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お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

鹿背山城

2013-03-02 22:59:33 | 京都府
 鹿背山城

2012/11/18

京都市木津川市のお城めぐり

 南山城屈指の大規模な土の城

≪ お城の概要 ≫

城名: 鹿背山城
よみ: カセヤマ
別称:
所在地: 京都府木津川市鹿背山鹿曲田
現状: 山
築城年代: 文治四年(1188)頃
築城者: 木津太郎英清
形式: 山城
遺構: 曲輪・土塁・堀切・竪堀・櫓台・虎口
規模: 400m×300m、標高136m
文化財:
訪城日: 2012/11/18


≪ 訪城記 ≫

山崎城から鹿背山城へ向かう。

宝積寺へ行く急な坂道の狭い道の来た道を引き返し、山崎駅前を過ぎ、西国街道、国道171号を通って名神高速大山崎ICまで戻る。名神高速には乗らずに京滋バイパス下の側道を市田まで進み、市田の信号を右折して、国道24号大久保バイパスをひたすら南下し、京奈和道城陽ICに乗らず、左折して東進し、消防本部前辺から側道に入り、城陽新池交差点を右折、国道24号を南下、木津川沿いの道をさらに南下、木津川を渡り、木津交差点で左折、すぐの木津駅前で左折、約400m行った突き当りを右折、府道47号を1.3km西進したところの交差点信号を右折して鹿背山の集落に入る。細い道を約400m進むと右手に鹿背山会館がある。この会館の前の空き地に車を駐車する。

会館から西念寺へ行く登り道があり、この登り道の入口に「左西念寺」と「左鹿背山城址」の石碑があるので分かりやすい。すぐに西念寺に到着し、寺の鐘突堂の前に縄張図付の説明板と横のポストに「鹿背山城跡配置図」が置いてあり、自由にもらえるので城めぐりに役立ちました。
寺から大手道を登れ、大手道を登るとすぐに、竹藪の中に段曲輪が連なり、所々に竹が伐採されていて様子が良く分かる。水たまりになった段曲輪から竪堀が良く分かるところを過ぎると、城の虎口に着く、この虎口を左に行き山裾を斜めに登りきると桝形虎口があり、抜けると主郭Ⅰに着く。主郭Ⅰには周囲に土塁跡があり、中央に鹿背山城址の木製碑がある。右手奥の広くなった曲輪の奥には一段高くなった櫓台跡がある。
城虎口にもう一度戻り、こんどは右に行くと主郭Ⅱに着く。主郭Ⅱは小さな台状地で、もう一度戻り山裾を行くと主郭Ⅲに着く。主郭Ⅲは主郭Ⅱより少し大きい台状地になっている。
主郭にⅡと主郭Ⅲの間に竪堀があり、この竪堀を降りて山裾沿いに主郭Ⅲの周りを行くと畝状竪堀群が見られ、さらに奥に行くと主郭Ⅲと出曲輪の間に大きな堀切があり、大きさに感動します。
城虎口へ戻り、主郭Ⅰと主郭Ⅱの間にある竪堀を降りて主郭Ⅰの山裾を行くと水の手(井戸)に着きます。
また、城虎口に戻り、今度は主郭Ⅰの山裾を左に行くと、割と広い段曲輪が続き、その先にははっきりわかる畝状竪堀群があり、山裾を右に行くと開けた場所に出て、大きな横堀群がはっきりわかります。この横堀の中を進むと土橋にたどり着きます。
図面には畝状竪堀群から点線で道が書かれているので行ってみようと竪堀降りたのですが、道がわからず迷子になりそうだったので、引き返し大手道から西念寺まで帰りました。
この城跡は見やすいように竹藪や木々が伐採されていて、とても見やすく遺構の竪堀や堀切がたくさん見られて満足です。
ちょうど紅葉の時期で、西念寺辺の木々がちょうどよい具合に赤く染まってました。


≪ 歴 史 ≫

文治四年頃、木津太郎英清が築城し、文明二年十月(1470)に畠山義就勢に攻められ、落城している。
永禄八年から四年間松永弾正久秀が大和の北の守りとして改築しようである。


≪ 写 真 ≫


登城口の西念寺


大手道沿いの段曲輪


段曲輪と奥に続く竪堀


城虎口


主郭Ⅰの虎口


主郭Ⅰの土塁


主郭Ⅰ


主郭Ⅰの木製鹿背山城址碑


主郭Ⅰ奥の櫓台


櫓台上からの主郭Ⅰ


主郭Ⅰと主郭Ⅱの間の堀切


主郭Ⅱ


主郭Ⅲ


主郭Ⅱと主郭Ⅲの間の堀切


主郭Ⅲ沿いの竪土塁


主郭Ⅲと出曲輪の間の広い堀切


水の手(井戸)


