ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

「憧れの世田谷」に取り残された、高齢者たちの残酷な現実 実は、日本の未来の姿がここにある

2018年02月23日 | プロライフ
「憧れの世田谷」に取り残された、高齢者たちの残酷な現実
実は、日本の未来の姿がここにある
からの転載


若い活力がみなぎる東京23区のなかに、高齢化進展度が国の平均に迫る3.3ポイントを示す区がある。世田谷区だ。2010年まで、同区の高齢化率は23区中20位前後で推移していたが、15年に11位へと急上昇した。


「憧れ」のなかで見落とされていたもの

リクルート住まいカンパニーの「みんなが選んだ住みたい街ランキング(関東版)」によれば、2017年の「住みたい行政区市」のトップは港区。世田谷区は第2位に名を連ねている。16年も同順位だったが、15年以前はずっと世田谷区が1位だった。

世田谷には「憧れ」という言葉がよく似合う。平均所得水準は、都心3区(千代田、中央、港)と文京、渋谷、目黒に次ぐ7位。持ち家比率は葛飾、台東、荒川、足立の各区に次いで5位。核家族(夫婦のみ、夫婦と未婚の子、ひとり親と未婚の子の世帯)の持ち家比率に限ると2位。東部や下町に比べてはるかに地価が高いことを併せて考えると、資産面で東京のトップクラスに君臨する。

少し古いデータになるが、2010年の国勢調査による世田谷区の大卒者の割合は、都心3区と文京区に次ぐ5位。男性に限ると中央区を抜いて4位となる。

専ら管理業務にあたる会社役員、ベンチャー企業のトップなど専門技術的な仕事を行う会社役員、大企業の部長職など専ら管理業務にあたる正社員を「エスタブリッシュメント3職種」と呼ぶと、その合計割合は所得水準と同じ顔ぶれに続く7位にのぼる。ひと言でまとめるなら、世田谷区は、高所得(高資産)、高学歴、高職種を兼ね備えた「三高のまち」と言える。

加えて世田谷区は、専業主婦の割合が23区中2位と高い。いまでこそ隔世の感があるが、一世代前まで、専業主婦がいる家族は憧れのライフスタイルだった。

高度経済成長期に上京してきた団塊の世代は、男なら世田谷に家を持つことを、女なら世田谷で専業主婦になることを夢み、選ばれた人たちだけがその望みをかなえることができた。そしていま、彼ら彼女らの高齢化と歩を合わせるように、この老舗の高級住宅地で新たな問題が芽生え始めている。…

老人クラブへの加入率が22位と低いのも同じ文脈で理解できる。

筆者の友人の父親は、大企業の重職を務めた人だった。定年してから家に引きこもりがちになった父親に対し、近所に囲碁を楽しむ高齢者の集まりがあることを耳にした友人は、「一度行ってみてはどうか」と勧めたそうだ。ところが、すかさず返ってきた言葉は「あんな奴らと碁が打てるか!」だったという。「三高」のプライドが、老後の生活をガンジガラメにしてしまった象徴的な逸話と言えないだろうか。

かつての栄光を捨てることができない結果が生み出す、一種の「生活習慣病」。私はそれを「世田谷病」と名づけることにした。


世田谷インテリは「老いが早い」

プライドを保ち、妥協せずに生き続けることは、なるほどひとつの人生美学かも知れない。しかし、刺激に欠けた生活は、高齢者の頭と身体を確実に蝕んでいく。その果てに向き合わざるを得ない未来は暗く重い。

要介護・要支援認定者の割合も、重篤な要介護状態にある要介護3以上の認定者の割合も、世田谷区は23区で一番高い。高齢者の「老い」が進んでいるという事実は、「世田谷病」が着実に広がり始めていることを物語っている。

その一方で、世田谷区は入所型高齢者福祉施設の定員充足率(高齢者数に対する施設定員数の割合)が21位、特別養護老人ホームの定員充足率は23区で最低のレベルにある。唯一の救いは、有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)が多いこと。居住面積あたりの集積密度は有料老人ホームが23区最高、サ高住も3位である。

