25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

歴史認識の問題

2018年05月10日 | 社会・経済・政治
トキオの会見の違和感をブログでぼくはぼくの意見として書いたが、今日の朝日新聞に同様の主旨の違和感について書かれていた。同じように感じ、思う人もやはりいると思った。

 日本と中国、日本と韓国の間に長年わだかまる歴史認識の問題がある。それが昨日の日中間の首脳会談でも現れた。この問題は近いいつか必ず解決しなければならないと思う。一番近くの東アジアの国が仲良く交流するのは当然のことである。

 日本はいつもアメリカの機嫌を伺い、中国、韓国にも気を遣う自立性のない国家である。
 櫻井良子などのいうことは放っておいて、中国、韓国の歴史認識問題をはっきりと「謝る」ということで決着した方がよいとぼくは思う。植民地化したことは事実だし、人数の過多はともかくも虐殺をしたのも事実である。慰安婦など国がやったことはないというが、国はやらないとしても戦争が起こし、兵隊を派遣していくことで起こった問題である。誰の命令で慰安婦をさせられたとしても、それを作ったのは戦争であり、起こした方が悪いに決まっている。

 靖国神社の参拝は個人の自由で、天皇はいかないけれど、政治家が個人として行く、行かないは自由えあり、他国から言われる筋合いのものではない。だからそう言えばいい。姑息に行ったり行かなかったりする方がおかしい。
 こういう問題を解決しようと、だれに憚ることなく、積極的に会談すればよいのだ。
 アメリカはこんなことに口をだすものではないと思える。