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最後の晩餐 【公教要理】第三十六講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年03月31日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第三十六講  贖罪の玄義・歴史編・最後の晩餐



【洗足式】
私たちの主は、ユダヤの過越しの祭を作法正しく祝いました。食事は和気あいあいの雰囲気でした。ところが、最後のところに使徒の間にちょっとした喧嘩がありました。そういえば、その話題で喧嘩になるのは初めてではありませんでした。つまり、天国では、使徒の間でだれが一番偉いかという話題でした。以前に私たちの主は既にお答えになったのです。一人の子供が来て、使徒たちの前に私たちの主が一人の子を連れてきた時にその形で答えを出しました。
にもかかわらず、使徒たちの間には偉大さへの欲望がどうしても残ります。また、称賛への欲望もですね。従って、もう一度、だれか一番偉くなるかについて喧嘩します。第一になるのは誰だろうかと。

そこで、私たちの主は使徒たちに向けて、謙遜の模範を示すことになさいました。言葉だけではなくて、一人の子を連れてくるだけのではなくて、私たちの主が席より立ち上がります。使徒たちが喧嘩している途中ですけど、お立ち上がりになります。そこで、どうなさるでしょうか。私たちの主は布類を取り、腰にお帯になります。で、盥(たらい)を手に取り、水をそこにお注ぎになります。何をなさるでしょうか。奴隷の作業を御自分で果たすのです。順番に横になっていた使徒たちの下を回り、彼らの足を盥でお洗いになるのです。本来ならば、奴隷の仕事です。

【奴隷の仕事】
というのも、ユダヤ教徒でしたら足を洗うのは禁じられていた行為です。お客さんを自分の家にお迎えする時に、お客さんの足を洗う慣習がありました。お客さんを労う上に、おもてなしの心を示すための慣習でした。ところが、ユダヤ教徒はその儀式を自分で果たすことはできませんでした。なぜかというと、ユダヤ教徒が誰かの足を洗ってしまったら、律法上にいうと穢れを負ってしまう行為だったからです。ユダヤ教徒は、律法上の穢れを覆うことは全く許されていなかったわけです。
従って、この慣習を果たすために、奴隷にやってもらっていたのです。盥を取りお客さんの足を洗うということは、奴隷の果たすべき作業でした。しかしながら、私たちの主は奴隷の果たすべき作業を御自分自身で果たされます。

【聖ペトロとイエズス・キリストとの会話】
そこで、周りの反応を想像してください。喧嘩は一気に収まってシーン。私たちの主は足をお洗いになりますが、使徒たちは唖然としたままです。「先生はどうなったのか」と思いながら。皆、心の中に「どうしたのか」と思いますが、一人だけがより血気で反応しますね。周知の通りに、陽気なる聖ペトロです。

聖ペトロが発言します。「主よ、あなたが私の足をお洗いになるのですか」 と。そこで、私たちの主は聖ペトロに応じて、使徒たちに向けて謙遜の模範を示していることを説明されます。「主よ、あなたが私の足をお洗いになるのですか」。
私たちの主はこうお答えになります。「私のすることを、あなたは今は知らぬが、後にわかるだろう」 と。ところが、血気なるペトロは「いいえ、決して私の足を洗わないでください」 と。当然の反応でしょう。聖ペトロは主に対する尤もの尊敬を抱いている者なので、足を洗うのは主がすべきではないことで奴隷のやるべきことだということから彼が反対します。

要するに、聖ペトロの反応は、主に対する尊敬を示しながらも、私たちの主の教えに対する理解不足をも表します。
すると「もしあなたを洗わないなら、あなたは私と何のかかわりもなくなる」 と私たちの主が仰せになります。この言葉をもって、私たちの主がの象徴性を示すのです。悔悛あるいは霊魂の内面的な清めの秘跡を予告する場面なのです。

そこで、聖ペトロが勿論、主との関わりを続行したいので、「主よ、では、足ばかりでなく手も頭も」 と言いました。ところが、私たちの主が「すでに体を洗った者は、(足のほか)洗う必要がない、その人は全身清いからである。あなたたちも清い、だがみなそうではない」 と仰せになります。つまり、既に聖寵の状態にある人々が、全身を清める必要はなくて、小さな欠陥を清めるだけで十分だという意味です。これが、洗足の意味です。

【主の教え】
続いて、私たちの主が教えを説きます。「あなたたちには私のしたことがわかったか。あなたたちは私を先生または主と言う。それは正しい、そのとおりである。私は主または先生であるのに、あなたたちの足を洗ったのであるから、あなたたちも互いに足を洗い合わねばならぬ。私のしたとおりするようにと私は模範を示した。」
要するに、地上と外的な名誉を求めてはならぬ、という教えです。むしろ、自分が主(長・おさ)になろうと思うなら、誰かの弟子になるべきだとの教えです。また、偉大になろうと思う者は、自分を貶めるべきだとの教えです。

【主の模範:謙遜、純潔、愛徳】
つまり、以上の場面は、第一、使徒たちに向けて謙遜の模範となります。言葉と行動両方を踏んでの模範です。
謙遜の模範の上に、純潔の模範でもあります。清める為に、私たちの主が司祭職を制定するし、御聖体をも制定なさいます。そこで、御聖体という偉大な秘跡に近寄るには、どれほど純潔の状態であるべきか教えられています。

それから、純潔の模範の上に、イエズス・キリストのお言葉の通りに、使徒たちに向けて兄弟的愛徳の模範でもあります。つまり、天主を愛し、隣人を愛せよという教訓ですが、両方の愛は全く一致するからです。



【ユダ・イスカリオトに対して】
ところで、以上の模範を示したうえに、私たちの主が使徒ユダに向けて、次の忠告を施します。どれほど私たちの主はユダに対して親切であるかがこの忠告で見とれます。使徒たちに向けて、あなたが清いと仰せになったが、全員ではないと言い加えるのです。使徒たちはこの警告を聞いて不安になります。使徒ユダ以外に、誰か裏切り者であるか誰も分からないままですから。

「あなたたちの一人が私をわたすだろう」 と。この言葉で、私たちの主はユダの心に当てるものの、他の使徒たちにバレないようになさっています。何て立派な如才なさでしょう。ユダの霊魂に如才なく触れるものの、深く揺るがします。ユダからみて、心が揺るいだに違いありません。ところが、周りの使徒たちがユダ向けであることは分からないままです。ユダだけが分かっています。また、ユダは私たちの主が知っていたことも、わかっていました。そこで、まだユダに至って手遅れではなかったということです。裏切りの計画をそこで諦めればよかったのに。残念ながら、ユダが頑固になってしまいます。しかしながら、この忠告において、私たちの主からのユダへの愛と親切さは見いだせます。
~~

【御聖体の秘跡と品級の秘跡の制定】
その後に、私たちの主は聖なる晩餐を制定されます。言い換えると、御聖体の秘跡品級(叙階)の秘跡を制定されます。

パンを手に取り、祝別して裂き、使徒たちに与え、「これを取って、私の体である」 と仰せになります。で、使徒たちに御自分の御体を与え、拝領させるのです。福音の記す通りに、食事の後に、杯(さかずき)を取り、同じようにして使徒たちに与え「この杯は、あなたたちのために流される私の血による新しい契約である」 と仰せになります。私たちの主はご自分自身の御血を使徒たちに飲ませるのです。これをもって、イエズス・キリストは初めてのミサ聖祭を行うわけです。十字架の犠牲を控えてのミサ聖祭です。しかしながら、このミサ聖祭は既に本物の犠牲・いけにとなります。

【いけにえの成立のために必要なこと】
いけにえが成り立つために、三つのことが必要となります。第一、供え物(奉献とも呼ばれる)です。いけにえを奉献することです。ところで最後の晩餐の前の日曜日に、私たちの主は神殿で既にご自分を奉献していました。その上、私たちの主はご自分の人生のすべてを、ずっと御父に奉献していたのです。従って、最後の晩餐の際に、ミサ聖祭の奉献の部は既に済んでいたのです。

第二、屠(ほふ)り(犠牲)が必要です。言い換えると、犠牲者なるいけにえが流血で殺される必要があります。つまり、血を流すことによって、いけにえの体と血が分離するということこそを「屠り」と言います。最後の晩餐の際に、この屠り・犠牲はもう行われました。まだ、現実に本当の流血がなかったものの、神秘的に行われたとされています。

要するに、物質的な印(しるし)を通じて行われたのです。パンと葡萄酒(ワイン)の二重の聖変化は、体(パン)と血(ワイン)を分離する形で、神秘的に屠り・犠牲の実現を示すのです。従って、本当の意味での犠牲が実現されました。

第三に、犠牲・いけにえという儀式が成り立つには、犠牲されたいけにえを拝領する必要があります。私たちの主は使徒たちに御自分の体と血を拝領させました。



【最後の晩餐は本物の犠牲】
要するに、最後の晩餐の際に、私たちの主が制定なさった聖体の秘跡は、本物のいけにえ・犠牲なのです。

そこで、この聖体の秘跡を実現することによって、これからいつもまでも、ご自分の死の後からずっと、私たちの主は使徒たちにミサ聖祭を挙げる力、または聖体の秘跡を実現する力を与えます。つまり、最後の晩餐に行われた全く同じ犠牲を改めて捧げる力を使徒たちに与えるのです。イエズス・キリストは御自分の司祭として使徒たちを選定し指名します。「私の記念としてこれを行え」 と仰せになります。つまり、この言葉をもって、使徒たちも、ミサ聖祭を行えるようになったということです。

注意してください。「これの記念を行え」という命令ではなくて、「私の記念としてこれを行え」という命令です。「これを行え」。要するに、使徒たちが今度捧げていく犠牲は、つまり司祭の捧げていくミサ聖祭は、本物の犠牲になるということです。
私たちの主が最後の晩餐の際と十字架上の際に御自分で行った犠牲をミサ聖祭において再現するということです。

「これを行え」という命令ですから。「Hoc facite ホック・ファチテ」「私の記念として、これを行え」。だから「私の記念をやれ」ということだけではありません。つまり、過去への思い起こしだけではありません。また、記念の義務へといった励みだけでは決してありません。それではなくて、改めて、行われたこの犠牲をもう一度行えという命令なのです。

「これを行え」。具体的に言うと、「私が今やったばかりのように、このパンが私の体とこのワインが私の血で今聖変化したように、あなたたちも本物の犠牲を行え、パンとワインを私の体と私の血に聖変化せよ、今捧げた犠牲を再現せよ」という命令です。

「私の記念として」の意味は、「十字架上の私の犠牲に依存すべき犠牲として行え」という意味です。要するに、「あなたたちがこれから行うこの犠牲は、ミサ聖祭は私の犠牲に依存するから、これから十字架上にお捧げする私の犠牲に他ならない。十字架上の犠牲はいま晩餐の際にあらかじめ行っただけだ」という意味です。



【ユダは立ち去る】
以上は、聖体の秘跡と叙階の秘跡(または司祭職の制定)の制定のご紹介でした。
そして、制定の後、もしかしたらその前だったかもしれませんが、福音だけを見ると、前後はあまり言えないのですが、兎も角、ユダはその場を去ります。そういえば、私たちの主がハッキリとユダに向けて仰せになりました。「お前のしようとしていることを早くせよ」 と。制定の後にユダが去るか、制定の前に去るかどちらかです。とにかく、私たちの主、イエズス・キリストを裏切って、かれを渡すために、大司祭のところに行くのです。

【主の最後の訓話】
聖体の秘跡と叙階の秘跡の制定の後に、「晩餐後の垂訓」と呼ばれる場面があります。長い垂訓になりますが、聖ヨハネ福音の第13章から記されています。使徒たちに向けて、私たちの主が教えを説きます。同時に、胸の思いをも特に打ち明ける垂訓となります。私たちの主の最後の垂訓、言い換えると、イエズス・キリストの遺言です。使徒たちにむけての、死ぬ前の最期の言葉です。使徒たちは遺言であることを確かに感じてはいます。立派な垂訓ですが、使徒たちが戦うように励まします。



「この世はあなたたちを憎むとしても、あなたたちより先に私を憎んだことを忘れてはならぬ」 と。私たちの主は使徒たちを激励します。この世と戦うように、この世に妥協しないように、この世に反対するために自分の苦しみを捧げるように、この世と同盟しないように激励します。まら、パラクリトゥス(聖霊)を私たちの主が約束します。使徒たちを助け、強めるために聖霊を送ると約束をします。そして、私たちの主がチェナクルム(高間)からご退場します。


聖木曜日 【公教要理】第三十五講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年03月29日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第三十五講  贖罪の玄義・歴史編・聖木曜日


【聖木曜日】
聖木曜日の朝です。私たちの主はベタニアにおられます。ベタニアでの最後の一泊を過ごしたところです。夜明けに、私たちの主は過越し祭の準備に入ります。ユダヤの一番の大祭りで、私たちの主は勿論過越し祭の食事を食べるつもりです。とはいえ、その年の過越し祭は特別になります。

過越し祭の準備のために、ペトロとヨハネの二人の使徒を遣わします。考えてみると、この選択は不思議でした。というのも、本来ならば、使徒ユダを遣わすはずだったからです。以前の数年は、ユダが過越し祭の準備に当っていました。ユダが財布係だったので、当然ながら、ユダこそが必要な品の選択と購入や交渉に当たり、祭りに当たっても準備を進めるはずです。しかしながら、今回、私たちの主はユダを遣わしません。というのも、使徒ユダが、その時、既に私たちの主を売り渡したからです。私たちの主はご自分の決めた時に死ぬことになさったので、ユダの都合の良い時に渡されるわけにはいきません。

