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星に願いを

5年間続けた海外生活から帰ってきて、5年がたちました。趣味の自転車(アウトドア)、読書(インドア)を綴っていきます。

自宅

2006年01月30日 07時47分30秒 | 思うこと
僕には、日本に自宅があり(今は人に貸しているけれど。)
今回の帰国で、そこを訪れた。

2階の一部屋を、物置部屋にしていて、
海外に引っ越しするときに持ち込めない物を保管していた。

今回、ロンドンからフランクフルトに引っ越しするにあたり、
追加で日本から荷物を送ることが出来るみたいだったので、
お貸ししている人にお願いして、家を開けてもらって、
物置部屋から荷物を持ち出した。

僕たちが住んでいたときには空き地だった隣には家が3件建ち、
すでに人が住んでいた。
また、南側の空き地にはアパートが建っていて、入居者を募集していた。

ずいぶん変わったものだと思った。
ほんの一年間での、変わり様に驚いた。

僕たちの赴任期間が終わり、自宅にまた住むようになったとき、
この周りはどのように変化しているのだろう。

偽装建築

2006年01月22日 21時46分02秒 | 思うこと

被災した人間にとって、最近の偽装建築問題は、心の底から許せない問題だと思う。
建築士としてのプロの意識を疑う。技術屋が、お金儲けを考えるとろくなことにならない。技術屋は、自分の技術をしっかり守っていけばいいのだ。頑固と言われようとも、自分の技術を信じて、守ってさえいけばいい。

自動車でも常に100%を求められる。なぜなら、一つのミスで、車が暴走、炎上、そして、人の死に至る可能性があるから。それは、建築士でも医師でも、技術を持つ人すべての仕事に言えることだと思う。その仕事を遂行するためには、とてもとても、プレッシャが掛かる。怖くなって逃げ出したくなるときもある。
でも、成し遂げたときの相手の人の笑顔、感謝の言葉、それを見るのが嬉しくて、ただそれだけのために、今を頑張っている。そして、次は、どんなことをしてみようかと、意欲が沸いてくるし、アイディアが出てくる。

技術屋(エンジニア)って、そんな仕事だと僕は思う。

偽装建築にしても、コストを下げろと言われたのなら、単に柱を抜くのではなくて、どうして柱を少なくしても同様の強度が得られるような設計技術を構築しようと考えなかったのだろうか?
もし、そんな技術が出来たのならば、柱を抜くような馬鹿げたことをするよりももっと儲かるかも知れない。儲かるというよりも、多くの人に喜ばれるだろうに。

続き

2006年01月18日 09時15分31秒 | 思うこと

午後には、水道の出が悪くなってきた。
母親が”お水を出来る限り貯めておかないと。”と、言って、お風呂にお水を貯めだした。そして、ありったけのゴミバケツを用意して、その中にゴミ袋を何重にも覆って、その中にお水を入れていた。ちょうど、水で満たされた時点で水道が出なくなった。

小学校時代からの友人で、同じく大阪で下宿している友人の実家に行ってみると、お父さんがいて、”息子と全然連絡が取れない。”といって嘆いていた。僕は、”大阪は大丈夫だから、心配しないで。”と言って、帰ってきたら、連絡を下さいとだけ伝えておいた。
その日の夜中から、何本か電話が入りだした。僕の母親の実家からだった。また、その友人からも電話が掛かってきた。
友人は、大きい地震だったなぁと思って、そのまま、自分の大学に通学したらしい。そのまま講義を受講して、バイトに言ったときに、バイト先の店主から、”神戸が大変なことになっている。”と、聞かされて、慌てて帰省したのだそうだ。

夜中には、我が家では電気が繋がった。
テレビの映像が始まり、冷蔵庫が動き出した。

神戸の被害を伝えていたけれど、テレビでは、数百人の死者が出た模様。と、伝えていた。
僕は、テレビに向かって、”こんなものじゃない!きっと、数万人単位で死者が出ているはず!政府は何をのんきな発言をしているの?自衛隊を早急に出して、対応しないと!”と、叫んでいた。

確かに、後で、政府の初動の遅れは指摘されていた。当時の神戸の被害は、きっと現場にいた人しかわからないと思う。20年以上過ごした僕でさえ、地震当時は、堺に住んでいて、正確には、当事者ではないけれど。

