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プラムの部屋♪

長い長い休暇中デス。(*_ _) ゴメンナサイ。

マクシミリアン一世

2006-09-15 02:30:49 | 詩と音楽♪

 ヨーロッパ屈指の名門ハプスブルグ家。

中でもハプスブルグ家の三百年にも及ぶ繁栄の基盤を築いたと言われる

中世最後の騎士マクシミリアンと、その愛妻マリアの、結婚に至るまでの

劇的な展開は乙女心をくすぐるにはもってこいの題材ですねぇ

 

ブルゴーニュ公国の四代目君主シャルル突進公は、

ブルゴーニュを継承する唯一の愛娘、マリアの結婚相手を

皇帝フリードリヒ三世の息子マクシミリアンと決めたものの、

相手方との折衝が思うように進展しないまま、戦死してしまいます。

 

父親の急逝により、ブリュッセルで取り残されてしまったマリア。

当時の情勢は非常に緊迫しており、貴族達の内乱や、

隣国のフランス王ルイ11世が軍隊を従えて今にも襲い掛かろうと

虎視眈々と好機を狙っている様子に、もはや自分を救ってくれるのは

父シャルル公が、未来の夫と定めたマクシミリアン大公しかいないと

ウィーンに使いを出して、即刻救いに来てほしいと懇願します。

 

様々な困難を乗り越えてガンの王宮に白馬に乗って

颯爽と登場したマクシミリアンの雄姿は、

まさにあのローエングリンの白馬の騎士そのもの

う~ん。。なんてロマンティックなのでしょう

 

この美男美女の華燭の典はまさに絵のような美しさだったそうです。

そして、二人とも狩やダンスが得意だったことや、

美しい詩や中世騎士物語が好きだったこと等、総てにおいて好みが一致。

ハプスブルグ家の長い歴史の中でも、あのマリア・テレジア夫婦と並んで

有名なおしどり夫婦となるのです

 

その僅か四年後・・・マリアは落馬し、若くして夭逝してしまいますが

それまでの二人は本当に幸せだったのですね。。

 

・・・ということで。。

この週末、テニスンの詩の世界に思いっ切り浸っちゃおうかな^^

 

     シャロット姫~第三部から一部抜粋

 

     雲ひとつない晴れ渡った青空に

     宝石を鏤めた鞍の皮が光った、

     兜も兜の羽飾りも

     さながら燃える炎のように輝いていた、

       卿がキャメロットに馬を進めたとき。

     それはまた、紫色の夜空をしばしば、

     燦然と輝く星辰の下、

     光芒を引きながら彗星が

       静かなシャロット上空に流れるさまに似ていた。

 

素材提供:AICHAN WEB     


ヌレエフ&フォンティーン

2006-06-20 13:42:35 | 詩と音楽♪

 最近、天候不順で身体がついていきません

果たしてこの夏、乗り越える事が出来るのだろうか?

・・・なんて恐ろしいことまで考えてしまう今日この頃。。

ちょっと気分転換にとバレエのDVDなんぞ観てしまいました

 

もちろん、全幕だとさすがにしんどいので、

ところどころ素敵なシーンを抜粋したものでございます。

実は同じプロコ作曲なら「シンデレラ」の方が好きなのですが・・・ネ。

これはいずれアップ予定ですが、こちらは手抜き記事なのであしからず・・・

 

ロイヤル・バレエ団の往年のパーフェクト・パートナー

中でもプロコフィエフ作曲のバレエ「ロメオとジュリエット」の舞台は

今尚、バレエファンの間では伝説として語り継がれてますね。

ストーリーはほとんど原作に忠実なのでオペラ版をご参考に^^

あの有名なバルコニー・シーンは何度観ても素敵です。 

プロコフィエフの艶かしい神秘的な音楽に合わせて踊る

これまた艶かしいお二人の踊り。

 

従来のクラシック・バレエとは一線を画するこのバレエ。

設定は13歳ではありますが・・・大人のバレエですね。

(そ、それにしても13歳の身空で何も・・・ねぇ。。)

ちょっとモダンっぽいのかな。

特にラストの地を這うようにして台に上り、ロメオを引き上げようともがいて

最後力尽きて倒れるジュリエットのシーンは胸が締め付けられそうです。

 

で。。結局のところ・・・美しいけど切ない物語は、

大して気分転換にはなりませんでした・・・

 

素材提供:AICHAN WEB


シューベルト

2006-05-07 21:34:42 | 詩と音楽♪

 シューベルトといえば大歌曲王^^

僅か31年の生涯の中で、残した歌曲の数はなんと600曲あまり。。

当時から最も評価され、演奏されていたのも歌曲でして・・・

後世に多大なる影響を及ぼした事も有名な話です。

最も好んで用いた詩人はやはりゲーテ

『ファウスト』『野ばら』『魔王』『ミニヨン』辺りが最も有名でしょうか。

でも、シューベルトの友人達が計画した「ゲーテ歌曲集」の出版を巡るいきさつは

この偉大なる詩人ゲーテのちょっと尊大で俗っぽい一面を感じて、

なんとも不快な気持ちを味わってしまいましたっけ。。

 

それはともかく・・・『魔王』が初めて演奏された時の熱狂たるや

本当に凄まじかったようですね^^

まだ18歳のシューベルトがゲーテの詩を読んで大興奮!