段曲輪奥の畝状竪堀群


横堀


西念寺登城口付近の紅葉


西念寺前の説明板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR奈良線木津駅からバスで鹿背山下車、徒歩20分。
<車>
京奈和道城陽ICで降りて、右折して東進し、消防本部前辺から側道に入り、城陽新池交差点を右折、国道24号を南下、木津川沿いの道をさらに南下、木津川を渡り、木津交差点で左折、すぐの木津駅前で左折、約400m行った突き当りを右折、府道47号を1.3km西進したところの交差点信号を右折して鹿背山の集落に入る。細い道を約400m進むと右手に鹿背山会館がある。


≪ 位置図 ≫

鹿背山会館


登城口の西念寺


鹿背山城


紹介したお城の数 34城



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山崎城

2013-03-01 22:50:37 | 京都府
 山崎城

2012/11/18

京都府大山崎町の城めぐり

 天下分け目の山崎合戦のあった地に築かれた豊臣秀吉の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 山崎城
よみ: ヤマザキ
別称: 鳥取尾山城・天王山城
所在地: 京都府乙訓郡大山崎町大山崎古城
現状: 山
築城年代: 南北朝時代初期
築城者: 赤松則祐
形式: 山城
遺構: 曲輪・天守台跡・井戸・土塁・石垣
規模: 標高270m、比高240m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2012/11/18


≪ 訪城記 ≫

名神高速道路大山崎ICで降りて大山座IC信号を右折、国道171号を南西に進み東海道新幹線高架下を通り約1.4kmで大山崎交差点を右折、もう一度東海道新幹線の下をくぐり、約200mで左折して府道67号西国街道を進み、大山崎町歴史資料館を右手に通り過ぎ、阪急京都線の下をくぐり、約600mで右折、東海道本線山崎駅前を北東に約200mで突き当りに東海道本線の踏切があり、この踏切を越えて、そのまままっすぐ狭い山道を登っていくと宝積寺の入口に着き、その右手に宝積寺の参拝者用駐車場がある。ここに駐車させてもらう。

ここから徒歩で天王山山頂の山崎城跡へ向かう。
宝積寺の境内へ入り、その右手、社殿と閻魔堂の間から突き当りに天王山への登山道があり、天王山山頂への案内板が出ている。
閻魔堂北側にある池の中にある小さな社付近はちょうど紅葉の季節で、とても綺麗でした。
しばらく登ると左手に青木葉谷広場があり、この広場に堺屋太一氏の「秀吉の道」と題した「秀吉の中国大返し」について書かれた石碑が建てられている。この後も山頂までの要所要所に建てられていて、この碑文を読みながら登るのもいいです。
また、この広場右手にも曲輪跡のような段曲輪があります。
30分程で酒解神社の鳥居前に着きます。この鳥居前には山崎合戦の地の石碑や旗立松があり、鳥居を過ぎたところ左手に「秀吉の道」、「天下分け目の天王山」の石碑が2枚あります。この後、分かれ道があり右側の道を行くと、すぐに禁門の変十七烈士の墓があります。そのまま登っても、元の道をまっすぐ行っても、酒解神社に着きます。入り口に三社宮の古い社があり、そのまま登ると酒解神社です。
神社を通り過ぎて、さらに登っていくと山頂に着きます。ここが山崎城跡です。奥の一段高いところに石が積まれていて天王山山頂の標柱のある場所が天守台跡のようです。本丸跡左に一段下がった曲輪があり、そこには井戸跡や土塁跡、さらに奥に帯曲輪があり、ここに石垣跡があるそうですが、わたしは分かりませんでした。
登山道脇には削平地や石垣跡が所々にあり、登りながら見つけるのも楽しいです。

帰りに大山崎町歴史資料館に寄りました。


大山崎町歴史資料館の詳細 ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

摂津国の南朝方から京都を防御するため、南北朝時代初期に播磨守護赤松則村の子則祐によって天王山山頂に築かれた。
応仁の乱頃、西軍に対抗するため山城守護山名是豊によって修築される。
その後、三好元長、柳本賢治・法華一揆、一向一揆の諸勢力の間で争奪が繰り返される。
天文七年三月 (1538) 細川晴元が修築をする。
天正十年六月 (1582) 本能寺の変後、備中国高松城から大返しをした羽柴秀吉と明智光秀が、この山崎の地で天下分け目の合戦を行い、天王山を占領した秀吉方が勝利し、秀吉は翌年六月に大坂城に移るまで山崎城を本拠地とした。


