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お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

真田館

2013-06-04 05:37:19 | 長野県
 真田館

2013/5/4  信州北部遠征(3泊4日)

長野県上田市のお城めぐり

 周囲を支配する城に守り固められた真田氏の居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 真田館
よみ: サナダ
別称: 御屋敷
所在地: 長野県上田市真田町本原
現状: 御屋敷公園
築城年代: 天正年間以前
築城者:
形式: 館
遺構: 東曲輪・西曲輪・大手門跡・搦手門跡・東門跡・厩跡・土塁・石塁・堀跡
規模: 150-160m×100-130m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/4


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  2日目、真田本城から真田館へ向かう。

真田本城から真田本城の案内板のある県道4号へ出る入り口を左折、約1km南進した真田氏歴史館の案内板のある交差点を右折、約200mで真田氏歴史館へ着く。歴史館の駐車場が一杯だったので西へ約300m行った真田氏館の大手門跡を過ぎた空き地の駐車場へ車を駐車する。

車を止めた駐車場からすぐのところに真田氏館大手門跡で、石垣の残る大手門跡から中に入ると芝生が植えられ綺麗に刈られている広い周りを土塁で囲まれた緩やかな斜面がある。ここが西曲輪で入り口の縄張図付の説明板がある。
西曲輪の北西隅に土塁で囲まれた一角があり、ここが厩跡です。
現在、西曲輪はマレットゴルフ場になっています。
北側に搦手門跡、その北側の渓流は堀跡です。
大手門から搦手門へ通じる真ん中の道から東側が東曲輪で中央に皇太神社の社殿があり、南東隅に東門跡があります。東曲輪も周りを土塁で囲まれています。
全体的に東から西へ緩やかな傾斜した地形に築造されて、良く土塁が残っています。
入り口にあった真田氏歴史館を見学しました。入場料は200円です。


真田氏歴史館の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天正年間(1573-92)以前に真田氏の居館として築城されたようです。

≪ 写 真 ≫


真田館大手門跡


西曲輪


西曲輪の土塁


西曲輪北西の厩跡


北側渓流地の堀跡


搦手門跡


東曲輪中央の皇太神社


東曲輪南東の東門跡


東曲輪の土塁


真田氏歴史館


現地説明板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を北東へ進み上信越道の高架下を通り、真田氏発祥の地の碑のある辺りで北進し、川に沿う辺で道なりに大きく右に曲がり、荒井交差点信号を右折、県道35号を南下、右に大きく曲り次に左に大きく曲がったら南東に進むと真田氏歴史館に着く。歴史館の西側斜面に真田館跡がある。歴史館に駐車場有。


≪ 位置図 ≫

真田館


真田氏歴史館


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真田本城

2013-06-03 05:07:02 | 長野県
 真田本城

2013/5/4  信州北部遠征(3泊4日)

長野県上田市のお城めぐり

 真田氏の中心的な居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 真田本城
よみ: サナダホン
別称: 松尾の城・松尾城・真田城・住蓮寺城
所在地: 長野県上田市真田町長
現状: 山
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 本郭・二の郭・三の郭・段曲輪・土塁
規模: 標高880m、本郭15m×35m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2013/5/4


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  2日目、上田城から真田本城へ向かう。

上田城の二の丸駐車場を出て上田城東の道を北上、上田城跡公園入口交差点信号を右折、国道18号を東進、中央東交差点信号を斜め左折、国道144号を東に向かい、途中から北東へ進み上信越道の高架下を通り、真田氏発祥の地の碑のある辺りで北進し、川に沿う辺で道なりに大きく右に曲がり、山の方へ登って行き横沢三叉路信号を大きく右折、県道4号を南下、山の中の広い道を進み、山裾を大きく右に迂回した先に真田本城への案内板があり、東の山側へ入って行く、約350mで集落の突き当りを大きく左に曲がり、狭い道を登っていくと真田本城前の車7~8台止められる空き地に着く。空き地は車で一杯でしたがなんとか駐車しました。

空き地から西に真田氏本城跡の木製標柱の場所が登城口です。
ここから西へ段曲輪の右側の緩やかな登り道を登ると本郭前に真田氏本城址碑と説明板があり、郭の裾を左に回って本郭に登れます。
本郭の南側に土塁跡があり、北に二の郭、三の郭と細長い削平地が続いています。
両側は急な崖になっていてますが、見晴らしは最高に良いです。西方には砥石城が見られます。
本郭に戻って、南側はなだらかな段曲輪が何段も続きます。


≪ 歴 史 ≫

真田の地に居を構えた真田氏の中心城として天正十一年(1583)の真田昌幸による上田城築城まで居城であった。

≪ 写 真 ≫


真田本城の登城口


本郭東側の段曲輪と登城道


本郭前の真田本城址碑


本郭


本郭南側の土塁


本郭の虎口


二の郭


二の郭の虎口


三の郭


本郭南側の段曲輪


現地説明板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を北東へ進み上信越道の高架下を通り、真田氏発祥の地の碑のある辺りで北進し、川に沿う辺で道なりに大きく右に曲がり、荒井交差点信号を右折、県道35号を南下、右に大きく曲り次に左に大きく曲がったら南東に進む、真田氏館跡の真田氏歴史館を通り過ぎた三叉路を左折、県道4号を約1km北上したら真田本城への案内板があり、東の山側へ入って行く、約350mで集落の突き当りを大きく左に曲がり、狭い道を登っていくと真田本城前の車7~8台止められる空き地に着く。


