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星に願いを

5年間続けた海外生活から帰ってきて、5年がたちました。趣味の自転車(アウトドア)、読書(インドア)を綴っていきます。

休憩所

2013年07月31日 23時23分16秒 | 思うこと

自転車で走っているときに、休憩ポイントとして利用しているのが
コンビニエンスストアだ。
ドリンクはスポーツドリンクのあるしコーラなどもあるので糖分補給も
出来るしも、ちょっとした補給品(カロリーメイトやスニッカーズなどの
パワーバー系)もある。
トイレも綺麗なので使いやすいし、愛知では駐車場が広いので、日陰を
探して身体を休めることも出来る。

大体、24km~30km地点を休憩地点として、その近辺に存在するコンビニを
休憩地点として、いつも利用している。これは2軒目


だけれど、今年に入ってから、立て続けに利用しているコンビニが
閉店に追い込まれている。これは3軒目


春先までに3軒続いて、この夏で4軒目。しかも、店舗はすでに解体済で
すっかりさら地に変わっていた。


家族は呪われているんじゃないかとからかうが、毎度毎度休憩地点を
探す羽目になる方もたまったもんじゃない。




どうしたらいいと思う?

2012年11月19日 20時22分25秒 | 思うこと

18年間も会社勤めを続けていると、組織の中の全体を見回すと
いつも間にやら、年上の人よりも年下のほうが人数が多くなっている。

人間関係も、先輩、後輩の間柄ではなく、上司、部下のいう関係で
接していかないといけなくなってきた。

例えば、僕と年下のスタッフと二人で話しをする機会があったとしたら
僕は気さくに、ざっくばらんに話して欲しいのに、相手が身構えてしまう。

なかなか本音を出して話してもらえない。そういう形になるには、
今までよりもいっそうの時間が掛かる。
それは、信頼関係ではなく、信義という人間関係であり、ある程度は
仕方がないのだろう。

なので、僕の発言は、先輩のアドバイスではなく、上司の指示であり、
絶対的なものとなっている。
僕のほうは、お願いではなく、要求の形でなければならない。


チームのコーチ、監督として、チーム全体を正しい方向(勝利)へと
導いていくためには、コーチ、監督の特色を出していきながら、
適切な指示を出していくことが必要である。
そのためには、今までの経験を基にした、判断力が問われる。

最近思うのは、その判断力というのは、必ずしも常に正しい判断を
すること、正しい判断が出来ること、ではないということだ。

人間のすることなので、常に100点を狙っても、常に満点が取れるわけ
ではない。ある局面では、合格点が90点だったり、55点だったりする。

その局面局面の中で、どこまでやったら合格点になるのか、そのためには
何をしたらいいのか、を、判断し、展開して、最後に責任を負うことが
本当の「判断力」なのだと思う。


僕よりも高い給料を貰っていて、判断をしない、出来ない上司が同じ
部署の中にいる。
部下が、「どうしましょう?」「どうしたらいいですか?」と、
判断を求めているのに、「君ならどうしたらいいと思う?」と逆に
聞かれて、困ってしまい、そのまま次に進めなくなるのだそうだ。

確かに、その課のミーティングはとても時間が長い。
僕なら、イライラしてしまうだろうし、実際に部下の立場だった時には
文句を言っていたように思う。

判断の出来ない上司の元で仕事をすることのやりにくさ、は、自分も
今まで経験してきたので、とてもよくわかる。
僕はそれを反面教師として、今までやってきたつもり。

これ以上、高い役職に就きたいとは思わないけれど、「判断力」は
持っていたい。的確ではなく、状況に応じた適切な判断が出来る様に
なっていたいと思う。



2012年07月29日 00時22分18秒 | 思うこと

日本にはいろんな道があると子供のころ、親から教えられた。
柔道、剣道、空手道、合気道、だけでなく、書道、茶道、など。

礼に始まり礼に終わる。相手を思いやる、称える気持ち。
自分自身の心、技、体を鍛える中で、相手に勝つのではなく、
自分に克つことを一番におくこと。

自分も、子供のころやっていた空手道でそれを学んだ。


何大会目ぶりに、ライブでオリンピックの柔道を観戦している。
柔道は、いつの間にか、JUDOというスポーツに変わっていた。
改めて、そんなことを今さらながら認識した。
国際化というのはこういうことなのだろう。