≪ 写 真 ≫


宝積寺


青木葉谷広場


酒解神社鳥居前にある山崎合戦の地の石碑


酒解神社鳥居前にある旗立松


酒解神社鳥居


禁門の変十七烈士の墓


三社宮


酒解神社


酒解神社神興庫


本丸西側の帯曲輪


本丸西側の井戸跡


井戸のある曲輪の土塁跡


本丸の一段高い天守台跡


本丸跡


宝積寺の紅葉


天王山山頂にある案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線山崎駅より徒歩50分。
<車>
名神高速道路大山崎ICで降りて大山座IC信号を右折、国道171号を南西に進み東海道新幹線高架下を通り約1.4kmで大山崎交差点を右折、もう一度東海道新幹線の下をくぐり、約200mで左折して府道67号西国街道を進み、大山崎町歴史資料館を右手に通り過ぎ、阪急京都線の下をくぐり、約600mで右折、東海道本線山崎駅前を北東に約200mで突き当りに東海道本線の踏切があり、この踏切を越えて、そのまままっすぐ狭い山道を登っていくと宝積寺の入口に着き、その右手に宝積寺の参拝者用駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

宝積寺社殿と閻魔堂の間にある登城口


天王山山頂の山崎城跡


大山崎町歴史資料館


紹介したお城の数 33城



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丹波亀山城

2013-01-26 13:23:50 | 京都府
 丹波亀山城

2013/1/13

京都府亀岡市のお城めぐり

 明智光秀が丹波攻略の拠点とした居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 丹波亀山城
よみ: タンバカメヤマ
別称: 亀山城・亀宝城・霞城・亀岡城
所在地: 京都府亀岡市荒塚町内丸
現状: 大本教本部・南郷公園
築城年代: 天正五~七年(1577-79)
築城者: 明智光秀
形式: 平城
遺構: 本丸石垣・大堀・内堀・外堀・井戸
規模: 本丸838坪半、標高114.64m、比高23.1m
文化財:
訪城日: 2013/1/13


≪ 訪城記 ≫

園部城から丹波亀山城へ向かう。
園部城を出て、国道9号山陰道を南下、亀岡市内に入り、加塚交差点を斜め方向に左折、亀岡市役所前を東へ約600m、道なりに左斜めに曲がる道をそのまま進むと右手に内堀沿いの南郷公園がある。この公園の終わりにある交差点を右折すると亀山城のある大本教本部前の道に出る。大本教本部の案内板が出ているので分かる。
境内に無料駐車場が完備されている。

車を駐車したら、まず、みろく会館に入り、事務の方に亀山城跡を見せてほしいとお願いするとパンフレットとお祓いを受ける万祥殿への行き方を教えてもらえる。
さっそく、万祥殿へ万祥橋手前の手水舎で手を洗い、万祥殿右側の受付で亀山城跡を見させてほしいと頼むと万祥殿の前でお祓いをしていただける。
お祓いが済むと万祥殿左端を通り抜けると、二つ門があり、通り抜けた右側が本丸跡ですが、教団の聖地となっていて入ることができません。本丸へ入れないのが非常に残念です。
しかし、本丸への石段脇の隅の本丸石垣は見事です。この石垣などは教団が荒れていた城跡を再建されたようです。この石垣の通りの左側には井戸跡と土塁跡らしき盛り上がりのある場所があります。
他には、万祥池付近の石垣、この石垣には天下普請の跡である刻印が見られ、万祥池の奥は空堀跡です。
教団入り右口の道沿いを北へ行くと南郷公園があり、広い内堀跡が見られ、公園の西隅には亀山城鯱瓦が一対飾られています。また、丹波亀山城址碑もここにあります。


≪ 歴 史 ≫

天正五~七年 (1577-79) 明智光秀が丹波攻略の拠点として中世の亀山砦を拡張して築城する。
天正十一年 (1583) 山崎の合戦後、羽柴秀勝(信長四男)、豊臣秀勝(関白秀次の弟)、小早川秀秋と城主が代わり、以後、代官が置かれる。
慶長十四年 (1609) 岡部長盛が城主となり、大坂方へに備え天下普請で城を拡張する。一説に藤堂高虎が縄張りをして、今治城の天守を移築したそうです。
その後、城主は大給松平氏、菅沼氏、藤井松平氏、久世氏、井上氏、青山氏、形原松平氏と移り、明治維新を迎える。
明治十年 (1877) 天守閣が解体され、本丸一部の石垣を残して運び去られる。