≪ 位置図 ≫

真田本城


案内板のある登り口


紹介したお城の数 76城



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大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社

上田藩主屋敷

2013-06-02 05:05:32 | 長野県
 上田藩主屋敷

2013/5/4  信州北部遠征(3泊4日)

長野県上田市のお城めぐり

 上田城三の丸にある歴代城主の居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 上田藩主屋敷
よみ: ウエダハンシュ
別称:
所在地: 長野県上田市大手1丁目4-32
現状: 上田高等学校
築城年代:
築城者:
形式: 館
遺構: 表門・土塀・濠
規模: 東西135.5m、南北135.1m
文化財: 市指定文化財
訪城日: 2013/5/4


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  2日目、上田城の大手門跡から徒歩で上田藩主屋敷に向かう。

上田城の大手門跡である大手門公園から上田城のある西へ約150m行くと上田市役所の東側に上田高校へ入る道があり、約80m南へ行くと上田高校の正門に着く。ここの左側に濠跡があり、濠沿いに東へ約60m、右折して約60m南に表門がある。この区間は土塀と濠が残っている。
上田高校の敷地は上田城の三の丸跡です。
表門前に説明板があります。


≪ 歴 史 ≫

真田氏、仙石氏、藤井松平氏を通して上田藩主の居館があった。

≪ 写 真 ≫


表門


南からの濠と土塀


北からの濠と土塀


表門前の碑


表門全景

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JRしなの鉄道線、長野新幹線上田駅から徒歩約15分。
<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を南西に進み、住吉交差点信号を直進、中央東交差点信号を斜め右折、国道18号を西進、上田城跡公園入口交差点信号を左折、約600m南下した二の丸橋へ入る感知式の信号を右折、二の丸東虎口を通って二の丸駐車場に着く。他にも駐車場が南の芝生広場側にある。駐車場から徒歩約5分。


≪ 位置図 ≫

上田藩主屋敷(上田高校)


紹介したお城の数 75城



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上田城

2013-06-01 05:29:24 | 長野県
 上田城

2013/5/4  信州北部遠征(3泊4日)

長野県上田市のお城めぐり

 徳川軍を二度も退けた真田氏の堅城 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 上田城
よみ: ウエダ
別称: 伊勢崎城・尼ヶ淵城・真田城・松尾城
所在地: 長野県上田市二の丸
現状: 上田城跡公園
築城年代: 天正十一年(1583)
築城者: 真田昌幸
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・小泉曲輪・現存西櫓・復元南櫓・復元北櫓・復元東虎口櫓門・二の丸東虎口・北虎口・空堀・水堀・石垣
規模: 本丸84m×100m、標高456m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/6/18・2013/5/4


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  2日目、ホテルを出て上田城へ向かう。

長野駅前を通って中御所北交差点信号を左折、国道19号を南下、犀川を渡り国道171号をさらに南下、青木島三叉路信号を斜めに左折、そのまま南下する。古戦場入口交差点信号を右折、国道18号を道なりに進み、上田市に入り上田城跡公園入口交差点信号を右折、約600m南下した二の丸橋へ入る感知式の信号を右折、二の丸東虎口を通って二の丸駐車場に着く。ここに車を駐車する。

二の丸橋の下に深い空堀があり、散策路になっている。橋を渡った東側道路沿いに上田城址碑と説明板がある。二の丸東虎口に帰り駐車場を西に通り過ぎると東虎口櫓門へ通じる橋から北サイドに水堀、南サイドに縁切りの石垣のある空堀を見られる。東虎口櫓門の入口の石垣に真田石があり、北に北櫓、南に南櫓が連なっている。この櫓群は有料250円で見学できる。
櫓門を入ると正面に真田神社があり社殿裏から真田井戸と西櫓に行ける。真田神社の北側水堀と土塁で囲まれた平地が本丸跡で東、北、西の土塁は高い、北東隅と北西隅には櫓跡がある。水堀の北東角土塁は鬼門を除ける隅欠けになっている。
本丸から西櫓を過ぎて、さらに西の体育館あたりが小泉曲輪で本丸との間に空堀跡がある。
西櫓から芝生広場へ降りる階段は急です。この階段を降りて尼ヶ淵と呼ばれる崖下の芝生広場から見上げる西櫓と南櫓はとても素晴らしく絵になります。
二の丸橋から大手通りを東へ約450m行った道の北側にある三角地が大手門公園で大手門跡です。


