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J@Dの備忘録

おっさんの備忘録
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三宅島出張(帰路)

2018年10月01日 | おでかけ


台風一過の今日は晴れ時々曇り。昨夜から未明にかけて暴風を伴った雨が降っていたが、朝には止んだ。今朝は上空に雲が広がっているものの、すごい早さで南から北に流れている。
外に出ると、自分自身も吹き飛ばされるくらいに猛烈に強い風が吹いていた。道の脇の樹木の枝が折れて歩道に落ちている。朝の気温は25℃で湿度が高いのだが、強風がシメシメとした空気を吹き飛ばして、むしろ涼しく感じられるくらいである。

ペンションで今回の出張における最後の朝食を摂る。

( 今日の朝食(@サントモ) に続く )

朝食を食べた後は部屋で身支度を整え、チェックアウトした。車で出先の事務所に行き、荷物を受け取り、挨拶を済ませて三宅島空港に車で送ってもらった。


ターミナルの建物に入り、搭乗手続きを行う。買ったお土産やもらったお土産のおかげで、行きよりも帰りの方の手荷物の超過料金がかかってしまった。自分はライトウェイトトラベルトートバックのみ持ち、手荷物を2つ預けて、手続きは終了。しかし、乗る予定の飛行機は調布の出発が天候の関係で遅れていて、しばらくターミナルで待つことになった。


しばらくして、飛行機は50分遅れで調布を出発するとのことで、三宅島の出発は当初9時50分だったのが10時40分となった。
荷物の保安検査を済ませて、ゲートラウンジに入る。ラウンジで席の指定がされて、その順番に従って、ターミナルの建物から飛行機に向かって歩いた。飛行機は行きと同じドリニエ228-212 NGである。飛行機の席は最後尾のドア近くとなった。

席に座り、シートベルトを締める。飛行機は滑走路の北側に向かい、反転すると南に向けて離陸した。窓からは三宅島の全景が見える。


しばらく飛んでいると、眼下に三浦半島の突端の城ヶ島が見えてきた。


しばらく飛んでいると、今度は市街地の上にさしかかる。景色の向こうには東京スカイツリーや新宿の高層ビル群が見えた。


調布飛行場に到着したのは11時15分である。飛行機から降りると、調布飛行場ターミナルに入り、預けた荷物を受け取ると、調布飛行場ターミナル前に停まっているタクシーに乗って、新宿に向かった。


帰りは中央自動車道が渋滞していて、調布から新宿まで1時間近くかかってしまった。昼過ぎに新宿に到着して、荷物を職場に持って行き、出張は終了。午後は通常業務に就いて、定時に帰宅した。今回の出張は昨年の八丈島出張よりも疲れた気がした。

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三宅島めぐり(富賀神社→御笏神社)

2018年09月29日 | おでかけ


今日は曇り後雨。今朝は上空にどんよりとした厚い雲が広がっていて、日射しの無い空模様である。気温は23℃で湿度が高く、空気がシメシメと感じられた。
今朝は7時位に目を覚ました。本当は6時くらいに起きるつもりだったのだが、うっかり寝過ごしてしまった。ペンションの朝食は朝7時からなので、急いで朝食を済ませると、身支度を整えて出かけることにした。

先週の内に三宅観光協会にレンタサイクルの予約をしていたが、今日は午後天気が悪くなるとのことで予約をキャンセルする。午前中は島内にある富賀神社御笏神社に参拝することにした。
富賀神社ペンションから30分ほど歩いた場所にある。都道である三宅島一周道路を歩いていくと、右手に鳥居が見えてくる。この鳥居の先は村道となっている。この村道を降りていくと、右手に富賀神社がある。


富賀神社は事代主命(ことしろぬしのみこと、三島大明神)、伊古奈比咩命(いこなひめのみこと、后)及び阿米津和気命(あめつわきのみこと、王子)の3人が祀られている。大国主命(おおくにぬしのみこと)を父とする事代主命は三宅島に渡って島の基盤を築いたと言われている。伊豆七島の総鎮守でもあり、静岡県三島神社発祥の地としても名高いとのこと。
現在の本殿・拝殿・神輿堂・参道については、台風や噴火の影響を受けて平成19年に修復が行われたものであるとのことである。