従って、ペトロとヨハネを遣わします。ユダにとって、主のことが分かっています。「可笑しい。何かを隠しているのではないか」とユダが考えながら、聖ペトロと聖ヨハネに向けての主の指示を盗聴します。それで「得た情報で、司祭たちに内密してやろう、それで過越し祭の前に逮捕させよう」といったユダの狙いです。

ところが、心を読み取れる私たちの主は、またご自分の死が何時、何処なのかを御自分で決め、ペトロとヨハネへこう仰せになります。「私たちの食事のために過ぎ越しの準備をしにいけ」 と。二人の使徒は「どこに準備すればよろしいでしょうか」 と質問します。とたんに、ユダが耳を澄ませます。逮捕するための貴重な情報を。ところで、私たちの主は次の通りにお答えです。これも、実に、イエズス・キリストは本当に天主であることのもう一つの証明です。ユダがこれを聞いて、より深刻に考えればよかったのに。
私たちの主曰く。「市中に入ると水がめを持っている人に出会うから、その人の入る家について行き、家の主人に、〈先生が“弟子たちと共に過ぎ越しの食事をする部屋はどこか”と申されました〉と言え。すると、主人は席を整えた二階の大広間を見せてくれるから、そこに準備せよ」と。

ユダはかなり困りますね。ペトロとヨハネと一緒に行かない限りに、どこで過ぎ越しをやるか分からないからです。ですが、一緒に行ったら皆に見られてしまうので、行けないのです。そういえば、聖ペトロと聖ヨハネも場所がまだ分からないわけですが、その内に分かります。
それから、聖ペトロと聖ヨハネは二人で行って、過越し祭の準備をしに行きます。私たちの主のおっしゃったとおりに、物事は進みます。エルサレムに入ったら、なんと、二人ではなく、一人の水がめを持っている人に出会います。聖ペトロと聖ヨハネは彼の後に付いて行き、私たちの主の言われたとおりに、私たちの主が過越し祭の食事を食べる場所を案内されます。

その場所はラテン語でチェナクルムという所です。チェナクルムは「上の部屋」(高間)という意味で、地面より高い位置にあります。要するに、大体の場合、家の二階にある部屋です。その上に、大体の場合は、その二階の全面を占める大部屋です。そこの大広間で、基本的に、過ぎ越しの食事の他に、食事するために接客賓客室のような場所でした。具体的にいうと、当時の食事の習慣に従って、「U」型にテーブルを配置します。そして、その「U」型のテーブルの外側に、ある種のソファーを幾つ置きます。というのも、当時の習慣は、横になったままに、食事を取ることになっていました。右手に横になって食べると思います。

要するに、このような配置で、聖ペトロと聖ヨハネは食卓を準備します。それから、料理をも準備します。以上の準備は、使徒ユダの協力抜きで行われます。ユダは困ります。過ぎ越しの食事はどこに挙げられるか、気になってならないユダです。それから、私たちの主は昼の間にベタニアのままで、夕方になったら、過ぎ越しを祝うために、エルサレムへいらっしゃいます。
というわけで、私たちの主は一日早めに過越し祭を祝ったということになるでしょうか。ユダヤ教では、一日の始まりは、前夜の星が現れたら新しい一日になります。つまり、私たちの主は、聖木曜日の夜に、過ぎ越しの食事を食べたとはいえ、ユダヤ教上に、夜になっていたので、既に聖金曜日になって食べたということになります。日暮れ以降にたべました。日差しが消えたら、聖木曜日の日はおわるからです。

私たちの主は、夕方にエルサレムに行って、直接にチェナクルムにいらっしゃいます。天主なので、勿論、チェナクルムはどこにあるかご存知です。それから、過ぎ越しの食事という行事が行われます。私たちの主は、厳密にその儀礼にそって、挙げることになさいました。そして、モーゼによって定められた儀礼通りに、私たちの主は式を挙げました。
とはいえ、単なる儀礼を行うだけではなく、さらに私たちの主はその儀礼を超越します。というのも、その超越というのは、その時の食事の際、御聖体と叙階の二つの秘跡を制定なさったからです。


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【過ぎ越しの食事】
使徒たちと一緒に私たちの主は、過ぎ越しの食事を召しあがります。皆がその二階の上の部屋というチェナクルムに到着します。それから、各々が自分の席に着きます。当然ながら、私たちの主が首席にお座りです。使徒たちの先生であり、いやそれよりも、天主なので、当然に主宰なさいます。

それから、食事の流れですが、大体三部に分けることができます。というのも、三回の食事は出るわけです。
【第一の食事:苦い草とソース】
第一の食事は、苦い野レタスとともに、赤味を帯びた濃厚ソースと苦い草からなります。ソースは酢と塩水からなります。この第一回の食事の意味はなんでしょうか。苦い草というのは、ヘブライの民がエジプト人から強いられた苦悩を象徴します。一旦、思い出しましょう。旧約聖書において、過越し祭の意味はエジプトからの脱出です。つまり天主が決めた、エジプトでの奴隷従属を解いた日を意味し、ヘブライの民が奴隷従属から解放されてエジプトを出たことを祝う祭りです。
ということで、第一回の食事は、苦い草を通じて奴隷時代のこととエジプトでの苦渋を思い起こします。そういった苦渋を、ユダヤ人は決して忘れませんでした。続いて、赤味のソースというのは、通説によると、煉瓦とセメントを思い起こします。つまり、エジプトでの奴隷従属のヘブライ民のファラオに強いられた作業は建築だったので、煉瓦とセメントはそれを示します。以上は第一回の食事の紹介でした。第一回の食事を食べ終わったら、一旦、苦みの杯を飲んでから、手を洗います。


【第二の食事:喜びの肉料理】
それから、第二の食事が続きます。賛美の聖歌から始まります。聖歌の後に、宴のメインとなる肉類を食べることになります。第二の食事が終わったら、喜びの杯を飲むのです。第二回の食事は、自明なことに、エジプトから出た喜びを象徴します。また、天主の御手に委ねられたという喜びを示します。つまり、紅海とヨルダン川の通過を祝う食事です。エジプトから出た時の紅海の通過と、砂漠で四十年間、彷徨(さまよ)ってから聖地に入るときのヨルダン川の通過です。以上は、第二回の食事の紹介でした。

【第三の食事:種なしパンと過ぎ越しの羊】
最後に、第三の食事です。種無しパン、つまり無酵母パンです。言い換えると、膨らんでいないパンで、ガレットみたいな状態になっているパンですね。そして、過ぎ越しの羊も第三回の時に出されます。過ぎ越しの羊を食べるのは、第三回の食事の際でした。過ぎ越しの羊の調理なのですが、先ず羊に串を通すことでした。串は十字という形で、その後に煮ることもなくて、炒めることもなくて、火で焼くことでした。羊の全部を食べ尽くすことになっていました。食べ尽くせない部分は残ったら、それらの余分を燃やしました。羊の何も残らないように、完全に滅(めっ)するようにしました。以上の規定は、律法の定めるところでした。種無しパンというのは、一方エジプトの偶像崇拝から解放されたことを象徴し、パンを膨らます時間もないほどにエジプトから出たという準備不足な急な出発を思い起こす意味もありました。

要するに、過越し祭の食事には象徴が多く、ヘブライの民のために天主のなさった諸奇跡を思い起こし、それから、奴隷従属から解放し給い聖地まで導き給ったことを思い起こす儀礼でした。

【聖金曜日は前兆の実現】
以上の諸象徴は、前兆ともなり聖金曜日には、私たちの主イエズス・キリストこそが、それらの象徴を実現し給うことになり、果し給うことになります。つまり、罪という別の隷属から解放し給います。そして、約束なさった蜂蜜と乳の溢れる天国という別の聖地に導き給います。至福へ。

両方の間に驚くほどの類似がありますが、どちらかというと、象徴と事実との関係です。
要するに、私たちの主は、最後の過越しの食事を食べますが、その上に、その食事に織り込まれている旧約聖書の諸象徴・前兆を事実に移し、実現なさるのです。
羊を食べ尽くしてから、ヘブライ民への天主の祝福の杯を回して飲みました。その後に、賛美の聖歌が唱えられました。

以上、過ぎ越しの祭の流れをご紹介しました。また、作法・儀礼正しく、私たちの主は最期の過越しの祭を全うしました。
要約すると、三回の食事をきちんとやります。苦い草を赤味のソースにつけたり、使徒たちと一緒に、肉類と過ぎ越しの羊を食べたりします。その食事に当たって、腰に帯を覆う姿で食べました。これは聖地に行くために急にエジプトを出る旅人の姿を象徴しました。つまり、私たちも皆、地上において、旅人で、旅行者なのです。
以上は使徒たちと一緒に私たちの主がお食べになった過ぎ越しの祭のご紹介でした。


枝の主日 【公教要理】第三十四講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年03月27日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第三十四講  贖罪の玄義・歴史編・枝の主日


【私たちの主の受難の序幕(つづき)】
前回に続いて、まだ私たちの主の受難の序幕を話します。一日経って、ライ病のシモンの家での土曜日の翌日になります。マリア・マグダレナの貴重な壺を割って、私たちの主の足に注いだ場面の翌日です。また、使徒ユダが自分の主を裏切ることを決定して、金を得るために渡すことに決意した翌日です。つまり枝の主日となります。

枝です。「枝」とは、現代でもこの言葉を使いますが、その主日に、私たちの主が経験した不思議な出来事から来る言葉です。私たちの主はまだベタニアにいます。そこで、親しい皆と一緒に前夜を過ごしたのです。つまり、ラザロとマリア・マグダレナとマルタと一緒でした。それで、朝になったら、エルサレムへ行くことになさいました。そうするために、弟子たちに、乗り物として雌ろばと子ろばを連れて来てもらいます。

前にも見ましたが、旧約聖書でろばのことは予言されていたのです。乗り物にするために、雌ろばと子ろばを自分の許に連れ来てもらいます。使徒たちは例の二匹を連れてきたら、私たちの主は子ろばにお乗りになります。それで、そのままに、エルサレムまでいらっしゃいますが、凱旋的な首都入城という形で迎えられています。

凱旋的な首都入城というと、具体的には、人々は自分らの着ている上着を地面に敷いて小枝を手にして、「ダヴィドの子孫よ、ホザンナ(賛美されよ)!」を唱えながら私たちの主を喝采するほどでした。というのも、これは、私たちの主イエズス・キリストの王たる性格、または救い主であることを、民によって公に確認したことに他なりません。つまり、私たちの主に向けて、荘厳な喝采で、凱旋的なお迎えをしたのです。いや、それよりも、救い主は、凱旋的な首都入城という形で、迎えられます。

私たちの主が乗っていない雌ろばは、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)を象徴します。まだ誰も乗ったことのない子ろばは公教会(カトリック教会)を象徴します。というのも、公教会は、小ろばのように、代々の終わりまでに、私たちの主を支えることになるからです。この場面で登場する象徴は非常に意味が強いのです。凱旋的な首都入城で、子ろばに乗ることによって、私たちの主は、ご自分の公教会との新しい約束を示します。


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主は凱旋的なエルサレム入城をなさいます。民の喝采に囲まれて入城なさいます。それから何をなさるかというと、先ず神殿へ行かれました。神殿で礼拝なさいますが、その時、民の絶賛の喝采を聞きながら、同時に人々の心をも読み取っておられたのです。ファリサイ人たちの軽蔑の心をよくご存じです。そういえば、ファリサイ人たちは、主に向かってこう言います。「先生、弟子たちをしかってください」 と。つまり、「この民を黙らせてください。こういうふうに、喝采させないで」という依頼です。そこで、私たちの主の答えはかなり明白です。「私は言う。彼らは黙ったとしても石が叫ぶだろう」 と。

一方、私たちの主は民の出迎え方を承認した上で、ご自分が救い主であることをハッキリ断言なさいます。要するに、私たちの主は、エルサレムに入城して、神殿に行かれます。そこで、二度目になりますが、神殿にいた商人達を追い出します。一度目に追い出した時は、周知の通り、「〈私の家は祈りの家といわれる〉と書かれているのに、それを盗人の巣にするのか」 と仰せになりました。要するに、商人たちを追い出してから、神殿にいって、そこで人々に教えておられます。

この神殿入城も、非常に意味深くて象徴的です。なぜかというと、枝の主日というのは、過越し祭に向けて、子羊の選抜が行われる日だったからです。つまり、私たちの主が神殿にいらっしゃるとき、これから捧げるべき子羊としてご自分を奉献するという意味になるからです。つまり、至上の生贄としてご自分を奉献するのです。旧約聖書のすべての前兆と預言を実現する至上の生贄です。選ばれるべき生贄として、天主が選び給い、聖父なる天主が承認し給う償いの生贄としてご自分を奉献します。要するに、私たちの主の神殿へのご参拝の場面には、意味深い象徴が織り込まれています。

それから、日曜日、聖月曜日、聖火曜日の三日にわたって、神殿でお教えになっています。毎日、神殿で教えを仰せになります。そして、毎日毎日、学士たち或いはファリサイ人たち或いはサドカイ人たちの質問に応じて彼らの罠を逸らして彼らをやり込めます。そのたびに、しっかりとお答えになって、彼らの論調が無駄であることが明らかになります。その上、そのたびに、天主の御慈悲は、彼らの霊魂を啓蒙することに励んでおられます。なのに、残念ながら、傲慢のせいで、彼らの霊魂はどんどん自分を閉ざしてしまいます。

そこに、私たちの主の深い慎重も見えます。なぜかというと、毎晩、エルサレムを去って、ベタニアでお泊りだからです。エルサレムから、30分ぐらいですね。私たちの主は慎重です。聖月曜日でも聖火曜日でも聖水曜日でも、死なないことになさったわけです。過越し祭の日はまだですから

