心の学校・佐藤康行の『真我の実践・サンタ営業の実践』日誌…『ひよこ』から『にわとり』への道

うつに苦しみ社会離脱した人間が真我(=本当の自分)に目覚め、サンタ営業実践の日々と開発者・佐藤康行の言霊を紹介します。

【第391回】【自説】佐藤学長と同じ景色を見るために何をすれば良いのか?を一言で言います。

2019-11-14 22:51:44 | 日記

前回の続きです。

【第390回】佐藤学長と同じ景色を見るために何をすれば良いのか?

凄く誤解されやすいかもしれない。

でも誤解を恐れずに、私は言いたい。

前回の内容をまとめると、一言で言うと、

佐藤康行学長と同じ景色を見るためには、

『佐藤学長の操り人形になる事』だと思う。

なぜなら、佐藤学長が『神の操り人形だからだ。

ただただ、私個人の考えを挟まず、

佐藤学長が仰るように、

真我の実践を唱え、

内観光受を行い、

『黄金の谷実践プログラム』を、ひたすら聞き続け

完璧ポストをやり・・・・

真我開発ダイアリーをつけ・・・

美点発見をやり・・・etc

ただひたすら真我のワークをやり続けることだ。

自分の考えを全く挟まずに。

それが、佐藤康行学長と同じ景色を見るコツだと思います。

ありがとうございました。


【第390回】佐藤学長と同じ景色を見るために何をすれば良いのか?

2019-11-14 08:57:40 | 日記

先日の神算の講演会。

正確に一言一句を再現できせんが、自分にとってずっとブログに書きたいテーマが、質疑応答されていたので、私なりにその内容を再現します。

ある受講生の方が、こういう主旨の質問をされた。

「学長と同じ世界をみるための、私の心構えとしてはどういう心構えをしたらいいのか。」

その方の質問への学長の答えが、まさに私がブログで発信したいと思っていた内容だった。

学長の答えは

「(佐藤学長がやっていること、言っていることを)1回、自分の脳を通すと違うものになってしまう。

自分の脳を通さないで、1回私の言う通りにやってみる。

自分の脳を通さないで、きれいにするために、自分ができることは、真我の実践を唱えることはすぐできること。

そうすると私と同じ光景が見れる。」

要は、「私の心構え」が要らないと仰っている。ただ、佐藤学長に言われた通りにやってみなさいと。

そして、昔、佐藤学長が、せんだみつおと二人で赤坂の街を歩いていた時の話をされた。

「せんだみつおと以前飲みに行こうと、一緒に赤坂の街を歩いた。

せんたみつおの横を歩いていたら、私の景色が変わった。

みんながワーッと寄ってくる。街全体が知り合いのようになった。

あ~有名になるとこういことが起こるんだなと。

同じ目線で見ると、同じ世界が見える。

せんだみつおと並行に歩いたら、せんだみつおが見てる世界が見えた。

それは、私が見ている景色と全然違った。」

そうすると、質問された方は

「あ~、佐藤学長の言われた通りにすればいいんですね。」と言われ、

佐藤学長は、少し申し訳なさそうに、ニコッと頭を下げられた。

「出過ぎたことを言っていたら、申し訳ないね。」と私には、聞こえた。

どこまでも人に対して謙虚で、下座の姿勢である学長の姿にも感動した。

私はこう思った。

もし、佐藤学長と同じ景色を見たいのなら、私が佐藤学長を外側から見て、「佐藤学長は凄い凄い。」と言っている立ち位置からは、佐藤学長と同じ景色は、絶対に見れない。

なぜなら佐藤学長と私の立ち位置が違うから、全く違う世界を見ていることになる。

佐藤学長と同じ世界に立って、佐藤学長と並行に歩かなければならない。

「佐藤学長を」見るのではない。

「佐藤学長が見ている景色と同じ景色を」見るのだ。

決して、良い悪いではないし、きっかけにはなるけど、佐藤学長を中心に起こる奇跡を凄い凄いといっているのは、プロ野球のイチロー選手を凄い凄いと、外野席から見ているようなものだと思う。