あっという間に書き上げてしまったそうです。

でもあの三連音はいくらなんでも難しすぎっ

事実、この大成功の演奏時も、アンコールの時には八分音符に置き換えて

演奏されたそうで・・・。

 

もちろん、ゲーテ以外にも沢山の詩人の詩を用いており、

有名なところではクラウディウス作『死と乙女』、

ヴィルヘルム・ミュラー作『美しい水車屋の娘』『冬の旅』、

それにハイネとレルシュタープによる歌曲集『白鳥の歌』

う~ん。。どれもこれも素晴らしい・・・

ある批評家がシューベルトの事を《美しい旋律の泉》を持っていた

と書いてますが、まさに言い得て妙・・・ですネ。

 

でも残した名曲は何もリートに限りません。

ピアノ曲から、4つの即興曲なんて最高に好き

ピアノ・ソナタもピアノ三重奏曲も味わい深くて素晴らしい。。

更に交響曲《ザ・グレイト》《未完成》、五重奏曲《ます》等々・・・

古典派の名残りを感じさせつつ、ロマン派の先がけとして

本当に美しい音楽を沢山残してくれました。

 

このシューベルトですが、シューベルティアーデという、

シューベルトの友人達が集って彼の曲を演奏する私的なサロンが

夜毎繰り広げられ、ジェスチャー・ゲームやダンス・パーティにまで発展した

とても微笑ましい様子が描かれた絵が残されておりますが

本当に沢山の友人に恵まれ、内気で控えめなシューベルトの溢れる才能を

そしてその人柄を、いかに多くの人が愛し、尊敬していたかが窺えます。

 

でも彼の恋愛・・・ということになると、少々寂しいかも知れません・・・

彼の初恋の相手は幼馴染のテレーゼ・グロープ。

相思相愛だったようですが、いっこうに定職に着かず、

フラフラしていたシューベルトを待ちきれず、別の人と結婚してしまいました。

後々シューベルトは友人の一人に「心から愛したたった一人の女性」

と、彼女との思い出を語っていたそうです。

そしてもう一人、エステル・ハージ伯爵の下の娘、カロリーネに対しても

相当な恋心を抱いていたようで、友人達の間でも有名だったそうです。

でもこちらはシューベルトの一方的な片思いで終わってしまいました。

この不毛の恋を忘れる為に「うたかたの恋」に落ちたとされる相手は

ジェリズの別荘で働いていた小間使い、ペピ・ぺッケルホーファー。

この女性との関係については、彼の友人達は強く否定しているそうですが

その真相はいかがなものでしょうね・・・?^^

 

いずれにしても、女性にはあまりもてなかったようですね。

彼の友人の一人であるヒュッテンブレンナー曰く

「彼は女性にとって面白味のない人物でしたし、優しいところなど

少しもありませんでした。服装には無頓着で、歯は特に気にかけて

いないためタバコでひどく臭っていました。だから、色男になるに

全く適していない男だったのです」

でもその割には・・・と言っちゃったら身も蓋もありませんが^^;

彼の早すぎる死の大きな要因となった病気の名は梅毒・・・

う、う~む。。

 

ま~そんなことはどうでもよくて・・・

彼が亡くなった直後、彼の思い出をまとめようという働きかけが行われ

伝記資料の蒐集やシューベルト作品の整理出版、

そして特筆すべきは、彼の生前には遂に行われなかった交響曲の公開演奏を

メンデルスゾーンの指揮で実現したということ

シューベルトの曲に関心を持っていたシューマンが彼の遺稿に接し、

《ザ・グレイト》を発見 メンデルスゾーンの元へ・・・という

なんとも幸せなリレーが行われたのですね^^

この時のシューマンの「天国的に長い」という言葉は有名です。

 

こうやって音楽家達の生涯を追ってみると、

沢山の人々が交差していてとても面白いですね。

音楽も文学も、いかに多くの人々によって支えられ、育まれているか・・・

シューベルトの未完の曲を後に様々な作曲家が編曲したパターンも思い起こせば

なんとも雄大な歴史を感じて・・・ちょっと泣けてしまうのです。。

 

素材提供:AICHAN WEB


チャイコフスキー

2006-04-17 19:08:01 | 詩と音楽♪

 ロシアが生んだロマン派を代表する作曲家です。

 

チャイコフスキーといえば真っ先にバレエ音楽を思い浮かべる方が多いと

思われますが、彼自身は交響曲やオペラに相当な思い入れがあったようですね。

事実、特に交響曲に関してはどの作品も素晴らしい・・・大好きです。

上記以外で有名なのはなんてったって「ピアノ協奏曲第一番」

個人的には「ヴァイオリン協奏曲」もかなり好きです

数あるヴァイオリン協奏曲の中でも多分・・・ベスト5に入ります^^

でもなぜか最初は酷評されてしまうのですよね~。。

それだけ当時としては斬新で難曲で、それまでの常識を覆す程に印象的

という事なのでしょうか・・・。

 

チャイコフスキーの生涯はちょっと謎めいてますね。

複雑で混沌に満ち・・・最後も自殺説が未だに尾を引いてますが真相はいかに?

そしてその女性関係も、実は世間の同性愛説を覆い隠す為の偽装だったのか?

