( 今日のランチ(しらす丼@らい亭) から続く )
日中も良く晴れて、上空には千切れたような小さい雲が所々に浮かんでいるものの、気持ちのいいくらいの青空が広がっている。昼間の最高気温は15℃で、日射しが暑いくらいに感じられる。ただ、空気が乾燥していて、午後から吹いてきた強い南風が冷たく感じられた。
お昼を食べたらい亭から少し西鎌倉方面に戻ったところに「鎌倉山記」と書かれた大きな石碑が建っている。この石碑には鎌倉山の由来が書かれている。
この石碑の脇に夫婦池公園に降りる階段がある。ちょっと興味に駆られて、その階段を下りていった。この夫婦池公園は約330年前の江戸時代に、代官が掘らせた現在の下池と、その後笛田・手広の住民により、中央の堤が建設されて、上下一対の池(2つの池)を称して呼ばれる夫婦池を中心に設けられた公園である。
現在では大きい池を上池と呼んでいる。
また、小さい池を下池と呼んでいるとのこと。
この夫婦池公園内には数カ所の防空壕が存在していたらしく、その入口の1つが立ち入り禁止のフェンス内に見ることが出来る。
また、防空壕跡については、夫婦池の下池に流れ込む水源として活用・整備を行っているとのことである。
夫婦池を一巡すると、再び鎌倉山さくら通りに戻った。ここから、七里ヶ浜の住宅地に出て、更に鎌倉広町緑地を歩き、鎌倉高校前駅に出た。駅から江ノ電に乗って隣の腰越駅に向かう。
腰越駅に着くと、小動神社に向かった。小動神社は小動岬にある。
小動の地名は風もないのに揺れる美しい待つ「小動の松」がこの岬の頂にあったということに由来している。縁起によれば、源頼朝に仕えた佐々木盛綱が、源平合戦の時に近江国から八王子宮を勧請したものと伝えられるとのこと。鎌倉時代末期には新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願したと伝えられる。
一の鳥居をくぐって、境内を進む。社殿がある場所は一の鳥居のある境内よりも階段を昇ったところにある。階段の手前、右手には社務所があり、左手には手水場がある。階段を上り、二の鳥居をくぐった。
社殿は二の鳥居をくぐって、右手にある。御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、建御名方神(たけみなかたのかみ)、歳徳神(お正月の神様)である。
境内には「海神社」「稲荷社」「金比羅宮」「大六天社」といった摂社末社が設けられている他、神寶殿がある。この神寶殿の中には天王祭で使用される相模神輿や諏訪祭で使用される江戸神輿が納められている。また海に面して「腰越八王子遠見番所」と書かれた展望台がある。この場所は江戸時代の天保13年に幕府から相州警備を命じられた川越藩の管理のもと、この展望台の左手に番所が設けられて、異国船渡来の通報拠点としての役割を担ったとのことである。
眼下には腰越港が望めるほか、右手には江ノ島、正面には大島が見える。
境内から階段を下りて、社務所に向かう。ここでも御朱印をもらった。御朱印の上には「小動神社」と書かれている。
小動神社を後にすると、再び腰越駅に戻り、鎌倉行きの電車に乗った。
( 今日のスイーツ(自家製ドルチェセット@アマルフィイ ドルチェ) に続く )
お茶をした後は、再び江ノ電に乗って鎌倉に向かう。お土産を買う場所は既に決めている。鎌倉駅西口に出ると、御成通りを歩いて、目的の洋菓子店に到着。買い物をするととんぼ帰りで電車に乗って江ノ島駅に向かった。
江ノ島駅から州鼻通りを歩いて小田急線片瀬江ノ島駅に出る。ここから小田急線に乗って町田に出ると、横浜線と中央線を乗り継いで、帰宅の途についた。