故郷を失う気持ちって、こんなにも淋しいものなのかと、痛感していた。

次の日の朝、もう一人の友人の家に行ってみた。
その友人のアパートは完全に倒壊していた。玄関の前に止めてあった友人のバイクの上にアパートのがれきが覆い被さっていて、見る影もなかった。
そこにあるべき、2階建てのアパートは跡形もなく、上を見上げると青空だけが広がっていた。
周りには、がれきの中から少しずつ自分たちの家財を出そうとする人たちがいた。その中に友人の姿はなかった。


11年前

2006年01月17日 11時43分59秒 | 思うこと
ちょうど、11年前。
僕は、大学の研究論文を書いていた。就職先は今の会社で、そこで、エンジニアになることを目指していた。

ある夜、下宿先で、夜中の3時まで友人と電話で話していた。電話を切った後、そのままこたつでうとうとしていた。外はまだ暗かった。

突然、下から突き上げるような揺れで叩き起こされて、その途端に、身体全体を左右に揺さぶられるような感覚に陥った。揺れが収まると同時に、頭のすぐ左側に、棚から電子レンジが倒れてきた。頭に直撃しなくて、ホッとした。

完全に揺れが収まり、慌てて実家に電話を掛けたら、父親が出てきた。まずは僕の無事を伝えた。父親からは、家族も無事だとのことだった。

テレビをつけると、大阪、京都と奈良のニュースが映像で流れていた。
”神戸はどうなってるんだろ。。”
そして一時間後、神戸の映像が流れたときに、自分の目を疑った。
”神戸が一番ひどい。”
それを見て、再度実家に電話を掛けたけれど、全く繋がらなかった。

身の回りのものを準備して、単車にまたがり、実家に向かった。
大学の研究室の自分の机にしばらく実家に戻る旨のメモを残して、実家に向かった。

大阪でも、あちこちが大渋滞で、壁が剥がれ落ちたマンションや、鉄骨が出てきているマンションがいくつもあった。実家に近づくにつれて、被害が大きくなっているのがわかった。

トラックの運転室の上に高速道路のコンクリートの巨大な塊が落ちてきて、運転手の腕だけが見えていたり、あちこちで炎をあげている乗用車、崩れた家、一階のガレージがつぶれているマンション。。
ここは、戦場かと思うくらいだった。

有名な高速道路が横倒しになったところも、全国に映像が流れるより前に、通過していた。

いつもなら、1時間の道のりも、4時間かかって、何とか実家にたどり着いた。
家族の顔を見たら、ホッとして、ほとんど寝ていない自分に気がついて、そのまま倒れ込むように寝てしまった。

すでに電気、ガス、水道が止まっていて、みんなで一つの部屋に固まって、静かにラジオを聴いていた。

夜になって、外を見ると、いつもは神戸の夜景が見渡せる景色なのに、神戸の市の境がわかるくらいに、神戸は真っ暗だった。
それを見ると、ますます悲しくなった。

ところどころ、赤い点が見えていたのは、火の手だった。

年明け

2006年01月02日 09時36分40秒 | 思うこと

ここ数年、自分の実家で年越しを過ごしていないけれど、それまでは、年越しを幼なじみと過ごすのは毎年恒例の行事だった。大晦日の午後には、友人のガレージにいつもの4人が集まり、自分たちの車やバイクの洗車を行う。

夕方に一旦解散し、夜の10時過ぎに僕の家に集まってくる。そして、地元のお寺に行って、除夜の鐘の順番待ちをする。毎年、木杓文字が整理券代わりのお土産だった。実家にはたくさんたまっていると思う。

除夜の鐘をついてから、すぐ近くの神社に行って、薪で暖をとりながら、年が明けるのを待つ。年が明けたら初詣。

そして、港の船舶の汽笛を聞きながら、もう一つ別の神社に向かって、御神酒を受ける。そこは比較的大きい神社なので、その時間に訪れると、小学校時代や中学時代の友人に出会うことがよくあった。

そのまま、友人の家に遊びに行って、6時頃、日の出を見に出かける。建設中のマンションによじ登ったり、六甲山に登ったり、明石海峡大橋が出来た年には、淡路島まで日の出を見に行ったりした。

