ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 13. 9月13日

2017年10月11日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

II. 御出現


13. 9月13日

9月13日が近づいてきました。私が既に申し上げたことに付け加えて、聖母は私たちにこの日にこう言われました。
「天主はあなたたちの犠牲を喜ばれています。しかし主はロープを付けて寝るのをお望みになりません。ロープは日中だけ身に着けなさい。」

言う必要はありませんが、私たちは直ちに主の命令に従いました。1ヶ月前、私たちの主が通常のことを超えた目に見える印を与えて下さることをお望みだと思われるので、母は、この日、そのような印が、ますます明らかで明白に与えられることを熱心にのぞみました。天主様は、おそらく、私たちに別の犠牲を捧げる機会をさらにくださるために、主の栄光の光の一線もこの日に現れることを許されませんでした。母はまたもやがっかりしました。家庭での迫害がまたぶり返しました。事実、母には腹が立つ理由がたくさんありました。コヴァ・ダ・イリヤは、全く失われていました。私たちの群の善い牧場として失われただけでなく、そこには育っていた野菜に関してでさえもそうでした。
これに加えて、私の母には、自分でそう言っていることによれば、ほとんど確実な確信がありました。それは、これらの出来事は、単なる馬鹿馬鹿しい空想以外の何ものでもなく、単なる子供っぽい想像の産物、ということでした。姉の一人は、私を探して呼びに出て行く以外は別のことができませんでしたし、私にあって話をしたいと私を尋ねてくる人々と話すために家に戻る間、姉は私の代わりに羊の群の番をしなければなりませんでした。裕福な家にとっては、この時間の無駄は、何でもなかったことでしょうが、自分の仕事で生計を立てている私たちにとっては、大きな負担でした。しばらくすると母は私たちの羊を売らなければなりませんでした。このことは家族を支えるために決して小さな変化ではありませんでした。私はこれらのすべての事のためになじられ、 難しいときには全てが私の顔に飛んできました。私たちの愛する主がこれ全てを私から受け取ってくださったと期待します。何故なら私は、主のためにまた罪人たちのために自分を犠牲として捧げることができることがいつも嬉しくて、これを主に捧げたからです。

母について言えば、母は英雄的な忍耐と自己放棄を持って、すべての困難を耐え忍んでいました。もしも私を叱ったり、罰したりしたとしたら、それは母が本当に私が嘘をついたと思っていたからです。母は、私たちの主が送り給うている十字架の数々を全て受け入れていました。時に母はこう言いました。
「このことは全て、天主様の御業で、私の罪を罰する為かもしれないね。そうだとしたら天主は讃美せられますように!」

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


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