というのも、天主なる私たちの主が、何時何処ご自分が死ぬことを御自分でお選びになるからです。御智慧の内に予定なさったその日、その時間にこそ、死に給うことになるべきです。要するに、日曜日の晩も、典礼歴に登場する聖月曜日の晩も、聖火曜日の晩も、町を去って、ベタニアに泊まります。そして、聖水曜日には、私たちの主が何をなさるかというと、ベタニアに残ります。その日は、エルサレムにいらっしゃらなかったようです。きっと、使徒たちのために教えを説いたり、彼らを慰めたりするために、また、ラザロやマリア・マグダレナやマルタを慰めたりするために、私たちの主はベタニアに一日滞在なさったのでしょう。きっと、聖水曜日をもって、ユダがベタニアを出て、大司祭たちのところに行ったと思われます。
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ユダは心の内に数日前にたてた主を裏切る決意を実行に移します。どうするかというと、大司祭たちのところに行って、「人の子をわたすことができる」と彼らに言います。
「私は彼を知り、傍におり、一緒に住んでいた。渡したら、その代わりに金の報酬が欲しい」といったような交渉です。実は、意外なことですが、司祭たちは彼に確かに金をわたすが、意外と少ない金です。単なる銀貨三十枚で、決して大金ではありません。大司祭たちは、ユダの裏切りをよく知っているし、ユダに至ってまで、恐らくある種の呵責を感じて、銀貨三十枚だけをもらって、それ以上に求めようともしません。銀貨三十枚というのは、旧約聖書に登場してくる値段ですが、モーゼ律法によって定められた値段で、喪失した奴隷の償いの対価だったのです。言い換えると、ある主人が、一人の奴隷を失った時、またその奴隷が殺されたときに、律法の規定に従って、銀貨三十枚の報償を得ることができました。いわゆる、奴隷の喪失の報償に相当する対価とされていた金額です。


要するに、ユダの裏切りの場面を見ると、もうその時、既に、私たちの主は奴隷に過ぎないという扱いされていることが分かります。裏切りの対価は、つまり私たちの主の死の対価は、奴隷の対価だったわけです。一人の奴隷は死んだら、その報償として、銀貨三十枚になります。同じように、私たちの主を死なせるために、銀貨三十枚で渡されたわけです。自明なことに、私たちの主は単なる奴隷扱いにされています。要するに、聖水曜日に、ユダが司祭たちとその取引を結んでから、ベタニアに帰ります。そして、聖水曜日の晩、私たちの主は、エルサレムに泊まることなく、まだその日には死なないこととされて、ベタニアでお泊りのままです。つまり、聖水曜日の夜をベタニアで過ごしてから、聖木曜日になると、いよいよ私たちの主はエルサレムにいらっしゃいます。そこで留まるために、そしてそこで死ぬためです。


台湾で第1回目のマーチフォーライフ!2019年5月11日

2019年03月24日 | マーチフォーライフ
台湾で第1回目のマーチフォーライフ(為生命而走遊行)が開催されます!

【日 時】 2019年5月11日(土) 16:00
【場 所】 桃園聖母聖心天主堂を出発 → 聖三堂 → 桃園火車站 → 桃園聖母聖心天主堂

多くの方が参加されて、大行進となりますように!!
ファチマのマリア様に祝福とお取り次ぎをお祈りします!




復活祭の主日の一週間前 【公教要理】第三十三講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年03月23日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第三十三講  贖罪の玄義・歴史編・復活祭の主日の一週間前


「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬られ」給うイエズス・キリストを信じ奉る。

【歴史上の事実】
前回に見たように、贖罪の玄義は、先ず、歴史上の事実として見なければなりません。
これから、それをご紹介していきます。つまり、私たちの主イエズス・キリストの贖罪の玄義の歴史を、実際に展開してきた史実をご紹介します。

【受難の序幕:ファイサイ人との戦い】
総ての始まりは、受難の序幕とでも呼ばれることから始まります。具体的にいうと、復活祭の日曜日(過越祭)の一週間前です。当然ながら、イエズス・キリストの全人生は贖罪に向けられているという事実を見る価値がありますので、聖ヨハネの福音書を全部読んでみると良いと思います。それでご降誕の時より、ずっと、私たちの主とファリサイ人との間に、戦いが展開してくることが良く見てとれます。聖ヨハネの序文はその通り語られています。

「御言葉(イエズス・キリスト)は世にあり、世は御言葉によって創られたが、世はそれを認めなかった。」
または「御言葉はご自分の家に来られたが、その人々は受け入れなかった。」
または「光(イエズス)は闇に輝いたが闇はそれを悟らなった。」
聖ヨハネの福音書では、輝こうとしているその光を語ります。要するに、その光とは、私たちの主で、ご自分が救い主であることを示したり、病みなどを治したり、奇跡を起こしたり、教えを伝えたりするイエズス・キリストです。
一方、ファリサイ人も登場して、彼らは私たちの主の教えを拒絶して、信じることを拒むがゆえに、何度も私たちの主、イエズス・キリストを嵌めようとし続けます。なぜ嵌めようとするのでしょうか。

【ファリサイ派が陰謀を企てる理由】
先ず、私たちの主のもとに、大勢の人々が集まるからです。それで、私たちの主の後に従ってつく人々は、もうファリサイ人の後につかなくなるからです。つまり、そこにあるのは、ある種の嫉妬心です。
その上、やまない傲慢心もあります。その傲慢心はあまりにもやまない挙句、ファリサイ人たちは、私たちの主イエズス・キリストに対して陰謀を企てるようになります。彼を死なせようとしてまでの陰謀です。最後には、死なせることに成功します。
以上は、一般の背景の説明で、その状況に置かれ、その環境のせいで、少しずつ、聖週間に至ります。私たちの主イエズス・キリストご自身が何度も予言なさったその時に至ります。

【受難の切っ掛け】
さて、受難の切っ掛けとでも呼べる事実はなんでしょうか。まず、必ず念に置くべきことがあります。私たちの主が、死ぬことをご自分で決めて、それがいつかも、どこでかもご自分で決めたということです。
永遠なる天主は、贖罪の御計画において、私たちの主の死は聖金曜日に、過越祭においてであることを既に予定なさったのです。それで、私たちの主は、ご自分が死すべきことを知っているし、実際に死去します。積極的に、亡くなられるわけです。ご自分でご自分を捧げるのです。同時に、あえて言えば、その時の人間的な状況を活かして、切っ掛けを得ます。しかしながら、ずっと、人間の自由意志を残しながら、です。神秘です。なぜ神秘かというと、使徒のユダが裏切ったのも、ユダヤ自身が自分の自由意志で決めたことだからです。ユダにして、何かの地獄への予定なども、裏切りへの予定なども全くありませんでした
また後でご紹介しますが、私たちの主は、ユダが裏切らないように全力を尽くしました。しかしユダが自由に決めて裏切ったのです。全く、聖ペトロが主を意図的に、積極的に否認したと同じことです。また同じように、私たちの主の死を決めたファリサイ人たちも、自由意志で積極的に決めた決定なのです。とはいえ、その上に、私たちの主も、積極的に、自由に決めて、ご自分は死去されました

【急展開をもたらした「切っ掛け」:ラザロの復活】
さて、物事を急がせた「切っ掛け」は、ラザロの復活という出来事です。その奇跡は、恐らく数週間前のことで、私たちの主が死ぬべき最後の過越祭の数週間前です。私たちの主は、その時にベタニアにいません。ベタニアはエルサレムより東方数キロにある小さい村です。その時、ユダヤ地方にまだおられませんが、私たちの主の耳に、ラザロが危篤状態にあるという知らせが入ります。その時、私たちの主が使徒たちに暗示的な言葉で、すぐにはラザロのもとに行かないという旨を伝えます。つまり、ラザロを蘇らせるために、ラザロの死をあえて待つのです。というのも、ご自分の天主性を示すためです。

確かに死者の復活よりも天主にしかできない奇跡などないからです。また、本物の奇跡であることを保証するために、私たちの主が、ラザロが死んだ日にその許にいらっしゃるのではなく、あえて、死んだ日の四日後に到着するようになさいます。もう、ラザロが確かに間違いなく死んでいることを保証するためです。
というのも、ご到着なさったとき、ラザロの姉妹、マルタとマリア・マグダレナは私たちの主イエズス・キリストを迎えます。私たちの主は、「私を信じなさい」といった内容の言葉の後に、ラザロの墓の前にある岩を取れと仰せになります。ラザロの姉妹は「主よ、四日も経っていますから臭くなっています」 と言い出します。
つまり、死んでいることが、明白に証明されているのです。当時、ファリサイ人をはじめ、周りの人々は、ラザロが本当に死んだことは周知のことだったのです。
死体が「臭くなっている」ほど、もう死んでいるに違いないのです。ラザロはもう死んだのに、私たちの主は、「ラザロよ、外に出なさい」と呼びます。するとラザロが出てきます。包帯に包まれたままです。私たちの主は、それらの包帯を外せと言います。
ラザロが復活したことは自明で皆の目に晒されます。

~~


当然ながら、その奇跡は、回心した大勢の人々をイエズスの許に寄せてきます。多くの霊魂は光を受け入れようとしながらも、残念ながら、ある霊魂たちは、より頑固に、光に対して自分を暗闇に閉ざしてしまいます。ファリサイ人たちです。
その日をもって、ファリサイ人たちは集まって、どんと、私たちの主イエズス・キリストを殺すことを決定します。実は、カヤファ大司祭がこう告げます。
「一人の人が民のために死ぬことによって全国の民の滅びぬ方が、あなたたちにとってためになる」 と。もう、決定事項で、私たちの主は死ぬべきだと。
要するに、ファリサイ人たち側では、その時、もうその企ては決定しました。死は要求されているのです。後は、その切っ掛けを見つけるだけです。

【キリストの死の直接の切っ掛け:ユダの裏切り】
さて、他の切っ掛けは幾つありますが、最初にあるのは、使徒のユダが差し出します。過越祭が迫ると、ファリサイ人たちはどちらかというと、行事が終わってから実行したほうが都合が良いと思っていました。というのも、過越祭の大行事で、多くのユダヤ人がエルサレムに来ていたので、大勢の人々がいたからです。だから、スキャンダルを避けるために、大衆がファリサイ人たちに対して反発しないように、皆が家に帰ってから殺すことにしていました。要するに、過越祭が収まるのをゆっくり待って、その後に、私たちの主を逮捕する計画でした。それで、人の目に隠れて、殺す計画でした。騒ぎにならないように。何の民の反発などはないように。
しかしながら、私たちの主は違うことをお考えでした。旧約聖書のすべての予言を実現する意味でも、過越祭の時に死ぬことになさいました。特に、民を奴隷から解放するための過越しの子羊の生贄という前兆を実現することになさいました。奴隷というのは、罪に他なりません。
~~

【枝の主日の前の土曜日、ベタニアで香油を受けるイエズス】
要するに、ファリサイ人たちの計画はハッキリ決められていて、諸行事の終わりを待って、それから、何かの名目を見つけて私たちの主を逮捕させて、裁判にかけて死刑にいたらせることにしていました。
しかしながら、過越祭の8日前に、つまり、枝の主日の前の土曜日ですね、その日は、私たちの主が、ベタニアという小さい村におられました。エルサレムより、数スタディオン(距離の単位)ぐらいです。ライ病のシモンのところに泊まっておられます。以前にも、泊まったことがありましたが、また後にここでも出てきます。食事している時です。それで、思い出してください。それ以前に、シモンの家にいらっしゃったときは、福音書による限り、聖マリア・マグダレナが回心した時でした。罪人として、私たちの主、イエズス・キリストの足許まで来て、私たちの主の足の上で、自分の犯した罪を嘆き涙しました。さらに私たちの主の足を拭いて差し上げました。それを見ていたシモンはこう考えます。
「この人がもし預言者なら、自分に触れた女が何者か知っているはずだ。この女は罪人なのに」 と。彼女は、確かに周知の罪人でした。しかしながら、私たちの主は、聖マリア・マグダレナの心を見抜いていたので、シモンを叱ります。先ず、マリア・マグダレナの抱いていた愛徳を強調して、主は彼女の罪を赦しました。そして、これからもう罪を犯さないようにと。これがマリア・マグダレナの回心でした。

今回も、籟病のシモンの家は舞台となります。そして、マリア・マグダレナはまた来ます。今回はもう罪人ではありません。私たちの主、イエズス・キリストを心よりの愛徳の愛で愛しています。私たちの主の傍にいる、主に使えている女性の一人です。以前と同じように、私たちの主の足を濡らして拭きますが、前回と違って、貴重な香油を、花蜜を、芳しい妙な香を注ぎます。芳しい上に、高級な香油で高価です。香油を、雪花石膏(アラバスター)の壺を割って足に注ぎます。一人の福音者は、「イエズスの頭に香油を注いだ」 と記します。
それで、私たちの主は、マリアの行為の意味を皆に説明なさいます。

【使徒ユダ・イスカリオトはもったいないと非難する】
その貴重な香油を注いだ時、財布を管理していた使徒のユダが、金銭にケチなユダが、注がれた香油を見て、既に心の中で無駄な浪費だと勝手に判断して、こう言います。
「それをよい値で売って貧しい人々に施せたのに」 と。聖ヨハネは別のところでこう付け加えます。「悪魔は早くもイスカリオトのシモンの子ユダに、イエズスをわたそうという考えを入れた」 と。ユダがこういった文句を言い出します。無駄にするより、売って貧しい人に金をあげられたのに、という文句です。
それに対して、私たちの主、イエズス・キリストは、聖マリア・マグダレナの行為を説明します。ユダに向けて、「貧しい人はいつもあなたたちとともにいるけれども、私はいつも一緒にいるのではない。この人は私の体に香油を注いだのは、私の葬りの準備である。」 と仰せになります。これで、暗に十字架上のご自分の死とその葬りを予告します。ユダが、そのコメントにイラっとなって、その時に、私たちの主を裏切り、金を受けて売り飛ばすことを決めます。