資産にゆとりがあるのなら、これらは有力な選択肢となる。ただし、そのキャパシティはざっと見積もって5000人分くらいだ。世田谷区には20万人近い高齢者がいるから、世田谷に住むことができた人たちのなかでも、さらに選び抜かれた人でないと、おいそれとは恩恵に浴せない計算になる。

高所得・高学歴・高職種をきわめた「世田谷インテリ」たちは、インテリなるがゆえに、本人が望まない、予想もしなかった家族への負担を強いる人生の終末期を迎えているのである。


プライドの先に潜む末路

いつ来るかもしれない孤独死の恐怖を抱える高齢者のひとり暮らし。その対極となる姿と言えるのは「3世代同居」だろう。政府も「少子化社会対策大綱」に盛り込んで推奨している。同居に問題がないわけではないが、やはり羨ましい老後の形である。23区で3世代同居の高齢者が多いのは、江戸川区、葛飾区、足立区などの東部地区。ひとり暮らしのお年寄りは当然少ない。

一方、世田谷区は、3世代同居の高齢者の割合もひとり暮らしの高齢者の割合も23区中最低。世田谷を除く22区では、3世代同居が多いとひとり暮らしの高齢者が少なくなり、ひとり暮らしの高齢者が多いと3世代同居が少なくなる傾向にあるのに、世田谷区だけは特異なデータが出ている。

3世帯同居もひとり暮らしも少ない世田谷区で一番多いのは、夫婦2人で暮らす高齢者の割合である。子供が巣立ったあとも、ずっと夫婦2人で暮らし続ける姿からは、孤高なプライドが垣間見える。そうした世帯で、配偶者が亡くなったときにいろいろな問題が起きることは容易に想像がつくだろう。

ところが世田谷区では、配偶者と死別してひとり暮らしをしている高齢者の数は、他の区とさほど変わらない。それなのに、高齢者全体に占めるひとり暮らしの割合が23区で最も低いというのはどういうことなのだろうか。

答えは単純で、配偶者と死別した高齢者自体が少ないのである。その割合は港区に次いで下から2番目。男性では一番低い。もちろん、奇跡的に夫婦とも長生きしているということではない。配偶者を失った高齢者たちは「憧れの世田谷ライフ」を手放し、子どもが住むまち(あるいはその近く)へと移っていくのである。

世田谷ライフを謳歌した果てに訪れるのは、そんな悲しい末路である。

東京は、地方に比べると平均所得も学歴も高い。さらに言えば、日本全体がずっと豊かになり、高学歴になった。かつて日本のなかで世田谷区が占めていた地位は、いま世界のなかで日本が占める地位と見ることもできるだろう。

そう考えると、世田谷病はやがて「東京病」へと拡散していき、さらに「日本病」となって蔓延していくのかもしれない。



1000万人単位で人が消える「日本消滅」の危機に打開策はあるのか 『未来の年表』著者が提言

2018年02月21日 | プロライフ
1000万人単位で人が消える「日本消滅」の危機に打開策はあるのか
『未来の年表』著者が提言
からの転載



少子高齢化がこれから本格化するという日本の未来を具体的に描き出し、41万部のベストセラーとなった、『未来の年表─人口減少日本でこれから起きること』。著者・河合雅司氏に「刊行後の反応」を聞いた。


イギリスのTV局からも取材が

─昨年6月の刊行から半年が過ぎましたが、読者からの反響はいかがでしょうか。[…]

60代の男性からいただいたお手紙には、本を読んで、自分やそれよりも上の世代が残した問題の深刻さを痛感し、それを若い世代にツケとして回すことが申し訳ない、といったことが綴られていました。

その方は若い世代に少しでも少子高齢化、人口減少問題を考えてもらいたいと、この本を10冊以上も購入されて、若い方にプレゼントされているそうです。

衆議院議員の石破茂さんは、本がボロボロになるまで読んで、全国の講演先でも薦めてくださっているそうです。野田聖子総務相や松山政司少子化担当相にお会いしたとき、「自民党の同僚議員や官僚に読むよう宣伝していますよ」と話されていました。本当にありがたいことです。

与野党の勉強会や、国交省、総務省、農水省、厚労省、人事院などからも講演や講義をしてほしいという声をいただいています。

先日は、イギリスのTV局からも取材を受けましたよ。世界史上類を見ない日本の少子高齢化は、世界的な関心事となっています。アジア諸国や西欧諸国もこの先、少子高齢化が深刻化していきますからね。

─内容についての感想で、印象に残っているものは?

