25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

気持ち悪いTOKIOの会見

2018年05月08日 | 社会・経済・政治
 TOKIOのメンバーである山口達也が起こした事件で、他のTOKIOのメンバーが行った記者会見やその後のテレビニュースやネットニュースなどを見ていて、すごく違和感を覚えた。大の大人が起こした事件を他のメンバーが謝り、こう言った、ああ言ったとか、辛い、悲しい、見捨てたくない、と真剣に語っていた。
 これはアジア的段階の無意識が色濃くこの若いメンバーにも、マスコミにも残っているものと思える。個人が起こしたことをなぜ、連帯感責任があるかのように堅苦しく記者会見しなくてはならないものか。おそらく欧米では考えられないことのように思える。
 あの記者会見ではメンバーの真摯な態度にコメンテーターや司会者はやけに誉めていた。
 ぼくはうすら寒さを覚えたのだった。マスコミが求めるから、ということもあるだろうが、個人と集団であるならば、個人の方が尊重されなくてはいけない。いくらメンバーだったからと言って、他のTOKIOのメンバーとは関係がないはずだ。謝るのは山口ひとりのはずだ。 
 俄然、戦争中(ぼくは経験はないが)、自治会のいうとおりにしなければ避難が起こる。日本が負ける、などと言えば、何を言うか、と怒鳴られる、共同幻想に個人を合わせよ、ということと似ていて嫌になってしまうのだ。
 ビートルズのメンバーだったら、あんな深刻な記者会見など求められもしないし、することもないと思う。
 日本にまだ前世界的な思考が若者にあるとすればいつ何時に、日本はおかしくなっていくかもしれない。
 TOKIOの生き残り戦略だったかもしれない。それでもそんな戦略を立てなければならないほど、マスコミの圧力もすごいのだと思う。あのときの他のTOKIOメンバーの表情はあまりにも深刻な表情だった。
 おかげでニュースの目はそっちに向き、自民党は安穏とできたに違いない。
 TOKIO、北朝鮮が一緒に並べられるのだ。それこそ異常である。ぼくはそう思う。