もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

締め切りという感覚23~官僚達の祭

2006-07-11 07:39:48 | 締め切りという感覚
写真は10日夕刻の霞ヶ関である。
蒸し暑いこの日、この町では少し早い夏祭りが行われた。
人事という名の。
課長級の言わば、官僚機構における現場責任者が一斉に動く日である。

主要官庁内では、会議室などの各部屋で主要幹部の新旧交代のお披露目が缶ビールと簡単なつまみ付きで行われ、所管する業界の関係者が参集する。各原課が複数の業界を所管しているため、関係者の数は多く、部屋はすぐいっぱいになる。

そして、名刺交換の列が出来上がる。
新任の幹部は、おそらくこの日だけで最低でも100枚配り、受け取るだろう。
業界側からすると、陳情の先走りとも言える。

幹部は平均して2年程度で次の職場を移っていく。
なぜか。
ポストを転がしていく必要があるからだ。

階段を上がっていく度にポストは少なくなっていき、最高峰の事務次官までシビアな篩にかけられ続ける。
その過程で、官僚として40代ですでに出世に破れた者は、その代償として外郭団体や業界団体、民間企業に転出する。
そして、60歳までに何度か転籍を繰り返し、その度に退職金を受け取る。
国の予算は、国民が思っている以上に隅々まで行き渡っている。それはイコール、官僚のセーフティネットである。

世間一般の感覚で言えば、これは悪だろう。天下り天国、税金の無駄遣い・・・常套句がいくつも挙げることが出来る。
しかし、近代以降、綿密に築き上げられてきたこの巨大なシステムを壊すことは容易ではない。何よりもそのシステムから恩恵を受けている企業の群れが存在する。

官僚にはキャリアとノンキャリアという2種類の人間がいるが、ノンキャリアにとっては、この日はどんな祭だったろうか。
官僚組織の善し悪しについて、意外に醒めた視点を持っている層はノンキャリアに多い。「働かなければ」という意識も強い。彼らが改革の担い手になるためのスイッチを政治家が与えれば、また違うものになる可能性はあるかも知れない。

祭があることは、お囃子が鳴っているわけでもなく霞ヶ関村以外には伝わらないが、事務次官会見、国会の各委員会での答弁などスポットライトがあたる以外にも、こういう恒例のイベントがある。