しくないので、休みの日は大体において私が大きい子チームを連れて外出した。連れ出す機会が増えれば、あそこも連れていきたい、ここも連れていきたいという気持ちになるというもの。そうこうするうちに、この私がキャンプなんかに連れ出すようになってしまった。とにかく子ども一色になり、まったく言うことをきかない子ども達に振り回されつつ、少しばかりだが逞しくなっていった。

今や子育ても終わり、自分の時間を誰にも邪魔されず楽しめるようになり、若干の心寂しさもあることにはあるが、新たな目標が出来すぎてしまい、とんでもなく忙しい毎日を送るようになってしまった。

人や社会を許すとか、嫌な人に近づかないとか気持ちをはっきり伝えるとか、そんな人間になってしまい、人とのストレスからは解放されつつある。これは自分が成長したからか、はたまた子育ての責任から解放されたからなのか、それはよくわからない。だがちょっとだけ強くなり、ちょっとだけ無責任になり、ちょっとだけ適当になり、それでもって死を意識する年齢になった事も要因なのだろう、それがなにぶんにも心地よい。アドラーが言うところの「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」という事実からも思うに、ストレスたる人へのかわし方が上手くなったのは確かだと思う。そんな今の心地よさは、実年齢と気持ちの年齢がぴったり合っている事から来ているようにも思うのだ。

【2023年2月のブログです】
人はコミュニケーションの動物、アドラー心理学が「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と語るように、コミュニティー内での人間関係を円滑にすることこそ、最も求められていること。


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