しかし、日の出は、数回しか見ることが出来なかった。僕たちの中ではジンクスがあって、日の出が見れた年はろくな事が起こらないというものだった。
1度目… 見に行ったみんなが骨折を経験した。
2度目… みんなして、大学受験に失敗し、浪人生となった。
3度目… 阪神大震災の直撃を受けた。
(この初日の出の時は、本当に日の出が美しかった。
この日に地震曇が発生していたとの噂があった。)

結婚し、家族が出来ると、除夜の鐘、初詣は参加できたけれど、初日の出まではなかなか行けなくなった。ここ8年近くは、初日の出には行ったことがない。

ここ、イギリスで、ゆく年くる年の再放送(これも8時間から9時間遅れで、こちらの年越しに合わせて放送)を見ていると、横浜の汽笛の映像がが流れていた。
その汽笛の音を聞いていて、そんな自分の育った街での年越しを思い出していた。

自分の生まれ育った街に帰りたい気持ちになった。

冬休みの宿題

2005年12月30日 10時26分55秒 | 思うこと
イギリスの小学校に通う上の娘の冬休みの宿題には、漢字ドリルや算数ドリルなどの問題集はあまり出ていません。
国語(日本語)は、補習授業校(土曜日学校)で半日教育があるので、あまり心配していないけれど、
算数の学力が日本と比べてどうなのかは気になります。

どうやら、イギリスの学校では、足し算、引き算の意味をしっかりと教えるけれど、
いわゆる計算力をつけることはないようです。
上の娘は、来年の4月で日本では2年生になるけれど、計算のスピードが遅いです。
2年生からかけ算(九九)が始まるし、算数は一度乗り遅れると、それからついていけなくなるので、
気になっています。

日本に戻ったときのことを考えると、そういう部分を親がサポートしてあげないといけないのかも知れません。

お疲れモード

2005年12月16日 10時51分22秒 | 思うこと
最近ちょっとお疲れモード。

イギリスにいて、毎日毎日、夜の11時まで仕事をする羽目になるとは思いもしなかった。日本にいるときよりも、海外で仕事をしている方が、時間的には余裕があるのだと思っていた。

時間がくると、どんなに中途半端でも、机を片づけて、さっさと帰ってしまうローカルのスタッフ達。
彼らに言わせると、”時間管理をしっかりしている。”と言う。”日本人はだらだら時間を使って仕事をする。”と言う。
それは、間違いでは無いだろうけれど、ローカルのスタッフの責任感が薄いのも確か。でも、やる人はきちんと責任持ってやる人ももちろんいる。

僕だって、毎日きっかり5時に仕事を終わらせて、家に帰りたい。
仕事には、山谷があり、毎日同じ時間できっかり終わるはずがない。

そこが無責任だと言われる部分だと感じる。

技術。

2005年12月14日 09時08分53秒 | 思うこと
僕は、エンジニアである。
車の設計に携わっている。
そして、駐在員としてこの国に派遣されて、
日本の技術を、ここで伝える仕事をしている。

自動車は、工学のほとんどすべての技術が集積された製品である。
材料力学、流体力学、熱力学、燃焼工学、機械力学、
計測理論、摩擦工学、制御理論、システム工学。
最近では、電子工学、電気工学も。

そして、一つのミスが、
暴走、火災に繋がるので、徹底的な安全設計が要求される。

そこには、絶対の妥協は許されない世界。
人の命をあずかっているのだから。



ここの国の人はいい加減だと言われるが、
確かにその通りで、車の故障が本当に多い。

ドアの鍵が掛からなくなったとか、窓が閉まらなくなったとか、
トラブルを多く聞く。

鍵が掛からなくなったくらいなら良いけれど、
鍵が開かなくなったら、とんでもないことになる。
暑い日に、子供を残してうっかり鍵を掛けて開かなくなったら。。。
ぞっとする。

そんな話を、自分のイギリス人のスタッフに話すと、
”それは確かに、お前の言うとおりだと思う。
そもそも、自動車の緻密な設計には、イギリス人は向かないのだと思う。
ジャガー、ランドローバーは、アメリカのフォードの資本が入り、
ローバーミニは、BMW(ドイツ)の資本が入り、
唯一の国産メーカ、MGローバーは、春に倒産しただろ?
これで、イギリスの自動車メーカは完全になくなったよ。
その事実が、物語ってるだろ。”
と、自嘲気味に言われた。

