ファチマの聖母の会・プロライフ

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シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  III. 御出現の後で 3. 犠牲の仲間たち

2018年02月19日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

III. 御出現の後で


3. 犠牲の仲間たち

これらの天から送られた「抱擁」はジャシンタとフランシスコには滅多に届きませんでした。何故なら、ジャシンタとフランシスコの両親は誰にも子供たちに手をかけることを許さなかったからです。けれども二人は、私が苦しんでいるのを見たときには苦しみました。そして私が苦悩しているとか屈辱を受けているのを見ると何時でも、彼らのほほには何度も涙が流れました。

ある日ジャシンタは私にこう言いました。
「私のお父さんとお母さんがルシアのお父さんとお母さんのきょうだったら良いのになぁ!そうだったら私も殴られていたのに。そしたら私たちの主にもっと多くの犠牲を捧げる事ができていたのに。」

しかしジャシンタはほとんどの機会をとらえて自己犠牲する方法をよく知っていました。また時々、私たちは、九日間、あるいは一か月間、飲み物をいただかずに天主に犠牲を捧げる習慣がありました。一度、八月の窒息しそうな暑さの時でさえも私たちはこの犠牲をしました。

ある日コヴァ・ダ・イリヤへロザリオを唱えに行って帰宅の途中、道の脇にある池に来ました。ジャシンタは私にこう言いました。
「あぁ、喉がすごく渇いちゃった。頭もとっても痛いの!この水をちょっとだけ飲みに行くね。」と。
「あの水はだめよ」と私は答えました。「お母さんがこれ飲んじゃだめだって。この水は飲めないからって。マリア・ドス・アンジョスさんのところへ行ってちょっと水をもらいましょう。」
(マリア・ドス・アンジョスは私たち隣人で、最近結婚して近くの小さな家に住んでしました。)
「いや。きれいな水は欲しくない。これを飲みたいの。だって喉が渇いているのをイエズス様に御捧げする代わりに、この汚い水を飲む犠牲を御捧げすることができるから。」
事実、この水は不衛生でした。人々はこの水で洗濯をし、家畜がここに来てこの水を飲み、その中を歩いて渡ります。そんなわけで母は子供たちにこの水を飲まないように言い聞かせていました。

またある時、ジャシンタはこういいもします。
「私たちの主は私たちの犠牲に喜んでいらっしゃるに違いないわ。だって私はすごく喉が渇いているんだから。とっても喉が渇いてるの。でも何も飲みたくないわ。私はイエズス様を愛するために苦しみたいの。」

ある日私たちが、叔父の家の玄関口に座っていたとき、何人かの人が近づいて来るのに気が付きました。それ以外のことをする時間がなかったので、フランシスコと私は家の中に走ってベッドの下に隠れました。フランシスコは一つの部屋に隠れて、私は別の部屋に行きました。ジャシンタはこういいました。
「私は隠れない。私はこの犠牲を私たちの主に捧げるの。」

人々はやって来てジャシンタと話しました。私が見つかるまでかなり長時間待っていたのですが、ついにかれらが立ち去りました。私はかくれ場から出て、ジャシンタに言いました。
「あの人たちが、私たちがどこにいるかの知っているか聞いてきたとき、なんて答えたの?」
「私、何も言わなかったの。頭を下げてうつ向いて、地面を見つめて、黙っていたの。ほんとうのことを言いたくないとき、私いつもそうするのよ。私、嘘なんか言いたくないの。だって嘘は罪だから。」

ジャシンタは本当にこれをすることに慣れていました。その時、何を質問しても無駄でした。何故なら質問しても如何なる答えも得られなかったからです。もしも逃げることが少しでもできたなら、私たちはこの種の質問を受ける犠牲を捧げるのは、普通はあまり好みませんでした。

ある別の日、私たちは従妹の家のそばの道に木陰を作る二本のイチジクの木陰に座っていました。フランシスコは少し離れて遊び始めました。すると婦人たちが私たちの方に来るのを見て私たちにすぐ知らせに来ました。私たちはすぐにイチジクの木に登りました。その当時は、麦をふるい分ける蓑のような大きな縁の帽子をかぶるのが流行でした。ですからそのようなものを[婦人たちが]頭に付けているなら、婦人たちは上にいる私たちのことに気がつかないだろうと私たちは確信していました。彼女たちが通りすぎるとできるだけ急いで降りて、トウモロコシの畑の中へかくれました。

私たちがしたできるときは何時でも逃げるというこの習慣は、主任司祭の不平の原因ともなりました。主任司祭は、私たちが特に司祭たちを避けるためにも使ったやり方に不平を言いました。主任神父様は確かに正しかったのです。私たちに極めて厳格な尋問を課して、しかも何度も同じ質問をしに戻ってきたのは、特に司祭たちでした。私たちが神父様の前へいるときは何時でも、天主に私たちの最大の犠牲の一つを捧げる決意をしていました。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs) Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。

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