日本の柔道家は、道としての柔道と、スポーツとしてのJUDOの
間で、戸惑いながら、それでもそれを乗り越えて戦ってるんだと
思った。


着信音

2012年01月31日 00時32分58秒 | 思うこと
家族で夕食でレストランへ行った時のこと。

隣りの席のカップルの男のスマートフォンのメール着信音が
TVでの災害時の緊急速報のチャイムだった。

その人にメールが届く度に、動悸が激しくなり落ち着かなかった。

阪神大震災、東日本大震災を経験した人はみんなそうだと思う。
まだまだ、のどかな東海地方だと思った。

今日の出来事

2011年09月15日 23時38分20秒 | 思うこと


今日は、輪番休業のおかげで、本来平日に開催されている小学校の
音楽会を鑑賞することが出来た。

朝はのんびり9時起床。
平日に遅く起きれるなんて、少しだけ優越感に浸れる。
その分、土日、働いているんだけれどね。

ゆっくりと朝食を用意して、食べていた。
開始時間の11時に合わせて、パートナーと徒歩で小学校へ。
しばらく使っていないハンディカムとデジカメを持って行く。

今日は、残暑厳しい一日で、歩いていると、汗が流れ出た。
小学校に着くころには、汗びっしょりだった。
風は秋を感じるけれど、陽射しがとても強い。

講堂に入ると全体の合唱が終わって、学年別の合唱が始まるところだった。

しかし。。。
保護者のマナーの悪さにはすっかり閉口した。
子供たちの演奏が始まっているというのに、父兄席がずっとざわついている。
一番前の席で、後ろ向きになって、後ろの親と話に夢中になっている母親。

僕たちの隣では、大きな声で井戸端会議をしている母親。

生徒たちの方がよっぽど行儀よく聴いている。

自分の子供が出ていないのならば、さっさと退席すればいいのに、
まるで関係ないかのように会話に夢中になっている。

自分の娘の時には、ハンディカムを片手に、その母親達にガンを飛ばして
黙らせた。
ふてくされたような顔をして、席を立って行った。
しかも子供たちの演奏中に。


日本のマナーの悪さに、すっかり幻滅し、情けない思いでいっぱいになった
一日だった。

帰る道で、パートナーと、
「日本では、自由をはき違えている大人が多いんだね。」
「自由って、『なんでもやっていい』んじゃなくて、『自己責任を持つ』
っていう意味なんだけれどね。」

なんでも手に入るし、その苦労を知らない、有って当たり前の世界に
浸っていると、そういう風になってしまうのだろう。


そのまま、パートナーと買い物へ行って、夕方にはいつもの体育館の
アリーナでジョギングをしてきた。
今日は少し足が張っている。


うつむきかげん

2011年09月01日 22時54分59秒 | 思うこと

最近思ったこと.
仕事に向かう道のり、駐車場に車を止めてデスクに向かう時に
ふと思った。

歩いている時に下を向いていた。
地面を向いていて、前を見ていないことに気がついた。

ずっと前は、うつむきかげんで歩いていることが多かった。
けれど、海外の生活を続けているうちに前を見て歩くように
なっていた。


このところ、気が付いた時に前を向くように向き直すけれど、
その回数が多い気がしている。

疲れているのか、気持ちが乗っていないのか、理由はわからない。
それでも、気がついた時に直していたい。


アメリカにいて思う

2011年07月23日 05時07分27秒 | 思うこと
今、アメリカに出張に来ています。
初めてのアメリカ訪問です。
いつでも行けると思っていたら、この年齢に
なってしまいました。

先週の木、金の週末は出張準備をしていた上、
土日が仕事だから、そのままこちらで金曜日まで
打合せをしていて、丸々2週間以上ぶっ続けで
仕事をしていた。
休めたのは、移動中の飛行機の中だけでした。