とまで言われたりして・・・

ロマンティックで美しい曲の数々の背景には、

結構ドロドロの人間関係が渦巻いていたようです。。

でも裏返せば、どこまでも満たされない孤独を抱えて彷徨う

天才芸術家の悲壮な心が生み出した曲ゆえに

痛いほどに心を打ち、惹き付けてやまない魅力があるのかも知れませんね。

 

チャイコフスキーの恋の相手として有名な人物の中の一人はデジーレ・アルトー。

ソプラノ歌手として成功している女性で、相思相愛となり、

お互い結婚まで考えたようですが、周囲からの大反対に遭い、

デジーレ・アルトーがチャイコフスキーを拒絶する形で破綻となりました。

若き日の恋。。

とても心の優しい暖かい女性だったそうで、

幼い頃に亡くした最愛の母親像を重ねていたのでは?という説が多いです。

 

そして史上まれにみる長い長い文通相手・・・

更に金銭的にも莫大な援助をした女性、フォン・メック夫人。

なんと14年に渡って文通をしたにも拘らず・・・一度も会うことが無かったそうで。。

チャイコフスキーにとって、この文通を通しての交際は

ある意味、唯一本音を語れる相手として、心の安らぎを見出していたようですね。

 

そしてその間、この上も無く不幸な結婚をしてるのです~

その相手、アントニーナ・イワノーヴナ・ミリュコーヴァは

異常なまでの熱心さでチャイコフスキーに求婚

根負けして結婚したのが運の尽き・・・・

チャイコフスキーの持つ芸術の心なんぞ鼻にも引っ掛けないこの女性・・・

肉体の魅力だけで彼の心をつなぎ止めるなんて出来るわけも無く・・・

大変悲惨な結婚生活だったようですね・・・

チャイコフスキーは発狂寸前でモスクワ川に飛び込み・・・

自殺未遂事件まで起してしまうのです。

でもアントニーナは離婚には遂に応じず、その後も延々と悩まされる存在に・・・。

 

チャイコフスキーがその生涯の中で関わった音楽家達は大変な数ですね。。

有名なロシア5人組を筆頭に、ルービンシュタイン、ラフマニノフ、

アドルフ・ブロドスキー、ブラームス、ドヴォルザーク、グリーグ、

サンサーンス、ブルッフ、ボイトー等々・・・

女性関係にはあまり恵まれなかったようですが、

その類稀なる才能を生かしてくれる存在には常に事欠かなかったようで・・・

でも何よりも、彼自身がどれ程の酷評を受けようと、

自信を持っている作品に関しては妥協しない強さがあったからこそ

最終的には周囲を納得させる事が出来たのかな~とも思ったりしてます。

 

チャイコフスキーの音楽には、ロシアの雄大な風景を彷彿とさせる

溢れるロマンや夢があり、独特の哀愁に満ちた美しいメロディ・・・

それに何より、文学にも精通していたゆえに、ストーリー性が感じられるので

とても分かりやすくてお好きな方も多いですよね。

でも反面、少々感情的過ぎて苦手という方も多いようです。

いずれにしても、祖国ロシアを愛したチャイコフスキー。。

その雄大な大地に根ざした、民族的な要素を多分に含んだ素晴らしい音楽は

私の人生に欠かせない・・・大切な宝物デス

 

素材提供:AICHAN WEB


実在した椿姫

2006-03-29 19:45:33 | 詩と音楽♪

 私は綺麗なお花の写真には目がありません

それも花の表情がはっきり分かるドアップ写真が大好きだったりしてます。

多くの方達の暖かいご好意により、世にも美しいお花をご提供頂けている事・・・

私はなんて果報者なのかしら、と思わずにいられません。。

本当に有難うございます。

で。。この度、ブログのお友達の一人「彷徨の軌跡」のtetuさんに

とても美しい椿のお花をご提供頂ける事となり、

これを機に、名作『椿姫』について番外編の記事を書いてみました

 

アレクサンドル・デュマ・フィスの小説『椿姫』には実在のモデルがいます。

パリの高級娼婦マリー・デュプレシ。

まだ二十歳の青年だったデュマ・フィスは、純情そうなマリーの容姿に一目ぼれ・・・

まさか複数のパトロンを持つ女とは分からなかったのですね。。

ちなみに彼女の多くの愛人の中には、あの作曲家リストも含まれているのです^^。

このマリーは、月の25日を白い椿で、残る5日を赤い椿で、

胸元を飾っていたことから周囲の人々に「椿姫」と呼ばれていました。

 

純情な青年デュマ・フィスに心惹かれたマリーは、

椿の花の色の変る頃お会いしましょう、

と約束・・・二人は急速に接近していきます。

月に大変な額のお金を浪費するマリー。

デュマ・フィスもマリーとの付き合いの為に多額の借金をしてしまいます。

この様子を見兼ねて、大文豪の父上が遂に登場!

小説と違い、デュマ・フィスからマリーに別れの手紙が書かれるのです。

結核に侵され、多額の借金を抱えたまま、23歳の若さで死去したマリー。

デュマ・フィスは、マリーの家財が競売にかけられる様を眼前にしたそうで・・・

一体どのような気持ちだったのでしょうね。。

 

この短いマリーとの愛の思い出を書き綴った『椿姫』は多くの人々の涙を誘い、

今でもマリーの墓地には供花が絶えないそうです。

そして戯曲化され、更にヴェルディによりオペラ化された『ラ・トラヴィアータ』

数あるオペラの中でも大変な人気作として上演され続けています。

ちなみに「ラ・トラヴィアータ」とは、道を踏み外した女、という意味だそうです。

 

ヴェルディの描くオペラの世界には、

人間社会における日陰の存在にスポットを当て、

偽善者として生きる人々より余程人間的で美しい・・・

と訴えかけているような印象を受けますね。。

素晴らしい音楽と人間ドラマの融合・・・。

『椿姫』が時代を超えて語り継がれる名作になった一因として、

ヴェルディの音楽に由るところが大きいように感じているのは

私だけではありませんよね?


