25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

不倫

2018年01月21日 | 社会・経済・政治
 不倫、不倫と週刊誌ネタをそのまま使ってテレビのワイドショーは一大事のように話す。司会者もゲスト出演する人も「私は絶対しません」と言っているようである。そうはうまくいくかい、というのがこの人間世界である。恋というものは突然に起こるものだし、性欲というのも人間の共通の衝動的なエロスである。不倫はだめだと、マスコミがいかにも共同幻想かのように言い立てる。笑い話のネタにして不倫当事者を叩く。
 共同幻想と個人幻想はたがいに齟齬をきたすことがある。対幻想とて相手の自分で齟齬を起こす。法律は共同幻想であるが、ワイドショーではいかにも姦通罪でも作りたいのだろうか。ゴシップもきわまれりで、有名人には困ったことだろう。
 週刊文春の記者も何をこころの支えとしてそんなスクープ記事をとりたいのだろう。馬鹿馬鹿しいことをやっているとは思っているだろう。記者が清廉潔白などと信じられるはずもない。つまらぬ事をやっていると自己卑下さえしたくなってくるのではないか。
 芸能人もおとなしいもので、復讐を成し遂げたニュースを聞いたことがない。
 人間の精神世界は複雑怪奇で、それは経済の複雑さよりも複雑であるように思える。一刀両断にスパッと切って良い悪いを決められるものではない。
 善いことを言っているということは悪いこと言っているかもしれないぞ、という絶えず、後ろから自分を眺める視点や内省も必要である。
 上沼恵美子は不倫にたいして、どうでもいいと思っているが、ネタにして笑いこけさせようとする。ゴゴスマの司会者もやや近いところがあり、漫談にしてしまう。両者とも、自分がテレビで発言することは悪いことだと思っていない。つまりふざけている、視聴者を楽しませたいのである。それがいかにゲスなことかはわかっていない。芸能界や政治家や有名スポーツ選手などのゴシップはしかたのないことだと思っている節がある。つまらぬことだ。わかっていることだろう。