確かに、その通りかも知れない。

欧州で、ドイツ、フランス、イタリアの自動車メーカが元気なのは、
やっぱり、そういう、緻密さ、徹底さ、妥協を許さない姿勢、を
持っているのだろう。

台所

2005年12月11日 09時16分21秒 | 思うこと

イギリスの家庭の台所には、食器洗浄機が備え付けられている。

パートナーが子供と赴任してきたときに、初めて台所に入って言ったのが、
”どうして流しがこんなに狭いの?”
だった。
確かに、食事をするときに、野菜を洗うくらいの広さしかない。
しばらくして、
”ああっ、そっかぁ。食洗器があるから、食べ終わった食器を流しで洗う
必要がないんだ。”
と、感心したように言っていた。

確かに、いっしょに暮らし始めてから自分が家事をするようになり、手が洗剤に負けていた。パートナーの手が痛々しいくらいにひび割れて切れていたのに、最近ではすっかり元に戻っている。

日本の食洗器は、水道を使って食器を洗うよりも水の量が抑えられて、環境に優しいことも”売り”の一つみたいだけれど、こっちの食洗器はどうだろうか?

日本よりも環境への配慮の薄い国だから、水をふんだんに使った設計になっているのかも知れない。

TESCO

2005年12月04日 08時22分11秒 | 思うこと
イギリスで日常品を買い物するのに、
必ず利用する場所に、”テスコ”がある。

日本に例えると、少し前の景気が良かった頃の
ダイエーみたいなイメージかな?

日用雑貨、食材、雑誌、CDやDVD、などなど。
テスコに行くと、一通りのものが揃う。
最近では、ガソリンスタンドも経営しているし、
携帯電話、自動車保険、家財保険も取り扱っているみたい。

確かに、便利なのはとても便利だけれど。

まさに、一昔前のダイエーのように、
盛りだくさん店頭に並べてあるのだけれど、
そこですべてを買おうと思わない。
と、感じるお店。

どこで買っても同じ品物(洗剤やジュースなど)は、
確かに安いから買うけれど、
食材は、美味しくなかったり、口に合わなかったりするから、
テスコであまり買わない。

店舗の莫大な規模や、大量入荷で大量消費の商品の取り扱い方、
安かろう悪かろうの商売感覚、今の成長度合い、
は、まさに資本主義社会の象徴のような気がする。

去年のこと。 ~続き~

2005年11月27日 09時09分45秒 | 思うこと

僕のグループと先輩のグループが上手く仕事が回るようになって、
同じ課にいるから、共同で仕事をすることが多く、
グループ内のメンバーの交流も活発になってきた。

たまにみんなで居酒屋でお酒を飲んで大騒ぎをしたりもした。

夏休みが明けた直後、部長に呼ばれて、
イギリス行きを告げられた。

すぐに家に帰ってパートナーには相談したけれど、
あまりに急なことで、パートナーも戸惑っていた。
もちろん、僕もどうすればいいのか、決断できずにいた。

その週末の土曜日、その先輩と二人で休日出勤をしていた。
先輩に訊いてみた。
”この間、イギリス赴任を部長に言われたよ。
元々、海外赴任を希望していたのだけれど、
イギリスは希望していた場所ではないし、
仕事もがらりと変わるから、正直、どうしようか迷っているんです。”
と。
そしたら、先輩は、
”海外を希望してたんでしょ?行くなら今だよ。
来年、お前のグループの仕事は今の俺達みたいに本当に忙しくなる。
そんな時期に誰も行かせてくれないよ。行くなら、今だよ。”
”でも、お前が抜けたら、来年は、忙しくなるなぁ。。”

去年の始めに、仕事が忙しくて、うつ病になりかけたというのに、
僕が抜けたら、一番被害を被るのは自分だというのに。
また、病気になるかも知れないと思うと、不安にもなるだろうに。。

一言めに、”行って来いよ。”って、言ってくれた先輩。
僕は、その一言で、ここに来ることを決断したようなものだった。

今まで、自分のおかれた立場の中で、自分の出来る限りのことをやってきた。
初めて、自分のやりたいこと、やってみたいことを通してみようと思った。


ちょうど一年前。
50人近く集まった、僕の壮行会の幹事を引き受けてくれて、
最後に、みんなの前で、ぼろぼろ涙を流しながら、
”あの時は、本当に助かったんだよ。
困ったことがあればいつでも言えばいいから。”
と、僕がいっしょに仕事をしていたときに先輩にいつも言っていた言葉を、
逆に貰った。

