陶芸家の河井寛次郎は、文化勲章も人間国宝も辞退して、一陶工であることを貫いた人です。先生と呼ばれることを嫌い、作品に銘を入れることもしませんでした。彼は創ることの喜びを「仕事の歌」という一片の詩に詠んでいます。
仕事が仕事をしています
仕事は毎日元気です
出来ないことのない仕事
どんなことでも仕事はします
いやな事でも進んでします
進む事しか知らない仕事
びっくりする程力出す
知らない事のない仕事
聞けば何でも教へます
たのめば何でもはたします
仕事の一番すきなのは
苦しむ事がすきなのだ
苦しい事は仕事にまかせ
さあさ吾等はたのしみましょう(河井寛次郎「仕事の歌」)
河井寛次郎が飛び込んだのは「用の美」を重んじた柳宗悦の民藝運動です。柳宗悦は「念仏が念仏す」という一文を書いていて、そこで一遍上人が修行のすえ「念仏が念仏す」「名号が名号を聞く」という境地に達したことに触れています(『新編美の法門 』岩波文庫所収)。
柳宗悦は益子窯の「山水土瓶」の絵付けで、職人が土瓶に山水を何千回、何万回と手早く描き続ける姿が、あたかも「描くことが描いている」ようで、強烈な印象を受けました。そうやって、人と仕事とが一体になることを、仕事が仕事をすると柳は表現します。描いている「今」に集中することで、心を自由に解き放つことのできる「行者」の姿が、ここにはあります。
そして寛次郎の詩は、さらに民藝運動の協団としての理念をも表しています。
知らない事のない仕事
聞けば何でも教へます
たのめば何でもはたします
「志をひとつにし、理念をかかげ、工芸という王国を築くのだ」と唱えた柳宗悦とともに、寛次郎は民藝運動を、この詩のようにとらえ、大切にしていたのでしょう。決して気負うことなく「苦しいことは仕事にまかせ、吾等はたのしみましょう」と結んでいるのも、この詩の魅力です。
器を「分かち合う」ということを前に書きましたが、その「分かち合うこと」を目標として、大きなうねりを生み出した人がいたことに、改めて思いを致します。
そして、私もそういう仕事をしたいと思います。そこにひたすら集中することで心が軽くなるような仕事、そんな気分を分かち合う仲間に囲まれているような仕事を。