左上の図は、生物学者の福岡伸一さんが、生命の営みを分かりやすく描いた「ベルクソンの弧」というものです。この図は、坂本龍一さんとの対談集『音楽と生命』(集英社)に載っています。
同書の奥付を見ると2023年3月29日第一刷発行とあって、奥付の日付のうえでは坂本さん死後の刊行となります。
図の詳しい説明は、本書や『新版 動的均衡 生命はなぜそこに宿るのか』(福岡伸一著 小学館新書)などを参照して頂きたいのですが、かいつまんで説明すると、以下のようになります。
坂の上におかれた円弧は、「エントロピー増大」の力に抗って、生命がおのれの姿を維持している様子を表しています。坂を転がり落ちることから免れるために、生命は接点Kより下の部分を「分解」してバランスをとろうとします。分解だけでは生命はやせ細っていくので、円弧の上部で「合成」を行うのですが、これが下向きの動きを加えるので円弧は坂をずり落ちないように、「合成」よりも「分解」をほんの少し多くします。
分解の方が大きい円弧である生命は、いずれ小さくなって消えてしまうか、バランスを崩して坂を転げ落ちるかして死んでゆくのです。
さて、この対談集のちょうど「ベルクソンの弧」の箇所を読んでいたところで、坂本龍一さんの訃報に接しました。そして、坂の上にようやくとどまっていた大きな円が、静かに消えていく様子を思い浮かべました。
同書のなかで坂本龍一さんは「ベルクソンの弧」について触れながら、生命に限界がある理由がこれでよく理解できるが、病で死ぬということはどうとらえればよいのかと質問したり、漢方の考え方でバランスを改善することなどについても述べているので、まだまだ生きたいという気持ちが強かったのでしょう。
坂本さんは本書のなかで、自分がこれから目指す音楽について、次のように述べていました。
僕は9・11をきっかけに、線形でない音楽を求めるようになりました。ああいう虚実がはっきりしない出来事を体験すると、人類に対する先が見えないし、希望があるのかもよくわからないという感じがして、二〇世紀の批判をより良い二一世紀につなげようというような線形の時間感覚を持てなくなってしまったんです。それは自分の音楽にも影響していると思います。
直線的な時間の中できちんと「終わり」を決める西洋音楽が一神教的なものだとすると、元々の音楽はもっと多神教的、アニミズム的で、「終わり」がなくてもいい、タイムフレームからはみ出すようなものだったと思います。
(中略)
一神教的な、始まりがあって終わりがあるもの、歴史には目的があるといった、人間が考え出した発想から、できるだけ遠ざかりたいという気持ちが、僕の中ではどんどん強くなっています。(50-53頁)
「ベルクソンの弧」の円弧は揺らぎながら平衡を保ちます。その揺らぎの生み出す律動のようなものがあって、多くの生命の律動と響きあう姿を想像しました。そして、それが坂本さんの目指していた、終わりも目的もない音楽というものと共振するのではないかとも考えました。