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松ヶ島城

2013-07-20 05:07:38 | 三重県
 松ヶ島城

2013/6/23

三重県松阪市のお城めぐり

 織田信雄が築き松ヶ島城と命名した居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 松ヶ島城
よみ: マツガシマ
別称: 細首城・天守山
所在地: 三重県松阪市松ヶ島町
現状: 台地状の小山
築城年代: 天正八年(1580)
築城者: 織田信雄
形式: 平城
遺構: 台状地
規模:
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2011/9/12・2013/6/23


≪ 訪城記 ≫

松阪城から松ヶ島城へ向かう。

松阪公園駐車場を出て前の道を西へ、すぐに大きく左へ曲がり新松阪大橋南詰信号を右折、阪内川に架かる新松阪大橋を渡り、そのまま県道756号を北上、川井町4交差点信号を斜めに右折、県道59号を北東へ進み、大塚町信号を左折、国道42号熊野街道を北西に進む。松ヶ崎駅前交差点信号を右折、少し狭い道を北東へ、松坂自動車学校前を通り、松ヶ島町交差点信号で国道23号を渡り直進、そのまま松ヶ島町の集落内へ、突き当りのT字路を左折、200m程北西に進むと道の左側にコスモ石油跡、右側に八雲神社のある北東へ入る細い脇道を50m程進み、右へ曲がった突き当りのお家の前の道路脇に車を駐車させてもらう。

このお家の南側を通らしてもらい、ハウス沿いのあぜ道を100m程行き右へ曲がると、こんもりとした小山があり、小山の北東側に説明板が建てられていて、その脇に登る道がある。頂上は松の木とベンチがあるのみで、ハウス畑のある南西側へ降りる道があり、降りたところに松ヶ島城址碑が建てられている。
この小山が松ヶ島城跡で畑地の中に小山のみが残っている。


≪ 歴 史 ≫

永禄十年頃 (1567) 北畠具教が織田信長の伊勢侵攻に備えて細首に城を築き、家臣日置大膳亮に守らせたが、同十二年の織田軍の侵攻で日置大膳亮は細首城を焼いて、大河内城に籠城したと言われる。その後、和議が成立して信長の二男信雄が北畠の家督を継ぎ田丸城を築いて居城とした。
天正八年 (1580) 田丸城が焼失、細首城を大改修して松ヶ島城と改称した。
天正十年 (1582) 本能寺の変で父信長が斃れると、信雄は尾張清洲城へ移り、松ヶ島城は家臣津川義冬が城主となる。
天正十二年 (1584) 羽柴秀吉との関係悪化、小牧・長久手の戦いで信雄は、流言によって津川義冬を殺害、代わって滝川勝利が城主となり籠城したが、秀吉軍の攻撃で落城する。秀吉方の蒲生氏郷が松ヶ島城に入る。
天正十六年 (1588) 蒲生氏郷が松阪城を築き移り、松ヶ島城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


北東方向からの松ヶ島城


小山の南西方向にある松ヶ島城址碑


南西方向からの松ヶ島城


北方向からの松ヶ島城

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近鉄山田線松ヶ崎駅から徒歩約35分。
<車>
伊勢道松阪ICを降りて県道59号を西進、曲町付近で大きく右に曲がり、松阪市民文化会館南信号を左折、北東へ進み大塚町信号を左折、国道42号熊野街道を北西に進む。松ヶ崎駅前交差点信号を右折、少し狭い道を北東へ、松坂自動車学校前を通り、松ヶ島町交差点信号で国道23号を渡り直進、そのまま松ヶ島町の集落内へ、突き当りのT字路を左折、200m程北西に進むと道の左側にコスモ石油跡、右側に八雲神社のある北東へ入る細い脇道を50m程進み、右へ曲がった突き当りのお家の前の道路脇に駐車可能。


≪ 位置図 ≫

松ヶ島城


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三重の山城ベスト50を歩く
福井 健二,竹田 憲治,中井 均
サンライズ出版


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