鳥居の手前左手の手水場で手と口を清めて、鳥居をくぐる。


参道を進むと、更に鳥居があって、鳥居をくぐると正面に本殿が見えてきた。


本殿の右手には神輿堂があるが、建物の中は空である。


まずは本殿で参拝する。本殿の裏手には境内社があり、右手には見目宮と剣宮が、左手には壬生宮と若宮という境内社が設けられている。本殿の裏側には更に階段が設けられていて、その頂には奥社が見えたが、階段には門扉が設けられていて、鍵がかかっているので、門扉の前で一礼して、本殿を後にした。
参道を元に戻って、村道に出ると、海岸の方に行くことにした。富賀神社の前に広がっている富賀浜を少し歩いてみる。


浜からは左手に御蔵島が見えている。


右手には新島の島影が見えた。


正面の岩は大野原島(三本岳)である。


この富賀浜の沖合には度重なる火山活動を反映して、大きなアーチやトンネルなどの複雑な海底地形が作られているとのことである。
富賀浜を後にすると、村道を歩いて再び三宅島一周道路に出た。ここから一旦、ペンションに戻ることにする。ペンションに到着する手前で、今崎海岸に出てみた。目の前には「メガネ岩」と呼ばれる大きな岩場がある。この今崎海岸を作った溶岩流を長年にわたって波が浸食し、大きな洞穴「海食洞(かいしょくどう)」を作った。その2つ並んだ姿から眼がね岩と呼ばれる名所になったとのことだが、メガネ岩の一方は1959年の伊勢湾台風で天井が落ちてしまったとのことである。


メガネ岩を後にして一旦、ペンションに戻る。ペンションのロビーで少し休憩をした後、村営バスに乗って今度は神着地区にある御笏神社に向かった。
御笏神社は境内を三宅島一周道路で分断されている。山側に面して鳥居があり、鳥居を鳥居をくぐると左手に祖霊社という建物がある。正面の階段を上ると本殿がある。


海側には階段があり、階段を下りると左手に島役所跡がある。


この島役所跡は島内唯一の茅葺き家屋で江戸後期の建物と推定されている。この島役所は島内の神社を統括する神官の壬生氏が居を構えた建物で東京都指定史跡にもなっている。現在は工事中で、この建物の主である宮司は隣の団地に住んでいる。
この島役所跡の前には「篤姫」ゆかりの蘇鉄が植えられている。説明文には「安政三年一二月(1856)薩摩の大名島津済彬公の息女敬子(養女で篤姫と呼ばれ、後に天璋院と号す)が十三代将軍徳川家定公に輿入れのおりはるばる国元から持参した盆栽であったが船が江戸に向かう途中、事故のために大久保浜に漂着しその時に植えられたと伝えられている記念樹で樹齢はおよそ百五十年余りをかぞえる。」とある。


島役所の正面には柏槇(びゃくしん)の巨木がそびえ立っている。この木は御笏神社が東郷の里から移った直後に植えられたと伝えられ、樹齢はおよそ470年を数えるとの事。昭和11年に東京府の天然記念物に指定されている東京では最大級の柏槇である。


最初に御朱印をもらうことにした。昨日の内に宮司さんの家に預けていた朱印帳を受け取りに、宮司さんの家に向かう。御朱印を頂いた朱印帳を受け取り、宮司さんの家を後にした。
いささか順序が逆になってしまったが、あらためて御笏神社を参拝する。一旦、三宅島一周道路から下に降りて、あらためて御笏神社の一の鳥居をくぐった。


島役所跡の前を通り、階段を登ると、三宅島一周道路を渡り、鳥居をくぐる。祖霊社脇の手水場で手と口を清めて、階段を上がり、本殿前に立った。


御笏神社は事代主命(ことしろぬしのみこと)の后、佐伎多麻比咩命(さきたまひめのみこと)が祀られている。御笏神社は延喜神名帳に記録されている式内社とのこと。


まずは本殿で参拝。境内は本殿に向かって右手に神輿堂と社務所が一体となった建物がある。左手に熊野神社、太子堂、宝刀比羅神社といった末社の他に2社の末社がある。


本殿の裏手には階段があって、その頂に奥社が見える。奥社に至る階段を上がろうとして、一陣の風が吹いた。なんだか奥社に参拝するのが恐れ多く思えて、奥社の階段の手前で二礼二拍手一礼すると、その場を後にした。


御笏神社の境内を出ると、事務所の方に連絡を取る。今日の午後は島内を案内していただけることになっている。しばらく待っていると、事務所の方が車で来たので、合流した。

( 三宅島めぐり(島内) に続く ) 

