ファチマの聖母の会・プロライフ

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シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 11. オウレムでの投獄

2017年10月06日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

II. 御出現


11. オウレムでの投獄

そうこうしているうちに8月13日の夜明けが来ました。前晩から群衆が各地から流れ込んできていました。彼らは皆私たちを見たがり、私たちに質問をして、私たちに彼らの願いを言い、私たちがそれを聖母に取り次いでもらいたがりました。この大群衆のまっただ中で、私たちは、まるで、遊んでいる男の子たちの手の中にあるボールのようでした。私たちはあっちにこっちに引っ張られ、誰も彼もが私たちに質問し、だれにも私たちが答えるチャンスをくれませんでした。

この騒ぎの中で、郡長からの命令が伝えられました。それは私に叔母の家に行け、郡長がそこで私を待っている、という命令でした。父がこの知らせを受け、私を連れて行ったのは父でした。私が到着したとき、郡長は私の二人の従姉妹たちと一緒に部屋の中にいました。郡長はそこで私たちを尋問し、私たちが秘密を明かすように、またコヴァ・ダ・イリヤに戻らないと約束させようと、力尽くでもう一度試みました。しかし、郡長の思い通りにはなりませんでした。そこで父と叔父とに私たちを主任司祭の司祭館へ連れて行くように命令しました。

司教様に私たちが投獄されたときに起こったことを全て申し上げて筆を遅らせることはここではしません。何故なら司教様はそのことを全てご存じだからです。以前司教様にご説明したとおり、このときに、私がもっとも深く感じたこと、また私を最も苦しめたことは、私が家族から全く見捨てられたことです。私の小さな従姉妹たちにとっても同様でした。この旅路というか投獄のあと、私はそれをなんと呼ぶべきかよく分からないのですが、私は家に戻りました。私の思い出す限りそれは8月15日です。家族のものは、私の帰宅を歓迎するために、羊をすぐに牧場へ連れて行くように私に命じました。叔父と叔母は、ふたりの子が家に留まることを望み、その代わりに彼らの兄のヨハネを羊の番にやりました。

もう遅かったので、私たちは、私たちの小さな村の近くの、ヴァリニョスという所で留まりました。[注22]

[注22]ルシアはここと別のところでも、御出現がヴァリニョスで8月15日にあった、すなわち、ヴィラ・ノヴァ・デ・オウレンから戻った日だった、と言うがこれは間違いである。オウレムから戻ったのは確かに8月15日だったが、御出現はその次の主日、すなわち8月19日にあった。

その次に起こったことも、司教様はご存じです。ですからそのことについてもここには書きません。もう一度、聖母は私たちに苦行をすることを勧めてこう言って終わりました。
「罪人たちのために祈り、たくさん祈り、犠牲を捧げなさい。彼らのために自分をいけにえにして、祈る方々がいないので多くの霊魂が地獄に堕ちています。」

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


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