新幹線のトンネルで思いついた話から、なかなか外に出ることができません。
たとえばこんなことを考えます。
宮沢賢治が「雨ニモマケズ」に書いた「デクノボウ」は常不軽菩薩を表していると言われます。しかしこの菩薩は、はたから見れば厄介者です。道ゆく人ごとに「わたしはあなたを敬って軽んじません、菩薩の修行を行なって、ついにはみ仏となられるからです」と語りかけるので、気味悪がられるのです。杖で叩かれ石を投げられても、遠くから「我なんじらを軽んじず」と唱え続けます。
さて、これは美談として人々に感動を呼び起こす話ではありません。おそらく、近くにそのような人物がいれば、せいぜい「敬して遠ざける」のが良心的な対応でしょう。
他者との距離を適正に見極め、その人が必要なときに必要な言葉をかけてあげれば、たとえ社会的身分が低くとも、静かな尊敬を集めたはずです。菩薩の行為は美談と讃えられたのではないでしょうか。
それでは、常不軽菩薩は、後者のようにふるまえばよかったのか。
紙の上に円を描いて、その内部を「じぶん」と捉える見方からすると、後者は間違いなく「美談」であり、尊敬の対象であるはずです。それはしかし、じぶんの利益やロールモデルといったものに回収される、円の重力の圏内のものではないかと思います。
常不軽菩薩の行為はどう捉えればよいのか。
これは禅僧の南直哉さんの受け売りなのですが、何ものも欲望しないまま相手を肯定する行為は、その相手が自己を肯定する究極的根拠を作り出します。ちょうど「亡くなってから知る親の恩」のようなものです。
親は子が生まれてからしばらくの間、子どもの視線におおいかぶさるように覗き込み、語りかけていたのではなかったでしょうか。
子は、丸い円の内側にあって無条件の肯定を与えられていました。わたしたちの心の中には、このときの充実感が棲みついていて、この視点が反転し、あたかも円の外にいるじぶんから、円の内側を覗き込むように振る舞うことがあるのではないかと思います。
常不軽菩薩は、円の外に身を置いて、円の内側の「汝ら」に無条件の肯定を与えていたのではないかと思います。
こうやって図式化して捉えようとすればするほど、肝心なところから遠のいているようにも思うのですが、こんなことをとりとめもなく考えています。