贖罪の玄義 [歴史編] 【公教要理】第三十二講 

2019年03月21日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第三十二講  贖罪の玄義・歴史編


またその御独り子(おんひとりご)、われらの主イエズス・キリスト」既に、以前、信経の第二条をご紹介しました。
続いて、信教の第三条は、「すなわち聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ」という信条でした。ご托身の玄義です。これについては以前にもご紹介しました。つまりご托身の玄義からの展開というか、30年間ほど続いた私たちの主の私生活をもご紹介しました。
また、より展開して、私たちの主の公生活と呼ばれるものもご紹介しました。つまり、ご自分の使徒たちと一緒に、公にお過ごしになった三年間で、大衆の前で福音宣教をなさりながら、ご自分の御教えの神性を証明したことによって、明白に、ご自分が救い主であることをお示しになりました。
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【信経第四条「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬られ」】
以上の信経の条々に続いて、今回から、第四条に移りたいと思います。信経の第四条の教えはこうです。イエズス・キリストは「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬られ」です。この第四条において、贖罪の玄義が紹介されています。
贖罪の玄義を語るとき、二つの側面を見なければなりません。これから、順番にご紹介していきます。

【贖罪の玄義の第一の側面:歴史的事実】
第一の点は、かなり時間が要りますが、非常に興味深い側面です。つまり、歴史という側面です。要するに、贖罪の玄義において、先ず、私たちの主は何を具体的に苦しんでいたか、それからどういうふうにその苦しみを受け入れたかを見てみます。要するに、枝の主日からご復活の祝日までの間を中心に展開してきた諸史実についてのご紹介です。その一週間の出来事をご紹介しますが、典礼上、この一週間を「聖週間」と呼びます。以上は、歴史編ということです。

【贖罪の玄義の第二の側面:神学的意味】
しかしながら、歴史編といった諸史実の上に、贖罪の玄義の神学的意味という側面も大事です。贖罪の玄義そのものが何であるかということです。贖罪の玄義とは一体何でしょうか。贖罪の啓示された諸真理とは、何を意味するでしょうか。
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【贖罪の玄義に関してイエズス・キリストが成就した旧約の預言】
贖罪の玄義の歴史編に入る前に、少しだけ、この贖罪の玄義に関して私たちの主イエズス・キリストが実現した旧約聖書に記された諸預言をご紹介させていただきたいと思います。
私たちの主は、救い主です。御自分で明白に仰せになります。そう断言しますし、前に見たとおり、そのことを証明し裏付けます。御自分の聖なる聖徳溢れる行動一生の模範を通じて、また、御教えの完璧性その素晴らしさを通じて、さらに起こす諸奇跡を通じて、それを証明します
その上、私たちの主は、ご自分が救い主であることを証明するために、預言を実現してそれを確立します。というのも、当時のユダヤ人は、旧約聖書の諸預言などをよく細かく知っていたからです。



【当時のユダヤ人は、旧約聖書の諸預言などをよく知っていた】
これを示す出来事を挙げると、三人の博士のことを思い出すのが良いと思います。三人の博士は救い主について情報を得るために来るので、ヘロデ王が司祭らを呼んで聞いてみると、あっさり救い主の生まれる場所がどこか分かります。司祭らは知っているわけです。ベトレヘムと答えます。その例で分かるように、ユダヤ人は預言を良く知っています。従って、私たちの主が諸預言をどんどん実現することを見ると、ユダヤ人らは「彼は救い主だ」と思うわけです。
だからこそ、私たちの主が受難の際に実現していく脈々と並ぶ旧約聖書の多くの預言を知る必要があります。それほど実現されたので、ユダヤ人は私たちの主が待ち望まれた救い主だったことを知らずにいられなかったのです。したがって、ユダヤ人は、諸預言が実現したことを見ないようにしました。そのせいで、ユダヤ人たちは頑固に意図的に盲目になってしまいました

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【私たちの主イエズス・キリストの逮捕や受難の前の事情に関する諸預言】
諸預言は、旧訳聖書の諸々な所に散在しています。整理してみると、先ず、私たちの主イエズス・キリストの逮捕や受難の前の事情に関する諸預言があります。

例えば、旧約聖書のザカリア預言者による次の預言があります。枝の日に起こったエルサレムへの凱旋的な入城の預言です。聖書によると、「シオンの娘よ、喜びいさめ、エルサレムの娘よ、喜びおどれ。見よ、王が来られる、正しいもの、勝利のものが。彼は、謙遜なもので、ろばに乗ってこられる。子ろば、雌ろばの子に乗って。」
そこで、私たちの主は、以上の預言を実現します。

また、旧約聖書では、私たちの主が生贄になることを前兆し、預言します。
「彼は、私たちの罪のためにつきさされて」とイザヤが53章で預言します。この第53章は、まさにメシア(救い主)的です。というのも、イザヤがその章で、直接に救い主を見たかのように描写するからです。また、同じ章で、イザヤがこう預言します。「実に、彼は私たちの労苦を背負い、私たちの苦しみを担った」と。

また、ある詩編では、予めユダの裏切りが預言されています。
「私の信頼していた親友、私のパンを食べた者さえ、私に向かってかかとを上げた。」
「私のパンを食べた者さえ」とは、「私と一緒に生活していた者」という意味です。ラテン語では「Companio(一緒にパンを)」といって、仲間の意味です。同じパンを食べて、同じ食卓を挟むという意味です。使徒のユダです。「私に向かってかかとを上げた。」



因みに、預言者ザカリアの書においても、ユダについてのもう一つの預言が次のようにあります。
「すると、彼らは、私に、銀三十銭をはかって、賃金を払った。」 また、ユダの裏切りの後の預言もあって、畑の購入についての預言です。「それで、私は、銀三十銭をとって、主の神殿のさい銭箱に投げ入れた。」  畑の購入を預言する箇所です。

私たちの主の断末魔についてならば、詩編に次の預言があります。
「私の心はのたうち、死の恐怖が私をおおった。恐れとおののきにおそわれ、戦慄にしめつけられた。」
詩編がこう記しているわけです。
「牧者を殺せ、そうすれば、羊は散る」 とザカリアが預言します。これは、私たちの主イエズス・キリストの逮捕の時に、使徒たちが散らされる預言に他なりません。

「私に逆らって、偽りの証人が立ち上がったが、偽りは自ずとばれた」 。この預言は、また詩編から出てきます。私たちの主に対して証人を呼んだことを語り、それぞれの証言は矛盾しあって、合っていなかった場面を預言します。

イザヤ曰く「口を開かず、屠所(としょ)にひかれる子羊のように、毛を刈る人の前でもだす羊のように、口を開かなかった。」  これは、私たちの主の沈黙の預言となります。この沈黙こそには表現力に富むかぎりです。

あざけりや侮辱などの預言もイザヤに多く預言されています。また、哀歌にもあります。「そしていま、私は彼らのあざけりの的となった。」 と旧約聖書にあります。
「主は、自分にうちかかるものにほおを向け、辱めで満たされる。」 「打つ人に私の背中を、ひげを引く抜く人に私のほおをまかせ、ののしりとつばから、顔を隠さなかった。」

また、私たちの主の死について、さらにより明白な預言もあります。鞭打ちについてもあり、十字架刑についてもあります。例えば、鞭打ちについては、「私たちは彼をらい病人のようにみえて、その前では顔を覆いたくなる。」
らい病人のようにみえて、私たちの主が傷だらけだったので、鞭打ちのせいで剥ぎ取られていく肌の姿についてです。

「私たちを救う罰が彼の上に襲いかかり、その傷のおかげで、私たちは癒やされた。」
それから、有名な詩編21もあります。私たちの主を素晴らしく描写する詩編です。ちなみに、後で詳しくご紹介しますが、十字架上で私たちの主は、この詩編の一部を唱えだします。
「私の手足をつきさした。私の骨をみな数えた。」 ここに出てくる「骨をみな数えた」というのは、「骨を一つも割らなかった」という意味です。預言通りに実現しました。
「これは、私を愛している人々の家で加えられた傷である。」
「彼が自分を死にわたし、悪人の数に入れられた。かれは、多くの人の罪を背負って、罪人のためにとりつぎをした」 からです。

また、詩編21の別のところには、こうあります。
「私を見る人はみんなあざけり、口を曲げ、頭をふる。『彼は主によりたのんだ、主が彼を救うだろう。主が救うだろう、主は彼を喜び迎えたのだから』」

また詩編で21番ではありませんが、次の詩編はこう預言します。
「彼らは、慰めの代わりに毒を食わせ、渇いた私に酢を飲ませた」 。

詩編21に戻ると、「また、私の衣類を互いにわけ、服をくじ引きした」 。旧約聖書の預言者ダヴィドが預言するところです。つまり、私たちの主の到来の遠く前大昔に預言されたことです。

また、旧約聖書のもう一人の預言者アモスの書には、私たちの主の死の際に地上が覆われて暗闇となる預言が記されています。
「その日―天主、主のお告げ―『私は、真昼に太陽を沈め、昼の間、地を闇で覆う。』」
「私の天主よ、私の天主よ、なぜ、私を見捨てたもうたのか。」 詩編21の最初の句で、十字架上に私たちの主の言い出す句でもあります。

以上、救い主をかなり明白に予告する諸預言をご紹介しました。

当時、ユダヤ人が私たちの主の受難を見て、それぞれの多くの預言が一気に実現しつつあったので、ユダヤ人はこれらの預言を連想せずにはいられませんでした。
ほぼ同じ時にそれらのすべては実現しました。すくなくとも数時間にわたって私たちの主の受難の際、多くの預言は実現されます。だから、私たちの主は、逮捕された際、これから実現していくこれらの預言のことを念頭に置いておられたことを知ってください。
また、ユダヤ人は主を逮捕した時、それぞれの預言のことを考えずにいられなかったのです。というのも、救い主と名乗っている者を逮捕しに来ているわけですからです。救い主についての預言を当たり前のように思い起こしているのです。
それにもかかわらず、受難の際、私たちの主による預言の実現を無視したのは、ユダヤ人が頑固に、意図的に、自らを盲目としていたのです。

国がなくなる。少子化で国防すら意味をなさなくなる亡国日本

2019年03月14日 | プロライフ
国がなくなる。少子化で国防すら意味をなさなくなる亡国日本からの引用

● 日本の「少子化」の問題。事は深刻である。

● 長野県第2の都市松本市、その中心の松本駅の町内には、50歳以下の人は一人(小学校1年生の女の子)しかいない。

● 長野第2の都市松本の中心にかかわらず、他の地方はもっと大変だ。本当にものすごい勢いで、人口が減っている。

● 平成30年の日本の出生数は明治32(1899)年の統計開始以来、92万1,000人で過去最少を更新した。出生数が100万人を割るのは3年連続で、少子化に拍車がかかっている。

● 1899年以来最小!ここ119年間で、生まれた子供の数がもっとも少なかった。

● ここ1年で、日本の人口は44万8,000人減った。
香川県の県庁がある高松市の人口は、約42万人。
富山県の県庁所在地・富山市は、約41万7,000人。
長崎県の県庁所在地・長崎市は、約41万6,000人。
岐阜県の県庁所在地・岐阜市は、約40万2,500人。

● 日本の人口は、過去1年間で、「県庁所在地である地方の中核都市が一つ消滅する」ほど減っている。

● 日本の人口減少という国家にとって真の危機が間近にある。将来の納税者が減少すれば、近代国家は衰退するしかない。

● 子どもがいなければ、安全保障の議論など何の意味もない。国家の未来は子どもの中にしかない。子供を守るために安全保障が必要。どんなに高度な防衛システムを完成させても、どんな意味があるだろうか?