エドワード・エルガー

2006-03-18 00:04:42 | 詩と音楽♪

 英国音楽界の父とも称されるエドワード・エルガー。

この方のメロディは、どの曲もどこか懐かしい響きがあって、とても暖かいです。

どの曲も愛、友情等をテーマにしているようで、なぜか心が癒されるのです。

極端な言い方をしてしまうと、例えばどこか無人島に行く事になり

たった一人の作曲家の曲しか持っていけない、という制約があったとしたら^^;

もしかしたらエルガーの曲を選んでしまうかも・・・と思うくらい大好きです。

・・・ショパンに対する想いとはまた違うのですよね。。

 

最も有名な曲はやはり『威風堂々』第一番かな。。

エルガーは、この作品の中間部に登場する旋律を、

エドワード7世の戴冠式を祝するために作曲した合唱曲

《戴冠式頌歌》の終曲〈希望と栄光の国〉で

A.C.ベンソンの詩を付けて用いており、

以来、この曲は第二の国家として英国民に愛され続けているのです。

 

エドワード・エルガー。。

彼はオルガニストの父親の後を継ぎ、経済的な理由から

独学で作曲を学びつつ、ヴァイオリン教師として生計を立てていました。

作曲家としては中々評価されなかったそうです。

でも素晴らしい友人達に恵まれていたそうで、

中でも常に影になり、日向になって励まし続けてくれたのが、

キャロライン・アリス・ロバーツ・・・後の奥様です。

 

二人の出会いは、田舎のヴァイオリン教師であったエルガーの元に

ピアノを習いに彼女が訪ねて行った事から始まります。

上流階級の娘であり、更にエルガーより8歳年上でした。

周囲の反対も一際大きかったに違いありません。

でもそれらの雑音もなんのその^^

エルガーにとって本当に大きな支えになってくれたのです。

ヴァイオリンとピアノ。。素敵ですね~。。

このキャロライン・アリス・ロバーツ・・・愛称キャリスに捧げる為に作曲した曲

『愛の挨拶』は、『威風堂々』と並んでエルガーの代表曲の一つであり

その暖かく優しく美しい調べは一度聴いたら忘れられない旋律・・・

も~大好きです

「私の作品を愛するなら妻に感謝すべき」とまで語るエルガー。。

結婚3周年を祝った曲『弦楽セレナード』といい、歌曲『愛』といい、

幸福感に溢れたエルガー夫妻の様子が垣間見えるようです。

 

エルガーの出世作は『エニグマ(謎)変奏曲』。

友人達に対する感謝の想いを、14の変奏曲からなるこの曲の一つ一つに、

彼らのイニシャルを記す事で表現している素晴らしい構成で、

なんとラストにはエルガー自身まで登場してしまうという

茶目っ気を見せてくれています^^

全体的に哀愁漂う雰囲気ですが、雄大な音の流れがなんとも美しく

ゆったりと大船に乗って大海原を漂っているかのよう・・・。

素晴らしい旋律です。。

 

ちょっと余談ですが・・・詩人と作曲家というのは、

同じ芸術家同士という事もあってかなり密接だったのでしょうか。

交響曲第二番に引用されたパーシー・B・シェリーや

威風堂々に引用されたシェークスピア等

エルガーの曲にも詩人や作家が登場します。

ちなみに、かつてはエルガーの奥様も作家志望でしたっけ。

『暁の風』『風車』『雪』『波』『王道』等々はアリス作詞ですね。

 

エルガーの生涯は76年。

その間、オックスフォード大学、エール大学から名誉博士号を授与され、

ウスターの名誉市民となり・・・極めつけはナイトに叙せられる等、

まさに大器晩成型の典型のような生涯・・・ですね。

でも愛妻アリスの死が相当なダメージだったらしく、

アリス亡き後14年間はほとんど曲が残っていません。

もちろん、愛妻家として有名なエルガーも、多くの女性達と交流を持ち

彼女達の為に曲を書いたりもしており―――

有名なところではウィンドフラワー、ヴェラ・ホックマンあたり―――

でも敢えて言わせて頂きます。

生涯、唯一人の女性を愛し続けたエルガーは、

本当に幸せな人だったに違いありません。

 

素材提供:AICHAN WEB


メンデルスゾーン

2006-03-10 22:04:41 | 詩と音楽♪

 メンデルスゾーンは1809年2月3日生まれ。

私と同じ月日だったりするのです~^^。

とても裕福な家庭に育ち、家族にも恵まれ・・・

なんとなく光に満ち溢れた幸せな生涯だったような印象を受けますね。

代表曲の一つ「歌の翼に」なんて、聴いてるだけで心豊かに、

溢れるような情感の高まりを覚える、とても素敵な曲ですもの。。

 

でも、彼の生涯は決して安逸では無かったのですね・・・。

なぜならユダヤ人だったからです。

おそらく、知らないところでも様々な迫害や差別が行われていたと思われます。

でも、家族みんなで力を合わせて乗り越えたのでしょう。。

姉ファニーとは特に仲が良く、幼い頃から二人でピアノのレッスンを受け

連弾を楽しんだりして、共に類稀なる才能を発揮してたそうです。

 

メンデルスゾーンがクラシック音楽界に残した大きな功績の一つが

埋もれていたバッハのマタイ受難曲を復活させたこと。

400人のコーラスと大編成のオーケストラによる見事な演奏をベルリンで行い、

大変な評判になった事はとても有名です。

代表的な作品としては「真夏の夜の夢」「交響曲3番 スコットランド」

「交響曲4番 イタリア」「ヴァイオリン協奏曲」あたり。

どの作品もとても美しい・・・大好きです

 