3月初日の今日は曇りときどき雨または晴れ。今朝は上空一面を雲が覆っていて、雨がパラパラと降っている。路面がしっとりと濡れていて、ところどころに大きな水たまりができていた。朝の気温は7℃で弱い北風が吹いていて、水分をたっぷりと含んだ空気が重く、ヒンヤリと感じられる。
今日は1日休みを取った。この休暇を利用して昨日からパシフィコ横浜で開催されているカメラと写真の展示会「CP+2019」に出かけることにした。
最寄り駅の1つである桜木町駅を通る京浜東北線にダイヤ乱れが生じていることを知って、早めに家を出ることにした。日野駅から中央線に乗って八王子駅に出ると、横浜線に乗り換えて東神奈川駅に向かう。途中、新横浜駅から電車の運行に遅れが出始め、東神奈川駅に到着したところで、目の前に来た京浜東北線に乗り換えた。車内は激混みだったが、桜木町駅には8時頃到着した。
とりあえず、桜木町駅からパシフィコ横浜に歩いていく。横浜も雨がパラパラと降っていたが、通路に屋根がかかっているので、傘を差すほどでもない。パシフィコ横浜内のコンビニで朝食を買うと、2階の入場受付の前の行列に並んだ。
受付開始は9時15分で、あらかじめ入場事前登録をして配信されているメールに記載されているマイページにログインをして、QRコード付きの入場引換証を受付で示し、受付を済ませると入場パスを受け取る。入口のある1階に降りると、入場待ちの行列ができていた。
10時を過ぎると順次、会場の中に入る。会場に入ってすぐ右手のハクバ写真産業でトートバッグをもらい、まずはオリンパスブースに向かった。ここでセミナーステージを聞いた後、会場内を回りながら、各ブースに立ち寄ったり、セミナーステージを聞く。
午前中に聴講したセミナーは以下の通りである。
10:10 - 10:40 オリンパスブース 「『PEN/OM-Dで撮る』~吉住志穂流 花写真テクニック~」 吉住志穂氏
11:00 - 11:40 リコーブース 「こだわりのレンズを楽しもう!塙真一×佐々木啓太 Limitedレンズ対談」 塙真一氏/佐々木啓太氏
日中は雲と雲の合間から青空が顔を覗かせているものの、ほとんど日射しは無く、すっきりしない空模様となった。昼間の最高気温は12℃で、午後になって弱い南風が吹いてきた。
午後も各ブースを廻って、製品を手に取って、いろいろと説明員に話を聞いたり、ノベルティをもらったりした。午後に午前中に聴講したセミナーは以下の通りである。
13:30 - 14:10 ニコンブース 「Z7+Z 24-70mm f/4 Sの1本勝負! 旅をどこまで表現できるのか?(Z7)」 山口規子氏
14:30 - 14:50 ケンコートキナーブース 「ポートレートテクニックライブレクチャー」 松川コウジ氏/モデル:星野くるみ氏
16:20 - 17:00 ニコンブース 「Z6で撮る街と人 東京美人景×刹那 東京で(Z6)」 熊切大輔氏
17:00 - 17:30 東芝メモリブース (ワークショップ)「[EXCERIA Ambassador Session]土屋流撮影実習!」土屋勝義氏
ところで、最初に会場に入場したゲートの脇には「フォルクスワーゲン Type1」が展示されている。
この車は1952年にフォルクスワーゲン社が販路開拓目的で持ち込んだ輸入第1号車4台のうちの1台と言われている車で、そのまま販売代理店で保管されている車とのことである。
塗装やバンパー、ボディなどは修理・交換されているが、車内やエンジンルームはクリーニングのみとなっており、当時のコンディションにこだわって再現されているとのことである。せっかくなので、カメラを向けてみた。
今年は時間があれば、大さん橋ホールにも足を伸ばそうかと思ったのだが、結局、10時に入場して18時まで8時間を会場内で過ごしてしまった。終了のメロディーに追い立てられるようにして、会場を後にする。
外に出ると既に日が沈み、空は暗くなっている。