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三宅島めぐり(島内)

2018年09月29日 | おでかけ



( 三宅島めぐり(富賀神社→御笏神社) から続く )

午後は事務所の方に車で案内を頂きながら島内を視察することにした。最初に向かったのは島の北東部に位置する椎取神社である。この神社は佐伎多麻比咩命(さきたまひめのみこと)の第八子志理太宣命(しりたまのみこと)が祀られていて、別名志理太宣神社と呼ばれている。三宅島における神話発祥の地でもある。


この神社はシイノキ原生林に覆われていたが、2000年の噴火で島の北東部に大量の火山灰が降り注ぎ、大雨になると、水を含んだ火山灰が火山泥流となって斜面を流れてきたとのこと。更に、中腹の山肌を削って土砂を巻き込み、土石流となって山麓を襲ってきたため、泥流に鳥居と社殿が埋まってしまったとの事である。


本殿に進み、ここで参拝。


奥の院に進み、参拝する。奥の院は切り立った岩肌の下に安置されていて、自然のパワーを感じる事ができた。


椎取神社を後にすると、今度は三七山展望台に向かった。この前方に見える火山は1940年に噴火を起こした「ひょうたん山」で新東京百景にも選ばれている。


そして展望台のある場所は三七山の頂上である。昭和37年に割れ目噴火が起こり、溶岩は火口から約200mの高さにまで吹きあがったとのこと。このときの大量な噴石が積み重なってできた噴石丘は、高さ数十mにも達し、噴火の起こった年号から「三七山」と呼ばれたとのことである。
この三七山は火口から放出されるスコリア(ガスの抜けた穴が多数ある軽石のうち暗黒色のもの)や火山弾の積み重なりでできている。


次に向かったのはサタドー岬である。この岬から見える海岸は海面から約20mの高さでそびえる断崖絶壁である。海に流れ込んだ溶岩流が波によって削られ、現在のような姿になったと考えられるとのことである。ウミガメが見られるスポットでもある。
サタドー岬の左手には御蔵島が見えた。


次に向かった先は三宅島自然ふれあいセンター「アカコッコ館」である。この建物は三宅村営の自然観察施設である。館内に入り、展示スペースの説明を受ける。残念ながら 三宅島を代表する鳥として親しまれているアカコッコの姿を見る事ができなかったが、三宅島の特色ある自然を学ぶ事ができた。
このアカコッコ館の北側には大路池という島内で最も大きい淡水の池がある。アカコッコ館を後にすると、大路池に向かった。


富士箱根国立公園の特別保護地域に指定されている大路池は二千年も前に水蒸気爆発によって形成された火口湖で、村の簡易水道の貴重な水源として活用されている。周囲2.1kmある池は周囲を椎の木等の原生林に覆われ、野鳥の保護地区に指定されている。この池には「たいろ藻」と称する水草の固有種の繁殖地として知られているが、昭和58年10月の噴火の際に大量の降灰があり、今では絶滅の危機に瀕しているとのことである。


大路池を後にすると、今度は七島展望台に登った。この七島展望台は二男山と呼ばれ、古い時代の噴石丘の山頂にあたる。表面には赤く高温酸化した溶岩やスコリアが積み重なっている。


雄山中腹付近にある展望台は、天気が良い日は大島から南は八丈島まで伊豆諸島の島々を一望できる。
左手に御蔵島が見える。


右手に利島、新島が望めた。


七島展望台を後にして、大路池展望台を経て向かったのは火山体験遊歩道である。


昭和58年10月の噴火は高さ100m以上に溶岩が不羈だし、阿古地区の一部を飲み込んだ。阿古小中学校跡に押し寄せた溶岩流の上に設けられた遊歩道を歩いていると、自然の恐るべき脅威にただひたすらに目を見張るばかりである。


火山体験遊歩道を歩いた後、溶岩流に飲み込まれた阿古集落跡を望む場所に出た。


その後、三宅島郷土資料館を経て宿まで戻る。ペンションに着くまでは雨は降っていなかったが、夜になって雨が降り出してきた。
夜はペンションの食堂で関係者と軽く飲む機会を得た。

その後は風呂に入って、早々に布団に入った。

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三宅島出張(往路)

