25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

間違えた時、間違えていない時

2018年01月09日 | 日記

 人は間違えたときに個性的である。だれが言ったか知らないが名言である。

 さて、白鵬。酒の席で殴らせておき、血が吹き出たらやめさせた。これはいただけないから、謝罪会見をするのがよい。が、しなかった。ここが個性的である。人気は落ちるだろう。

 横綱審議会のの役員を前にした相撲総見で、白鵬は張り差しをやって見せた。横綱がとる相撲ではないと、カチ上げと張り手をだす白鵬を批判した。これについても、反論があるなら記者会見をして言うにがよいと思う。これは間違ったことではない。しかし横綱としてどうか、と思う人もいる。

 張り差しは狙われれば不利に働くし、カチ上げもリスクが高い。それをする理由が聞きたい。ぼくはカチ上げも張り差しもよいと考えている。悪いのなら横綱審議会で横綱の禁じ手として決めればよい。14日からの白鵬がどのような相撲を見せるか興味深い。横綱審議員会に負けてはならない。堂々と相撲を取ればいい。強さを見せつければよい。

 経済がわかったような文を書いていた男が妻への暴行で逮捕された。彼はテレビカメラに向かい、クスリでも飲んでいるかのようにニタニタ笑いをし、視聴者に手まで振っていた。こいつイカれていると思ったのだった。

 救急車の救急隊員が緊急患者を送り届けてから、帰り道の途中で、自販機で飲料水を買って飲んだ。それを大阪市役所におかしいんじゃないかと通報した人がいた。大阪市は丁寧に説明を尽くした。通報する人ちょっと妙じゃないか、とぼくは思う。

 毎日何かが起こる。起こることには時代の背景がある。人は言いたいことは言わないし、言わずともよいことを言う奇妙な存在だ。