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星に願いを

5年間続けた海外生活から帰ってきて、5年がたちました。趣味の自転車(アウトドア)、読書(インドア)を綴っていきます。

他人ごとではない

2009年02月17日 21時36分32秒 | 思うこと

お酒じゃない、風邪薬とは言うけれど、それだったら処方どおりに飲めばいいことだし。
自己管理が出来ない人間が、国家の管理が出来るのか?という話もある。

あまりにみっともない話で、情けなくなってくる。
今までに、世界中でこんな出来事あっただろうか?

BBC Nwesには動画まで掲載されていた。


でも、自分の胸に手を当ててみると。。
前日、夜更かしした後の会議で、記憶がなくなったことがない訳ではない。
仕事をしていたり、授業で居眠りしたこともなくはない。
仕事中の居眠りは、体調が悪い時や、忙しい時には今でもしてしまう。

そのことがどれだけみっともないことなのかが、痛切にわかった。

重要な局面では、出来る限り体調を整え、万全の体制で臨むことの大切さ。
ぎりぎりまで会議の資料の準備を行うことも大事だけれど、
徹夜で臨んで眠りこけてしまわないようにすることのほうがもっと大切。

そのための業務管理と自己管理のバランスをしっかりとつけること。
それが出来ない人は、組織のトップに立つべきではない。


数年前。。
突然眠気が襲ってきて、コーヒーを飲んでも、トイレで顔を洗ってきても、
太ももをつねってみても、どうしても回復しないことがあった。
たとえ、それが車の運転中であっても、襲ってきていた。
自分がそんな病気なんじゃないかと悩んだこともあった。
実際にそうだったのかもしれない。
今は、そのような症状はほとんど出ないけれど。

そして、僕はお酒が全然飲めない。
飲み会の席では、無理して飲んで、一番につぶれて寝てしまう。
それも避けないといけない。
幸い、ドイツは、ビールの国なので、結構おいしい、
アルコールフリーのビールもあるので、僕はいつもそれを注文している。
ドイツ人だって、無理しないとき、車の運転が控えている時は、
それを飲んでいた。

今では、堂々と、「体質のために飲めません。」「車で来たから。」
と言い訳を言って飲まないようにしている。


今回のことは、自分のことに照らし合わせて、受け止めて、
自分を律するつもりでこれから取り組んで行きたいと思う。

読み書きそろばん

2009年02月06日 23時52分05秒 | 思うこと

この間、語学のことをブログに書いた。
職場の同僚と話す機会があった。

彼は、ドイツ人だけれど、日本語を流暢に話すし、聞き取れる。
しかし、友人との会話で身につけた日本語なので、
年上の、僕に対しても、
「あのさぁ。。えっとさぁ。。」
が、言い出しである。

僕は、生まれも育ちも関西なので、
こういう口調の標準語しゃべりがどうも受け入れられないのもあり、
「なんじゃこいつ?」
と、思ってしまう。

向こうにとっては、全く悪気はないのだろうけれど。
僕からしたら、英語で会話してもらった方が気持ちよくコミュニケーションが取れる。


そして、書くことも、読むことも全く出来ないと言っていた。
だから、彼は、日本の日本人と電話では日本語で会話し、
データやレポートなどは英語で発信する。


江戸時代の寺子屋の頃から、
「読み書きそろばん」
と言って、日本語を身につけるためには、読みと書きが重視されてきた。


それだけ、日本語は難しいのだろう。
おそらく、世界で一番難しい言語なのだと思う。


語学

2009年02月02日 23時59分14秒 | 思うこと


日本人が英語が出来ない理由で、最近わかったこと

一番の問題は、話すこと、聞くことが出来ないことだ。

多分、高校卒業レベルの英語の力は、本を読んだり、文章を書くには充分だと思う。
英語の本を読むのは、苦労するけれど、読めなくはないだろう。

こちらの製品の取扱説明書など、薄っぺらで絵が多くレイアウトされていて、
見た目に訴える内容になっている。
書いてある言葉がわからなくても、感覚で使えるようになる。
今でこそ違うけれど、日本の製品の取扱説明書は、文字が多く、
また、辞典のようなページ数である。
今でも禁止事項などの項目は、文章がつらつらと書かれている。


