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お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

上坂城

2013-08-12 05:08:49 | 滋賀県
 上坂城

2013/7/28

滋賀県長浜市のお城めぐり

 京極氏の重臣、上坂氏の居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 上坂城
よみ: コウザカ
別称: 上坂氏館
所在地: 滋賀県長浜市西上坂町
現状: 児童公園
築城年代: 室町時代
築城者: 上坂氏
形式: 居館
遺構:
規模: 160m×155m
文化財:
訪城日: 2011/3/12・2013/7/28


≪ 訪城記 ≫

三田村氏館か上坂城へ向かう。

三田公民館から三田村氏館前の道を南下し、三田町の南を東西に通る県道271号に出て東へ進む、野村橋北詰交差点信号を右折、国道365号を南下、姉川を渡り、次の信号を右折、道なりに大きく左に曲がり、東上坂町東信号を右折、県道37号を西へ進み、西上坂町の集落へ入る三叉路を過ぎ、すぐの北へ入る細い道へ右折、約100m北へ進むと児童公園があり、この公園の南東隅に居館跡です。公園の北東隅に3台ほどの駐車スペースがあります。ここに車を駐車する。

児童公園の南東隅に上坂城址碑と説明板、古い門があるのみで遺構等はなにもありません。
説明板によると土塁と堀があったようですが今はなくなっています。他に伊賀守屋敷、信濃守屋敷があったようです。


≪ 歴 史 ≫

大永元年 (1521) 京極高清の執権的地位にあった上坂家信が没する。後に上坂氏は浅井氏の家臣団に編入され、兄の伊賀守意信は小谷城に在番し、弟の信濃守貞信が上坂城に居城した。
天正元年 (1573) 浅井氏滅亡後は意信の子、正信が秀吉の弟羽柴秀長の家臣となっています。
慶長五年 (1600) 正信は関ヶ原合戦に西軍となり敗れ帰農しています。


≪ 写 真 ≫


児童公園の南東隅の居館跡


古い門跡


上坂城址碑


現地上坂氏館絵図と周辺図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<車>
北陸道長浜ICを降りて長浜IC口を左折、県道37号を東に進み、西上坂町の集落へ入る三叉路手前の北へ入る細い道を左折、約100m北へ進むと児童公園があり、この公園の南東隅に居館跡です。公園の北東隅に3台ほどの駐車スペースがあります。


≪ 位置図 ≫

上坂城(児童公園)


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近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
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滋賀県文化財保護協会

三田村氏館

2013-08-11 05:08:33 | 滋賀県
 三田村氏館

2013/7/28

滋賀県長浜市のお城めぐり

 浅井氏の重臣、三田村氏の居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 三田村氏館
よみ: ミタムラシ
別称: 三田村城
所在地: 滋賀県長浜市三田町1126
現状: 伝正寺・三田公会堂
築城年代: 十三世紀~十四世紀中頃・十五世紀~十六世紀頃
築城者: 三田村氏
形式: 平城
遺構: 土塁・虎口跡
規模: 一辺約60m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2010/11/12・2013/7/28


≪ 訪城記 ≫

小室城から三田村氏館へ向かう。

小室公会堂を出て大きな説明板のある三叉路を右折、県道276号を南下、木尾町付近で西へ大きく曲り、次の交差点を左折、県道276号のまま南下、山間を抜けて国道365号の信号を渡り、そのまま南下、長浜市役所浅井支所横を通り抜け、草野川を渡り、大路の信号からさらに約750m南下した三叉路で左折、約800m東進した三田町信号を右折して三田町の集落内へ入って行き約180mで道の東側に三田公会堂があり、公会堂前の空き地に駐車させてもらう。

三田公会堂の横に説明板、南側に伝正寺があり、寺を取り巻くように高い土塁の跡が一部欠けている面もあるがよくわかる。
西面真ん中の鐘楼付近の入口が虎口跡と言われている。南西側土塁前には三田村氏有縁之碑が建てられている。
公会堂の北東側にも土塁跡がある。
伝正寺の縁にパンフレットが置いてある。


≪ 歴 史 ≫

元亀元年 (1570) 三田村氏館最後の城主、三田村左衛門が姉川の合戦の際に横山城を守っていたが、小谷城へ撤退した。この姉川の合戦では援軍の朝倉景健軍の本陣とされたようです。
天正元年 (1573) 小谷城落城の際、織田信長に降るも一族とともに処刑されている。


≪ 写 真 ≫


北西側の土塁


西側の土塁


虎口横の鐘楼


東側の土塁


伝正寺


西側虎口跡


南西側土塁前の三田村氏有縁之碑


南東側の土塁


三田公会堂東側の土塁


現地三田村氏館跡周辺図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<車>
北陸道長浜ICを降りて長浜IC口を左折、県道37号を東に進み、東上坂町東信号を左折、北上して国道365号に突き当たる信号を左折、国道365号北へ進み、姉川を渡り、野村橋北詰交差点信号を左折、約850m西進した三田町南側中央の小さな木製案内板のある三叉路を右折、約250mで道の東側に三田公会堂と伝正寺を囲む土塁がある。


