遠くに赴任した次女がこの週末帰ってきました。長女と一緒に迎える誕生日を、家族でお祝いするためです。生まれてこの方、ずっと同じ日に同じ歳を祝う双子姉妹の特別な日なので、我が家の行事としても、欠かすわけにはいきません。
親としても、双子の娘たちと初めて出会ってから、同じ歳月を重ねた記念日でもあります。
娘たちが高校を卒業するまで、郊外の自然豊かな場所で暮らしたのは、子どもにとっても、親にとってもよかったと思っています。
わが家の道を挟んだ向い側が神社で、その神社の後ろは小さな古墳跡が三基連なる小山でした。鎮守の森は小山と繋がっています。その森からは、夜中になるとフクロウの声が聞こえることもありました。
娘たちが幼稚園のとき、古墳跡の裏山に散歩に出かけて、木漏れ日の陽だまりのところに石を積み、四基目の古墳だと言って遊んだのをよく覚えています。
娘たちが大きくなってから、そのときのことを笑いあって話すことがあります。いまから思えば、親と子の神話のような時代でした。
神話の世界は、素朴でありながら飛躍に満ちていて、その飛躍をいつのまにか回収してくれるような懐の深さがあります。鎮守の森は、そこにのめり込んでは、いつでも現実に立ち戻ることのできる場所として、わたしたち親子を包んでいたように思います。
さて、大人になった娘たちです。
彼女たちは、おそらくはじめて現実というものの厳しさに直面していると思います。しばらくはその厳しさを、そのままに受け容れる時間が必要でしょう。しかし、どうにもならない息苦しさを感じたならば、子ども時代を思い出してほしいと思います。鎮守の森ならば古墳も築けたし、夕暮れ時の儀式を執り行うこともできました。そしてわが家の温かい夕食に帰っていくこともできました。
ほんとうに大人になるということは、そういう再生のすべを身につけて、いつも泰然自若としていることではないか、と思うことがあります。娘たちには、あの鎮守の森を、いつまでも覚えていてほしいと願っています。