帰りに写真を撮って帰ろうかとも思っていたのだが、持ち帰るカタログやノベルティーを入れたトートバッグが重くてあきらめた。
帰りに駅前で夕食を食べて帰ることにして、会場から桜木町駅までまっすぐに歩いていった。
( 今日のカレー(大人のスパイスカレーTHEローストチキン@Coco壱番屋 JR桜木町駅前店)に続く )
夕食を食べて、桜木町駅に向かう。駅に着くと、ちょうどホームには橋本行き横浜線直通電車が滑り込むところだった。幸い電車は空いていて、シートに腰を下ろすと、横浜駅に着く前に爆睡状態に入ってしまった。気が付くと、電車は橋本駅に停まっていた。
橋本駅から後続の八王子行きの電車に乗って、終点の八王子まで行くと、中央線に乗り換えて日野駅に到着する。駅から歩いて自宅に到着した。
家に着いて、さっそく荷物を整理する。
ちなみにもらったのは、ハクバ写真産業と浅沼商会、エツミの各ブースでトートバッグをもらった他、ルミカ、ワールドプレミアムアワード投票所の各ブースでレンズクロス、東芝メモリブースで2種類のクリアファイル、オリンパスブースでクリップ、サンディスクブースでフリクションペン、インプレスブースで手ぬぐいをもらった他、レキサージャパンではレンズクロスとカードケースを、Kent Faith Internationalのブースではトートバッグとレンズクロスを手に入れた。
今年のノベルティは全般的に昨年と比べて、種類や数が減ったようだ。
今日は曇りときどき晴れ。今朝は上空を雲が一面に覆っていて、星も見えない暗い空が広がっている。朝の気温は2℃で風はほとんど無く、空気がヒンヤリと感じられる。昨日の陽気が幻だったかのように感じられる朝である。
今日は日曜日に出勤したこともあり、1日休みを取った。今年初めての有休となる。とはいえ、特に今日は予定も無かったので、たまにはどこかに行ってみたい気がする。
昨年の夏に山梨県の猿橋と恵林寺、放光寺にふらりと出かけた。その時に持って帰ってきたパンフレットをなんとなく見ていたのだが、恵林寺のある甲州市には戦国大名武田家のゆかりの寺院がいくつもある。今日はこの内の1つである大善寺に行ってみることにした。
朝、8時くらいにカメラと御朱印帳を持って家を出る。日野駅から電車に乗って高尾駅に出ると、乗り換えて小淵沢行きの普通電車に乗った。大善寺の最寄り駅である勝沼ぶどう郷駅に到着したのは9時51分である。
改札を出ると、目の前にぶどう畑が広がっている。駅前には何も無く、タクシーだけが所在なげに止まっている。改札を出てすぐ左手に観光案内所があったので、まずは観光案内所に入り、大善寺の行き方を聞いた。
大善寺までは勝沼ぶどう郷駅から2.8km程度のところにあり、歩いて40分くらいとのことである。ついでに食事ができる場所はないか聞いてみた。市中は駅から離れたところにあるものの大善寺からは20分ほどで行けるようである。とりあえず、何店かありそうなので、ともかくも行ってみることにした。
勝沼ぶどう郷駅は山の中腹にあり、大善寺まではぶどう畑の中を縫うようにして設けられている道を歩いて行く。上空には雲が広がっていて日射しは無く、気温も3℃と低い。道端には残雪もあって、手の指先がかじかむような陽気である。
大善寺は真言宗智山派の寺で718年に開創とある。行基菩薩が日川渓谷岩上で霊夢により感得された像「右手に葡萄をもち左手で結印した薬師如来と日光・月光菩薩の薬師三尊」を刻み、安置して開かれたと伝えられる。その後、平安初期に堂宇が消失したとのことだが、971年に後の戦国時代の甲斐武田氏の家臣である三枝氏の家祖である三枝守国が再建したとのこと。
戦国時代には武田勝頼が織田・徳川の連合軍に敗退し、天目山を目指す途中で一夜を明かしている。このとき、寺に住んでいた武田信玄の従姉妹に当たる理慶尼が勝頼一行をもてなし、その後、記した理慶尼記は武田滅亡記とも言われ、大善寺に大切に保管されているとのことである。