そして、英語を書くのも、日本人は綴りをとても丁寧に書く。
ドイツやフランス、イタリアなど、英語を第2外国語とする国の人たちは、
確かにとても字が汚いし、同じ国の人でも読めない場合が多く、書くことが苦手な人が多い。


逆に、彼らと絶対的に違うのは、
日本人は、絶対的に、聞き取る力、話す力が不足していることだ。

これは、言葉に対する受け止め方の違いだと思う。
日本語は、50のひらがな、50のカタカナ、小学校で1000文字近くの漢字を覚えないといけない。
また、漢字にはその時々で、音読み、訓読みなど、読み方が複数ある場合が多い。

これらをまず、すべて覚えないと、日本語を操ることが出来ない。
そのためには、日本語教育では、漢字ドリルで漢字を書いたり、本を読ませたりして覚えさせる。
初期に多くの情報を一度に脳にインプットするためには、それが一番よい方法だからだ。

それは、決して間違っていないと思う。

問題は、その方法を英語に適用しようとする、現在の教え方に問題があると思う。
英語を身につけるためには、書くこと、読むことが大切なのではなく、話すこと、聞くことが大切だ。

特に、(正確に)聞き取る力が一番重要で、そのためには、文法が間違ってもいいので、
英語を話す人とどんどん会話をして、耳を鍛えることが一番の近道だと思う。

発音がネイティブでない日本人の英語教師が英語だけの授業をしても、鍛えることは出来ない。
たとえ日本語英語を聞き取れても、英語を話す人の英語を聞き取ることは出来ない。

一番効果的なのは、BBC、CNNのニュースを聞いたり、映画を字幕、吹き替えなしで聞いたりして耳を鍛え、
実際に英語を話す人と会話して、実践して身につけることが大切だ。
ケーブルTVなどで、BBC、CNNなどの放送は日本でも視聴できることが出来るのではないだろうか?

確かに、日本語を話せる外国人の人は、日本語が話せるけれど、読めない、書けない人がほとんど。
でも、片言でも会話が成立し、コミュニケーションが取れている。

書くこと、読むことと違って、「聞くこと」は、すればするほど出来るようになるものではなくて、
ある日突然世界が広がったように、聞こえてくるものだ。
例えは悪いけれど、耳の聞こえない人が突然聞こえるようになるような感じだ。
逆に言うと、それまで、地道に積み重ねないといけない。


海外に来て、丸4年。
今では、アメリカ英語とイギリス英語の違いも聞き取れるようになった。
例えば、僕の好きな、「ハリー=ポッター」では、ハリー役やハーマイオニー役の人はイギリス英語、
ロン役の人は、アメリカ英語に近い。
僕は、イギリスに1年住んでいたので、イギリス英語のほうが聞き取りやすい。
単語と単語はくっつく、アメリカ英語はどうも聞き取りにくい。

ドイツ人の話す英語は、ドイツ語が単語と単語をしっかり区切って話す言葉なので、
とても聞き取りやすい。そういう意味では、日本人の話す英語に近いものがある。


ドイツに来て感じるのは、もうすぐ、英語が話せるのは当たり前で、
それ以外に、何か言語を話せるようにならないといけない時代が来るということだ。
日本国内だけで、物事が解決しない時代がすぐ来ている。

そのためにも、早い段階で英語で会話する(話す、聞く)能力を身につけさせる必要があると思う。

書くこと、読むことは、日本語さえ出来れば、翻訳は機械やコンピュータが行ってくれるが、
会話する能力は、必ず人が身につけないといけないのだから。


一夜明けて

2009年02月01日 01時14分02秒 | 思うこと


昨日の体調がうそのように、下の娘は遊んでいた。
子供のことだから、安静にしていなさいと言っても、少し楽になると、動き回る。

親の心配は、子供には伝わらないものだと実感。

確かに、咳自体も回数は減り、楽になったようなのは、見た目にもわかるくらい。


昨晩、救急病院に掛かって、驚いたのは、ドイツの医療体制の充実さだった。

確かに、救急車を呼ぶのには、日本円にして、一回あたり3万円近く掛かるらしい。
けれども、受け入れ側も搬送側も、絶対的な優先権が得られている。
道路を走る一般車も、救急車のサイレンが鳴ると一斉に路肩に車をよせる。

日本のニュースでは、この間、救急車が病院に搬送されるのに、
昨年よりも7分余分に掛かるようになったとニュースで伝えていた。
遅れる理由に、一般車両がちゃんとよけないと言う理由もあるんじゃないだろうか?
そして、基本的には、救急車は無料だから、呼ぶ必要のないケースでも
救急車が呼ばれる可能性があって、本来のケースで間に合わないことが起こっていないだろうか?