今の生活が足下から崩れていくような変化に対して、これほど早く影響してくるとは思わなかったという衝撃とともに、将来をかなり悲観的に捉えた読者が多いようですね。そういう方の中には、第2部に書いた「戦略的に縮む」というキーワードをネガティブに捉える方もいます。

「縮む」という言葉には、どうしてもマイナスイメージがあるようです。ある講演では、「演題から“縮む”という言葉を削除してください」と主催者から要請されたことがありました。

高度経済成長を実現させ、豊かになった社会を目にしてきた私より前の世代などまさにそうですが、拡大して数字が伸びることこそが成功だという固定観念があります。

しかし、皆さんは勘違いしているかもしれませんが、この本で提言している「縮む」ということは、決して「衰退」や「負け」を意味しているわけではありません。やりようによっては現状の豊かさをより豊かにもできるし、より日本が世界から尊敬される国になれると思います。[…]

私は楽観論者です。日本の未来を悲観してはいません。


すでに兆候が出始めている

─なぜ人口予測は外れないのかを、改めてお伺いしたいです。

まず、この世に誕生して生活している人たちというのは年齢を重ねていき、大きな災害などが起これば別ですが、日本のように衛生面がしっかりしていて経済力もある国では、一部の世代人口だけが極端に減るということはありません。

1歳の子供が50年後には51歳になることが推定でき、5年後にどれくらい高齢者が増えるかも、20年後にどれくらいの方が亡くなっているかも大まかに計算できます。

人口を変化させる出生数についても、国が発展を遂げて社会が落ち着いてくると、一人の女性が生涯に子供を産む数を示す合計特殊出生率は低下してくるのが通例です。この出生率と出産可能な女性人口などで、将来的な出生数もほぼ割り出せます。

これまでの少子化の影響で、出産可能な年齢の女性が大きく減っていくことが決まってしまっています。これは、政府が掲げる「国民希望出生率1・8」を実現しても、出生数減に歯止めがかからないことを意味します。

そうした人口動態の将来推計をベースに書いた『未来の年表』は、数年の違いはあるかもしれませんが、大きくは外れません。

─実際、本に書かれていることの端緒がすでに起こり始めています。

たとえば、2017年下半期のニュースを拾うと、「2021年 介護離職が大量発生する」に関連して、親族の介護に携わった経験のある管理職の47・5%が「退職を考えたことがある」という民間の調査結果が出ている。

「2030年 百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える」に関しては、山形県の老舗百貨店が1月末に閉店予定ですし、みずほFGが2024年度末までに拠点を約500から約400に減らすと発表しています。

そう、それだけではありません。2020年を機に少子化がぐっと進むと言われていますが、すでに2016年の年間出生数は100万人の大台を割り、17年は94万人ほどとなります。年間出生数が4万人も減るのは危機的状況です。

また、「2026年 認知症患者が700万人規模に」と書きましたが、認知症リスクを高める糖尿病が強く疑われる患者数も2016年調査で推計1000万人に上り、認知症予備軍も右肩上がり。今後も本著で予測する出来事を想起させるようなニュースが、当たり前に出てくるでしょう。

─人口減少、少子高齢化は待ったなしの未来。我々でも身近にできることとして、どんなことがありますか。

まず我々が求められるのは高齢化していく社会への対応でしょう。2022年には団塊の世代の先頭である1947年生まれが75歳となります。並行して、子供が独立して残された老夫婦の一方が亡くなるなどして、高齢の独居世帯がますます増えていきます。

そうなった時、家族で住んでいた広い住居で高齢者ひとりが生活するのは限度があります。人手不足が進み、社会サービスを十分に受けられない可能性もある。子供の手もなかなか借りられません。