2018年09月28日 | おでかけ


今日は晴れ。今朝は上空に雲ひとつ無い澄んだ青空が広がっていて、久しぶりに朝日が眩しい。今朝はドアポストにビニル袋に入った朝刊が投函されていたので、雨が降ったのかと思ったが、雨は降った形跡は無かった。今朝の気温は13℃で、昨朝よりも冷え込んだ。湿度が高く、湿った空気が冷たく感じられた。
今日から3泊4日で三宅島に出張する。昨日荷造りをした荷物を持って、一旦、新宿の事務所に出勤した後、昼頃にタクシーで調布飛行場に向かった。


日中もよく晴れて、東の空に雲が浮かんでいるのが見えるものの、上空には青空が広がって、日射しが燦々と降り注いだ。昼間の最高気温は26℃で弱い北風が吹いていて、カラリとした暑さである。窓際にいると、太陽が照りつけて暑いくらいだった。
飛行機は定刻通り14時50分に調布飛行場を離陸した。


調布飛行場から三宅島までは正味35分のフライトである。


窓からはしばらくは東京から横浜にかけて町並みが広がっていたが、三浦半島を越えると、眼前に海が見えてきた。遠くには今朝、竹芝桟橋を出航したおがさわら丸らしい船影も見えている。
三宅島には定刻通り15時40分の到着となった。


空港からは傾いた日に照らされている雄山が見える。


三宅島空港には既に事務所から迎えの車が来ていたので、これに乗って事務所に向かった。事務所で簡単な打合せを行い、持参した荷物を金庫に保管する。
その合間に明日、参拝する予定の富賀神社御笏神社の御朱印を頂くため、宮司さんに電話で連絡をする。以前、三宅島に出張することが決まった際に、宮司さんに日程を伝えたところ、明日は予定があるとして、断られたからである。今日ならもらえるかと思ったが、今日は別の神社に行かれているとのことだった。しかし、宮司さんのご自宅にいらっしゃる家人に朱印帳を預けておけば、明日までに書いておいていただけるとので、さっそく、宮司さんの家に伺い、朱印帳を預けた。

事務所に戻って荷物をまとめると、車で投宿先のペンション「サントモ」に送ってもらった。宿に入ると、さっそくチェックインをした。


ペンションに着いたときには既に日は沈み、あたりは暗くなっていた。


ペンションは2食付きとなっており、夕食はペンションのレストランで食べる。夕食は18時半~となっていて、部屋に荷物を置いて少しゆっくりくつろぐと、すぐに食堂に入った。

( 今日の夕食(@サントモ) に続く )

夕食を食べた後は、カメラを持って、宿の向かいの駐車場に出てみた。上空には無数の星が煌めいていて、おもわず目を奪われる。


とりあえず、写真を撮ってはみたが、なかなか上手くは撮れない。
近くの海岸に出て空を眺めた。


東京ではおそらく見ることが出来ないであろう光景にしばらくは見とれてしまった。
その後、風呂に入って、部屋に戻る。今回の宿泊先の部屋は6畳1間でトイレ・風呂は共同となっている。タオルや歯ブラシなどのアメニティは無く、ちょっと素っ気ない。部屋にはテレビがあるが、まったく番組が映らず、しかし、だからといって、そのことを宿の人に訴える気も起きない。

特にやることはなかったので、部屋に布団を敷くと、眠くなったところで寝ることにした。

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熱海旅行(3日目)(来宮神社・湯前神社)

2018年08月25日 | おでかけ


今日は晴れ。今朝は上空に青空が広がっているが、大きな雲が西から東にかけてすごい早さで流れているのが見えた。日の出が見えるかと思ったが、旅館から東の方向にはマンションや高いビルが建っていて、ビルの谷間から朝日が見えた。
旅館で朝風呂に入った後、朝食を食べた。朝の気温は27℃で昨日に引き続き熱帯夜となった。南よりの風が強く、朝からムシムシとした陽気である。日が昇ってきて、次第に日射しが強くなってくると、気温も上昇してきた。

旅館のチェックアウトは10時だったが、9時過ぎに旅館を出ると、旅館の送迎バスで熱海駅に出た。熱海駅から電車に乗って来宮駅に向かう。ところが、来宮駅が伊東線の駅であることを知らずに、東海道線に乗ってしまい、函南駅で折り返した。おかげで1時間くらい時間をロスしてしまった。
あらためて熱海駅から伊東線に乗る。車両は伊東線に乗り入れている伊豆急行電鉄の車両である。

来宮駅は熱海駅の隣駅で、熱海駅を出ると3分くらいで到着した。駅に到着すると改札を出て来宮神社に向かう。来宮神社は駅から熱海方面に歩いていき、2つめの信号で左に折れて、線路をくぐった先にある。境内は若い女性客でかなり混み合っていた。