救急医療を維持するためには、絶対有料にするべきだと思う。
それだけの対価を救急医療の場に支払うべきだし、呼ぶ側も本当に必要なのか考えると思う。
だって、医療はサービス業ではないのだから。
サービス業だと勘違いしている日本人は多すぎないか?と、思うニュースが多いと感じる。


ホームドクター、救急医療、入院医療、薬局と、完全に分業されていて、
薬局でさえ、救急医療のために交代で深夜まで店を開いている。
責任を全体でカバーする大きなシステムが確立していると感じた。
そして、状況に応じて、フレキシブルに対応できるシステムが構築されていると感じた。

今の日本では、報道の影響が大きいと思うけれど、
何かトラブルがあったときなど、特に医療現場が悪いような表現が多いような気がする。
どこか特定の部分が悪いと責めることは簡単なことだけれど、
医療に関して言うと、様々なケースが想定されるし、今までになかったケースも出てくるものなので、
そんな簡単な問題ではないと思う。

受ける側は、特に救急医療の場合は、常に最悪の状態と隣り合わせな状況であるということを
理解しておかなければならない。
そういう柔軟さが、日本の場合には必要だと思う。

忙しければ

2009年01月29日 23時52分17秒 | 思うこと


忙しければ忙しいで文句を言う
暇なら暇で、することがないと文句を言う。

結局、文句をいう人は、
どんな状況に置かれたって文句を言う。

もちろん、腹立つことも多いし、
明るい話題は少ないけれど。

それでも、一生懸命になっていれば、
何かが変わると信じていたい。

いつまでも先を見ていたい。


頑張っている人

2009年01月24日 22時03分47秒 | 思うこと


頑張っている人に、「頑張れ」とは言えない。

「頑張っているんだね。無理しないでね、
身体を壊しちゃうと、頑張っているのが台無しだから程々にね。」

もちろん、頑張ることは大切なこと。
僕自身も頑張り続けていたいと思う。

頑張っていることを、どこか認めて欲しくて、
身近に認めてくれる人がいなくて。
なのに、疲れていることを周りには見せたりしない。

周りを見ると、みんな当たり前にこなしている様に見えてくる。
誰かにふと、頼りたいと思っているのに、
これ以上頑張れなくなるのが怖くて、
頼ることも出来ずに、また、一人で頑張り続ける。

疲れたときに、ふと、寄りかかっていられるような、
そんな場所があったら、きっとずい分と楽になれたのにと思う。


訪れてみたい場所

2009年01月17日 23時10分22秒 | 思うこと


何故だかわからないけれど、今、とても気になる場所がある。
それは、アイルランド。

年末の紅白を見ていると、エンヤが出ていた。
場所は、アイルランドの古城から。
素朴で、中世の雰囲気そのままの景色が広がっていた。

もちろん、エンヤの独特の音楽を聴いていたのだけれど、
音楽とアイルランドの景色が溶け合っている感じがとても素敵だった。


それよりも少し前。
義理の妹が日本からやって来るというので、下の娘と空港へ迎えに行った時のこと。
待合所のベンチの背中合わせに、日本人の女性が座っていた。

下の娘と話していると、その人が話しかけてきた。
その人は、英語の語学研修のために、ダブリンの学校へ留学していたのだそうだ。
年末で留学期間が終わり、ヨーロッパを卒業旅行していて、
その日にダブリンに戻るところだった。
そしてその次の日に、日本に帰ると言っていた。

最近、英語の語学研修で留学するために、イギリスへ行くには物価が高いから敬遠されていて、
その他の英語圏の国、特にイギリスの植民地だった場所へ留学することが多いのだそうだ。

