鍼灸師「おおしたさん」のブログです

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Z世代は子どもを欲しいとは思わない?

2023年05月05日 | 子育て
患者さんも少ないので、今日はお散歩をしてみたり、

久しぶりに青山一丁目のホンダに入ってみたり。
とかなんとか言いつつ午後は来院される方も多くて^ ^
ありがとうございました。


今の若者、特に「いい子症候群の若者たち」は、平均的水準にとどまることを絶対の最重要課題のように捉えている。ここでいう平均とは、自分の周りを観察した結果から得られる平均的姿を指し、そこからこぼれることに強い恐怖を感じる。と同時に、そこから抜け出し、目立ったり、成功したりすることに、ほとんど興味関心を持たない。


ここでいう「いい子症候群の若者たち」だが、平均を感知する力があるのはすごい事だと思う。特に日本は世間という「八百万の目に見張られて」いる国である、「普通」に敏感でなければかなり生きづらい。

八百万の目に監視される日本で、普通を当たり前にできないと途端に息苦しくなる。個性云々大切にしろ、というのも大切かもしれないが、それが過ぎれば生きにくくなるのが日本だ。極端に秀いでた人や一神教の信仰を持つのならともかく、他人への迎合と個性とのバランス、その良い塩梅を心に落とし込む事無くして日本で生きるのは容易ではない。(八百万の目に見張られて

ところで平均的水準から外れることを極端に嫌う若者がいるとしたら、確かに子育てについても平均を求めるかもしれない。若者の所属するコミュニティにもよると思うが、平均でいようと思うと、その少し上の収入が必要だ。でないと余裕を持って生活できない。それ以前にその平均のなんたるかを想像と妄想で築いていなければ、こんな考えは生まれない。そんな『周りに合わせることが「正解」』として育てられてきたとしたら、周りに比べられて生きてきたという事。そう考えると、その子育てを自らの子育てに充てるかもしれないと思うと、せつなくなってしまう。

確かに現状で満足したとか、人よりも抜きん出たいといった若者は少なくなっている気はする。それだけ社会が豊かになったとも思いたいのだが、安価でそれでいて一人で十分満足できるゲームにネット動画、食事に関してもコンビニで十分美味しい食料を調達できる今、安価に無駄な労力を使わずに生きることができるようになったのだから、これ以上何を求めるというのだ。

自分のペースで生きる気楽さに、子育てのような自然災害は必要ない。この良い子症候群の若者が結婚して子育てをしたら、子どもにも平均を必要以上に求めるだろう。そして兄弟でさえも性格が違う子どもたちを、自らの設定した平均にはめる子育てをするかもしれない。そう考えると、確かに子育てに興味を持つ必要もない。

恥ずかしい話だが、大学卒業してほぼほぼプー太郎をしていた。それ以降もまともに就職した事は一度もない。そんな人目を気にする意味すら知らなかった私だから、まあこんなになってしまったのだが、まあそれはどうでもいい。とりあえず、かなり色んな人種を見てきたようには思う。その、いろんな人に出会えたのは財産になっているのではないかと、このような記事を読んで改めて思った次第だ。とにかく「好き」を否定されなかった人の他と比べない生き方、そういう方を多く知り、全く別の生き物である子どもを、自分の所有物ではなくその子なりの正しさの中で育てることができたようには思う。だから特に人と違っても、大学に進学しなくても、全く許すことができた。

その子なりの子育てをするためには、その子の事を、五感を駆使してしっかり感じつつ育てる必要がある。子育ては、生まれも育ちも違う夫婦がお互いの不満を解決しつつ行わなければいけない。好きで一緒になったとはいえ、見ず知らずの他者と協力して行うものなので、周りに合わせるとか周りに比べられるとか言っていられない現実が存在する。真面目な、そして優しい若者が多くなっているこの世の中は、案外捨てたものではないはずなのだが、子育てを考えると、真面目と不真面目のバランス、そういう適当さ加減は少し必要だとは思う。実際Z世代とかいい子症候群の若者とか、そんな人間がこの世代の多くを占めるとしたら、「平均的水準にとどまることを絶対の最重要課題のように捉えている」若者が多いとしたら、そのための生き直しやヒントは案外子育てにあるかもしれない。それほど子どもは自らの胸ぐらをいきなりノールックで掴み引き回す。もしもあなたが生き直しをしたいのなら、パートナーとの子育ては一考に値する。とにかく自らを誰かと比べて良いことなんて一つもない。


八百万の神への信仰、それが高じれば人の目を気にする文化が生まれるのも当然と言えば当然である。キリスト教は神と自分の契約だけなので、神にさえ許されれば他人の目を気にする事なく生きる事が可能である。しかし日本での信仰は八百万の神がベースだから、周囲の目を気にする事も信仰の一部になってしまう。エレベーターでの歩行の問題やマスクを外す外さないといった問題も、それが良いとか悪いとかは問題ではなく、日本人にとって他人にどう思われるかは非常に重要な問題なのだから。



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