国がなくなる。少子化で国防すら意味をなさなくなる亡国日本からの引用

● 日本の人口は1年で〇〇万人減った…

「日本最大の問題はなんですか?」と聞かれれば、私は「中国問題です」と答えます。なんといっても隣の大国は、「日本には尖閣だけでなく、沖縄の領有権もない!!!」と宣言している。

● 反日統一共同戦線を呼びかける中国

これは、どう考えても「大問題」でしょう??? 新聞を注意ぶかく読んでいると、「中国が日本の領海に侵入した」というニュースがしょっちゅうでています。あまりにも頻繁で、テレビで毎回ニュースにならないほどなのです。ですから、中国は「本気だ」ということを一瞬たりとも忘れてはいけません。

「次の大問題をあげやがれ」といわれたら、「少子化」をあげるでしょう。これ、「あまり問題じゃない」という人もいるんですね。実をいうと、私自身もそれほど気にしていませんでした。ところが、新刊『日本の生き筋ーー家族大切主義が日本を救う』にも書きましたが、2年前のあるできごとで、「事の深刻さ」を実感したのです。

私の実家は、長野県第2の都市松本市にあります。松本駅から徒歩圏にある。2016年の夏、私はあるきっかけで、「町内に50歳以下の人が一人しかいない」(!)ことを知りました。それは、女の子で小学校1年生である。つまり8歳から49歳までの人は、町内に1人も住んでいない。そして、子供の頃あったお店はほとんどつぶれ、町内が「スカスカ」になっている。

私は思いました。「長野第2の都市松本の中心がこんな状態なら、他の地方はもっと大変なのではないか?」調べてみると、本当にものすごい勢いで、人口が減っている。最新の数字を見てみましょう。産経新聞12月21日から引用します。

厚生労働省は21日、平成30年の人口動態統計の年間推計を発表した。出生数は明治32(1899)年の統計開始以来、最少だった前年の94万6,065人(確定数)を下回り、92万1,000人で過去最少を更新した。出生数が100万人を割るのは3年連続で、少子化に拍車がかかっている。

なんと1899年以来最小!つまり、ここ119年間で、生まれた子供の数がもっとも少なかった。

死亡者数は前年の134万397人を上回り、136万9,000人で、戦後最大だった。死亡数から出生数を差し引いた人口の自然減は44万8,000人で、平成19年から12年連続の人口減。昨年の自然減は39万4,432人で、40万人を超えるのは初めてとなり、人口減少も浮き彫りになっている。
(同上)

ここ1年で、人口は44万8,000人減った。これって、どのくらいのインパクトなのでしょうか?たとえば香川県の県庁がある高松市の人口は、約42万人。富山県の県庁所在地・富山市は、約41万7,000人。長崎県の県庁所在地・長崎市は、約41万6,000人。岐阜県の県庁所在地・岐阜市は、約40万2,500人。

日本の人口は、過去1年間で、「県庁所在地である地方の中核都市が一つ消滅する」ほど減っているのですしかも、恐ろしいことに、人口減少のスピードは加速しています。ちなみに鳥取県の人口は、約56万人です。後2~3年したら私はメルマガで、「日本の人口は、毎年一つの県が消滅するほど減っている」と書かざるを得なくなるでしょう。

少子化問題に解決策はあるのか

皆さん、日本の少子化問題、人口減少問題は、本当に切実です。少子化問題は、「真の国難」。安倍総理は、是非真剣にこの問題に取り組んでほしいと思います。

最後に世界最高の戦略家ルトワックさんが、少子化問題について何を語っているか、『日本4.0』から引用しておきます。

日本は長年、少子化問題を議論しながら、人口減少という国家にとって真の危機を間近にしても、思い切った施策を打ち出そうとしていない。そもそも将来の納税者が減少すれば、近代国家は衰退するしかないのだ。

もうひとつ、子どもがいなければ、安全保障の議論など何の意味もないということだ。人間の人生には限りがあり、未来は子どもの中にしかない。当然、国家の未来も子どもの中にしかなく、それを守るために安全保障が必要なのである。どんなに高度な防衛システムを完成させても、国内の子供が減り続けている国が戦争に勝てるだろうか?未来の繁栄が約束されるだろうか?



私たちの主の敵たち 【公教要理】第三十一講

2019年03月10日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第三十一講  私たちの主の敵たち


私たちの主イエズス・キリストの私・公生活についての短いご紹介を、今回をもって終了します。厳密に言うと信経には記されていません。
第三条は、ご降誕についてです。「すなわち聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ、」
それから、第四条はすぐ御受難へ移ります。「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬られ、」
そこで、今回をもって、私たちの主、イエズス・キリストの私・公生活についての余談を終了します。

私たちの主、イエズス・キリストについて、説明することは無数にあります。いや、一生をかけても足りないばかりか、永遠の命を得て、永遠をかけて天主と私たちの主イエズス・キリストを直観し、永遠に幸福を享受しつつイエズス・キリストについて知らなければならないぐらいに無限ですから。

【私たちの主は常に敵に囲まれていた】
割愛するところが多いのですけれども、今回は、福音書に出てくる幾つかの言葉を定義するためにも、私たちの主、イエズス・キリストが苦しまれた敵たちについて、簡潔にご紹介したいと思います。
確かに、福音書を精読したら、私たちの主は常に敵に囲まれていることを確認することができます。
聖ヨハネの福音書を見ただけでも、最初から、光と闇の戦いは描かれています。聖ヨハネは丁度にこの戦いで始まります。「光は闇に輝いたが闇はそれを悟らなかった」 とあります。要するに、聖ヨハネの福音では、光と闇があります。即ち私たちの主イエズス・キリストと主の敵たちとは戦い続け、次回からご紹介するご受難はその戦いの絶頂となります。

【私たちの主の一番の敵は悪魔】
当然ながらも、悪魔こそが私たちの主の一番の敵だとは言えます。悪魔自身が、砂漠にいる私たちの主を攻撃します。主を誘ってみます。

【サドカイ派とファリサイ派】
しかしながら、悪魔以外にも、私たちの主の周りにいた人々の間の敵として、大雑把にいうと、二つのグループがあります。つまり、サドカイ派ファリサイ派です。ちなみに、他にもこういった宗派、或いは私たちの主の敵などもありました。例えば、エッセネ派もありました。これは、より禁欲でありながら、儀礼行事などはより少なかった宗派でした。また、ヘロデ党もいました。ヘロデ党は、ローマ異教の偶像崇拝にはまってしまった宗派でした。
しかしながら、福音では頻繁に登場してくる敵とは、サドカイ派とファリサイ派です。

【サドカイ派】
第一に、サドカイ派についてご紹介します。唯物主義的なユダヤ教の宗派です。というのも、霊的存在なる天使を信じませんでした。従って、一種の天使である悪魔をも信じませんでした。また、霊魂の不滅をも信じませんでした。唯物主義者ですから。
従って、体の復活をも信じませんでした。ちなみに、福音に登場してくるサドカイ派の人々が、私たちの主イエズス・キリストに永遠の命についての異議を唱えて訴える場面があります。体の復活を信じませんから、こういった異議を唱えます。要するに、サドカイ派のユダヤ人は、天主に求める時に、物質的な利益(りえき)を、現世的な利益(りえき)を、肉感的な享楽を得るためだけでした。サドカイ派は、当然ながら、富裕層に多くいました。役人の間に非常に多く、衆議所(サネドリン)の議員にも結構いました。



【ファリサイ派】
第二、福音により多くに登場してくるのはファリサイ派です。サドカイ派と違って、精神主義者のユダヤ人たちです。建前として、厳格主義者に見えました。律法の細かい掟まですべてにしっかりと従順するといううわべを装ったからです。ファリサイ派では、律法に、多くの虚しい自称伝統を加えすぎていたせいで、律法の精神を歪めました。要するに、律法への遵守は、形において厳格だったものの、律法の精神はなかったわけです。
私たちの主曰く、「文字は殺し、霊は活かすものであるからである」と 。まさに、ファリサイ派向けの言葉です。言い換えると、ファリサイ派は形では律法を厳密に厳格に遵守していました。それで、熱心な信徒の外面を装っていたので、国民はファリサイ派を尊敬していたのです。しかしながら、その律法の精神は堕落していました。というのも、愛徳についてなどは気にしなかったからです。
ファリサイ派は、他人に対して、ある種の軽蔑を常に抱いていました。特に、庶民を軽蔑していました。それによる結果に過ぎないのですけれども、ファリサイ派の人の性格は、かなり傲慢で、うぬぼれめいたところが多かったのです。彼らによる他人扱いは、自慢ばかりで、もったいぶった人物になってしまうことが殆どでした。まさに、軽蔑の思いで動いていました。これは、ファリサイ派の特徴でした。
また言い換えると、結局、隣人の弱さと困難に関して、全く無関心でした。とはいえ、一方、律法を厳格に遵守する外面のお陰で、国民の間には、ある種の権威を得ていたのも確かです。庶民に対する権威・優越のような感じを得ていました。

【ファリサイ派が敵に回った理由】

私たちの主イエズス・キリストの敵に回った理由は、単純です。私たちの主、イエズス・キリストは、ファリサイ派にとって、ある種の競争相手となってきたからです。
ご自分の素直さのお陰で、また御教えの聖なる性格のお陰で、またその立派で聖なる実践の一生のおかげで、私たちの主イエズス・キリストはファリサイ派の傲慢との対照をなしていたからです。その上、多くの大衆を彼のもとに引き寄せていました。私たちの主は、自然に人々を引き寄せます。
先ずあるものとして、私たちの主の立派な人生の実践は、そのままで常にファリサイ派の行動への批判でありますが、しかもその上に、私たちの主イエズス・キリストの後についていく弟子たちの数が増えていくばかりですから、ファリサイ派の権威に対して邪魔となります。かれらは嫉妬心を起こします。従って、ファリサイ派は、私たちの主、イエズス・キリストを絶えず攻撃してきます。いつも、イエズス・キリストと対立してきます。私たちの主は、一度もファリサイ派の攻撃に動揺されたことすらありませんでした。ファリサイ人は、イエズス・キリストに対して、激しい憎しみを覚えていたわけです。
彼を単なる悪者として扱い、エルサレム壁外で犯罪者に囲まれて十字架刑にさせたほどの憎しみを抱いていました。どれほどファリサイ人にキリストに対する憎しみがあったか、目に余ります。

【ファリサイ派たちに対する私たちの主の厳しいお言葉】
私たちの主イエズス・キリストは、常に霊魂の回心を求めています。が、ファリサイ人のように頑固な霊魂に遭う時、ご自分の御教えと聖寵とを頑固に拒む傲慢の前に、私たちの主イエズス・キリストの言葉は厳しくなります。なぜかというと、民衆に対して、警戒させるためです。それに関して聖マテオの第23章を全部読むとよいと思います。というのも、私たちの主イエズス・キリストの表現が非常に激しいからです。彼らを「まむし族よ」 と呼ぶほどです。また、聖マテオの第12章にも同じ言葉があります。
また、「偽善者」とか「白く塗った墓のようだ」 ともあります。「あなたたちは悪魔を父に持ち」 とまで言われます。聖ヨハネの第8章に記されています。「彼はうそつきで、嘘の父だからである。」
以上、私たちの主イエズス・キリストの敵たちをご紹介しました。

【私たちの主は救いの福音に反対するものをはっきりと示す】
特に注目していただきたいところですけれども、この上なく柔和で、この上なく謙虚である私たちの主イエズス・キリストが、ファリサイ派について、問題なく「まむし族よ」「偽善者」「白く塗ったお墓のようだ」等で呼んでおられることです。
その理由は、ファリサイ派が福音に反対していたからです。従って、私たちの主が垂れるために来給うた聖寵に反対していたからです。即ち、キリストの憐れみに反対していたのです。つまり、彼らは救いに反対していたのです。
すべての人間は、一人一人が、救済のために召されているのです。ですから、救いへの障害が出るたびに、私たちの主はそれをハッキリと明らかにして、指でしっかりと指し示します。これらの障害が乗り越えられなくなることを避けるため、いやむしろ、良心的な霊魂の人なら、この障害を回避できるように、ハッキリと指し示し給うのです。
逆に言うと、ファリサイ派が私たちの主イエズス・キリストに反対して、どれほど罵倒・憎しみ・熱狂を浴びせるかは周知の通りです。

簡潔ながらも、以上、福音に登場してくる私たちの主、イエズス・キリストと対立してきた敵たちをご紹介しました。
言ってみれば、この対立こそが、私たちの主イエズス・キリストのご受難と死を起こします。また、それよりも、全く摂理的な方法で、贖罪の業をも起こします。まさに、これこそは天主の奥深い智慧で、全能さです。
つまり、天主は、悪があっても、より大きな善のために、悪を利用されます。要するに、天主は、ファリサイ派による私たちの主イエズス・キリストに対する憎しみでさえ、贖罪の玄義のために働かせ給うのです。



主の預言 【公教要理】第三十講

2019年03月08日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第三十講  主の預言


私たちの主、イエズス・キリストは、御教えと聖なる一生の実践をより確立するために、奇跡を行いました。前回は、イエズス・キリストによる主な奇跡をご紹介しました。

【預言とは】
諸奇跡の他にも、預言があります。「預言・プロフェシア prophetia」の語源の意味は「遠く見る」です。まさに「預(あらかじ)め見て言う」ということです。その後に起きることを、前もって、あらかじめに、言うということです。

【預言の二つの次元】
私たちの主イエズス・キリストに関して、預言には二つの次元があります。
第一の次元は、イエズスは旧約聖書の諸預言を実現した御方であるということです。
これはとても重要です。なぜかというと、旧約聖書においては、救い主についての預言が多いからです。つまり、これらの預言はユダヤ人のためにあった、「枠」というか、「標示」というか、「この方が救い主だ」と分からせるためにありました。それで、まず、私たちの主は、これらの預言を実現して見せました。この特別な実現を通じて、ご自分が太古から待ち望まれた救い主であることを私たちの主が示し給うのです。
第二に、主はご自分でも預言を宣べました。この上もなく預言者たる預言者なのです。つまり、ご自分も未来を預言しました。その後に、仰せになった諸預言は実現しました。その中で今でも預言が実現しつづいているものもあります

第一:旧約聖書の諸預言を実現して自分こそが待望の救い主であることを証明する】
さて、第一は、私たちの主は、預言を実現しました。旧約聖書における預言者は多くいます。特に、イザヤによる諸預言、エレミアによる諸預言、ダニエルによる諸預言、エゼキエルによる諸預言などです。他に、預言の書以外にも、預言は散在しています。例えば、詩編においてとかです。私たちの主はこれらすべての預言を実現しました。たとえば、主の十字架上での死を語る詩編の第21番は典型的です。これを見ると、詩編に記されている一つ一つの預言をどれほど徹底的に私たちの主が実現したか明白になります。この実現を通じて、ご自分の天主性を示すのです。
前にも見ましたが、イザヤの書も同じです。イザヤは救い主が童貞より生まれることを預言します。預言者ダニエルは、救い主のご降誕の日付を預言します。また、別のところでは、私たちの主のご降誕の場所が預言されています。イザヤ書では、驢馬(ろば)と牛についても記されています。要するに、私たちの主は、これらの旧約聖書のすべての預言を実現したのです。また、典型的なのは、ご参考までに言いますが、東方の三人の博士たちが、ヘロデのところに、ユダヤの王の生まれる場所を聞きに来たときです。ユダヤ人たちは、まったく問題なく、簡単にベトレヘムにご降誕すると応じました。そう記されているので簡単です。つまり、ユダヤ人は聖書を良く知っていて、聖書の中にある諸預言も知っているのです。そこで、私たちの主が、これらの諸預言を実現になったという事実もよくわかっています。
つまり、私たちの主は、第一に旧約聖書に記された諸預言を実現しました。