そして更に、彼はショパンをとても敬愛していたのですヨ^^。

二人の間には芸術家同士の、とても心温まる交友があったようですね。

彼の奥様もショパンの音楽をこよなく愛していたことから

ショパンは奥様の為にマズルカ59の2を作曲し、プレゼントしているのです。

この曲を巡って二人の間に素敵なやり取りがあったようで・・・。

う、羨ましい限り。。

 

さて。。

彼の初恋の人は、20代の初めに出会ったデルフィーネ・フォン・シャウロート。

彼女に「ピアノ協奏曲第一番」を捧げたそうです。

でも27歳の時にフランクフルトで出会ったセシル・ジャン・ルノーこそ

彼の生涯の女性となります。

メンデルスゾーンに「言葉で言い表せないほど幸せ」とまで言わしめた

幸せな結婚生活で、三男二女を儲けます。

素敵ですネ~

 

でも・・・彼の生涯は、たった38年間でした。

やはりベルリンでの生活の精神的過労が大きかったのでしょうか・・・。

オラトリオ「エリア」の作曲に心血を注いでいた事も大きな要因と言われ

更に、大の仲良しだった姉ファニーの死も相当な打撃だったと言われています。

 

「歌の翼に」の詩人ハイネが、「音楽上の奇跡」とまで称したメンデルスゾーン。。

彼の音楽を深みに欠ける、なんていう評論家もおりますが・・・とんでもない!!

・・ということで。。

最後にハイネの詩を掲載させて頂きます。

 

    「歌の翼にきみを乗せ」 byハイネ

 

    歌の翼にきみを乗せ

    遠つくにの

    ガンジスの野へ連れ行かん、

    われは知る、いとも愛ぐしき辺りをば。

 

    紅き花咲く園ありて

    静かなる月影そこに照りわたり、

    あまたの蓮花きみを待つ、

    そのはらからを待つごとく。

 

    菫は笑まいさざめきて

    星々の高き光を打ち見上げ

    薔薇はひそかに物語る、

    いと香わしき物がたり。

 

    性の良き、心の賢きカモシカは

    傍えを走り、ものの音にふと聴き入りて立ちどまる。

    遙かに遠きものの音は

    畏き河の波のおと。

 

    かしこに行きて、椰子の葉の

    翳にわれらは憩うべし。

    愛と憩いを共に飲み

    こよなき幸を夢に見ん。

 

素材提供:AICHAN WEB


シューマン

2006-03-08 21:44:21 | 詩と音楽♪

 本年はシューマン没後150年。

ロマン主義音楽への啓蒙に励んだシューマンは、まさにロマン派の代表格ですね。

殊にショパンを絶賛し、ブラームスを紹介した功績は有名な話です。

・・・ということで。。

ほんのちょこっとシューマンに纏わる豆知識を書いてみました。。

 

クララ・ヴィーク。。後のシューマンの奥様です。

クララは、両親共ピアノ教師だった為、毎日ピアノの音を聴いて育ったそうです。

生まれながらに音楽的才能に恵まれていたクララは、父上の教育の元、

9歳にして満場の聴衆を熱狂させるくらいの素晴らしいピアニストに・・・

後年、かのリストと並び称される程のピアニストに成長します。

 

一方ロベルト・シューマンは、1828年に催された音楽の集いで、

憧れの人、フリードリッヒ・ヴィーク(クララの父上)に出会い、

クララの演奏を初めて聴くのです。

それまでロベルト・シューマンは、母親の意向を受けて、

法律の勉強をしておりましたが、本心は音楽にあったのですね。

で。。この出会いを機に母親を説得し、音楽の道を目指します。

 

ところが、ヴィーク家でのロべルトは、クララの素晴らしい才能にひきかえ

自分のテクニックの拙さや、出発の遅さに激しい焦燥感を味わい

毎日が迷いと苦痛に苛まれる日々になってしまうのです。

でも、そのような中にもロベルトとクララの関係は親しみを増していきます。

ロベルトの母が語った言葉はとても印象的です・・・。

「いつかロベルトと結婚して下さいね」

 

シューマンは文学的な教養も深かったため、沢山の詩人を愛し、

その詩を称えてピアノ作品のほとんどに標題を付けてます。

シューマンの作品を美事に演奏し、世に知らしめたクララとの婚約は

シューマンにとって最高の出来事だったでしょうね。。

この時期には、本当に沢山の美しいピアノ曲を創作しているのです。

その後、沢山の子宝に恵まれ、一時的であれ至福の時を過ごしたシューマン。

クララの勧めも手伝って、管弦楽や室内楽にも果敢に挑戦し、

また、多くの歌曲も創作する等、その活躍は非常に多方面に渡るのですね。

 

でも、もともと精神的に不安定だったシューマンは、晩年には激しい鬱病に犯され

ライン河に身投げする事件を引き起こし、二年間の入院生活を送った事は

あまりにも有名です・・・。

 

シューマンの入院生活の間、クララにとって心身共に大きな支えになり

得がたい厚い友情を示してくれた人物は、ブラームスでした。

若き青春時代、ブラームスはシューマン一家の為に捧げているのです。

クララにとって、ブラームスの存在はどれ程大きな心の支えになったことでしょう。

また、ブラームスにとっても人間として、音楽家としての才能を磨く上で

とても重大な時期だったとも言われています。

 