その時から、アイルランドという国が、急速に自分の中に印象付けられるようになった。


家族が出来てから、当然だけれど、旅行と言うと家族で出掛けることが多かった。
こちらに来てからも、もちろん、ヨーロッパ旅行は家族旅行だった。

でも、このアイルランドへは、独りで出かけてみたいと思った。
自分自身を、この国の時間や空間の流れに身を任せてみたい気持ちになった。




個性

2008年11月16日 22時56分10秒 | 思うこと
この週末は、土曜日は買い物へ行ってきた。
午前中、街中のデパートへ行って、午後には郊外のアウトレットモールへ行ってきた。

子供たちの冬のコートや靴、パートナーはレクルーゼのなべや台所用品、
僕は出張カバンと手袋を買ってきた。

近くの中華料理屋で夕食を食べた後、みんなで店開き。
子供たちは、安売りをしていて、記念に買ってきたサッカーのユニフォームがお気に入りだったようだ。

日曜日、外はひんやりしているし、雨が降っていたから、今日は家で過ごすことにした。
ゆっくりした朝昼兼用の食事を取って、子供たちの通信教育の面倒を見ながら、
僕は、溜まっている家計の伝票整理をしていた。

二人に対して、特に勉強に関しては、僕もパートナーも同じように接しているつもりなのに、
勉強の進め方が全然違っていて、面白い。

上の娘のほうが、下の娘よりも勉強は得意のようだし、好きなようだ。
自分で進んで、勉強に取り組むのは上の娘のほうだ。

しかしながら、上の娘は、何か一つわからなくてつまづくと、そこで思考が止まってしまって、
全然進まなくなる。「あとで一緒に考えようか?だから、先に進んでごらん。」
というと、また、バリバリと先に進みだす。

逆に下の娘は、わからないところはそのまま飛ばして、わかるところからやっていく。
そして、一区切りついたところで、「わからないところがあるけれど、出来たよ。」
と、言って持ってくる。

結局、下の娘のほうが一か月分を片付けて、上の娘はまた来週続きをすることになった。
上の娘のほうが一生懸命にやっているのに、下のほうがそつなくこなしている。

不思議なものだ。

来週は、土曜日はピアノの発表会、日曜日はクリスマスツリーを出して飾り付けをして、
クリスマスの用意をします。

冬に思うこと

2008年11月13日 23時58分45秒 | 思うこと
イタリアも冬の季節。

街路樹の葉っぱはほとんど落ちていて、道路を埋めています。
陽気なイタリアでも、この冬の景色は何だかもの悲しい雰囲気です。
その上、今回の出張は雨続き。
空港に到着した途端、どしゃ降りの雨に見舞われてしまいました。

また、ヨーロッパの他の場所と同じく、夕方の4時過ぎには陽が沈み、
5時には真っ暗となります。 朝でさえ、7時過ぎでも薄暗いです。


イタリアは、遊びに行ったり、観光するにはとても楽しい場所だけれど、
住むには、他の国以上に大変な気がする。

イタリアに出張です。というと、
ほとんどの人が「いいねぇ。」と、言う。

仕事をしてみて、そう思ったことはあまりない。
僕自身の性格が、イタリア人の性格や気質と合わないのかもしれない。

イタリア人の気質は、確かに、遊びにやってくる人にはとても歓迎してくれます。
しかしながら、仕事や生活のためにやってくる人に対しては、
意外に排他的なように感じます。

一緒に仕事をしているドイツ人の悪口や嫌味をいうのはイタリア人だし、
多分、イタリア語では、我々日本人の悪口なども言っているのだろうと感じます。
逆に、ドイツ人からそのような嫌味や皮肉を聞いたことは有りません。
イタリア人からすると、そんな嫌味や皮肉も彼ら特有のジョークのひとつで、
サラッと流してしまえばいいだけのことなのかも知れません。

僕自身が関西出身なのにも関わらず、その辺りの頭の切り替えが上手くないのも
イタリア人と上手く付き合えない原因なのかなぁと思ったりします。

意思疎通

2008年11月11日 23時06分18秒 | 思うこと
エンジニアは、技術を磨くことが最も大切なことなのはわかっている。
でも、その技術をうまく相手に伝えられないと意味が半減する。