≪ 位置図 ≫

三田村氏館(伝正寺)


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近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
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小室城

2013-08-10 05:05:02 | 滋賀県
 小室城

2013/7/28

滋賀県長浜市のお城めぐり

 小堀遠州の子、政之が築いた陣屋

≪ お城の概要 ≫

城名: 小室城
よみ: コムロ
別称:
所在地: 滋賀県長浜市小室町
現状: 山林
築城年代: 慶安元年(1648)
築城者: 小堀政之
形式: 居館(陣屋)
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2013/7/28


≪ 訪城記 ≫

井口城から小室城へ向かう。

井口城の石碑のある富永小学校前の道を南下し、柏原交差点信号を左折、国道365号を南下、阿弥陀橋信号を左折、国道365号のまま高時川に架かる阿弥陀橋を渡って道なりに大きく右に曲がり南下、小谷城跡前あたりで大きく左に曲がり南東方向へ進み、田川を渡った田川信号を左折、県道265号をジグザグに4回曲り、大きく右に曲がり東へ進み田根小学校前を通り過ぎ小室町へ入り、集落真ん中、道の南側にある小室公会堂前の空き地に車を駐車させてもらう。

小室公会堂から徒歩で150m程東へ行った突き当りに大きな説明板があり、この突き当りを左に曲がり、北へ60m程で道が右へ曲がっている所をまっすぐに山へ続く川沿いの道を北へ100m程進むと道の左側に小室城址碑が建っていて、碑の前の杉林を西に入って行くと石組の小室城址碑が建っている。この辺りが小室城にあった場所で遺構らしきものはない。
杉林を入って行く小室城址碑の川を挟んだ東側の弥勒堂の奥に小堀遠州の重臣和田宇仲が湯茶に利用した和田宇仲池がある。


≪ 歴 史 ≫

正保四年 (1647) 小堀政一(遠州)の遺領を政之が継ぎ、翌慶安元年(1648)に居館として小室城を築く。
天明八年 (1788) 政方の代に伏見奉行在任中に苛政をしたことで改易となり、小堀家の居館などは寛政元年(1789)に競売され城が廃される。


≪ 写 真 ≫


突き当りの大きな説明板


入口の小室城址碑


入口からの道


杉林の中の小室城址碑


和田宇仲池


現地説明板小室城図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<車>
北陸道長浜ICを降りて長浜IC口を左折、県道37号を東に進み、東上坂町東信号を左折、北上して国道365号に突き当たる信号を左折、国道365号北へ進み、姉川を渡り、草野川を渡り、右手にローソンのある信号を右折、県道276号を北上、山間を抜けた田んぼの中の交差点を右折、木尾の集落辺りで大きく左に曲がり北上、小室集落に入ったところに小室城の大きな説明板がある。駐車場は集落真ん中辺りの小室公会堂を利用すると良い。ここから徒歩で約5分。


≪ 位置図 ≫

小室城


小室公会堂


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大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
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井口城

2013-08-07 05:09:29 | 滋賀県
 井口城

2013/7/28

滋賀県長浜市のお城めぐり

 浅井氏の重臣、井口弾正経元の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 井口城
よみ: イノクチ
別称:
所在地: 滋賀県長浜市高月町井口168
現状: 富永小学校
築城年代:
築城者:
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2010/11/12・2013/7/28


≪ 訪城記 ≫

自宅を出て国道8号を北上、高月町役場前交差点信号を右折、長浜市役所高月支所前を通り、JR北陸本線の踏切を渡って東進、突き当りの三叉路を左折、北東へ進み国道365号との柏原交差点信号を直進、約1.1kmで道の西側に富永小学校があり、小学校の東門前に来客者用の駐車場がある。この駐車場に車を駐車する。

富永小学校の東門前の来客者駐車場前に井口弾正邸跡の石碑があり、説明板もある。
説明板には、享禄四年の箕浦の戦いで井口弾正経元が浅井亮政の身代わりとなり忠死し、弾正の娘阿古を亮政の子久政の室に迎え長政を産んだことが書かれている。
ここから道沿いに100m程南に行ったところに井口弾正の菩提寺「理覚院」があり、庫裡の北側にお墓がある。