クララ・シューマンとブラームスの間の深く激しい愛情は・・・なんとも切ないです。。

でも二人は遂に結婚することなく・・・さりとてブラームスは

若い恋人を見出すでもなく・・・生涯独身を通すのですね・・・。

個人的に言わせて頂ければ、この辺の事情は・・・少々不可解かも。。

 

ま~それはともかくとして。。

シューマンの生涯を悲劇の代表のように語る人はとても多いと思いますが・・・

確かに精神的な病いに犯され、回復することなくその生涯を閉じた事は

とても哀しく残念な事ではありますが・・・クララとの激しい恋と、

遂に成就した結婚により、この世に生まれ出た美しい名曲の数々を思うとき、

決して不幸な生涯だったと片付ける事は出来ない・・・と思います。

ロベルト・シューマン・・・&クララ・シューマンよ・・・永遠なれ。。

 

素材提供:AICHAN WEB


おお燕よ、燕

2006-02-28 11:50:32 | 詩と音楽♪

 テニスンの長詩『王女』の中の抒情詩です。

この詩にはメロディも付けられていて、愛を語る歌として

当時の人々に愛唱されたそうです。

 

恋する状況や気持ちを表現するのに鳥はよく使用されますね。

真っ先に思い出すのが「ロメオとジュリエット」のワン・シーン。

ジュリエットの従兄ティボルトを心ならずも殺してしまったロメオが

事態が収まるまでマンテュアに行く事になりますが、その旅立ちの前夜。

いつまでも夜明けが来ないことを願うジュリエットの耳に聞こえるひばりの鳴き声を

夜鳴くナイチンゲールであってほしいと願う切ない女心を見事に表現しました。

 

アンデルセン童話の「おやゆび姫」に登場する凍えていた燕さんも

とても印象的でしたね。。

助けてくれたおやゆび姫への恩返しに、大きな燕の背中に乗せてくれ、

一路南の国の王子様の元へ・・・。

おやゆび姫改め、マーヤとして迎えられました

 

今回の素敵な薔薇の名はシュネービッチェン。

またの名を白雪姫

グリム童話は他の童話に比べると、どうしても残酷なイメージが否めません。

・・・が、幼い少女の頃、白雪姫に憧れた女性はとても多いと思います^^

鏡に向って「鏡よ鏡よ鏡さん・・・」な~んて。。

 

テニスンの詩には、特別な何かを喚起させられます。

おそらく、中世の時代に憧れて夢見た幼い昔を彷彿させる、

独特の世界だからなのでしょうね。

そう。。大好きなアンのように・・・^^

 

 

   「おお燕よ、燕、南の国へ飛んでゆく燕よ、

  あの娘のもとへ飛んでゆき、金色の軒にとまり、

  あの娘に伝えておくれ、私がおまえに言うことを。

 

   「おお伝えておくれ、われら二人を知る燕よ、

  明るくて気性烈しく移り気なのは南のひと、

  暗くて頼もしくて心優しいのは北の人なのだと。

 

   「おお燕よ、もしもおまえに付いて飛べ、あの娘の

  格子窓にとまれたら、私は歌い、さえずり、

  ピーチクと幾多の恋歌なきたいものを。

 

   「おお、もしも私がおまえなら、あの娘は私を呼び入れて、

  胸に抱いてもくれように。そして息の根絶えるまで

  雪かと粉うその胸の、揺りかご揺すってくれようものを。

 

   「なぜあの娘は胸の内を恋の衣で包むのに手間取るの?

  優しいトネリコが芽立ちをしぶるそのように

  森じゅうが緑に輝く季なのに。

 

   「おお燕、あの娘に伝えておくれ、おまえの雛は巣立ったと。

  また、私が跳ね回るのは南の国にいるときだけ、

  北の国での巣籠もりはすでに久しいことなのだと。

 

   「おお伝えておくれ、人生は短いけれど愛は永しと。

  北の国では夏の陽は短く、

  南の国では美しい月かげもはかないものだと。

 

   「おお燕よ、黄金色の森から飛んでゆく燕よ、

  あの娘のもとへ飛んでゆき、歌って口説いて

                       恋人にして、

  きっと伝えておくれ、私がおまえについてゆくんだと」

 

素材提供:ゆんフリー写真素材集


スケルツォ

2006-02-07 23:19:51 | 詩と音楽♪

 本日は私がブログを始めてちょうど一年目。。

(もっともgに移ってからだとまだまだですが・・・。)

本当に沢山の素敵な方と出会え、ブログを始めなかったら

おそらく一生知り得なかった多くの方とお話出来ていること、とても嬉しく思います。

そして、その感謝の気持ちはとても言葉に尽くせません。

心から御礼申し上げたいと思います。

本当に有難うございます。

 

最近、身辺がちょっと慌しく・・・更に色々思うところもあり・・・

更新意欲を失いつつあったりしてますが

いつも暖かいコメントを下さる皆様に支えられ、

一周年をなんとか迎えることが出来ました。

これからも少しづつではありますが、細々と続けたいとは思っておりますので

どーぞよろしくお願いします。

 

その記念となる記事なので、やはり大好きなショパンから・・・

・・・ということで、スケルツォです

そして冒頭に飾らせて頂いた素敵な薔薇の名は、なんと「スケルツォ」です

実はショパンの曲の中でも極めて好きなのがスケルツォ第二番。

 