国道20号線から表参道に入ろうとすると鎖がかかっている。
山門から上がったところに国宝薬師堂があるが、薬師堂の堂内を拝観するためには拝観料が必要になる。そこで、庫裡に廻り、受付で拝観料を払った。拝観券は薬師堂に入る際に係員に渡して欲しいとのことである。更にまだ参拝前であるが、御朱印も頂いた。平成最後の年の御朱印である。
あらためて山門の前に立つ。山門は、江戸時代に、常陸土浦藩の第7代藩主である土屋英直により再建された。この土屋氏は元は武田家の家臣で、その子孫は武田家滅亡の際に落ち延びた後、徳川家に仕えた。再建された山門は三間一間の二重門である。山門の前左手にはこの大善寺を再建した三枝守国の墓がある。
この山門の付近では幕末、新撰組組長近藤勇を隊長とする「甲陽鎮撫隊」が新政府軍と戦闘した場所でもある。この山門の両脇には金剛力士像二体が安置されている。右手には阿形像が配されている。
左手には吽形像が配されている。
山門をくぐって境内に入る。目の前には山の上に向かって147段の階段が伸びている。この階段を上っていくと、階段を跨ぐように楽堂が設けられている。
楽堂をくぐって階段を登りきると正面には薬師堂(国宝)がある。この薬師堂の正面に稚児堂という神楽堂がある。
毎年5月8日に行われる藤切会式大祭典や縁日の日には楽堂で音楽を奏で、稚児堂で舞をまい、参拝者をもてなしたと言われているとのこと。
正面の薬師堂は鎌倉時代に時の執権北条貞時により、再建立された御堂である。本堂に薬師三尊像を安置しているので、「薬師堂」と呼ばれている。
薬師堂(国宝)に入る。ここで、受付で購入した拝観券が必要になる。
薬師堂の正面には秘仏薬師如来が厨子(国宝)に納められている。国指定重要文化財である本尊薬師如来像と両脇に侍る日光菩薩像、月光菩薩像は厨子(国宝)に安置されている。平安時代前期の作とされる薬師如来像は別名葡萄薬師とも呼ばれていて、五年に一度、扉が開かれて、姿を拝むことができる。直近では昨年10月1日~14日に御開帳されたとのことである。なお、厨子(国宝)は室町時代の作とのこと。
厨子の左右には十二神像立像と日光菩薩像、月光菩薩像が安置されている。鎌倉時代に慶派仏師 蓮慶によって造られたこれらの仏像はいずれも国重要文化財で、像高が140センチ前後あり、なかなか壮観である。これらの仏像の左脇には江戸時代佐竹公が寄進した毘沙門天が、右脇には茨城県土屋氏が寄進した文殊菩薩が安置されている。
厨子の左右に安置されている日光菩薩像、月光菩薩像は像高が2.5mほどもあり、本来は鎌倉時代に堂とともに炎上したとされる薬師如来像の脇侍像であったと考えられているとのことである。
本堂内ではお寺の方に説明を頂き、更に内陣まで入って、近くで仏像を拝見させていただいた。底冷えのする堂内はしんと静まりかえっており、静謐な雰囲気の中で仏像を見ることができた。堂内を一巡すると、薬師堂を出る。
薬師堂の左手奥には稲荷神社があり、その手前に一昨年建立された芭蕉の碑が立っている。碑には「勝沼や馬子も葡萄を喰ひながら」と芭蕉の句が刻まれている。更に左手には墓地があり、墓地の入口に開運地蔵堂がある。
薬師堂の右手には鐘楼があり、その奥に行者堂がある。行者堂には鎌倉時代の作とされる役行者像が安置されている。この仏像は県指定文化財となっている。
ここで、境内にある手洗所に行ったときに、悲劇が起きた。手洗所を出たところで、境内の玉砂利に足を取られて転倒してしまったのである。しかも、体の倒れた側にミラーレス一眼カメラをぶらさげていたこともあり、カメラを玉砂利の上に落としてしまった。カメラ本体は無事だったが、運悪く、レンズキャップをしていなかったのが祟って、装着していた交換レンズ「M.ZUIKO DIGITAL ED7-14mm F2.8 PRO」のレンズ表面に小さい傷が付いてしまった。