≪ 歴 史 ≫

享禄四年 (1531) 箕浦の戦いで井口城主井口弾正経元が浅井亮政の身代わりとなって忠死する。

≪ 写 真 ≫


井口弾正邸の石碑と説明板


井口弾正邸の石碑


井口弾正の菩提寺「理覚院」


井口弾正のお墓

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線高月駅から約2.2㎞、徒歩約40分。
<車>
北陸道木之本ICを降りて木之本IC口信号を右折、国道8号を東進、木之本信号を右折、そのまま国道8号を南進、高月町役場前交差点信号を左折、長浜市役所高月支所前を通り、JR北陸本線の踏切を渡って東進、突き当りの三叉路を左折、北東へ進み国道365号との柏原交差点信号を直進、約1.1kmで道の西側に富永小学校があり、小学校の東門前に来客者用の駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

井口城(富永小学校)


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若江城

2013-08-06 05:08:39 | 大阪府
 若江城

2013/7/13

大阪府東大阪市のお城めぐり

 織田信長が石山本願寺攻めに使用したお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 若江城
よみ: ワカエ
別称:
所在地: 大阪府東大阪市若江北町・若江南町
現状: 若江公民館・若江幼稚園・神社・若江小学校
築城年代: 明徳・応永年間(1390-1428)
築城者: 畠山基国
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2012/9/23・2013/7/13


≪ 訪城記 ≫

積善寺城から若江城へ向かう。

「美笹のゆ」の駐車場を出て積善橋北信号を左折、府道40号を北西に進み、側道を降りて畠中2丁目信号を右折、府道40号高架下をくぐり国道26号第二阪和国道を北上、道なりに進み葛の葉町北交差点信号を右折、堺泉北有料道路下の側道、府道36号を堺泉北有料道路沿いに東へ進み、途中に阪和道の側道に替わり、そのまま府道36号を進む、美原JCT付近で府道2号中央環状線に替わり北上、大和川に架かる新明治橋を渡り、さらにそのまま進み、近畿道の側道に替わり、巨摩橋西信号を右折、近畿道高架下をくぐり、府道24号を東へ約300m、道の北側のゲオ東大阪若江店の駐車場に車を駐車させてもらう。

ゲオから徒歩で府道24号沿いの道を東へ約250m行くと道の北側に若江公民館があり、公民館の南西隅の一角に説明板が建てられている。
公民館の東側信号を渡った道の南側に小さな神社があり、神社道側に若江城址碑が建っている。
若江小学校を含むこの一帯が若江城跡で遺構は何もない。


≪ 歴 史 ≫

明徳・応永年間 (1390-1428) 河内守護畠山氏が築城し、代々守護代遊佐氏が居城した。
宝徳二年 (1450) 基国の孫持国の子義就と養子政長の対立抗争から持国の死後、義就が河内国に下り、遊佐氏の守る若江城に入った。
応仁元年 (1467) 義就と政長の抗争をきっかけに応仁・文明の大乱が起こる。
文明九年 (1477) 応仁・文明の乱は終結したが、その後も義就と政長は河内・大和で戦闘を繰り返し、若江城は義就方が占拠する。
天文初年頃 近江守護佐々木六角氏の配下、若江下野守兼俊が居城する。
天文六年 (1537) 若江兼俊が佐々木氏に背き、佐々木氏の大軍に攻められ、開城降伏し、兼俊父子は高野山に追放、跡に堀江河内守時秀が城主として配され、以後、若江河内守実高、若江下野守行綱、堀江河内守実達、山田豊後守定兼と替わった。
永禄七年 (1564) 三好長慶の子義継が三好三人衆と対立していた松永久秀に擁立され信貴山城に入ったが、永禄十一年(1568)、織田信長から河内国北半分を与えられ若江城に入城する。
天正元年七月 (1573) 将軍足利義昭が織田信長に反旗を翻し、槇嶋城に籠城するが敗れ、十一月には義継の若江城も攻められ、内応者が続出し若江城は陥落、義継は自害する。若江城は池田丹後守教正に与えられた。
天正三年四月 (1575) 高屋城に籠る三好笑岩(康長)を攻めるため織田信長が若江城に着陣する。石山本願寺攻めの重要拠点として若江城は残される。
天正四年五月 (1576) 石山本願寺攻めに若江城に着陣・宿泊。
天正五年二月 (1577) 和泉・雑賀攻めに若江城に着陣・宿泊。
天正六年九月 (1578) 堺出張に着陣・宿泊。
天正八年四月 (1580) 石山本願寺が開城・退去したのち若江城は破却され、池田教正は八尾城へ移った。


≪ 写 真 ≫


若江公民館前の説明板


道の南側の神社


神社の若江城址碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近鉄奈良線若江岩田駅から徒歩約20分。
<車>
近畿道東大阪南ICを降りて巨摩橋西信号を右折、近畿道高架下をくぐり、府道24号を東へ約550m、道の北側若江公民館前に説明板、道の南側神社に若江城址碑。
駐車場はない。


≪ 位置図 ≫

若江公民館


紹介したお城の数 105城



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