アメリカに来ていても、仕事のことで頭がいっぱいで、
とても周りを見ている余裕がないけれど、
たった今、やっと週末を迎えていて、ふと思った。

風景を見ているだけだけれど、このアメリカの社会の
大きさ、偉大さ、懐のでかさ、を肌で感じていることに
気がついた。

何もかもスケールの大きな国だ。
人もでかいし、車もでかい(笑
あげくに、食事の量も多い。

ただ、当初思っていたよりも緑も多いです。


その反面、住宅街を抜けると、あちこちの家に
不動産屋の看板が出ています。

勝ち組と負け組のはっきりしている実力社会の縮図を
見ている気がします。


その中に身を置き、さらに自分を磨きたいと思う自分と、
そんな勝負をかける年齢でもないとためらう自分がいます。


週末は、五大湖のほとりへ観光に行ってこようと思います。
また、改めて、アメリカの大きさを感じてこようと思っています。



ふと思うこと

2011年07月06日 23時38分34秒 | 思うこと

学生時代、独り暮らししていた頃から一番見ていた報道局はNHKだった。
朝起きて、ニュースを見ていたのもNHKだったし、夜のニュースや
スポーツ番組ももっぱらNHKだった。

就職先が決まって、大阪を離れる直前に、阪神大震災が発生した。
その時にも、一番ニュートラルな報道を心がけていたのがNHKだった。

家族が出来て、パートナーや子供たちはいろんな局のいろんな番組を
観るが、僕は相変わらずNHKが多い。とはいえ、テレビ番組自体を
ほとんど観ることは無くなったし、もはや観るに値する番組が無いのが
正直なところだ。


今回の東日本大震災に関連する報道だが、報道の強さを感じられなかった、
というか、作る側、伝える側の気持ちが伝わってこなかった。

阪神大震災の時のNHK大阪支局の宮田修アナウンサー、
ニューヨークの同時多発テロの時のNHKワシントン支局の手嶋龍一
キャスターなど、24時間以上ぶっ続けでテレビの向こうの人たちに
伝えていた。
プロ意識の凄さと映像の臨場感に負けないくらいの力強い気持ちの
込めようだった。

お二人とも、今でも顔が思い出せるくらいだし、思い出せなくても、
写真を見れば、誰でもあっと気がつくと思う。

今回の一連の報道の中で、そういう人が出てきていただろうか?
それだけ、テレビの影響力も落ちてきたということが言えるのだろう。


画像や映像のちから

2011年03月30日 23時43分02秒 | 思うこと



東日本の震災が発生してから一か月。
時が経つことの早さを実感しながら、西日本に住んでいる
自分たちは、今を、今までどおりに生活を続けることで、
日本を支えていかないといけないと思いつつ過ごしている。

普通に生活が出来ていることの大切さを噛み締めながら。

海外のメディアがどのように伝えているのか知りたいと思って、
パートナーと一緒にネットを見てみた。

というのは、ドイツに住んでいた時のこと。
12時を過ぎると、テレビ番組は、結構衝撃的な番組を
流していたからである。

紛争のテレビ番組では、戦争で丸こげになっている子供
(と思われる映像)、片腕のない兵隊など。
そのほか、犯罪の番組や病気の番組。。アダルト系の番組も。
子供の観ない時間帯では、結構リアルな映像とともに、
言葉がわからないままでもショックを受けながら見入っていた
記憶がある。
それは、判断力を身に付けた大人のための番組という時間だった。

おそらく、海外のメディアの方が、そういう津波や震災の悲惨な部分、
日本のメディアがスポットを当てずに避けるだろうと思われる部分も
残していて、正しく伝えているだろうと、パートナーと考えたからである。