【第二:主は未来を預言して、仰せになった諸預言が実現した】
しかしながら、その上に、私たちの主も、諸預言を宣べました。御自分の受難を特に預言しました。ちなみに、使徒たちにとっては、預言が言われたその時は全くの謎でその意味は不明のままでした。当然ながら、ご自分の十字架上の死と復活をも預言なさいました。しかし、それ以外にも、諸々の預言をしました。弟子たちについての預言もあります。また、ユダヤ民についての預言もあります。また公教会についての預言もあります。

【ご自分に関する預言】
ご自分に関する預言には、例えばこれがあります。
「われわれはエルサレムに上る。人の子は司祭長と律法学士たちにわたされる」 と仰せになりました。傍にいた使徒たちは、この預言を聞いても分かりませんでした。彼らにとって、十字架上の死なんて、鞭打ちなんて、意味不明だったわけです。彼らにとって、理解不能だっただけではなく、考えることすらできなかったわけです。私たちの主、イエズス・キリストの全能さの前に、偉大さの前において、考えられないことでした。だからこそ、この預言の実現は明白です。
これほどの奇跡を行うこの方、死者まで蘇らせる方が、無抵抗に十字架の上で死ぬなんて一体何だろう、と。いや、全く無理だ、という彼らの思い。ですが、主が御自分の死を預言して、それが実現しました。

【使徒たちについての預言】
使徒たちについても主は預言を宣べました。例えば、シモン・ペトロたちにこう仰せになります。「私に従え、私はあなたたちを人をすなどる者にしよう」 と。で、その通りになりました。聖霊降臨後の聖ペトロによる説教の最初から、数千人のユダヤ人がすぐ回心しました。また、聖ペトロに対して、主は、聖ペトロの否認を預言します。聖ペトロは、異議を唱えて、「最後まで何があっても、主のそばにいるから、主を放棄するようなまねは絶対にしない」という異議ですね。イエズスは「今夜雄鶏が鳴く前に、あなたは三度私を否む」 と預言します。で、実際に聖ペトロは否認し、彼は預言を思い出します。
また、主は、ユダの裏切りをも預言します。要注意ですが、主がユダを裏切りさせようとすることではありません。全く違います。私たちの主は、即ち天主は、だれかを悪へと導くことなど一切ありません。あり得ないことです。
主は「あなたたちの内の一人が私をわたすだろう」 と預言します。結局、使徒のユダが裏切ります。主の預言した通りです。以上は、使徒たちについての諸預言でした。

【使徒たちの試練と勝利と天主の御助けについての預言】
その上、使徒たちに対して、聖霊の降臨をも預言します。また、彼らの諸国への宣教の使命をも預言します。試練も勝利も天主の御助けも、それから起きるすべてのことを私たちの主が預言します。「あなたたちはこの世で苦しむだろう。だが勇気を出せ、私はこの世に勝ったのだ」 と仰せになります。また、別の文書では、「あなたたちは人々に捕らえられ、迫害される」 と預言されます。つまり、使徒たちは、自分の最期はどうなるか知っていたのです。また、シモン・ペトロに向けて、主がこう預言します。「あなたは若いとき自ら帯をしめ望むところにいったが、しかし年を取れば手を伸ばして他の人の人から帯をしめてもらい、自分の望まぬところに連れていかれるだろう」 と。これは、聖ペトロの死を預言したものです。

【ユダヤの民についての預言】
ユダヤの民についても、私たちの主がいくつかの預言を宣べました。例えば、エルサレムの奪取と神殿の破壊を預言しました。聖ルカの福音には明白に記されています。「敵がまわりに塁を築き、取り囲み、四方からせまり、おまえとその内に住む人々を地に倒し」 と預言します。主はこの預言を宣べた時に、泣いていました。「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺す」 と。続いて「私は幾度お前の子らを集めようとしたことか!」 と。私たちの主が神殿の取り返せない最終的の破壊をも預言しました。「まことに私は言う。ここには石の上に一つの石さえ残さず崩れ去る日が来る」 。そこで、歴史上、周知されているように、紀元後70年をもって、エルサレムは完全に破壊されてしまいました。預言は実現しました。また、私たちの主は、ユダヤ民の虐殺と世界中の分散をも預言しました。聖ルカの21章に記されています。「彼らは剣の刃のもとに倒れ、あるいは捕虜として諸国に引かれ、エルサレムは、異邦人に踏みにじられる」 と。また加えて、「私は言う。多くの人は東西から来て、アブラハム、イサク、ヤコブとともに天の国の宴席に入るが、国の子らは外の闇に投げ出され、そこで泣いて歯ぎしりするだろう」 とも預言しました。ここは、異教徒の召命を預言する内容です。聖人となるように異教徒への呼びかけ、つまり召命なのです。

【カトリック教会についての預言】
それから、また、私たちの主は、ご自分の公教会についても確かに預言を宣べました。この世と公教会へのイエズスの君臨は、十字架を通じてこそ実現する、と預言をしました。「私は地上から上げられて、すべての人を私のもとに引き寄せる」 と。まさに預言であって、十字架はどれほど救いの道具になるかを示す預言です。
例えば、コンスタンティヌス皇帝の登場するミルウィウス橋の戦いの時がそうです。「In hoc signo vincesこの印を以ておまえは勝利するだろう」。十字架こそは、本当に救いの道具となります。私たちの主がそれを預言しました。
また、私たちの主は、世界中での福音の宣教をも預言しました。「天の国のこの福音が、全世界に宣べ伝えられ」 と仰せになりました。聖マテオが記しています。他にも、私たちの主は、ご自分の使徒たちや弟子たちさえもがご自分のように奇跡を行うだろうと預言しました。歴史を見ると、こういった奇跡はいくつ出てきます。その上、より偉大な奇跡もできることを預言されました。「私を信じる者は、私のするようなことを行うであろう。そればかり、もっと偉大なことを行うだろう」 と。
というのも、例を挙げると、聖ペトロの影に触れるだけで、病気が治ると人々が言いあうほどです。福音では、私たちの主によるこういった奇跡は記されていません。
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【キリストの弟子達に対する憎しみの預言】
また、私たちの主は、ご自分の弟子たちに対する人々の憎しみが絶えずに続くことをも預言しました。現代でも、私たちの主イエズス・キリストの本当の弟子たちは憎しみを受け続けています。「あなたたちは私の名のためにすべての人から憎まれる」 。これはキリスト教徒の運命なのです。この世に愛される人は、本当のキリスト教徒になりえないのです。「この世があなたたちを憎むとしても、あなたたちより先にわたしを憎んだことを忘れてはならぬ」 と主が仰せになりました。「この祈りはこの世のためのではなく」 と。つまり、「あなたたちは私の名のためにすべての人から憎まれる」 と仰せになりました。まさに預言ですね。

【キリストの弟子達に対する聖霊の助けの預言】
しかしながら、憎まれるとの預言と同時に、聖霊の御助けも預言されます。使徒たちに向けて、聖霊の降臨はすでに預言されていましたが、この上に、世々に至るまでの聖霊の御助けも預言されました。公教会のためにも。「私は世の終わりまで常におまえたちとともにいる」 と。つまり、最後までともにいて、私の全能と聖霊で助けを垂れるよ、という預言です。また、公教会についての預言として、「あなたはペトロ(石)である。私はこの岩の上に私の教会を立てよう。地獄の門もこれに勝てぬ。」 と仰せになりました。

以上は、私たちの主が、御教えと聖なる一生の実践と諸奇跡の上に加えた諸預言のご紹介でした。
未来についての預言も多く、今まで実現されたおかげで、私たちの主が天主であることをさらに示しています。
当時は、ご自分が旧約聖書の諸預言を実現したことによって、既にこれを示しました。



私たちの主の奇跡 【公教要理】第二十九講

2019年03月06日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第二十九講  私たちの主の奇跡


【私たちの主は奇跡を行った】
聖なる御教えとその完全な実践の模範の上に、私たちの主は、さらに奇跡をも行いました。主の一生と御教えの完璧さを確認し、主が、確かに救い主であり天主から送られた者であることを確認するために、奇跡を行いました。

【奇跡とは何か】
さて、奇跡とはなんでしょうか。奇跡とは、観察できる事実です。奇跡とは、感知できる事実です。天主によって行われる事実であり、自然秩序外の事実であることを、奇跡といいます。奇跡だと判定するためには、観察でき、自然秩序を越えた事実である必要があります。つまり、この非通常性と感知性の両様相こそが、奇跡の特徴になります。

【主が奇跡をおこなった理由:私たちの主の神性を証明する】
私たちの主が奇跡を行ったのは、御教えと一生の聖なる性格を証明するためです。単純にいうと、霊魂たちを、天主のもとまで登り帰らせるためです。
ファリサイ人に向けて、ハッキリと仰せになります。「私が父の業をしないなら、私を信じないでもよい」 と。続いて、しかし「もしそうしているのなら、たとい私を信じないでも、私のすることを信じよ」 とさえおっしゃいました。
つまり、「奇跡をみろ」ということです。「私のことについてなにか、異議があるなら、また、教えが好きではないのなら、奇跡を見たら良い」といわんばかりです。「奇跡の前に、なんと言うこともなかろう。奇跡こそ、私が自然を超える存在であることを証明するからだ」といわんばかりです。
最後に、「そうすれば、父が私にあり私が父にいることが分かる」 と仰せになります。
要するに、奇跡は、私たちの主、イエズス・キリストの神性を証明する事実です。

【奇跡の種類】
さて、福音には、奇跡の種類が幾つかあります。
例えば、主は、悪魔につかれた者ら7人を解放させます。
また、主は、自然に対して、10の奇跡を行います。
また、15の奇跡は、病に対して行います。
そして一番重要な奇跡ですが、3つは死に対しての奇跡です。一番明白な奇跡です。

要するに、主は奇跡として、自然に対して10回行います。病に対して15回で、死に対して3回行います。


例えば、公生活の際に、初めて福音に記される奇跡が、水をワインに変える奇跡です。まさに奇跡で、人間の力では行えないことです。なぜかというと、その本性が変わったからです。水の本性から、ワインの本性に変えました。
有名な奇跡というと、二つの奇跡の漁があります。
通常を超える奇跡といったら、嵐を鎮める奇跡です。明白でしょう。私たちの主は、風と海に命じるのです。嵐が止むというのは、必ずある現象ですが、暴れる最中で、単なる一言で嵐が止むなんて普通には全くないことですね。奇跡です。
また、私たちの主の許し給う一つの奇跡といったら、聖ペトロに対してです。聖ペトロが、水面の上に歩いた事実です。これも奇跡です。
また、パンの増加の奇跡もあります。主は、腹が空いた数多い人々をみて、憐んで、手ぶらで何も与えないで腹が空いているまま帰らせることができなかったのです。「空腹のままに変えらせるに忍びぬ。途中で倒れてしまうかもしれぬ」 と主が仰せになります。この場面で見とれるのは、霊魂に対する主の考慮です。主はどうするかというと、使徒たちに向けて幾つのパンを持っているか聞いてみます。使徒たちは、呆れて主を見て「普段の12人ならいいのだけど、今、数千人の人がいるじゃないですか」とでも言うかのようです。それでもイエズスが「これをやれ」と言われ、それで主がパンを増やすのです。魚をも増やしました。
以上は、幾つかの私たちの主の行った奇跡です。御自分の神性を証明しながら、霊魂たちを救うためにも奇跡を行いました。


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また、枯れたイチジクの木の奇跡もあります。私たちの主は、実っていないこのイチジクの木に対して、奇跡を行います。なにが起こったかというと使徒たちと供にその木の前を通りすぎます。勿論、並んでではなく、列をつくって歩いていたようです。少なくとも、後を続けて、道を歩いていました。そこでこのイチジクの木の前を通るとき、主がその木に実がないのに気付きます。それでイチジクの木を呪います。最後に通りかかる使徒たちは、このイチジクの木が枯れてしまったことに気付きます。これも、自然に対しての私たちの主の奇跡です。
これらの奇跡を通じて、私たちの主は、自然の主であることを確認させるわけです。御自分の神性も証明されます。

【私たちの主の行う多くの治癒の奇跡】
それから、私たちの主の行う多くの治癒の奇跡があります。遠距離からでも近距離からでも、どちらでも行います。天主ですからできます。天主から見て距離はどうでもよいわけです。天にまします天主ですから。

カファルナウムにいた王官の息子を治し、シモン・ペトロの義母をも治します。 また、ハンセン病者と中風の人をも治します。
中風の人は、人々が多くいたせいで、主のもとに連れて来られなくて、人々が屋根を壊して穴をあけ、中風の人の寝ている床を吊り下ろしました。そこで、「子よ、あなたの罪は赦された」 と仰せになります。それで、ファリサイ人は唖然として、お互いに目をやりながら、イエズスに対してこう考えています。「この人はなぜあんなこと言うのだろうか。あれは天主を冒涜する言葉だ。天主以外に罪を許せるものはいない」 と。イエズスには心を読み取る力があるので、これに対して、こう仰せになります。「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることをあなたたちに知らせよう」 と。つまり、「私が天主だから、奇跡を行えるぞ」ということです。それで、内面的の罪の赦しを証明するために、体の治癒を行って、中風の人に向けて、「私が命じる。起きよ、床をとって家に帰れ」 と仰せになります。言われた通り、病人が起きて、床を取り、人々の前を出ていって帰ります 。これをもってご自分の神性を証明します。

