25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

加計問題の山場がきた

2018年05月22日 | 社会・経済・政治
 加計問題も最大の山場になった。山場というのは国民の支持率がどうなるか、という意味においてである。
  憲法記念日の日、NHKスペシャルで「憲法と日本人」という番組があった。それでは1949年から1964年まで政府内に憲法調査会が設けられ、審議員たちはアメリカまで行って、調査をして、日本国憲法の成り立ちを報告した。広瀬参議院議員という戦争中の元大臣が執念深く、憲法改正を訴え、内閣法制局の人間まで使い、頑張ったのだった。その末に憲法調査会が政府内で発足し、鳩山内閣が憲法改正に必要な3分の2の議席を狙って総選挙にうってでたのだった。自民党は惨敗に終わり、議席は3分の1以下になった。国民は認めなかったのである。その憲法調査会も1964年に最終報告として、「アメリカ合衆国に押しつけられた憲法と一方的に言えない」という主旨のことを述べた。
  平和主義は幣原喜重郎の案であることもわかっているし、議会で日本人によって議決された憲法である。
  悲惨な戦争の全面に立ったのは国民である。女房、子供を残し、飢えや、マラリアに苦しみ、空からは一般住宅にまで焼夷弾が落ちてくる。310万人の犠牲の上に成り立った憲法である。国民はこの憲法を享受し、自民党も憲法が生活に定着していることを認めざるを得なかった。憲法改正を要求するアメリカの圧力を躱せたのも憲法のおかげである。アメリカのような自己都合で日本に改正を迫るというやり口はあまり知られていないが、アメリカの圧力を躱しながら自民党政権は憲法改正を封じたのである。
 それが安倍政権となって再び現れてきた。すでに特定秘密保護法、安全保障法、共謀罪法が成立し、憲法解釈によって現憲法が骨抜きにされようとしている。

 広瀬参議院議員は戦争中の大臣時代に前線などには行かなかったのだろう。岸信介にしても中曽根にしても戦争を体験している戦後の政治家は「実際の戦争」を体験していない「理念的な」「頭の中だけの」「上から目線の」戦争体験があるのかもしれない。泥にまみれ、蚊に刺され、飢え、病気になり、家族を思い、未来を失う若者の当事者としての体験はなかったのだろう。
 それで平気で「軍隊」を持たなければ普通の国家ではない、と言えるのだと思う。悲惨な戦争体験をした人々がこの世を去っていく昨今であるが、二度と戦争をしてほしくない。戦争などかっこいいものではない。恐怖と不安のどん底で死んでいくのだ、と言いたいことだろう。

 まして一度明治憲法に戻せと唱える百地章、伊藤哲男、椛島有三や稲田朋美ら成長の家の創始者谷口雅春、組織で言えば日本青年協議会(青年と言っても幹部は団塊世代かちょっと上の世代だ)、日本政策研究センター、日本会議の主張は歴史の後戻りである。安部政権は彼らに乗って、憲法改正をやりたがっている。櫻井良子などはその使い走りだ。
 ぼくはやはり国民の多くは今の憲法の肝の部分は変える必要はないと考えていると思う。
 徴兵制への隙間を作ってはいけない。新しい政権が集団的自衛権も共謀罪も廃止しなければならない。