25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

一万円札が廃止される?

2018年01月25日 | 社会・経済・政治
 一万円札を廃止することが検討されているという。このことで、アメリカでの生活を思いだした。アメリカのシアトルではスーパーで物を買っても銀行小切手であった。もちろんクレジットカードも使えた。あれから二十年以上過ぎて、いまでは100ドル札を受け付けない店がほとんどらしい。100ドル札は町中では使われず、もっぱら輸出に使われるらしい。
 中国のシンセンではキャッシュレス化の成功していることをニュースで見たことがある。
 さて日本でのキャッシュレス化も進んではいるが、まだまだである。現在の銀行貯金をのぞく現金の発行は106兆円で、そのうちの40兆円がタンス預金らしい。この49兆円は銀行への不安や、マネーロンダリングや、裏金などいろいろな理由があるだろう。一万円札を廃止して銀行ー日銀で一元管理しようというわけである。
 日本では戦後、政府の借金が多すぎて、物不足からハイパーインフレが起こり、政府は貯金封鎖をして、さらに、普通の人からはその貯金の内25%を徴収し、所得の多いところからは90%の課税をして、政府借金を劇的に減らした。政府が得することは国民が損をし、ついでに命まで取られたのだから、ときに政府というのはワルガキの権力者になってもみせる
 さて、一万円札の話だが。40兆円を銀行に戻せば、税から逃れることはできないし、40兆円が銀行に入るので、銀行はお金を貸せば創造的信用が大きくなり、また国債で儲ける利回りも大きくなる。経済の活性化にもよいのではないか、という判断なのだろう。こういうことが検討され、実施は6、7年後だという。

 アベノミクスは大失敗であることはリフレ派がなりをひそめた感があることでもわかるが、各種データからも明らかで、株高が実質経済の成長を意味してわけではない。現在は実質賃金が下がるうえでのインフレという最悪の状況である。いろいろな方面から、こっちに予算配分をと我も我もと要求がある。すると、選挙を意識して、予算を計上する。また赤字国債を発行する。それを銀行に買わせる。それを日銀が買う。こんなことが続いても経済は思うような成長をせず、町中では利息が安くてもお金を借りる企業や個人は少ない。
 一万円札も苦肉の策で、アベノミクス失敗の延長にある。悪事をただすと言えば聞こえがいいが、余裕がないのである。
 政府はインフレによって借金の価値を減らそうとしたが、うまくいかず、5年が過ぎた。現在日銀はどうやって国債買い入れや株式への投資を引き上げようかと検討しているだろうが、今の状況はいつ何が起こるかわからないということである。最終的には超インフレになり、貯金封鎖でもされて、そこへ税金かけられるという事態にもなりかねないのである。
 危機を煽ることはよろしくんないが、国民は魔術にかからず、きちんと考え、判断するべきである。マイナンバーもできたことだし、反対するものには共謀罪もできている。軍備にはお金を使う。
 無駄使いも含めて日本政府が貯めてきた借金は、結局国民が払うことになるという基本だけは知っておくべきことだと思う。実質賃金が上がらず、物価だけ上がるとい現象も、政府側は得することである。国民は損する。どちらが得でどちらが損などと言わなくてもすむ社会が望ましいのだ。