他にも、百人隊長のしもべの治癒も、やつれた手の治癒も、二人の盲目者の治癒もあります。出血症の女も、ろうあ者も、エリコの盲目者なども治癒を受けました。
それから、最後のとでもいえる治癒の奇跡として、マルクスの耳の治癒があります。聖ペトロは、剣をもって、そのしもべを打ちます。下手でそうしたのか、狙ったのか不明のままですが、それは兎も角、その耳を切り落とします。そこで、私たちの主イエズス・キリストが、耳を拾い、ふれて治します。
以上は、多くの私たちの主の行う治癒のご紹介でした。
これらの奇跡は全部、主の一生の聖なる完璧な実践と聖なる御教えの神性を証明します。

【死に対する三つの大奇跡】
最後に、死に対する三つの大奇跡もあります。御自分の復活を除外して三つです。福音には三人の復活が記されています。これらこそ、私たちの主イエズス・キリストの神性の一番明白な証拠に他なりません。

先ず、ヤイロの娘の復活を行います。三人の使徒を証人として、一緒に残して、もう既に泣き始めたり葬式の音楽をしていたりしていた人々を皆、部屋から出させます。聖ペトロ、聖ヤコボと聖ヨハネを部屋に入らせて、主が娘の手を取り、起きよと命じます 。苦労もせずに、簡単に私たちの主がこの娘を復活させます。

また、前回に見たナインのやもめの息子もあります。この可哀そうなやもめは、一人っ子の葬式をやらざるを得ないのです。私たちの主が、墓へ進むこの葬式の行列が通るのを見ます。同情して憐れんで、主が行列を止めます。棺に触れて、「若者よ、私が言う。起きよ」 と仰せになります。その瞬間に、死人が起き直ります。復活しました。「イエズスは、息子を母に渡された」 。これで、私たちの主は、ご自分の神性を証明するばかりではなくて、さらに、霊魂を慰めます。この可哀そうなやもめの霊魂を慰めます。

それから、最後の行った甦りの奇跡には、主の友達のラザロの復活があります。この場面では、特にイエズス・キリストの人間性と天主性の両方が示されています。ラザロは主の親しい大切な友人です。大変に大切な友人です。主がラザロの墓に行くと、涙します。それから、ラザロを復活する奇跡を行います。ラザロは洞窟の墓の中に既に置かれ、岩の門で閉じられていた状態でした。ラザロが確かに死んでいたという証拠は、イエズス・キリストが岩の門を取りなさいと頼むときに見出すことができます。「主よ、4日も経っていますから、臭くなっています」 とその時マルタに言われたからです。すでに死んだ時間がたっているということです。それで、石が取られて、主が墓に入ろうともせずに、「ラザロ、外に出なさい」 と仰せになります。するとラザロが出てきます。
以上、私たちの主イエズス・キリストの公生活における主な諸奇跡をご紹介しました。

それから、世々に聖人たちが多くの奇跡を行い続けますが、それができるのは、いつもイエズス・キリストの後に続く形だからです。奇跡は、御教えの神性とその聖人の一生の聖なる実践を証明するためにあるべきことで、必ずそうであります。イエズス・キリストのやった通りです。自分の神性を証明するために行いました。御教えの神性とその実践の神性を証明するために行いました。


私たちの主の聖なる道(御教えの完全な実践・聖徳の修行) 【公教要理】第二十八講

2019年03月04日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第二十八講  私たちの主の聖なる道(御教えの完全な実践・聖徳の修行)


【模範となる聖徳の実践による御教えの確認と確立】
私たちの主は、ユダヤとガリラヤ両地方で、福音を宣教なさいました。ご自分で御教えを実践し、模範を示すことによって、聖徳の実践によって、御教えを確認し、確立させました。主はファリサイ派の人々に関して、「彼らに言う通りにせよ、しかし彼らの行為に習ってはならぬ」と言われました。
私たちの主はその逆です。イエズスなら「私の言っていることを行え」したがって「私の行う通りにせよ」ということになります。要するに、私たちの主は、私たちへの模範になるために、聖なる道を実際に実践されたのです。
主の御教えは天主的であるばかりか、つまり完璧であるばかりか、この御教えを固く支える主の模範的で素晴らしい人生がそれを完成するものでした。その聖なる人生を見るなら、だれも魅了されずにいられません。主の聖なる生き方を見るために、どれほど多くの人々が集まってきたかは周知のことです。詩編の預言曰く「人の子らの中でも最も美しい」 。その通りです。繰り返すと、私たちの主は、聖なる人生を送ってきたお陰で、主の御教えを紹介し、さらに身をもって証明し、実践して模範を示しました。

【聖徳を実行するとは、キリストにならうこと】
言い換えると、キリストの聖なる一生こそが、彼による御教えの崇高さとその美しさを確認するかのように働いています。また、私たちの主イエズス・キリストの御言葉は、彼の送った一生と全く一致していたのです。御教えを仰せになりつつ、あえて言えば、まさにご自分の奥底(おくそこ)を語っておられたのです。
この上ない権威をもって宣教が出来たというのは、主が知識を持っている師だったからなのは勿論、その上に、御教えを実践している師だったからです。この意味で、私たちの主は、聖人中の聖人です。さらに主の御教えは普遍的ですが、主の実践も普遍的なのです。私たちの主、イエズス・キリストの聖なる道において、人間ならだれでも見習うことができます。聖なる実践と言う時のその意味は、聖徳のことです。聖徳の実践こそ、聖人たらんとするところです。諸聖徳の実践こそが、聖なる道なのです。また、聖なる道のことを指して、より単純な、素晴らしい呼び方があります。それは「キリストにならう」という言い方です。私たちの主こそは、普遍的にして、ご自分の人生をもって、諸聖徳の実践をお示しになりました。人々の誰かを問わずに、その身分を問わずに、その時代を問わずに、その住まいの場所を問わずに、すべての人間が、一人たりとも例外なく、人間のだれでも、私たちの主を彼の聖なる人生において、見習うことができます。主の諸聖徳の実践において見習えます。

【イエズス・キリストの示した模範】
さて、私たちの主が示してくださった聖徳といったら、一体どの聖徳でしょうか。
幾つかありますが、先ず、天主に対する諸聖徳があり、それから、隣人に対する諸聖徳があり、また言ってみればご自分に対する諸聖徳もあります。
私たちの主は、道を実践したと同時に御教えを説き、こう言います。「私のしたとおりにするようにと私は模範を示した。」 と。つまり主の御跡に従っていくようにという招きに他なりません。

【天主に対する諸聖徳の模範を示す】
【宗教徳(敬神徳)】
さて、天主に対する諸聖徳の模範は何でしょうか。一番肝心の聖徳は、宗教徳・敬神徳という聖徳です。つまり、天主に結びつける聖徳なのです。私たちの主が仰せになった通りです。「私は私の父のことに従事すべきだ」 と。聖マリアと聖ヨゼフに対してこうおっしゃいましたね。「私が私の父のことに従事すべきだと知らなかったのですか」と。
お祈りするために家族を離れます。神殿に入って、祈るためにおられるのです。また、私たちの主が、親しみの心を込めて、ご自分の聖父(ちち)について語られます。これらこそ主の示した宗教徳です。勿論、前述したように、主には(天主聖父を至福直観で常に見ていたので)信徳もなく(至福直観を既に所有していたので)望徳もなかったのですが、この宗教徳がありました。
【従順の徳】
この宗教徳、また祈りの徳孝愛の徳をもって、父たる天主に対する聖徳と供に、従順の徳を備えていました。天主に対する従順です。御摂理に対する従順です。この聖徳も、私たちにしてみれば、実践しづらいかもしれません。オリーブ山上で、ことにこの聖徳の模範は示されました。「父よ、私の意のままのではなく、あなたのみ旨のままに」と。
こうしてご自分の人間としての意志を、天主の意志に従わせるのです。「あなたのみ旨のままに」。こうして聖パウロ曰く「十字架上に死ぬまで、自分を卑しくして、従われた」のです。 これは、従順の徳の一番完璧の模範で、これほど完璧の模範は他にあり得ません。「死ぬまで」従ったからです。所謂、時間においての「死」というのではなくて、与えられた死に方を承知するまで、従ったという意味です。これが従順の徳です。
【意向の純粋さ】
続いて、意向の純粋さという聖徳もあります。つまり、主が、ご自分の栄光を求めないで、聖父の御栄光ばかりを求めたからです。主は、ご自分のために行動することは一度もなく、必ず聖父のために行動されます。主は「父のことに従事」するのです。総てのことにおいて、いつも、天主の栄光を讃えるためです。宗教徳を実践する別の要素に他なりません。もちろん私たちの主、イエズス・キリストの人生において、傲慢心などは、微塵もありませんでした。常に純粋な意向をもって、単純にすべてを天主に捧げていました。
以上、私たちの主がその模範を示し給うた 主(おも)な天主に対する諸聖徳をご紹介しました。私たちはこれらを見習うべきです。

【私たちの主の隣人に対する諸聖徳の模範】
続いて、私たちの主は、隣人に対しても、諸聖徳を実践されました。当然、その模範は御教えにおいて多く示されています。例えば、良きサマリア人の喩え話とかがありますように、サマリア人が、道沿いに倒れすべて奪われた状態で見捨てられ痛みと過労で死にかけていたこの人のために立ち止まって世話をするという喩え話です。御教えで、隣人に対する聖徳は立派に説かれています。が、それに留まらずに、主は実践し、身をもってその模範を示してくださいました。
【優しさ(善良さ)】
主は、この上なく優しさを施しました。皆、主に近寄ることが出来ました。確かに、こう仰せになりました。「労苦する人、重荷を負う人は、すべて私のもとに来るがよい。私はあなたたちを休ませよう。」 と。仰せになっただけではなく、実践されたわけです。彼に近寄れた人々、彼に触れることのできた人々は、無数にいます。らい病(ハンセン病)の病人でさえ、彼に近寄ることができたのです。また、出血症を患っている女も、後から近づいてきて、かれの服の房を触ることが出来て治りました。私たちの主は、相手を問わずに、だれに対しても、親切で、優しさを施しました。偉い人に対しても、低い人に対しても。病人に対しても健全な人に対しても。私たちの主は、人々の皆が御自分に近寄ることを無条件に許しました
【憐れみ】
そして、この優しさの徳と共に、私たちの主は、無限の憐れみの徳(慈悲)をも施しました。例えば、エルサレムの婦人たちとイエズスとの場面は典型的です。福音を見たら、その慈悲が示されています。「私のために泣くことはない。」 と主が婦人に言います。「むしろあなたたちと、あなたたちの子らのために泣け。」と

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【共に苦しむという同情】
また、私たちの主は、ナインのやもめの息子の葬式を見かけると、感動して、その憐れみの心を動かします。ナインのやもめが、既に夫を失った上に、一人っ子の息子の葬式をせざるを得ない光景を見ます。息子は死んだのです。私たちの主は、この婦人の苦しみを見て、同情で感動します。「同情で感動した」とは、語源的な意味で捉えるべきです。つまり、「Cum・Pati」で、「一緒に苦しんだ」という意味です。御自分の霊魂において、実際にやもめの苦しみを受けて、同じように苦しんだということです。
【献身】
共同の苦しみとしての慈悲の徳(憐れみの心)と優しさの徳とに合わせて、無限な献身の聖徳をも実践しました。聖パウロの言う通り、「私を愛し、私のためにご自身をわたされた」 ということです。
また、最後の晩餐のときにも、この聖徳の模範が見られます。使徒たちの足を御自分で洗う場面です。全力で主は献身的に一身を捧げます。偉大な献身の心、偉大な犠牲の心といった隣人のための聖徳の模範を示し給いました。


【自己に対する聖徳の模範】
最後に、私たちの主は、自己に対する聖徳の模範をも残しました。もちろん、これらの聖徳も、必ず私たちの周りに、広く輝くわけですけど、他の聖徳より、自分に関係するということです。
【慎ましさ、無邪気さ】
例えば、慎ましさの聖徳、或いは、無邪気さの聖徳とかです。私たちの主に曰く「鳩のように無邪気であれ」 と。また、主が限りなく無邪気でおられることはいつも確認できます。福音では、ファリサイ派の人々が、主を誘うために、主を嵌めるために、よく主に近寄ります。「さて今回こそ、罠を仕掛けて落としてやるぞ」といわんばかりのファリサイ派の人々ですね。しかしながら、私たちの主は、驚くほどの動じない無邪気さを持っておられ、あっさりと罠から免れます。主は罪を経験したことがないので、完璧な無邪気さをもっておられます。天主たる無邪気さですね。当然でしょう。

例えば、姦通の婦人に出逢う時です。この婦人は、姦通の現行犯で捕まったのです。律法は、ハッキリ明記していて石殺しの刑の対象になります。主を嵌めようとする人々はこう思いつきます。主が慈悲の心を持ち、憐れみ深く親切だから、主のところにこの婦人を連れてやろう、と。そこで姦通の婦人が主に紹介されます。どちらかしかありません。主が、自分の御教えを否定して、この憐れみを忘れて、律法に従って石殺しをすすめるか。しかし、この選択では自分を否定することになります。それとも、憐れみを施すことによって、律法を否定するか。この選択では、主の御教えの基礎がすべて崩壊します。律法を廃止するために来たのではないという教えなのですから。ファリサイ派の人々は、「してやった、これで彼はもうそこまでだな」と喜々としています。そこで、姦通の婦人を主のもとに連れてきます。これに対して、主は呆れるほど、お手上げになるほど、無邪気な返事をします。先ず、聖書によれば、座っているままに「イエズスは身をかがめて、地面に指で何か書きはじめた」 とあります。座る姿勢は無邪気な姿勢であると同時に、師の姿勢でもあります。ファリサイ派の人々が、主の反応を待ち望みながら、「もしかしたら、はまったか!」と思います。
その時、イエズスは「身を起こして」、頭を上げます。来ていた皆を眺めながら、こう言いだします。「あなたたちの中で罪のない人がまずこの女に石を投げよ」と。これで、憐れみの心と律法への従順との中庸を守ることが出来ました。御自分の御教えを否定せずに、ご自分の法を否定せずに、済んだわけです。
続いて、聖書には、簡潔ながらも、感嘆すべくこう記されています。「これを聞いた人々は、皆、老人をはじめ一人一人去っていった。」確かに、老人はより多くの罪を負っているでしょうから。
それで、こういった無邪気な、単純な一言で、主は、これらのファリサイ派の人々の口を閉ざしたわけです。実に、こういった無邪気さ、単純さは、主の内面的な聖徳の溢れの状態を表しています。「私に罪があると確認できる人がいるか」と 。