そして、今の時代、一人で出来る技術などはほとんどないから、
一人一人の技術を組合せ、積み上げていって、一つの大きなものとなっていく。

その中で、一番の問題となるのは、意思疎通( Comunication) だといつも感じる。
みんなが共有出来る一番いい方法は何だろうか?と、いつも考える。

違う場所で同じことで悩み、同じことを実行していたり、
他人がするだろうとお互い思って、一つも進んでいなかったり。

あまりにそれが続くと、お互いの信頼関係に亀裂が入る。
社内でも、取引先との関係も同じ。

その大きなうねりの中で、いつも対応を苦慮する。

ヨーロッパの人たちは、この小さな領域で、あらゆる人種、宗教、経済、言語の違いを
認め合いながら、生活を行っている。
だから、意思疎通というものは、「相手に通じないもの」という前提で行っているように思う。

逆に、単一民族で、人種、宗教、経済、言語がすべて統一されている日本では、
意思疎通は、「相手に伝わるもの」という前提で行う。

だからこそ、相手に通じなかったときには、イライラし、ストレスが溜まり、
相手を非難の対象にしてしまうのだろうと思う。

こちらで生活して学んだことは、情報を展開する場合、
伝わるのは、こちらの思いの3割くらいでいい方だということだった。
メールにしても、電話にしても、同じ日本語で話すにしても、
3割理解してもらえばまずは成功だと思うようになった。

その辺りをみんなにどのように理解してもらい、助け合って、補っていくのか、
真剣に考えないといけない時期に来ていると思う。

目的って?

2008年11月04日 23時32分23秒 | 思うこと
先日、家族でお出掛けしていたときのこと。
レストランで、日本人学生が4人入ってきた。
日本語だったからすぐにわかった。

僕たちの隣の席に座った。

しばらくして、子供たちが知り合いになり、会話を交わすようになった。

娘たちのドイツ語の発音を聞いて、「すごいなぁ。」と、言っていた。
パートナーが話しかけると、ドイツに一年間、留学しているのだそうだ。
今日は、休暇を利用して、フランクフルトまで遊びに来ていると言っていた。

僕は、直接その人たちと会話した訳ではないけれど、
留学の目的ってなんなんだろう?と、思った。

ドイツまで、一万キロも離れたところへやってきた理由で何?
来たことに意義がある?
語学研修?ならば、1年後、ドイツ語が問題なく話せるようになっている?


今、世界を相手に仕事をしようと考えているのならば、
英語が出来て当然で、その上、何かを身につけていないと通用しない時代になっている。
なぜなら、日本以外の国の学歴の高い人(大学を卒業している人)は、
自国語と英語の他に、もう一つの言語を操る人ばかりであるから。

僕の仕事場にも、自国語と英語以外に、スペイン語が問題なく話せる人、
オランダ語が話せる人、日本語が話せる人、イタリア語が話せる人がいる。
2ヶ国語だけしか話せないのは、日本人スタッフだけである。


せめて、海外で生活しているのならば、
日本はしっかり守られていて、ぬくぬくと過ごせていられることにだけでも気づいて欲しいと思う。

今日という一日

2008年10月27日 23時15分30秒 | 思うこと
今朝、熱を測ったら、8℃5分。
関節のあちこちが痛むので、今日は仕事を休みました。
水分を多めに取りながら、汗をかきながら、横になっていました。

あまりにしんどいので、バファリンを飲みました。
すぐに熱が下がって楽になって、ぐっすり眠れました。

子供たちは学校、パートナーは学校行事の用事で午前中はお出かけでした。
家で一人、ちょうど寝付いたときに、自宅の電話が鳴りました。
ボーっとした頭で電話口までよろよろと向かったけれど、
受話器をとったときには、留守番電話に切り替わり、メッセージが入り終わった時で、
切れていました。

メッセージを聞くと、亡くなったのだそうだ

パートナーが帰宅して、パソコンを立ち上げて、メールチェックをすると、
友人からその旨のメールが一通入っていた。
パートナーが実家に連絡しているときになって、眠気が襲ってきて、
うとうとし始めた。
そばについていたほうがいいかなと思って、リビングに毛布を持ってきてそこで寝ていた。
パートナーは氷枕を持ってきてくれていた。

夕方、子供たちが戻ってきて、電話を掛けてみた。
日本時間だと日付が変わった頃だけれど、きっとお通夜だから繋がると思った。
上の娘はもともと感受性が強いので、もうボロボロと泣いていた。
下の娘は、けろっとしていた。きっと、実感としてとらえていないのだろう。

パートナーも実感がわかないと言っていた。
なんだか遠くで起こったことで、現実的じゃなくて、信じられない感じだと言っていた。
確かに、とてもお世話になった人なのに、涙も見せていなかった。
妙に落ち着いている姿が不思議だった。

ただ、ちょうど僕が病気で休みを取っているときでよかった。一人だと落ち着かなくて、
何をしたらいいかわからなくなっていただろうから。と、言っていた。

きっと、これから現実としてとらえられる様になってくるのだろうか?