更に転倒したはずみで、右手のひらを擦りむいてしまい、血が止まらない。とりあえず、水で手を洗い、持っていたティッシュで傷を押さえながら止血した。
左足と左腕もしたたかに打ってしまった。左腕も擦りむいてしまったが、どうしようもない。左足はふともも付近と膝付近が痛む。とりあえず、薬師堂を後にすることにした。
階段を下りて庫裡まで戻ると、県文化財の庭園を見せていただくことにした。庫裡の裏手に広がる庭園は江戸初期に造られた池泉鑑賞式蓬莱庭園で、東西に流れる池を中心に東にどっしりとした印象の強い大きな滝、中央より伸びる巧みな石組みの小さな滝が配置され、清らかな水の流れが表現されている。
松の木の下に出島形式の亀岩組を配置し、その対面岸には亀に向かって羽を広げ姿にた鶴岩組が作られ、鶴と亀で必勝を象徴している。池の正面に見える蓬莱4島の頂には白くとがった岩を中心に左右2石で阿弥陀三尊が表現され極楽浄土の世界を作り上げている。陰陽五行を表現した庭園とのことである。
庭園を見ながらあらためて、カメラを確認する。レンズに小さい傷が付いているものの、撮影した写真にその影響は見られず、とりあえずはこのまま使えそうである。もっとも、近い内に修理は必要かもしれない。出費もかなりかかりそうだ。正直、頭が痛い。
腕や足の傷はここではどうしようもない。家に帰ってから処置することになりそうである。全くとんだ災難に遭ってしまった。
少し、休憩した後、大善寺を後にした。
( 山梨散歩(勝沼ぶどう郷) に続く )
( 山梨散歩(大善寺) より続く )
大善寺を後にすると、お昼を食べるために勝沼市街地に向けて歩き出した。駅の観光案内所で聞いた情報によれば、大善寺から勝沼市街地までは歩いて20分ほどとのことである。国道を歩いて市街地方面に歩いていくと、左手に「太郎橋 祝橋→」と書かれた小さな案内板が見えた。興味に駆られて、その案内板に従って坂道を降り、細い道を歩いていく。
途中、日川を渡る吊り橋風の太郎橋という橋を渡り、日川に沿って歩いていくと、県道に出た。右手に折れて、北に歩いていくと、日川にかかる2つの橋が見える。右手は国の登録有形文化財の祝橋、左手は昭和60年に完成した新祝橋である。
祝橋は歩道専用の橋であるが、水道本管が中央に通る水道橋でもある。現在の橋は3代目の橋で、初代祝橋は日川を渡り甲州街道に至る橋として建設された。当時の村名から祝橋と名付けられたこの橋は両岸からひじき桁をせり出す木造橋で、明治40年に水害で流失したとのこと。
その後、大正3年に現在の場所に吊橋が建設されて、祝橋と命名されたとのことである。現在の橋は祝橋の老朽化から自動車の通行に耐えうる橋として昭和5年に竣工している。
延長58.6m、幅員6.6mのコンクリートアーチ橋で、昭和初期の貴重な土木工作物として平成9年に国の登録有形文化財になったとのこと。
この橋を渡ると右手に勝沼氏館跡のある丘が見えてくる。この丘の上は国指定史跡勝沼氏館跡である。
勝沼氏はこの地の有力武将の居館跡で、武田信玄の叔父である信友が勝沼衆を率いてこの地を拠点としていたと考えられているとのこと。
勝沼氏館跡を後にして、県道を更に北に歩いていくと、旧甲州街道と交差する。この上町交差点を左折して勝沼市街地の中心部に向かう。道路沿いには民家が増えてきた。しかし観光案内所で教えてもらったほうとう屋は今日は定休日だった。周囲で営業している店も見あたらず、観光マップを見て、観光施設「ぶどうの丘」に行ってみることにした。ここなら、レストランか何かが営業しているに違いない。
