ファチマの聖母の会・プロライフ

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シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. 導入

2017年07月20日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第二の手記

導入


ルシアの手記の第一手記によって、ルシアの長上たちは彼女がまだ極めて多くのことを秘密にしているとうことを理解した。この秘密についてはルシアは従順のもとにのみ明らかにするだろう、と。1937年4月、フォンセカ神父は司教に次のように書いた。

「第一手記は、私たちをして御出現の歴史に関するもっと興味深い詳細がまだあると考えさせます。・・がこれらについてはまだ知らされていません。ルシア修道女を説得して、彼女がまだ覚えている全てのことを一つ一つ、自覚して、福音の単純さで、聖母の名誉のために、その詳細を書き出させることは、可能なことではないでしょうか、言い換えると、それに何か難しいことがあるでしょうか?これは一つのアイデアであって、もしもこれが有用なことであるとお考えになるなら、司教様だけがそれを実行に移すことができます。」

そこで、ドロテア修道女会の管区長の修母、マドレ・マリア・ド・カルモ・コルテ・レアル(Madre Maria do Carmo Corte Real)の同意を持って、ジョセ司教は必要な命令を与えた。これに答えてルシアは1937年11月7日に司教に次のように書いた。

「私は今日、書き始めました。何故ならこれが天主の御旨だからです。」

従って、この手記は11月7日に書き始められたことになる。そして、21日に書き終えられた、と私たちは知っている。つまりこれほど長い文書を書くのに彼女はたった二週間で書き終えたと言うことだ。さらに彼女は、修道院の手仕事があり、彼女に自由時間が与えられなかったので、これを書くことは頻繁に中断された。この文書は38ページからなり、ぎっしり詰まった手書きで紙の表と裏とに書かれている。ほとんど訂正はない。これからも私たちはルシア修道女が明晰な頭を持ち、精神的なバランスがとれていたことが分かる。

この手記で取り扱われた主題は、さらに驚くべき事である。天使の出現、彼女の初聖体の特別な祝福、1917年6月の御出現における聖母の汚れなき御心、などその当時まで知られていなかった多くのその他の詳細が書かれた。

ルシア修道女がこれを書いたとき、彼女が意図したことは、「ありのままのファチマの物語」であると自分で説明している。従って、第一の手記にあったような伝記の情報--- そこでは御出現の主題はバックグラウンドでしかない --- ではない。この「追憶」において、御出現がもっと主要な題材となっている。

それにおいてルシアが書いた精神は、次の言葉に要約されている。

「私は御身の愛の秘密を、御身とだけ分かち合うという喜びをもはや味わいません。これからは他の方々も、御身の御憐れみの偉大さを歌うことでしょう。・・・主のはしためをご覧下さい!主が最善であるとお考えの通り、このはしためを主がお使い続けますように。」

(続く)

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