ファチマの聖母の会・プロライフ

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シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 17. 司祭たちに尋ねられて

2018年01月26日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

II. 御出現



ファウスティノ神父

17. 司祭たちに尋ねられて

ジャシンタについて既に書いた中で、私はすでに司教様に、二人の聖なる司祭たちがやって来て私たちに教皇聖下について話をして、どれほどお祈りが必要であるかを教えてくださったことをお話ししました。

その時以来、私たちが天主に捧げる祈りや犠牲には、「教皇聖下のため」という呼びかけが入らないことはありませんでした。私たちは教皇様を愛するように、極めて深く成長しましたので、ある日小教区の主任司祭が母に、おそらく私はローマに行って教皇聖下によって尋問を受けなければならないだろう、と言った時、私は手を叩いて喜び、ジャシンタたちにこう言いました。「教皇様のところに行ってお目にかかることができたら、なんてすてきじゃない?」

二人は涙を流してこう言いました。「私たちは行けない。でもこの犠牲を教皇様のために捧げることはできる。」

主任司祭は最後に私に質問しました。[注24] 質問は、約束の日時にしっかりと終わりました。しかし神父様はこの出来事についてなんと言ったら良いのか分かりませんでした。神父様はご自分の不快を見せ始めもしました。

[注24] この主任司祭の貴重なレポートを私たちは手にしている。同じ出来事は、質問を受けるたびに起こった。

「どうして、あの人々がすべてあんなに砂漠のようなところに行ってひれ伏して祈るのだ?ここには、御聖櫃に置いて私たちの祭壇の生ける天主が、まったく一人ぼっちにされて、見捨てられているのに! あのトキワガシの木の下に、何の目的もなく彼らはお金を残すが、あのお金は一体全て何のためなのか?教会は、修理中なのに、お金がないために、修理工事を完成することが出来ないというのに!」[注25]

[注25] この時期の文書によると、この司祭がこの小教区を去った理由の一つが教会の修理ために直面した困難のためだったことを示している。

主任司祭が何故このようにおっしゃったのか私にはよく分かりましたが、私に何をする事ができたでしょう! もしも私にこれらの人々の心の上に権威を持っていたとしたら、私は確かに彼らを小教区教会へ導いたことでしょう。しかし私にはその権威が無かったので、またもう一つの犠牲を天主にささげました。

いろいろ質問を受ける間、ジャシンタは頭を下げて目を地面に向けてうつむき、ほとんどひと言も話そうとしないのが常だったので、いつも私が巡礼者らの好奇心を満足させるために呼ばれました。それが理由で、私は常に司祭館へ呼ばれました。あるとき、トレス・ノヴァスから私に質問をするために一人の司祭が来ました。[注26] 神父様が質問したとき、余りにも細かいことを質問し、私から聞きだそうとあまりにも一生懸命に試みたので、その後に私は神父様に秘密の内容を漏らさなかったかと心配して小心になりました。

[注26] 教会参事会員のフェレイラ神父(Canon Ferreira)、当時トレス・ノヴァスの司祭であり、ある日、自分がしつこく質問した一人であったと告白した。

私は従兄妹たちと相談しました。私は尋ねました。
「〈聖母が私たちに何か別なことを話しましたか〉と聞かれた時、全てを言わないのは、私たちは悪いことをしているのかしら。私たちが聖母は私たちに秘密を話しましたと言う時、その他の事について何も言わないのは、嘘を言っていることになるのかしら。」

「分からないわ。ルシアちゃん次第よ!私たちが何も話さないように望んだのは、ルシアちゃんよ。」とジャシンタが答えました。

「もちろん、ジャシンタちゃんが何か言うことは望まないわ。だって、みんな私たちがどんな苦行をしているのかって聞くことから始めるんだもの! しかもそんなのは他のと比べたら何でも無いわ。ねぇ!もしもあなたが静かにしていたら、それからひと言も言わなかったら、今ごろ誰ひとりも私たちが聖母を見たこととか、聖母とお話ししたこととか、天使に話をしたことなんて知らなかったわ。誰もそのことを知る必要なんて無かったのよ!」

かわいそうなこの子は、私の言葉を聞くやいなや泣き始めました。ちょうど五月にそうしたように、ジャシンタの生涯についての私の報告にすでに書いたように私の赦しを求めました。そこで私は小心のまま残りました。私の疑いをどのように解決すべきか何も分かりませんでした。

しばらくの後に、もう一人別の司祭が来ました。彼はサンタレムからの司祭でした。私が先に話したばかりの最初の司祭の兄弟であるかのようでした。というか、少なくとも二人は一緒に練習をしてきたかのようでした。同じ質問を氏、私を困らせる同じ試みをしました。同じやり方で笑って、私のことを笑いました。二人の身長も体つきもほとんど同じでした。この質問の後で、私の疑惑はますます強くなり、どんな行動をとるべきか全くわからなくなってしまいました。私は、私たちの主と聖母に私が何をすべきか教えて欲しいと絶え間なく祈りました。
「我が天主よ、我が愛する天のお母様、私がうそをついて御身を侮辱することを望んでいないことはよくご存じです。けれども、御身が私に教えて下さったすべてを、皆に言うのはよくないと御身はよく御存じです!」

この困惑のただ中で、私はオリヴァル町の補佐司祭 [注27] に話す幸せを得ました。
[注27] これはファウスティノ神父(Faustino)であった。

なぜだか分かりませんが、この神父様は私に信頼の念を起こさせてくれ、私は彼に自分の疑いを打ち明けました。この神父様がわたしたちの秘密をどうやって守るかを教えてくれたかについては、私はすでにジャシンタについての報告において説明しました。彼は、霊的生活についてさらにいくつかの教えを下さいました。とりわけ神父様は私たちに全てのことについて私たちの主をお喜ばせすること、数え切れないほどの小さな犠牲をどうやって主に御捧げするか、を教えてくれました。

「我が子らよ、もしも何かを食べたいと感じるなら、それをさしおいて、その代わりに他のものを食べなさい。そうやって天主に犠牲をささげなさい。もし遊びたいなと感じたら、それをせずに、別の犠牲を天主に捧げなさい。人々から質問を受ける時、その質問に答えることを避けられないなら、天主がそれをそのように望んでおられるのです。この犠牲をも天主に捧げなさい。」

この聖なる司祭は、私が本当に理解できる言葉で話して下さいました。私はこの神父様のことが大好きになりました。

そのときから、神父様は私の霊魂を決して見失うことがありませんでした。
度々私を訪ねたり、あるいは、オリヴァルの近くの小さい家に住んでいた敬虔な未亡人エミリアさん[注28]を通して私と会ったりしていました。エミリアさんはとても熱心な方で、頻繁にコヴァ・ダ・イリヤへ祈りに行きました。その後エミリアさんは私たちの家に来て、私が彼女と一緒に行って数日過ごすことを頼みました。

[注28] この場所はソウタリア Soutaria と呼ばれている。エミリアさんの家は今では聖堂として再建されている。

その時私たちは補佐神父様を訪問し、神父様は妹さんの一人といっしょに二、三日をすごすように私を招きました。そんな時、神父様は長い時間私と一緒に時を過ごすほど忍耐深くいらっしゃいました。私に徳をおさめる道を教えたり、ご自身の賢明な勧めで私を導いたりして下さいました。私はその当時、霊的指導について何も理解していなかったにもかかわらず、神父様が私の最初の霊的指導者だったと本当に言うことができます。そこで、私はこの聖なる司祭の感謝に満ちた聖なる思い出を保っております。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


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