地図を見ながら観光施設「ぶどうの丘」に向かったつもりだったが、どこかで道を間違えたのか、一旦JR勝沼ぶどう郷駅に戻ってしまった。観光施設「ぶどうの丘」は駅の正面に見える。アップダウンがかなりきつそうであるが、今日は朝から何も食べていない。せめて山梨に来たからにはほうとうくらい食べて帰りたいところである。意を決して歩き始めた。
駅から観光施設「ぶどうの丘」までは歩いて20分くらいかかった。足を痛めていなければ、もう少し早く着いたかもしれない。観光施設「ぶどうの丘」に着いたときには時計の針は午後2時を回っていた。
午後になって、雲と雲の合間から青空が見えてくると、日が射してきた。昼間の最高気温は9℃で風は無く、空気がヒンヤリと感じられる。一生懸命歩いたからか、かなり暑くなってきた。
観光施設「ぶどうの丘」はワインショップ、展望ワインレストラン、ホテル、温泉、美術館、お食事処などで構成されている。まずは遅めのお昼を食べようとお食事処「思蓮」に向かった。
( 今日のランチ(思蓮ほうとう@思蓮) に続く )
お昼を食べて満腹になったところで、美術館に向かった。敷地内にある美術館の入館料は無料で入ることができる。昨年11月30日から今年の3月31日までは「日本画家が描く美しき女性像」「ブルガリアの画家による『東欧の魅力』展」を開催中。食べ休みも兼ねて、絵を見て廻った。
その後はワインショップに行ってみた。このワインショップの地下には地下ワインカーヴがあり、専用の試飲容器タートヴァンを購入すると約200銘柄のワインを試飲できるとのこと。しかし、ほうとうでお腹がいっぱいなので、ワインの試飲はあきらめた。ワインも買って帰りたいところだったが、怪我をして足を引きずっている状態だったので、ワインの購入も見送った。
施設を一巡すると、再びJR勝沼ぶどう郷駅に戻る。
帰りの電車までしばらく時間があったので、駅の周囲を少し歩くことにした。駅の塩山方面の線路沿いには甚六桜公園がある。甚六桜とはJR勝沼ぶどう郷駅周辺に植えられた桜に付けられた名前である。
中央線八王子・甲府間は明治36年に開通したが、当初、勝沼駅は設置されなかった。その後、開通から10年後に勝沼駅が設置された。急傾斜の地形のためにスイッチバック式の駅になったとのことで、旧勝沼駅の塩山駅寄りに当時の旧勝沼駅で使われていたホームの塩山側の先端部分が公園となっている。
ホームの上には旧駅の駅名標が残されているほか、ホームの中央には桜並木が植えられている。
駅の甲斐大和駅方面の広場には駅前甚六公園があり、中央線の線路の盛土に平行にして電気機関車EF6418が保存されている。
EF64形式の電気機関車は昭和39年に旧国有鉄道が勾配線区用に開発した直流電気機関車で、後継機関車のEH200形の登場に伴い、平成15年から順次廃車された。
この18号機は昭和41年に製造され、平成17年に現役を引退した東芝製の電気機関車とのことである。
甲州市では、甲斐大和駅方面にある大日影トンネルなどの鉄道遺産や駅前公園の整備にあわせて、モニュメントとして平成18年に設置したとのこと。こんなに近くで見える電気機関車は初めてである。
ちなみに大日影トンネルにも行ってみたかったが、現在は一時閉鎖されているとのことで、行かなかった。というよりも足が痛いので行けなかった。
駅の周囲を一巡すると、駅周辺もだいぶ暗くなってきた。東京方面に行く電車の発車時刻も近づいてきたので、駅のホームに入って、電車が来るのを待つ。
10分ほどして立川行きの普通電車が来たので、この電車に乗ることにした。1時間40分ほど電車に揺られて、豊田駅で途中下車。イオンモール多摩平の森で買い物をして帰宅する。
家に帰り、あらためて傷の具合を見ると、左腕と左膝に大きな擦り傷が出来ていた。更に太股には打撲に伴う内出血の跡もあった。傷の手当てをしたが、少々膝廻りが腫れぼったく感じる。当面はあまり無理は出来なさそうである。