イギリスに来てからも、時々、メールが送られてきて、
”疲れてるみたいだけれど、大丈夫?”と、連絡が来る。


辛いとき、自分の力のなさを痛感したとき、悲しいとき、
いつも、そのことを思い出す。
そして、もうちょっと頑張ってみようかなと、奮い立たせる。

去年のこと。

2005年11月26日 10時10分23秒 | 思うこと

去年のこと。
僕よりも5つ年上だけれど、係長になったのが僕より一年遅い先輩がいた。
去年の始め、僕のグループとその先輩のグループがすぐ隣になって、
上司は同じ人になった。

その先輩は、グループのリーダーを前任者から引き継いだばかりで、
仕事の管理が上手くできていなくて、仕事が回っていなかった。
上からも怒られて、下からもプレッシャを掛けられていて、
大変だった。

僕が去年、新人の係長だったとき、同じ経験をしていたので、
見るに見かねて、声を掛けた。

”すぐ隣で困っている人を放っておくわけにはいかないから。
困ったことがあったら言ってね。”
でも、責任感の強い先輩は自分でやらないといけないと思い込んでいて
自宅にもパソコンを持って帰って仕事をしていた。

とうとう、見るに見かねて、仕事を無理やり引き受けることにした。
僕の部下に、
”俺は、サポートをするからね、自分たちも僕についてきて手伝いなさい。
来年には、立場が逆転するかも知れない。その時に誰も助けてくれないよ。”

僕の部下も、土曜日に仕事に出て来てくれて手伝って、なんとか納期通りに
間に合わせることが出来た。

そんなことが何度かあった。

ある時、その先輩に突然、呼び止められて、
”相談したいのだけれど。”
って言われた。
”何か有ったの?”と、僕。
”あまりに辛くて、頭が回らないし、言われたことがすぐに抜けてしまうんだ。
そしてみんなに迷惑を掛けているし、どうしたらいいのかわからない。うつ病になっているのだと思う。”

突然のことで、驚いたけれど、きっと誰にも言えなったのだろうなとおもったから、僕は言ったんだ。
”あまりに自分がしんどくて辛いと思うのなら、仕事を変えてもらうのも一つの案だよ。
自分でうつ病かも知れないと思えるのなら、今がチャンスだよ。本当のうつ病ならきっと自覚症状がないはずだから。
何よりも身体が大事だよ。あなたが身体を壊して一番不安なのは、自分じゃないよ、家族だよ。家族の人は頼りにしているのだから。
仕事の代わりは僕がいくらでもやってあげられるけれど、家の主の変わりは誰にも出来ないのだから。”
そして、またパソコンを家に持って帰ろうとする先輩を、
”パソコンを持って帰っちゃ駄目!”って怒鳴った。
”家にいるときくらい仕事を忘れないと!”って。

その陰で、先輩の部下一人一人に声をかけて、
”先輩をサポートしてあげてよ。”
と、お願いして頼んだ。

しばらくして、先輩は吹っ切れたみたいで、
自分のペースで仕事をこなすようになった。
すると、部下も付いてきてくれるようになって、
先輩のグループの仕事がうまく回るようになった。



続きます。

時間の感覚

2005年11月11日 11時12分04秒 | 思うこと

日本を感じながら、時間を考えていると、
感覚がおかしくなってくる。

今は、夜中の2時。日本はお昼の11時。
僕が朝目が覚めたとき、7時だとすると、16時。

僕が寝ている間に、日本では仕事をしている。

当たり前のことだけれど、時々、混乱してくるときがあるよ。

人間関係?

2005年11月04日 10時01分07秒 | 思うこと

どうして、みんなが向かう方向は同じなのに、我先に進む?

いいじゃん、人は人なんだから。
どうして、僕が進もうとする方向を遮ろうとする?

そんなにお前は正しい判断をする人なの?
間違えることは、全くないの?
人を小馬鹿にすることしか出来ないの?

いい加減僕だって、ブチ切れるよ。
どこまで馬鹿にすればいいの?

そんなに、僕のことが気に入らなくて、
不必要だと思うのなら、別に僕の心配はしてくれなくていいから、
さっさと切ってくれ。

二度と見たくない。
もう、関わらないで欲しい。