今からできる工夫


─民間の企業でもできることは何でしょうか。

たとえば「この仕事は本当に30代の人がやる必要があるの?」という仕事を30代にやらせているケースがたくさんあります。それなら高齢者でもできる、という仕事は山ほどあるはずです。

逆に30代の人達には若い世代にしかできない仕事に特化してもらうことです。そのほうが若い世代からしてもやりがいが出てくるでしょう。単に年齢だけで区分けしていくような働き方を変えるのは、政府の改革を待たずとも経営者の判断や工夫でできる課題だと思います。

企業の工夫で言えば、商品開発の時点から高齢者のニーズを取り込む試みがもっとあっていいと思います。家電メーカーで言えば、8Kなど高画質テレビの開発に躍起になるよりも、小さな音でも聞こえるスピーカーを開発したほうがよい。高齢者には宅配便が鳴らすインターフォンの音が聞こえないっていう方もいますから。駅のエレベーターの数だって今後、増設していく必要が出てくると思います。

─では少子化問題に対して、我々ができることは何でしょうか。

少子化の問題については、家族計画など個々人の価値観に根差しているので、周囲が口を出すのは難しいところがあります。やれるとすれば若い世代の結婚への気運を高めるよう気を遣ったり、子どもを産む喜びや子育ての楽しさを語ったりするとか。

少なくとも「結婚は人生の墓場だ」とかマイナスなイメージを植え付けることはやめる。あとは、これから結婚する世代や子育て世代の転勤をやめてしまうとかね。

─最後に、これからお書きになりたい内容は、どんなものでしょうか?

『未来の年表』ではこれからの日本をかなり俯瞰できたと思っています。[…]


イギリスのテレビ局も驚愕した日本の「国難レベルの人口減少」

2018年02月20日 | プロライフ
イギリスのテレビ局も驚愕した日本の「国難レベルの人口減少」
「この島国で本当にそんなことが…」
から転載



「新書大賞2018」(2月10日発表/中央公論新社主催)で2位に輝いた『未来の年表』は、昨年6月の発売以来、43万部を超える大ベストセラーとなっている。すでに台湾で翻訳出版されるなど、日本が少子高齢化にどう立ち向かうか、世界がその動向を注目している。とくに強い関心を寄せるのは、同じ島国であるイギリスだ。

イギリス人の寄せる関心

「いまの日本は少子高齢化が進み、人口が大きく減り始めています。日本の総人口は約1億2700万人ですが、このままだと50年で3分の2の数になり、100年で半減していく。

100年あまりで人口が半減しようとしている人口大国は、世界の歴史のなかでもひとつもない。北朝鮮のミサイルの脅威や大災害と同じように、国家を滅ぼし得る脅威であり、これを私は “静かなる有事” という言葉で説明しています」

43万部を超える大ベストセラー『未来の年表』著者の河合雅司氏が語る、こんな言葉が英語に翻訳されると、目を見開いて、「Oh really?」と声を漏らした人がいる。

イギリスのテレビ局「チャンネル5」のニュース特派員として来日し、このたび河合氏にインタビューを行ったピーター・レーン氏だ。[…]

ピーター氏は「この人口問題の臨界点はいつと見ているのか?」と問うた。その表情からは、河合氏に会った時に見せた笑みはもう消えていた。

これに対して、河合氏はこう答えた。

「2020年には女性の人口の半分が50歳以上の社会となる。それについては、出産適齢期を過ぎた女性が、日本の女性人口の半分を占めるという見方もできる。そうなれば少子化は一気に進むでしょう。機械的な計算をすれば、西暦3000年に日本の人口は2000人になると試算されています」

「2……thousand……people?」

ピーター氏の開いた口は、なかなか塞がらなかった。

河合氏への取材を通して、ピーター氏は日本の人口減少の問題をどう考えているのだろうか?

日本の人口問題が海外でどう見られているのかに強い関心を抱いていた私たちは、ピーター氏への「逆取材」を試みた。

イギリスで生まれる3人に1人が移民の子

―河合氏の話を聞いてどう感じた?