ある種の超越した知性の持主であるみたいなことで捉えるべきではありません。当然ながら、確かに主は超越的な知性の持主ではあります。臨機応変の才が確かにあります。しかしながら、それ以前に、主の生活の聖なる実践がまずあります。私たちの主は、本当の答えを出しました。

また、税金についても、同じです。チェザルに税を納めるべきか、と。主はファリサイ派の相手たちを困らせています。「一銭(デナリオ硬貨)を見せよ」と主が答えますね。一銭が渡されて、主が「これは誰の像、だれの銘か」と。「チェザルのです」と言い返されたら、「チェザルのものはチェザルに、天主のものは天主に返せ」と仰せになります。それに対して、何と反駁できるのでしょうか。何も言い返そうもないのです。こういった場面こそ、私たちの主、イエズス・キリストの無邪気さを良く示しています。

また、主の受難の時に、この無邪気さは素晴らしく輝きます。私たちの主は、起訴される時にも黙ったままです。さすがです。なんと言いだせばよかったでしょうか。言われることは全て嘘なのです。証言者は、一人も纏まった証言がありません。何も言わなくても、なんと不正な裁判になっているか、だれの目にも余ったのです。現場で告発している人々こそ、お互いに矛盾ばかりという状態です。大司祭にイエズス・キリストが答えると、番兵の一人がイエズスを平手打ちします。それに対して、イエズスは立派な無邪気さでこう言います。
「私が悪いことを話したのなら、その悪い点を証明せよ。もし良いことを話したら、なぜ私を打つのか。」 と。間違いなく、この番兵は、頭を下げながら、恥ずかしく去ったことでしょう。私たちの主、イエズス・キリストのこの反応も、内面的で完璧な御教えの実践のお陰で、これができたわけです。聖徳を完璧に、溢れるほど実践しているから、こう出来ました。無邪気さと慎しさとの聖徳。

また、主の無邪気さは、次の場面に特に現れます。「子どものするようにさせておけ。私のところに来るのをとめるな。天の国を受けるのはこのような者たちである」 と。というのも、子どもたちに特にある徳は、やっぱり無邪気さです。このように、私の主は、聖徳に溢れています。



【忍耐の徳】
後は、勿論、主の忍耐さの聖徳もあって、良く知られています。「忍耐」という言葉は、ラテン語の「Pati」から来て、「苦しむ」という意味です。まさに、主は、当時の人々を耐え忍んだわけです。また、今でも、私たちを耐え忍んでいると言っても良いです。でも、死にいたるまでの忍耐さなのです。すごいでしょう。十字架上の死にいたるほどまでに、主がすべてを苦しんだのです。
【現世的な利益からの離脱、清貧】
続いて、現世的な利益からの離脱という徳の模範をも示し給いました。清貧の心も教えられていますね。ご降誕を通じての教えであることはもちろんですけど、主の御人生を通じても清貧の徳の模範が示されています。「人の子には枕するところもない」 と仰せになった通りです。また、こういった単純の心、清貧、無邪気な心を御教えにも説きます。「空の鳥を見よ。撒きも、刈りも、倉に納めもせぬに、天の父はそれを養われる」 と仰せになった通りです。「あなたたちは鳥よりも遥かに優れたものではないか。明日のことを心配するな。」また、私たちの主は、それらの聖徳を実践しました。金も持ち物も何も持たなかったわけです。御教えとその聖なる実践こそ、彼の宝なのです。
【苦行の模範】
それから、苦行の模範をも示し給います。前に見た場面ですが、荒野での断食をもって、偉大な苦行の模範を残しました。主は、苦行を完全に実践しました。峻厳な苦行を実践しました。
以上、どうやって、私たちの主が、ご自分の教えに加えて、ご自分の人生において、素晴らしい完全で聖なる実践を踏まえたかをご紹介しました。
つまり聖なる実践こそが、言ってみれば、御教えを確認し確立するのです。


私たちの主の御教え 【公教要理】 第二十七講

2019年03月02日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第二十七講  私たちの主の御教え


【教師として教える私たちの主イエズス・キリスト】

では、私たちの主、イエズス・キリストの公生活の続きを見ていきましょう。
私たちの主は、世において御自分の神性・天主性(天主であること)を示します。ここで「世」とは、聖地を指しますが、それ以降は、ご自分の天主性を世界の隅まで布教するために、使徒たちを送ります。そうするために、私たちの主は、福音、即ち良き言葉、即ち良き知らせを宣教します。主の使命の中心は、御教えを説くということです。
なぜ私たちの主は教えるのかというと、教師であるから、また、主であるからです。主、かつ教師の役割は教えることにこそあります。真理を教えるのです。というのも、啓示された諸真理を説きながら、その上、天主が御自分の至福へ、またご自分の内奥の命へと人間の参加を計り給うことを教えられます。主は、かかる天主との親しい関係を教え、また永遠の幸福を得るための諸手段を私たちに教えにいらっしゃいました


【私たちの主の教え方は、単純で素直】

私たちの主の教え方は、単純で素直です。素晴らしい真理であるとともにいとも理解しにくいものでもある真理を、これほど単純に、素直に、簡単に、分かりやすく教えられるということこそ、天主の偉大さであり、また天主の全能さに他なりません。
本物の主、即ち本物の師匠は、こういうところにこそ、その資格が示めされるものなのです。奥深い真理を、難しく理解しづらい真理を、無碍に分かりやすく単純な言葉で説ける人こそ、本物の師匠に他なりません。私たちの主は、僅かの真理も一切変化させず、曲げずに、すべての人々のために、簡単に真理を理解させるのです。この上もない至上の師匠です。


【二つの教え方:垂訓(説教)と喩え話(比喩)】

さて、私たちの主の教え方では おもに二つの手段を採用します。垂訓を通じるか、喩え話を通じるかどちらかです。主な垂訓は残されています。説教とも呼ばれています。
一番有名なのは、山上の垂訓です。聖マテオ福音書の5章から7章まで記されてあります。また、聖なる御聖体の秘跡を予言するカファルナウムでの訓話もあります。また、オリベト山(ゲッセマネの園)での説教もあります。その際に、エルサレムの破壊を予言します。最後の晩餐の後の垂訓もあります。聖ヨハネの福音書には、特に13章から18章まで細かく記されています。以上は、私たちの主による、一番大事なおもな諸垂訓でした。



しかしながら、それらの垂訓やお説教と同時に、幾つの大真理をより分かりやすくするための補足手段として、私たちの主は、喩え話という説き方をも通じて、御教えを宣べます。喩え話というと、多少架空の比喩です。というのも、例えば、私たちの主は、大自然の諸要素、また日常生活の習慣を取り上げたりして、それらを基に、物語を通じて、ある宗教上の真理を表現するからです。これこそが喩え話なのです。


【喩え話の区別:天の国に関するもの、天主の憐れみに関するもの、道徳的生活に関するもの】
総ての喩え話を見て、一応三つの大枠で区別することができます。
天主の国に関する諸喩え話があります。
つまり、地上の公教会という天主の国についての喩え話。
続いて、天主の憐れみに関する諸喩え話もあります。つまり、私たち人間のために、天主が垂れたすべての恩恵についての喩え話。
そして、道徳的生活に関する喩え話もあります。つまり、何を実践すべきか、何を行うべきかについての喩え話。


【天主の国に関する喩え話】
天主の国に関する喩え話といえば、いろいろ有名ですが、特記すると種をまく人の喩え話があります。
「種まく人が種まきに出た」といったヘブライ語的破格の表現で、福音書に喩え話が始まります。種の芽生えと毒麦からして、公教会において善人と悪人がいることが教えられています。
それから、芥子(からし)だねの喩え話もあります。
それから、パンだねの喩え話では、生地を膨らませる酵母に譬えて、御教えこそは人生を豊かにして、聖化させるとの教訓です。
また、隠れた宝の喩え話では、聖寵上の生活の内面性が示されています。
また、真珠の喩え話もあります。
それから、良い魚と悪い魚の喩え話もあります。地上の公教会においても残念ながら(悪い魚が)いるという戒めですね。
以上は、天主の国に関する主な喩え話でした。厳密に言うと、公教会に関する喩え話です。


【天主の憐れみに関する喩え話】

続いて、天主の憐れみに関する諸喩え話がありますね。
例えば、迷える羊の喩え話がこの大枠に属します。牧者が迷った一匹の羊を捜そうと、残りの99匹を残して、最後の迷った最愛の一匹を捜しに出る喩え話です。
また、失われたドラクマ(小銭の一種)の喩え話もあります。ある女性は、このドラクマを失ってしまったのですが、これを見つけるために、家中をひっくり返してまで探しまくります。この喩え話の意味は、どれほど天主は私たちの霊魂を救おうとして、私たちの霊魂を捜し求めておられるか示されています。
また、感動せずにいられない放蕩息子の喩え話もあります。つまり、ある息子は、父を離れて、遺産をもらって、家を出た挙句、淫らに過ごし、豚の群れの中で餌を食べます。父は、息子のことを心配していて、毎日絶えず息子の帰宅を待ちわびています。
最後に、良き牧者の喩え話もあります。雌羊らのために、牧者が自分の命を捧げるという喩え話です。つまり、霊魂を贖罪するために、本当の意味で、トコトン霊魂に仕え尽くすということです。
以上は、天主の憐れみに関する主な諸喩え話でした。


【道義上の生活に関する喩え話】

続いて、道義上の生活に関する喩え話もあります。日常生活の例え話を取り上げることによって、私たちの主は、われわれが実践すべき聖徳を示し、戒めて教訓を垂れておられます。
例えば、怠け者の召使いの喩え話があります。この召使は、主人からの赦しと大金の借金の帳消しを給いたるにもかかわらず、自分に対して負っている比較にならないほどの小額の借金を持つ別の奉仕人を許すことせずに、借金を帳消しにしない召使いの喩え話です。ここで、私たちの主は、憐れみの心を示し戒めます。
また、良きサマリア人の喩え話もあります。道路沿いに死にかけているこの誰によってみ見捨てられた可哀そうな人を救い出す良きサマリア人の喩え話です。
また、悪い金持ちの人とその家の門前にいる乏しいラザロの喩え話もあります。悪い裕福の人は、自分のテーブルから落ちるパンくずでさえ、ラザロにやらないという喩え話ですね。それで、ラザロは悪い裕福の人の家の門前に追い出されて、犬らが彼の傷口を嘗めっているという喩え話です。
つづいて、また税吏とファリサイ人の喩え話もあります。これで、私たちの主は、本物の祈りの前提と条件は何であるか、教訓しておられます。内面的な祈りですね。
また、葡萄畑の労働者の喩え話もあります。これは、天主に仕えるためには、時間は問わないというか、手遅れになることはないという私たちの主からの教訓です。つまり、回心というのは、人生のどの時期においても起きうるのです。キリスト教的生活において生まれることもあれば、そうでもない時に年齢を問わずに、この地上ではキリストへの信仰をいつでも見つけうるし、取り戻せるわけです。
また、婚姻の喩え話もあります。ここでは、かかる宴に参加するために、純潔であるべきだという私たちの主の教訓が示されています。
また、愚かな処女(おとめ)と賢明の処女(おとめ)の喩え話もあります。所謂、慎重なる処女たちと油断する処女たちを語る喩え話です。
続いて、タレント(硬貨の一種)の喩え話もあります。私たちの主の望んでいる通り、与えられたタレント(才能)を実らせる良き召使いとタレント(才能)を地に埋めて成果を上げない悪い召使いという喩え話です。
以上は幾つかの証言を簡潔にご紹介しました。総ては、単純な話で、素直な話ですが、伝わる真理はなんと素晴らしいことでしょうか。
以上の手段をもって、私たちの主は御教えを説きます。


【御教えの素晴らしさ:旧約を完成させる】

私たちの主の御教えの性質は限りなく素晴らしいものです。なぜかというと、この御教えを通じて、以前の旧約の啓示のすべてを再確認しながら、何も足すことは勿論ないのですが、旧約聖書において啓示された真理を明示するわけです。だからこそ、私たちの主は「私が律法や預言者を廃するために来たと思ってはならぬ」と仰せになります。「廃しようとして来たのではなく、完成するために来た」 と。
「完成するため」ということに注目すべきです。一番高い完成度を果たすという。大人が、子どもの完成版であると似たような意味です。
聖パウロはとても旨くそれを説きます。「私が子どものころは、子どものように話したが、大人になってから子どもらしいことを捨てた」と。
まさに、新約聖書は、旧約聖書に対して、同じような関係にあります。また、新約聖書における私たちの主の御教えは、旧約聖書の御教えと同じような関係にあります。


以上は、諸垂訓と諸喩え話を通じて伝わる私たちの主の御教えでした。