お茶の稽古で濃茶を点てると、正客からお茶名やお菓子の銘に続いて、床の間の花の名を訊かれます。
「あやめ」と答えたものは、ハナショウブでした。花の付け根に網目状の模様があれば「あやめ」、黄色い模様があれば「ショウブ」、白い筋が入っていれば「カキツバタ」なのだと、改めて師匠に指導を受けるのですが、おそらく来年の今頃には、すっかり忘れているのだと思います。
花の名を間違えるというエピソードを、茨木のり子が「花の名」という微笑ましい詩に詠んでいます。
父親の告別式から帰る汽車のなかで、これから甥っ子の結婚式に向かうという賑やかな男性と乗り合わせてしまいます。しきりに話しかけられるので、いなすようにあしらっていると、不意に花の名を尋ねられました。「泰山木じゃないかしら」と答えて、詩人はふと父の言葉を思い出します。
女のひとが花の名前を沢山知っているのなんか
とてもいいものだよ
父の古い言葉がゆっくりよぎる
物心ついてからどれほど怖れてきただろう
死別の日を
歳月はあなたとの別れの準備のために
おおかた費やされてきたように思われる
いい男だったわ お父さん
娘が捧げる一輪の花
生きている時言いたくて
言えなかった言葉です
亡き父に思いを馳せているうち、汽車は東京駅に着き、賑やかな相席の男性とも別れを告げます。
そのとき、詩人は間違って花の名前を教えてしまったことに気づきました。この時期ならば泰山木であるはずがなく、辛夷の花ではないかと。そして詩は次のように続きます。
ああ なんといううわのそら
娘の頃に父はしきりに言ったものだ
「お前は馬鹿だ」
「お前は抜けている」
「お前は途方もない馬鹿だ」
くすぐったい言葉を掛けられた父親が、思わず「馬鹿」と言い返している姿を思い浮かべました。