四曲中、最もポピュラーなこの曲は、ショパンがマリア・ヴァジニスカに失恋し、

かの男装の麗人ジョルジュ・サンドへと心が傾いていった時期の作品でもあり

シューマンがバイロンの詩になぞらえて

「甘美で大胆、愛と憎しみが横溢している」と評したことでも有名です。

この言葉だけでも分かるように、ショパンのスケルツォは、

全体的に憂愁の色合いが濃く、諧謔曲と邦訳してしまうと、

この曲の雰囲気が伝わりにくいですね。。

 

とにかく美しい曲です

第一部は華麗なる第一主題と優美な第二主題を中心に展開され

中間部のソット・ヴォーチェが続き・・・新たなる旋律が詩情豊かに謳われて

転調を重ねながら華麗なるクライマックスへ・・・。

ラストの右手で弾く一音がも~大好き

・・・ハハハ。。変かな。。

 

 

    「音楽に寄せて」 byバイロン

 

   「美」の娘らの中にあっても

  おまえのように奇しき力をもつものはないであろう

  そのうるわしい声は私の耳に

  さながら海波に流れる楽音であり

  その時、音に魅せられた大洋は鳴りをひそめ

  浪はしずまりきらめきわたり

  風は凪ぎ、夢みながらまどろむ。

 

 

    「わがこころは暗い」 byバイロン

 

  わがこころは暗い、―――はやく竪琴をかきならせ

  私に、それを聴く心が残っているうちに。

  君のやさしい指をもって、わが耳に

  そのあえかな囁きをおくれ

  もしこの胸に、希望を愛惜する心があるならば

  その音にさそわれて、ふたたび生れ出るであろう

  もしこの眼に、涙がひそんでいるならば

  流れでて、心の炎を消し去るであろう。

 

素材提供:AICHAN WEB


カリンニコフ交響曲第一番

2006-01-21 11:36:45 | 詩と音楽♪

 クラシックが大好きなshogoさんからバトンを頂いちゃいまして・・・

例によって妙な(笑)変形記事を作成予定なのですが

これはまだその記事ではありません。

非常に難しいバトンなので、そう簡単には出来そうになく・・・

ひょっとしてこのまま誤魔化しちゃうかも・・・へへ

ま~でも当分アップは出来ないと思われます。

 

そうそう。

アバターだけでshogoさんをイメージするならラロのスペイン協奏曲あたりかな^^

でも記事やコメントを読むうち段々ガラガラと・・・あ。。いえ、あの・・・

決して悪い意味では無く、イメージが二転三転ゴロゴロと・・・

でも・・・比較的排他的なクラシック・マニアが多い・・・と思われる中

私のように過去の経歴だけでクラシックを語っちゃういい加減なヤツでも

マジメにお相手して下さる心優しい男性だと思っております

いつも有難うございます。

 

ということで・・・改めて色々なクラシックをたっぷりと聴いてみまして・・・

で。。カリンニコフなのです 

ショパンは置いといて・・・どうも私はロシア系ロマン派がかなり好きらしいです。。

この方はチャイコフスキーともラフマニノフとも縁が深いのですよね。

34歳の若さで結核で夭逝した為、その作品はとても少ないです。

先の二人と比べても、その知名度は低いと思われます。

でも・・・久しぶりに聴いて・・・も~感動なのです~

もしもうちょっと長く生きていたら、ひょっとしてチャイコを超えてたかも~

なんて思えるくらい。。

 

ロシアの音楽って、全体的に雄大だな~という印象を受けるのですが

その例にもれず、とても清々しくて清涼感に満ち、聴きやすいですね~。

本当に素晴らしいです。。

更にそこはかとなく漂う寂寥感、哀愁、そして激しい情熱・・・

第一楽章の第二主題がとても印象的で、ラストにも繰り返されるのですが、

この終楽章の、クライマックスに向けてどこまでもどこまでも駆け上がっていく、

あ~、このどうしようもない高揚感

ライブだとまた格別なのですよ~。。

ラストのオケにかぶさるように鳴り響く万来の拍手とブラボーの声

う~ん。。思わず熱いものが込み上げてきます・・・

 

おそらく一度聴いたら忘れられない名曲だと思います。

・・・なんて言って今の今まで記憶の彼方に飛んでた私って・・・

もっと多くの方に知って頂きたいな~という想いを込めて

思わず番外編の記事を書いてしまいました

 

素材提供:Pari’s Wind


静御前

2005-12-01 12:01:47 | 詩と音楽♪
源義経とともに悲劇的な生涯を送った静御前の物語はとても有名ですネ。

中でも雪の吉野山での義経との別離シーンはなんとも切ないです。。

 

   
  吉野山 嶺の白雪踏み分けて
     
     入りにし人の あとぞ恋しき

   
   しづやしづ しづのをだまき繰り返し
     
     昔を今に なすよしもがな
 
              

「しづや、しづ」と義経様は繰り返して私の事をお呼び下さいました。

糸を巻くおだまきのように。そんな昔のことを今に移せたら・・・。

 

本来なら頼朝や鎌倉幕府の繁栄を祝い、歌うべき立場・・・にも拘らず

兄頼朝にとって逆賊である義経を慕い、切々と歌う静御前。

何があろうと義経への想いは変わらない、という恋慕の想いを
 
命懸けで歌った静御前は・・・本当に美しかったでしょうね~。。
 
 
 
今回のこの満開の桜は日頃お世話になってる「るるるるの別荘」るさんご提供
 
今を盛りと咲き誇る満開の桜。。
 
当時もきっと、静御前の美しい舞を暖かく優しく見守っていたことでしょうね・・・。

胡蝶に

2005-11-07 20:29:02 | 詩と音楽♪

 ワーズワースです。

 