上田城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

小県郡の土豪小泉氏が小泉曲輪付近に出城を築いたと言われている。
天文十九年七月 (1550) 真田幸隆が武田晴信から上田城周辺の地を得る。
天文二十二年八月 (1553) 上田城に近接する地を晴信から与えられる。
天正十一年 (1583) 真田昌幸が上田城を築城する。
天正十三年 (1585) 第一次上田城合戦で大久保忠世ら率いる徳川勢7000余を退ける。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の前哨戦、第二次上田城合戦で徳川秀忠軍をまたも退け、足止めをして関ヶ原本戦に間に合わせなかった。
関ヶ原合戦の後、上田城は依田信守に管理され、破却されている。その後、真田信之に与えられたが三の丸に構えた館で藩政を執った。
元和八年八月 (1622) 真田信之は松代に転封となり、代わり仙石忠政が入り三代続き、城を復興した。
宝永三年 (1706) 仙石氏が但馬出石へ移封になり、代わり藤井松平氏松平忠周が城主となり七代続き、明治維新により廃城となるが西櫓のみ解体を免れ現存する。
昭和二十四年 (1949) 遊郭にあった南櫓と北櫓を城内に移築復元する。
平成六年 (1994) 東虎口櫓門を復元する。


≪ 写 真 ≫


二の丸橋


二の丸橋入口にある上田城址碑


二の丸橋の下の空堀


二の丸東虎口


本丸橋から東虎口櫓門、南櫓、北櫓


南櫓


本丸橋の下南側空堀


本丸橋の下北側水堀


東虎口櫓門


真田石


真田神社


本丸


本丸東側土塁


本丸北東隅櫓跡


本丸北側土塁


本丸北西隅櫓跡


本丸西側土塁


本丸側からの西櫓


小泉曲輪東側の空堀


小泉曲輪の体育館


芝生広場側からの西櫓と石垣


西櫓


芝生広場側からの南櫓と石垣


真田井戸


水堀


本丸土塁北東の隅欠


大手門公園


現地上田城公園案内板(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JRしなの鉄道線、長野新幹線上田駅から徒歩約20分。
<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を南西に進み、住吉交差点信号を直進、中央東交差点信号を斜め右折、国道18号を西進、上田城跡公園入口交差点信号を左折、約600m南下した二の丸橋へ入る感知式の信号を右折、二の丸東虎口を通って二の丸駐車場に着く。他にも駐車場が南の芝生広場側にある。


≪ 位置図 ≫

上田城


小泉曲輪


大手門公園


紹介したお城の数 74城



日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社




長野の山城ベスト50を歩く
クリエーター情報なし
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伴野城

2013-05-30 05:07:59 | 長野県
 伴野城

2013/5/3  信州北部遠征(3泊4日)

長野県佐久市のお城めぐり

 高く立派な土塁が残る伴野氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 伴野城
よみ: トモノ
別称: 野沢城・伴野館
所在地: 長野県佐久市野沢
現状: 城山公園・大伴神社
築城年代: 鎌倉時代
築城者: 伴野六郎時長
形式: 館
遺構: 土塁・堀・櫓台・土橋
規模: 80m×110m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/3


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  初日、龍岡城から伴野城へ向かう。

五稜郭であいの館駐車場を出て来た道を逆に戻る。龍岡橋南信号を右折、次の三叉路を左折、三分三叉路信号を右折、JR八ヶ岳高原線踏切を渡り、大きく左に曲がったら臼田駅前信号を右折、千曲川を渡り、城山北三叉路信号を右折、国道141号臼田バイパスを北上し、野沢西交差点信号を右折、県道145号を東へ進み、野沢本町交差点信号を右折、約200m南下した路地を左折、約150m狭い道を東へ行くと大伴神社があり、道路脇に路駐する。

大伴神社東側に城山公園入口があり、入口が土橋跡で説明板がある。公園を入った右側のトイレと池の間に伴野城跡城址碑があり、大伴神社側に伴野城跡の説明板が建てられている。
南北に長い城跡の北側と西側、東側の半分に高く立派な土塁跡が残り、北西角が櫓台跡だそうです。
単郭の縦に長い四囲の周りには堀跡の水堀が残っています。


≪ 歴 史 ≫

鎌倉時代に伴野氏によって築城され、戦国時代初期に規模を拡大したが本拠を前山城に移す。
天正十年七月 (1582) 徳川家康配下の依田信蕃の一族依田肥前守によって攻略され破壊される。
その後、米蔵や陣屋が置かれたりして明治維新を迎えている。


≪ 写 真 ≫


伴野城入口の土橋跡


伴野城址碑


伴野城主郭


北東側の土塁


西側の土塁


東側の土塁


北側の土塁と堀跡


大伴神社

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR八ヶ岳高原線中込駅から西へ1.4km徒歩約25分。
<車>
中部横断道佐久南ICで降りて国道142号を南東に進み、跡部交差点信号を直進、国道254号を進み野沢本町交差点信号を直進、約200m南下した路地を左折、約150m狭い道を東へ行くと大伴神社があり、道路脇に路駐する。


≪ 位置図 ≫

伴野城(城山公園)


紹介したお城の数 73城



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