今日は晴れ。今朝は上空に雲ひとつ無い青空が広がっていて、日射しが燦々と降り注いでいる。弱い北よりの風が吹いているが、穏やかな冬晴れの空模様となった。
今回の年末年始は特に予定も無く、家でゆっくりと過ごすことにした。とはいえ、どこにも出かけないというのもつまらないので、今日は川崎大師に妻と年末詣でに行くことにした。混み合う初詣は毎年、近所の寺社か、TONETの新年会も兼ねて神田明神に行っているが、川崎大師も初詣参拝者数人出ランキングでは常連の寺社である。しかし年末であれば、それほど混みあうことも無いだろう。
午前中に自宅を出ると、日野駅から立川駅に電車で移動し、立川駅から南武線に乗り換えて川崎駅に向かう。立川駅から川崎駅までは南武線で1時間弱ほどで行けるが、日中は快速電車が運行していて、快速電車に乗ると40分ほどで到着する。
日中も晴れて、上空には青空が広がった。地平線付近には雲が広がってきたが、天頂方向には澄んだ青空が広がっていて日射しが燦々と降り注いでいる。昼間の最高気温は10℃で乾いた北風が強く吹いていて、風が冷たく感じられる。
川崎駅に到着すると、駅西口に直結しているラゾーナ川崎プラザでランチを食べた。その後、京浜急行線京急川崎駅に移動し、大師線に乗り換えて川崎大師駅に向かう。京急川崎駅からは3駅ほどで川崎大師駅に到着した。
川崎大師駅から川崎大師厄除門と書かれた看板をくぐって表参道の通りを東に進む。
500mほど進むと「川崎大師入口→」と書かれた看板が見えて来るので、その角を右折し、更に1つめの角を右に曲がって大師仲見世通りに入った。通りの正面には川崎大師の大山門が見える。
山門をくぐろうとして、山門の下に「魚がし」と書かれた大きな提灯がぶら下げられていることに気づく。提灯の「魚がし」の文字の周囲にはびっしりと豊洲市場(旧 築地市場)の水産卸と仲卸の屋号や会社名、個人名などがびっしりと書かれている。
昭和52年に川崎大師魚がし講に奉納したものとのことであるが、こんなところで、前の職場でお世話になった卸・仲卸の店の屋号に接するとは思いもしなかった。豊洲市場(旧 築地市場)との縁を感じさせる提灯である。
厄除け大師として知られる川崎大師は厄除弘法大師をご本尊とする真言宗智山派大本山の寺院で金剛山金乗院平間寺と称する。この寺院は実は9年前に来たことがあり、その時には大本堂と不動堂でそれぞれ御朱印をいただいた。
大山門をくぐり、まずはお水屋で手と口を清めると大本堂で参拝する。その後、経蔵に入り、安置されている本尊・釈迦如来に参拝した。釈迦如来の安置されている経蔵には中国最後の木版大蔵経「乾隆版大蔵経」7420巻が収蔵されているとのこと。
経蔵を出て、不動堂を経て薬師殿に向かった。この薬師殿は平成20年11月1日に当山開創880年の記念事業として開設された建物で、堂内には薬師瑠璃光如来尊像と十二神将が奉安されている。まずは薬師瑠璃光如来尊像に参拝する。ここの薬師如来の御朱印は前回もらっていなかったので、堂内で御朱印をもらった。
薬師殿を出ると、境内をぶらぶら。明後日は正月ということもあって、境内には所狭しと露店が設けられている。営業こそしていないが、明後日には大賑わいとなるに違いない。
露店の中に鐘楼堂に上る階段が見えた。鐘楼堂では毎年大晦日に除夜法楽が執り行われた後、元旦午前零時より除夜の鐘が衝かれるとのことである。
鐘楼堂の先には八角五重塔がある。この八角五重塔は昭和59年に落慶された建物とのことである。
八角五重塔を周り、再び大山門に戻ると、境内を後にした。
帰りはもと来た道を戻るようにして川崎大師駅に向かう。川崎大師駅から京浜急行線とJR南武線を乗り継いで立川駅に出た後、立川で夕食を食べて帰宅した。