25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

孤独と孤立

2018年01月15日 | 文学 思想

 4年前までは若い人を相手にする仕事をしていたので、おそらく若さの感染がぼくにもあったかもしれない。

 今は若い人とめったに会話を交わすことはない。せいぜい、マクドナルドやTSUTAYAやイオンの可愛らしい店員とちょっと挨拶を交わすくらいである。

 若い人に伝えたいことは多々あるがそれはかなわない。

 家族は絆が強いようで、実は「意見」「主張」「思想」を述べるには一番遠い存在である。だから父親も、息子も当たり障りのないことでお茶を濁している内に、それぞれの思いはさらけだされないまま、先に父が逝くことになる。

 人には言いたいことがあるはずだし、知識や知恵を伝えたいものだと思う。

  現代はコミニュケーション技術が発達し、ブログやツイッターなどで自分の意見は言える。しかしながら読者は身辺にはいない。孤独を恐れてしかたのないコミュニケーションをとっている人も多くいるだろう。インスタ映えするといって、意味があるようには思えないが、人は頭にいつも火花が立ってないと寂しいのだろうかと思う時もある。見知らぬ人とのコミュニケーションは増えているが、孤立する人も増えているはずだ。孤立と孤独は違う。人間は一人では生きていけない。心が孤独になり、それが長く続けば社会的活動ができなくなる。つまり病気である。孤立にはまだ強い意志や頑固な心の張りのようなものがある。「孤立無援の闘い」などとも使うのは強い意志力がある。孤独である時期も必要とは思う。無理矢理に孤独を引き離すことはない。「孤立」と感じれば力も湧いてくるというものだ。