確かにその通りだった。
津波に流されていく人たちの映像、画像。
遺体の画像がそのままリアルに残されていた。



言葉はいくらでも偽ることが出来るし、判断が受け手に依存される。
同じ文章でも、よいように取る人もいれば、悪く取る人もいる。

しかしながら、画像、映像は、事実を映し出すそのもので、
(改ざんされない限り)、そこには偽りも何もないはず。

それを正しく伝えることが本来のメディアの姿なのではないか。
批判や批評ではなく、正しく伝えることが大切だと思う。

それこそが報道の在り方ではないかと、海外に行ってから思うようになった。



卒業式

2011年03月19日 02時13分22秒 | 思うこと

今日は上の娘の小学校の卒業式でした。

仕事を有休にして、出席してきました。
自分の父親があまり学校行事に出る人ではなく、
子供心にさびしい思いをした記憶があるので、自分は
学校行事には出来る限り出るようにしたいと思っています。

それでも、仕事の出張だったりして、上も下も卒園式には
出ることが出来なかったでした。

自分と歳の差は2●年。自分の時の小学校の卒業式を
思い出していました。

1年生の時には、ロンドンの現地校にて過ごし、
2年生から5年生の2学期までフランクフルトの
日本人学校で過ごした。

親子とも、今の小学校での思い入れは少ないので
感慨深いものはあまりなかったけれど、月日の早さ、
子供の成長の早さには感慨深いものがありました。


きっと、これからは、もっと辛いこと、大変なことが控えて
いるのだろうけれど、自分で乗り越えていかないといけない。
乗り越えた時には、それ以上の喜びが待っているのだから。

とはいえ、彼女にとっては、大きな一区切りの一つ
4月からは、中学生です。

先日、まっさらの制服を手に入れていました。
次のステップに踏み出していきます。

これからもそっと見守っていきたいと思います。


ひとことが足りない

2011年01月14日 00時35分28秒 | 思うこと

少し前のこと。
地元の電車に乗って、出張へ出掛ける機会があった。

各駅停車で30分ほどの距離。

僕は、入り口近くの端の席に座り、文庫本を読んでいた。
隣には、iPODを聞いている学生風の男子が座っていた。

途中の駅で、快速と急行待ちでしばらく停車していた。
その駅でその男子は降車していった。

入れ替わりで、僕の隣に、50代くらいの女性が座った。


しばらくして、さっきの男子が戻って来て、
突然、その女性の正面に立って座り込み、女性の足元に
手を差し入れた。両足の間に手を入れる形になった。

女性は、焦ってしまって、固まっていた。
僕は、思わず、「何やってんの?変態か?」と叫んで、
その腕を掴み取りそうになって、身体がぴくんと動いた。

その瞬間、その男子は、差し込んだ手に切符を持っていた。
その後、その男子、一言も何も言わずに、電車を降りていった。

それですべてがわかった。


座っているときに、切符を落としたらしい。
気付かずに、駅を降りて、自動改札の前で切符がないことに
気がついて、歩いたルートをたどって戻ってきたのだった。


しかし。。
少なくとも、
「あなたの足元に僕の落としてしまった切符があります。
申し訳ありませんが、取らせてもらえませんか?」
そのひとこと、ふたことが言えないのかなぁ。。


女性が年頃で、驚いて、「この人痴漢!」って、大声出したら、
ホントに痴漢で逮捕されるぞ。と、思ったりした。

まっとうなコミュニケーションが出来ない若い人が
増えてるのはホントなんだなぁと実感したひとときだった。


仕事納め

2010年12月30日 02時35分58秒 | 思うこと

今日は仕事の最終日
最後の最後にドタバタしたけれど、無事に年末を迎えられそう。

今年は、久しぶりに忙しい一年でした。
5年ぶりに日本に戻って来て、仕事に慣れなければならなかった。
全く新しいチーム作りから始めた。
部下は二人
4年目の中途採用の部下と2年目の部下

僕も含めて、いろんなものを抱えていることがわかった。
それを理解しながら、追い込むところは追い込んで、
緩めるところは緩めて、自分自身も追い込んでやってきた。

その思いが、今の若い人に伝わらなかったのが一番残念だった。

発表会の指導。
毎日のように発表資料のアドバイス、話し方のアドバイスを
繰り返した。発表は無事にうまく終えることが出来た。
けれど、終わって会場から引き揚げるときに、
「ありがとうございました。」「自分の発表はどうでしたか?」
「これからも御指導よろしくお願いします。」
何の言葉も貰えることはなかった。