≪ 写 真 ≫


大本教本部入口


みろく会館


万祥殿(お祓いを受けるところ)


本丸石垣


本丸石段


井戸


万祥殿から本丸へ入る門


門横の石垣


万祥池横の石垣


万祥池横の石垣の刻印


万祥池奥の空堀跡


内堀跡(南郷公園)


南郷公園にある鯱瓦


南郷公園に建てられた亀山城址碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陰本線亀岡駅から徒歩10分
<車>
京都丹波道路亀岡ICを降りて重利信号を右折、国道372号を東進、加塚交差点を直進、亀岡市役所前を東へ約600m、道なりに左斜めに曲がる道をそのまま進むと右手に内堀沿いの南郷公園がある。この公園の終わりにある交差点を右折すると亀山城のある大本教本部前の道に出る。大本教本部の案内板が出ているので分かる。


≪ 位置図 ≫

丹波亀山城


南郷公園


紹介したお城の数 17城



ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社

園部城

2013-01-24 22:15:02 | 京都府
 園部城

2013/1/13

京都府南丹市のお城めぐり

 大手門・巽櫓が現存する小出氏十二代の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 園部城
よみ: ソノベ
別称: 園部陣屋
所在地: 京都府南丹市園部町小桜町
現状: 園部高校・園部公園
築城年代: 江戸時代
築城者: 小出吉親
形式: 平山城
遺構: 現存大手門、現存巽櫓、石垣
規模: 436m×654m、標高140m
文化財: 府指定文化財
訪城日: 2013/1/13


≪ 訪城記 ≫

名神高速道路京都東ICを降りて国道1号を西進し、堀川五条から国道9号をひたすら西進、老の坂峠を越えたあたりから霧が濃くなり、本日最初の目的地、亀岡市の亀山城に向かっていたが、霧で見渡しが良くないので、急遽次の目的地、南丹市の園部城まで行くことにする。
国道9号を北上し、南丹市へ入る。園部駅前を通り過ぎ、園部本町の信号を過ぎ、約250mの所の2つ目の信号を左折、南丹市役所、市立南丹博物館を過ぎたところが園部公園で無料駐車場がある。ここに駐車する。
お城風の南丹市国際交流会館が良く目立つので目印になる。

園部公園の南隣に園部高校があり、高校正門が現存の大手門で、門の前に園部城址碑と説明板が建っている。大手門の南側には現存の巽櫓まであり、しばらく見とれていました。
ちょうど校門のあたりに部活指導の先生らしき人がおられたので、写真を撮らしてくださいと声をかけると、気軽にどうぞと言ってくださいました。巽櫓を正面方向から撮りたかったので、櫓前にあるテニスコート内にも入らせてもらいました。満足です。

そのあと、国際交流会館を見て、立派ではあるが模擬天守でもないなあと思いながら、もともと園部城って天守閣はなかったよなぁ

公園の裏山、こむぎ山に三層の小麦山櫓というのがあったそうで、山に登りましたが山頂には慰霊碑がたくさんあるのみで、何もありませんでした。


≪ 歴 史 ≫

元和五年 但馬出石城主小出吉親が国替えで園部に移封され、戦国時代に荒木山城守氏綱が拠った薗部城址に築城を開始する。
元和七年十一月 二年の月日を経て城が完成し、入城する。
幕末の動乱期に天皇の隠れ家として迎えるため、城の大改築を行う。


≪ 写 真 ≫


園部公園入口


現存大手門(園部高校正門)


大手門


園部城址碑


現存巽櫓


お城風の国際交流会館


こむぎ山山頂の慰霊碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陰本線園部駅よりバスで市役所前下車、徒歩5分。
<車>
京都丹波道路園部ICを降りて府道19号を南下、約2.1kmで園部河原町交差点を左折、国道9号を南進、川に架かる橋を渡り、約500m橋の南詰信号の次の信号を右折、南丹市役所、市立南丹博物館を過ぎたところが園部公園で無料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

園部公園・園部高校


こむぎ山


紹介したお城の数 16城



城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック)
クリエーター情報なし
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