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犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

闇から生まれる花

2025-07-03 19:00:35 | 日記

吉野弘の詩集『花と木のうた』(青土社)のなかに「闇と花」という一文が収められています。

アサガオは一定時間、連続した闇のなかにいないと、花の芽ができません。花の芽はフロリゲンという植物ホルモンによってでき、この物質が体内に作られるためには8時間から9時間の闇が必要とされるのです。
これが、アサガオ、キク、コスモスなど、夏から秋にかけて次第に日の短くなってゆく頃に花を咲かせる「短日植物」の特徴です。

吉野は、この植物の特性を引いて、次のように書いています。

人間もまた一生を通じて、多くのことを考え、迷い、納得し発見しながら生きてゆく。そのときどきの発見や到達点をかりに花と呼ぶことができるならば、その花は、おそらくその人の入りこんだ精神的な闇から生まれるのではないか。

花を咲かせるという、植物にとって命がけの営みをささえるものが、闇であるというのは、とても示唆に富んでいます。

それでは春から夏にかけて、今まさに花を咲かせている、ホウセンカなどの「長日植物」は、どういうきっかけで花を咲かせるのでしょう。
調べてみると、これもやはり、闇の長さに関係があるのだそうです。
闇の短さを感知することによって、葉はフロリゲンを分泌し、これが茎の先端部に運ばれることで、花が咲くのです。

いずれにしても、フロリゲンは日の長さに対してではなく、闇の長さに反応して分泌されるホルモンのようで、そうだとすると、植物は「闇の長さ」に導かれて花を咲かせているのです。

「短日植物」は、みずからの深みに沈潜し、闇の中で得たものを花に結晶させます。一方、この時期花を咲かせる「長日植物」は、闇を通り抜けたもののみが発しうる、闇の中で育んだ明るさを、解き放っているかのようです。

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