がんばります?

2008年10月13日 22時25分00秒 | 思うこと

頑張ります。がんばります。
この言葉、僕はあまり好きではない。

後輩や部下から、この言葉を言われると、
思わず、「頑張らなくていいよ。自分の出来る範囲でやればいい。」
と、言ってしまう。

自分が頑張っているかどうかなんて、自分が判断することではない。

だから、「自分はがんばっています、がんばります。」と言ってしまうと、
周りはがんばっていなくて、自分だけががんばっているみたいに
受け取られかねないと感じてしまう。

僕は、全然がんばっていない。
自分の出来る限りのことをしているだけだと思っている。

頑張っているかどうか?なんて、周りの人が判断することであり、
自分が決めることではないし、自分から発する言葉ではないと思う。

わかったこと

2008年09月30日 21時07分14秒 | 思うこと
こちらで仕事を始めてみて、わかったことがある。

欧州の人たちは、どこの国へ行っても、議論、討論の経験が豊富である。
大学を卒業したての人も、会議に参加したときには、自分の意見を言うし、
面と向かって話している時でも、自分の出張をはっきりぶつけてくる。

多少、議論に矛盾があったとしても、自分の意見をはっきり伝えてくる。
「自分はこう思う。」「これはこうあるべきだ。」「自分はこうしたい。」

そして、優秀な人間は、新卒の人でもプロジェクトを任されたりする。

自分もそうだったと思うけれど、日本の大学を卒業したばかりの人が
そこまで出来るだろうか?
日本では、会社に入ってから、議論、討論を初めて経験する。
その時点で、海外のスタッフと日本人とは圧倒的に出遅れている。


もし、自分たちの思い通りに物事を進めたり、こちらのスタッフに同意を
求めたいのならば、まず、その討論に勝ち、論破し、納得させなければならない。

きっと、学生時代からそういった取り組みを講義や研究発表などで
取り入れているのだろうなと感じる。

逆に、海外の人と仕事をいっしょにする場合には、
その勢いに物怖じすることなく、間違っていることは間違っている、
意図と違っている場合は違うとはっきり伝えて、納得させないといけない。

そういう資質が、海外では必要とされる。

思い通りに行かない時

2008年09月23日 23時39分18秒 | 思うこと
計画を立てることは大切なこと。

毎日を流されながら取り組むのではなく、
その大きな計画の中で、今日は何をしよう、何を決めよう、
と、毎朝考えながら進めていきます。

その予定通りに物事が進まなかった時に、
どう感じるのかが大切なんだと思います。

それをそのままストレスとしてしまうのか、
起こってしまった事は仕方がないとしてリカバリー案を立て直すのか。

今の仕事をしている限り、いろんな人の思惑が絡んでくるので、
自分の思い通りに進まないことのほうが多い。というか、ほとんどがそう。

相手の人に迷惑を掛けない程度に物事が進められたらいいと思う。


今日は一時間の会議が終わった後、実験を行う予定であった。
会議終了後、すぐに行く予定にしていたけれど、
会議が1時間の予定が、2時間半も掛かってしまった。
資料の準備不足でみんなの理解が遅れてしまったからだ。
相手に何を伝えたいのか、何を聞きたいのかがわからない資料だから、
一つ一つ、一行一行尋ねないといけなかった。

資料の準備が遅れているのは仕方が無い。
だって、会議の本番は来週なのだから。
でも、自分たちが伝えたいこと、自分たちがお願いしたいことは
あらかじめ頭の中で整理しておかないといけないはず。

結局、今までそういった活動をしてきておらず、
相手の立場に立ちながら、仕事を進めていくことをしたことが無いのだろう。

近頃の若い人は。。というけれど、課長や次長という立場の人間にも
そういう人間がいて、必ずしも世代の問題ではないと思う。