日本の人口減少問題が、北朝鮮のミサイルの脅威と同じように深刻であるということがわかり、非常に興味深い。

しかし、ミサイルの脅威のようには、人口減少の恐怖というのは直に感じとれるものではない。問題を実際の危機として実感することが難しいところに問題があるように感じた。


―日本では移民に対して消極的だが、それをどう思う?

私自身は多文化な環境で育ち、ヨーロッパ人というアイデンティティを持っている。しかしイギリスで生まれる子供の3人に1人が移民の子供になっている一方、仕事・学校・医療のサービスが十分に受けられないという、ネイティブ・イギリス人が多くいるのも事実。

結局、多くの人がブレグジット(EU離脱)を選んだのも、移民が溢れすぎているからだ。……移民と純粋なイギリス人とのいい比率を知っていれば私は今頃、総理大臣にでもなっていただろうね。

移民はたしかに効果的だが、戦略的、かつ選択的になる必要がある。産業の中で人材が足りない場所を国が見極めてマッチングするとか、コントロールすることが大事だろう。

―イギリスもいずれは日本と同じ道を歩むのではないか?

イギリスは若い移民労働者に頼っているところが大きく、ネイティブのイギリス人の出生数を増やす政策などは行っていません。ブレグジット後がどうなるかもわからないし、同じ島国であっても、イギリスはヨーロッパ大陸との距離が近い。他国と距離がある日本と決定的に違う点だ。

とはいえ場合によっては、ゆっくりだがイギリスも日本と同じ道を辿ることもあるかもしれない。そういう意味で今後の日本の動向は注目に値する。日本はロボット技術が進んでいるということもあり、それが答えになるかどうかはわからないが、ひとつの対策として、その可能性は高いのではないか。

「課題先進国」ニッポン

日本での人口問題に関心を示しているのは、何もこのたび取材に訪れたチャンネル5だけではない。

イギリスの週刊新聞「エコノミスト」では、「日本は世界史上最も高齢化の進んだ社会になる」、少子高齢化で「大きな損害を被る」国だとして日本は取り上げられている。その内容もかなり具体的だ。

<日本の高齢者比率は長いあいだ世界最高を維持しており、今なお比率は高まっている。2010~50年期に、日本の被扶養者率は40ポイント上昇し、2050年までには、被扶養者数と労働年齢の成人数が肩を並べるだろう。過去を振り返っても、このような状況に直面した社会は存在しない>(『2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する』)

他方、人生100年時代の人生設計について論じてベストセラーとなった『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』著者のリンダ・グラットン氏も、安倍政権が目玉政策に掲げる「人づくり革命」の具体策を検討する「人生100年時代構想会議」の有識者議員の一人に起用され、少なからず日本に関わり、この先を注視することになる。

なぜそうまでして、日本に関心を持つのだろうか。河合氏は言う。

「イギリスをはじめとして、世界は今後人口が増えていく傾向にありますが、じつは2060年頃には、高齢化と人口減少に傾くとされています。

まだまだ先のことのように思えますが、すでにこの問題に関心ある人たちは対策が必要であることを自覚しているのです。

人口問題は対策をとっても効果が出るのに、20年は必要とされる。そうしたなか、先行する日本がどう動くのかに関心が高まっているわけです。…


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  III. 御出現の後で 3. 犠牲の仲間たち

2018年02月19日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

III. 御出現の後で


3. 犠牲の仲間たち

これらの天から送られた「抱擁」はジャシンタとフランシスコには滅多に届きませんでした。何故なら、ジャシンタとフランシスコの両親は誰にも子供たちに手をかけることを許さなかったからです。けれども二人は、私が苦しんでいるのを見たときには苦しみました。そして私が苦悩しているとか屈辱を受けているのを見ると何時でも、彼らのほほには何度も涙が流れました。

ある日ジャシンタは私にこう言いました。
「私のお父さんとお母さんがルシアのお父さんとお母さんのきょうだったら良いのになぁ!そうだったら私も殴られていたのに。そしたら私たちの主にもっと多くの犠牲を捧げる事ができていたのに。」