今日の帰り。
僕よりも一足先に帰宅する部下は、「お疲れ様です」
とだけ言って帰っていった。
今日は仕事納め。世話になった上司には、「お世話になりました。」
「来年もよろしくお願いします」「よいお年をお迎えください」
と声を掛けて帰っていくものだと思うが、それがなかった。

挨拶なんて期待するものではないけれど、それが自然と出来ないのは
育ちなのか?本当にお世話になったと感じていないのか?

来年も、この感覚の違いには悩まされそうである。


水分補給の大切さ

2010年08月24日 01時00分08秒 | 思うこと

土曜日に、早朝ランをしてきた。
いつもの通り5時過ぎに起きて朝食を取り、6時に出発。
いつも距離の30kmを走って、7時半に帰宅。
今回は体調がよかったのか、ノンストップで
休憩を取ることなく、30kmを一気に走り切ることが出来た。
平均時速も24.1km/hだった。
ドイツで一番走りこんでいた頃まで、力が戻ってきたかも知れない
と、少しうれしかった。

確かに、7時過ぎからは陽が照ってきて、アスファルトへの照り返しも
強くなってきた。
家に着いた時には、シャワーを浴びたときのように汗をかいていた。
その割には、補給した水分は、ボトルを二本積んでいったけれど、
一本目の半分くらいしか消費していなかった。
消費していたとしても、途中、口に含んで、潤すだけで吐き出したり、
頭からかぶったりしていて、ほとんど体内に入れていない。

帰宅した後も、飲み物を取るわけではなく、シャワーを浴びた後、
クーラーの利いた涼しい部屋でのんびりして、汗が引くのを待っていた。

走った後のふくらはぎや太もものつっぱり感は筋肉痛だと思っていた。

午後には、子供たちを連れて、遊園地へ行ってきた。


日曜日。
身体中が火照ったように熱いし、関節のあちこちが痛む。
体温を計ると、39℃だった。喉も痛い。
ポカリスウェットを飲んで、一日寝ていた。
あまりにしんどいので夜中に目が覚めた。
体温は、39.8℃になっていた。
解熱剤を飲んで、眠った。

そして、今日。
朝方も37.5℃の熱だったので、仕事を休む。
そのまま病院へ行くと、
「扁桃腺が腫れています。そして、明らかに水分補給が足りていません。
熱中症気味になっています。」
との診断結果だった。

そういえば、九州で、50km走った時にも、次の日の夕方から、
その次の日に掛けて、37.5℃近い熱が出て休んでいたことがあった。

その時も水分補給が足りなかったのだろう。
ふくらはぎや太もものつっぱり感は、水分を身体が求めていたのだろう。

自転車で走っていて、汗で出ていく分よりは摂取する水分は明らかに
少なかったかもしれない。

これからは、水分の補給にも気を使って走らなければ。。


走行距離 29.6km
最高速度 44.3km/h
平均速度 24.1km/h

帰路へ

2010年06月12日 15時02分36秒 | 思うこと
今は、現地時間、土曜日朝の11時
金曜日ですべての仕事は終わり。100点満点とは行かなかったけれど
次に繋がる区切りはつけられたと確信できたので、OKとしよう。
近いうちに、もう一度足を運ばないといけないだろう。
でも、それは、これからのためにもっと若いスタッフに行って貰おう。

もうそろそろ、僕が最前線に立って陣頭指揮を執るのもどうかと思う。
一歩下がって、周りを見渡しながら、仕事に取り組みたい。

それはともかく。。
今はインドの首都、デリーまで移動してきました。
昨晩遅く、デリーに到着。
ホテルに入ったときには、ほぼ日付が変わっていました。
少し興奮していたみたいで、なかなか寝付けず、バスタブに
お湯を張って、ゆっくり身体を沈めていた。
昨日から南アフリカでのワールドカップが開催したようで、
こちらのテレビでもあちこちのチャンネルでそれを流していた。