イチロー選手から見えている崇高な世界を、私が垣間見たければ、私が、草野球レベルでもグランドに立って、バッターボックスに立たない限りは、絶対に同じ景色は見れないと思う。

私がバッターボックスに立ったところで、イチローと同じ景色は見れないと思いますが(笑)、

佐藤学長は、佐藤学長と同じ景色が、私にも見れるんだよと仰ってくれている。

ここが、他の精神世界を唱えている人との大きな違いであり、佐藤学長の素晴らしいところだと思う。

だれもが佐藤学長が見ている景色が見れる。

そのためには、私の脳を挟まず、佐藤学長の言われた通りにやること。

真我の実践をひたすら唱えること。

1000以上ある、佐藤学長の真我のワークをやっていくこと。

そして、佐藤学長と同じく、真我の発信者として生きていくこと。

ここに尽きると思いました。

以上です。

ありがとうございました。


【第389回】ふと思った事とふと思いだした事。~注意したくなった事と注意された事➁~

2019-11-14 06:53:14 | 日記

前回より続きます。

【第388回】ふと思った事とふと思いだした事。~注意したくなった事と注意された事~

昨日、自宅最寄りのS駅を通り過ぎた時に、待ち合わせ用のベンチを占拠して募金活動をしているボランティア団体の方を見て、

「そんなところで募金活動しないでくれ。周りの人に迷惑がかからない場所でやってください。」と、

注意したくなった気持ちを飲み込んで、通り過ぎた時に、ふと思い出したことがありました。

それは、もう4年前ぐらいの話です。

私が、大阪で開催された佐藤学長のセミナーを受講して、新幹線に乗って自宅に向かい、東京駅で降りる直前に、出入り口の前のごみ箱にお水のペットボトルを捨てて、トイレに入った。

トイレから出ると、見知らぬ高齢の男性が、私のことを待ち構えて、私のことを叱った。

「あなた、さっきペットボトルをお水を残したまま捨てただろ。きちんと中のお水を捨てて、空にしてから捨てなさい。結局、掃除の方がいちいちキャップを取って水を捨てなくてはいけない。そういうことにも気を配ってあげなさい。」というようなことを、いきなり言われたのです。

叱られた私は、この方の言うとおりだと、本当に思った。今までそんなこと考えたこともなかった。叱ってくださって本当にありがたいと思えた。

すかさず私は

「ありがとうございます。よく仰っていただきました。今まで全く気づきませんでした。今後気を付けます。本当にありがとうございました。」

と満面の笑顔で心からの感謝の気持ちを込めて、その方に、深々と頭をさげた。

そしたら、その方も、満面の笑顔でこうおっしゃった。

「ありがとう。いつも、私がこういう事を言うと、相手の方にいい顔されないので、言いにくいのです。でも今日は本当に言ってよかったと思いました。うれしいです。凄く清々しい気持ちです。私の言うことを聞いてくださってありがとう。心から感謝します。」

と、その方も私に、深々を頭を下げられたのです。

何か、よくわからないが、たった一言二言の言葉のやりとりで、お互いが凄く幸せになれたのです。

私が、叱られたときに、瞬間に、心からの感謝で受けることができたのも、まさに佐藤学長の「真我体道」を始めとする1000以上あるワークのお陰です。

このことを通して、人の暖かさを感じ、そして人と人との関わり合いの中で生かされて生きていることの幸せを感じたのでした。

昨日の、私が人を注意したくなった出来事をきっかけにして、

人に注意されて、心からの感謝で受け取ったら、注意された私も注意してくださった人も、お互いに幸せになったことがあったな、と思い出したのです。

ある出来事をきっかけに、凄く懐かしい日常茶飯の思い出が、過去が未来からやってきた。

4年前の出来事を思い出して、改めて少しだけ、私も人間として成長していたのかなと思えました。

すでに52歳(笑)。

さらにこの余生、成長できる自分でありたいと思いました。

ありがとうございました。