しかしジャシンタはほとんどの機会をとらえて自己犠牲する方法をよく知っていました。また時々、私たちは、九日間、あるいは一か月間、飲み物をいただかずに天主に犠牲を捧げる習慣がありました。一度、八月の窒息しそうな暑さの時でさえも私たちはこの犠牲をしました。

ある日コヴァ・ダ・イリヤへロザリオを唱えに行って帰宅の途中、道の脇にある池に来ました。ジャシンタは私にこう言いました。
「あぁ、喉がすごく渇いちゃった。頭もとっても痛いの!この水をちょっとだけ飲みに行くね。」と。
「あの水はだめよ」と私は答えました。「お母さんがこれ飲んじゃだめだって。この水は飲めないからって。マリア・ドス・アンジョスさんのところへ行ってちょっと水をもらいましょう。」
(マリア・ドス・アンジョスは私たち隣人で、最近結婚して近くの小さな家に住んでしました。)
「いや。きれいな水は欲しくない。これを飲みたいの。だって喉が渇いているのをイエズス様に御捧げする代わりに、この汚い水を飲む犠牲を御捧げすることができるから。」
事実、この水は不衛生でした。人々はこの水で洗濯をし、家畜がここに来てこの水を飲み、その中を歩いて渡ります。そんなわけで母は子供たちにこの水を飲まないように言い聞かせていました。

またある時、ジャシンタはこういいもします。
「私たちの主は私たちの犠牲に喜んでいらっしゃるに違いないわ。だって私はすごく喉が渇いているんだから。とっても喉が渇いてるの。でも何も飲みたくないわ。私はイエズス様を愛するために苦しみたいの。」

ある日私たちが、叔父の家の玄関口に座っていたとき、何人かの人が近づいて来るのに気が付きました。それ以外のことをする時間がなかったので、フランシスコと私は家の中に走ってベッドの下に隠れました。フランシスコは一つの部屋に隠れて、私は別の部屋に行きました。ジャシンタはこういいました。
「私は隠れない。私はこの犠牲を私たちの主に捧げるの。」

人々はやって来てジャシンタと話しました。私が見つかるまでかなり長時間待っていたのですが、ついにかれらが立ち去りました。私はかくれ場から出て、ジャシンタに言いました。
「あの人たちが、私たちがどこにいるかの知っているか聞いてきたとき、なんて答えたの?」
「私、何も言わなかったの。頭を下げてうつ向いて、地面を見つめて、黙っていたの。ほんとうのことを言いたくないとき、私いつもそうするのよ。私、嘘なんか言いたくないの。だって嘘は罪だから。」

ジャシンタは本当にこれをすることに慣れていました。その時、何を質問しても無駄でした。何故なら質問しても如何なる答えも得られなかったからです。もしも逃げることが少しでもできたなら、私たちはこの種の質問を受ける犠牲を捧げるのは、普通はあまり好みませんでした。

ある別の日、私たちは従妹の家のそばの道に木陰を作る二本のイチジクの木陰に座っていました。フランシスコは少し離れて遊び始めました。すると婦人たちが私たちの方に来るのを見て私たちにすぐ知らせに来ました。私たちはすぐにイチジクの木に登りました。その当時は、麦をふるい分ける蓑のような大きな縁の帽子をかぶるのが流行でした。ですからそのようなものを[婦人たちが]頭に付けているなら、婦人たちは上にいる私たちのことに気がつかないだろうと私たちは確信していました。彼女たちが通りすぎるとできるだけ急いで降りて、トウモロコシの畑の中へかくれました。

私たちがしたできるときは何時でも逃げるというこの習慣は、主任司祭の不平の原因ともなりました。主任司祭は、私たちが特に司祭たちを避けるためにも使ったやり方に不平を言いました。主任神父様は確かに正しかったのです。私たちに極めて厳格な尋問を課して、しかも何度も同じ質問をしに戻ってきたのは、特に司祭たちでした。私たちが神父様の前へいるときは何時でも、天主に私たちの最大の犠牲の一つを捧げる決意をしていました。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs) Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。