街やこの国の空気を感じないようにするには、こういうテレビを観て
気を紛らわすのが一番いい。
サッカーが終われば、そのまま部屋を真っ暗にして眠った。
午前2時過ぎていた。

何故か、6時半に目が覚めた。
変な夢を見ていた。誰かに助けを求めている夢だった。

僕は、自衛官か警察官になっていて、同僚が助けを求めているのを
助けているところだった。
自分だけでは手に負えず、他のスタッフの助けを求めていて
もがいているところで目が覚めた。

外はもうすでに明るかった。カーテンを開けっぱなしで寝ていたので、
強い日差しが差し込んでいた。街の喧騒はなく、静かなインドの朝だった。


それ以降は珍しく目覚めがよく、というか、これ以上寝付けなかった。
テレビをつけるとワールドカップのフランス戦のVTRが流れていた。
それを聴きながら、持ってきた文庫本を読んでいた。
気がつくと、10時過ぎていた。
慌てて、レストランで朝食を取る。トーストとハムとゆで卵を取ると
オムライスを作ってくれるというので、シェフにお願いした。

ビュッフェへ行くと、オレンジジュースが美味しそう。
いつもホテルに泊まりに行くときの朝は、一番最初にオレンジジュースを
飲むのが日課。
後でお腹を壊してしまうときもあるんだけれど、余裕のあるときには
いつもそうしてる。
でも、インドということもあって、今日は飲まなかった。

出てきたオムライスにも、スイカとオレンジのフルーツが盛られていた。
食べたかったけれど、それにも手をつけかなった。
日本に戻ってから、生ものは食べよう。

今日の夜遅い便でインドを発つ。
23時過ぎ発だ。早朝に香港に到着し、名古屋行きに乗り換える。
フライトまで時間が有るから、ホテルでレイトチェックアウトを
お願いし、ホテルの部屋で過ごすことにした。

街へ出て行ってもいいけれど、今は少し、この街、国と離れていたい。
自分自身が受け止められるようになるまでは。。

今では、人の歓声、車のクラクション、都会の喧騒が伝わってくる。
今は、それからさえも、自分自身をシャットダウンしたい気持ちだ。

少し横になって、目を閉じていよう。


エネルギーなのか?

2010年06月10日 19時59分03秒 | 思うこと
何も余計なことを考えずに、仕事に集中してみます。
けれど、日本や、僕が以前住んでいた国などでは考えもしなかったことが
ここでは普通に起こっています。

野良犬のように、道路脇で横たわって寝そべっている老人
そのまま車に轢かれても、誰も関与しないし、知られることもなさそう。
それくらい、気配を感じることが出来ないです。

そのすぐ隣では、工科大学のグラウンドがあって、青々とした芝生が
広がり、サッカーやクリケットのクラブ活動をしています。

このギャップに、誰も何も感じることはないのだろうか?
これが当たり前のことのように、みんなが活動しています。


インドと言う国には、とてもエネルギー、活力を感じます。

でもそれは、今まで僕が吸い込んできたものとは違い、
ある時はグレーだったり、黒っぽかったり、いろんな色が混じっています。
何故か無彩色ばかりです。
色がついていたとしても、ダークブラウンです。

ほんの時々、綿花か何かの野菜を育てている畑があって、緑が一面に
広がってる所をみつけると、なんだかほっとします。

僕の身体や頭や心の中へと、そんなエネルギーのような物質がどんどんと
入ってきて、ますます混乱させていきます。

僕には、これ以上長くいることは出来そうに有りません。
ましてや、ここで生活することは、僕の中の大事な何かを捨てて
しまわないと出来ないような気がします。

そして、僕の中へと入ってくる物質をどこかで断ち切ってしまって
入ってこないようにしないと、もしくは、入ってきても何も感じないように
しないと、自分がおかしくなってしまいそうです。

ちょうど、胃腸の調子も悪いので、今日は少し早めにあがらせて
もらいました。
今はもう、何もかも忘れてベッドに潜り込みたいです。