昼間の最高気温は32℃で真夏日となった。強い日射しが降り注いでいて、湿度が高く、かなり蒸し暑い陽気である。午後から西よりの風が強く吹いてきて、上空は青空に雲がすごい早さで流れていた。
来宮神社は古くから来宮大明神と称して、熱海郷の地主の神として進行されている神社であり、御祭神を大己貴命、五十猛命、日本武尊の三柱とされている。

鳥居をくぐって境内を5mほど歩いていくと、左手に手水場があり、ここで手と口を清める。手水場の奥には来宮稲荷明神が設けられている。手水場と参道を挟んで反対側には第二大楠が植わっている。


第二大楠の右手には摂末社の三峯神社がある。手水場を過ぎて5m行ったところに階段があり、階段を上ると正面に本殿が見えた。


本殿の手前左手には参集殿がある。まずは本殿で参拝し、その後、右手にある 摂末社の弁財天も参拝する。


本殿の左手には来宮神社御神木で国指定天然記念物の大楠に至る「楠への小道」と名付けられた参道がある。


この参道を歩いて大楠に向かった。この大楠は樹齢二千年以上とのことで、縁起によると、今から1300年前に漁夫の網にかかった御木像らしき物を祀った7本の楠の洞のある場所である。この7本の楠の内、5本は江戸時代末期に訴訟費用の捻出のために伐られてしまったとのことだが、残された2本は現在に至っている。


この大楠の周囲を心に願いを秘めながら1周すると、願い事が叶う伝説や、寿命が1年延命する伝説もあり、とりあえず1周する。その後、参集殿までもどって、建物内にある授与所で御朱印を頂く。この神社では、この後、参拝する予定の湯前神社の御朱印を頂けるとのことで、お願いをして湯前神社の御朱印を頂いた。
御朱印を頂いた後、休憩を兼ねてお茶をすることにした。

( 今日のスイーツ(来宮大楠ロール@茶寮 報鼓) に続く )

お茶をした後、来宮神社を後にして、湯前神社に向かう。湯前神社来宮神社の南東方向にあり、来宮神社から坂を降りて10分ほど歩いたところにある。この湯前神社は御祭神を少彦名神とする熱海温泉の守護である。


鳥居をくぐると、右手に温泉が流れてくる岩があり、手で触るとちょっと熱いくらいの湯が流れている。この湯は熱海温泉の源泉の1つである大湯で、一昨日に訪れた走り湯と並ぶ源泉である。


階段を昇って、本殿で参拝する。


本殿前には鎌倉幕府三代将軍源実朝が読んだという詠んだ歌が刻まれた歌碑が建っている。この歌は実朝が1214年正月に熱海の地で海岸に湧出する温泉(大湯)を見て崇め讃えて読んだとされている。
「都より 巽にあたり 出湯あり 名はあづま路の 熱海といふ」



湯前神社の鳥居の前には大湯間歇泉がある。熱海七湯の一つである「大湯間歇泉」は、古くからの間歇泉で諏訪の間欠泉ほどではないが、4分ごとに3分間湯の噴出を見せてくれる。


湯前神社を後にすると、ようやくお昼を食べることにして、海岸に向かった。

( 今日のランチ(地魚海鮮丼@寿司忠) に続く )

店を出た後は、海岸に出て海を眺めながら熱海駅に戻る。


熱海駅前の駅ビル「ラスカ熱海」の建物内で涼を取った後、熱海駅前にある足湯「家康の湯」で足湯を利用することにした。この足湯は天然温泉を使用していて、いくぶんぬるいお湯である。お湯は16時までで、翌日新湯を張っているとのこと。しばらく足湯で足の疲れを癒した。
その後、駅弁を買って、駅の改札の中に入った。熱海からの帰りは特急「スーパービュー踊り子」で帰る。定刻通りに熱海を発車したこの特急「スーパービュー踊り子」は全車指定席の特急であり、実はこの車両に乗るのは初めてだったりする。


今回乗った特急「スーパービュー踊り子」は大宮行きである。定刻通りに熱海を発車した特急「スーパービュー踊り子」が新宿駅に到着したのは18時56分である。新宿駅からは中央線快速電車に乗って日野駅に向かった。中央線快速電車に乗ると、旅の気分から一気に日常に引き戻された気分になった。

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