鍼灸師「おおしたさん」のブログです

健康や運動や、思っていることや、、

インド旅行の思い出(14)カルカッタにて

2023年11月17日 | インドの思い出

ブッダガヤと雷と 
ブッダガヤから駅への帰り道、その道すがら遠くで雷が光っていた。それも音の無い雷が繰り返し繰り返し。エンジン音のうるさいリキシャだったのもあるのだろう、騒音で音が消されていた中で見た音の無い雷、旅も中盤に差しかかり旅慣れてきたように思っていたが、夕暮れ時に見たこの雷を境になんだか人恋しくなってしまったのを覚えている。

カルカッタにて

ようやく終盤を迎えたインド旅行の思い出話、最後の目的地カルカッタでの思い出は、マザーテレサに会ったとかアメーバ赤痢に罹った日本人の世話をした事くらいだろうか。

カルカッタは大都市で、そしてどの街よりも子どもの乞食が目に付いた。そしてハンセン氏病だと思われる人や何らかの皮膚病に罹っている人も多く目につき、今もそれを鮮明に思いだす。

カルカッタについて調べると、今はコルカタというらしい。実際の表記もCalcuttaからKolkataに変更されている。旧都市名であるカルカッタはイギリス統治時代に英語の発音に合わせて読み替えられたものだとか。それは植民地時代を彷彿とさせるという事で、現地語に根差した現在の都市名に戻そうという運動が1990年代に起き、1995年にボンベイがムンバイに改称され、カルカッタもコルカタに変更されたとの事。私がインドに行ったのが1989年だったと思うのでまだ改名される前、だからカルカッタの方がしっくりくる。

前にも少し書いたが、カルカッタの路上を歩いた時に目の前に突然現れたハンセン氏病と思しき方、雑踏の中で目の前に現れたものだから、あからさまに目を背けてしまった。ただそれだけの事だが、何故だかこの事だけは今も自分の卑しき心を恥ずかしく思いだしてしまう引き金となっている。他にも色々と恥ずかしい事はあるというのに。ハンセン氏病といえば以前書いた北條民雄の「いのちの初夜」を思い出す。だから今も恥ずかしさと共に心に残っていのか、自分の気持ちはよくわからない。

そういえばマザーテレサにカルカッタで会ったのも思い出の一つ。何日か宿泊したドミトリーで仲良くなった白人女性がいたのだが、話をするうちに彼女は「死を待つ人々の家」でボランティアをしている事がわかった。なんでも夕方のミサにマザーテレサが来るから参加してみないかと誘われ一緒に行った。日暮れ時の薄暗いこじんまりしたホールに2人の若い修道女とともに入ってきた小柄な女性がどうもマザーテレサらしい。とても小柄な方で、立ち姿から雰囲気からして多分そうだと思うが、実はその人がマザーテレサかどうかはわからない。影武者がいるとも思えないので、多分そうだと思う。だから会った事にしている。

ほとんど忘れていた昔の話だが、思い出そうとすると芋づる式に色々と出てくる。天井で扇風機の回る、映画に出てきそうな雰囲気を醸し出す映画館のロビーで飲んだウイスキー。何を見たか思い出せないが、とても騒がしい雰囲気の中で見た映画、商品を食べられ、これでもかと言うほど神聖なる牛を叩きまくっていた八百屋の親父。安宿での事も思い出してきた。多分に脚色されると思うが、その一つ一つのエピソードを書くのも悪くないかもしれない。


【2022年12月に書いたブログです】
象皮病のような足が胴体よりも膨れ上がった人が縁側でボードゲームを楽しんでいたり、ハンセン氏病の人が雑踏からひょっと現れて目を背けてみたり、赤痢で大変な思いをしてた日本人を介抱したり、やっぱ感染症の人を多くみてしまうと「ウイルスなめんなよ!」と今でも思うのです。

【2012年3月に書いたブログです】
「破婚」とはすさまじい言葉です。 
癩療養所に入所する初日の出来事を書いたこの短編小説。
著者「北條民雄」の略歴ですが、大正3年に父親の勤務地だったソウルに生まれ、その後徳島で育ちますが、結婚した翌年に癩病を発病してしまいます。すぐに破婚を余儀なくされ癩療養所に入所。昭和12年に結核で亡くなるまでわずか23年の生涯でした。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