自然を愛し、自然を描写し続けた英国が誇る詩人・・・

1843年にはサウジーに次いで桂冠詩人の称号を与えられてます。

草花の息遣いまで聞こえてくるような自然の描写。。

素晴らしい詩人ですね~。

この画像はいつもお世話になってるtetuさんがご提供下さったお写真です。

美しい詩と美しい花。。

風邪を引いて少々気だるい状態の私にとってはまさに癒し。。

皆様もどうぞお身体をお大事に・・・。

 

 

   黄色き花にとまれる汝を、

   われ半時間も見つめてありき。

   さても、小さき胡蝶よ、

   まこと汝は眠れるや、はた、餌をとれるや。

   いとも静かに、

   凍れる海もなれよりは静かならじ。

   かくしてそよ風汝を木の間に見出し、

   汝を再び誘い出すとき、

   いかなる喜びが汝を待つにや。

 

   果樹園のこの地域はわれらのもの、

   木はわがもの、花は妹のもの、

   汝のはね疲れなば、来りてそれを憩わせ、

   隠れ家のごとく来りてやどれ。

   屢~、来りて、迫害を恐るな。

   われらに近く、枝にとまれ。

   ともに語らん、陽の輝き、歌のこと、

   また、われらの幼なかりし夏の日を。  

   ひと日が二十日のごとく永かりし、

   楽しかりしいとけなき日を。


ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第二番ハ短調

2005-11-04 01:57:07 | 詩と音楽♪

 私が大好きなラフマニノフのこの曲。。

彼が書いた協奏曲は全部で4曲ありますが、

中でも最も有名で、最も愛されているのがこの「ピアノ協奏曲第二番」です。

も~多くのラフマニノフ・ファンがご存知の有名なこの話。

敢えてここで書くのもどうかと思わなくもありませんが

ひょっとして、ここに来て下さる方達の中でまだご存知ない方の為に

ラフマニノフについてちょこっと書かせて頂きます。。

 

 ラフマニノフはモスクワ音楽院在学中に、

その才能をチャイコフスキーに認められます。

作曲家として既に大成していたチャイコフスキーを深く敬愛し、

内容や形式に於いてその影響を多く受けていますね。。

でもラフマニノフは、作曲家としての生活を優先していたチャイコフスキーと異なり、

作曲家としてより、ピアニストしての生活を優先させていたようです。

 

巨大な身体と巨大な両手。。

遠くから響く鐘の音のようなダイナミックな和音からスタートし、

次第にクレッシェンドしながらオーケストラを導入するこの曲。。

大波の揺れるような暗い情感を秘めた第一主題から長調に転調して

甘くロマンティックに展開する第二主題・・・。

巨大な両手から繰り出されるダイナミックな和音と繊細でデリケートなメロディ。

当時、彼の自作自演を聴けた人がとても羨ましいです。。

ちなみに余談ですが・・・この自演のテープ、持ってます

 

1892年、ピアノ科の金賞を得てモスクワ音楽院を卒業した彼の、

順調だった生活が一変した大きな原因の一つに、

人生の師とも仰いでいたチャイコフスキーの死が大きく絡んでいたそうで、

もともと内向的だった彼の精神面が徐々に不安定になってしまうのですね。

そんな状況の中、やっと書いた作品、交響曲第一番の初演が大失敗に終わり

完全に精神的に病んでしまうのです。

 

この時の酷評は本当に凄まじかったようですね。。

ロシア5人組の一人であるキュイの酷評・・・

「主題は貧困であり、リズムはいびつに歪んでおり、和声は凝りすぎて

病的であり、曲全体を憂鬱さが覆っている」

会場に詰めかけた聴衆からも口汚い罵倒が飛びかったと言われています。

けど、それほど酷い曲では決してないのですヨ。

事実、ロバート・シンプソンという批評家を初め、多くのラフマニノフ・ファンは

彼の最高傑作とまで断言して憚りません。

ま~確かにロマンティックな主題は影を潜め、ゴツゴツとした印象なので

多くの人に受け入れられる感じじゃありませんね・・・。

けど、ダイナミックなパワー溢れる素晴らしい曲です。

 

それはともかく、この曲の初演の歴史的大失敗により、精神不安定に陥り

かかりつけの医者の勧めもあって転地療法せざるを得なくなるのです。

でもこの頃・・・1899年、徒弟でもあるシロティの尽力により、

ロンドン・フィルハーモニック協会主催の演奏会に指揮者兼ピアニストとして出席、

ここでロンドンの人々に暖かく迎え入れられ、

ピアノ協奏曲第二番を作曲して持参すると約束をしているのですね~。。

 

ところがその後、神経衰弱症が急速に悪化してしまうラフマニノフ。

作曲どころか、総ての活動を休止せざるを得なくなるのです。

そのどん底の状態の時に出合った医師が、ニコライ・ダール博士でした。

まさに彼にとっては命の恩人ですね。

「あなたは素晴らしい協奏曲を書き、大成功を収めるだろう」

という催眠療法が見事に功を奏し、発表した第二協奏曲が大成功を収めたのです。

先に第二楽章、第三楽章を作曲、未完成の状態でありながら

モスクワ慈善演奏会で見事な演奏をし、成功を収めます。

その成功に励まされて、翌年に第一楽章を書き上げ、

モスクワ・フィルハーモニック協会主催の演奏会で

徒弟のシロティ指揮でピアノ演奏をし、初演を見事成功させるのです。

ラフマニノフは、作曲家・演奏家としての生命を取り戻してくれたダール博士に

感謝の想いを込めて、この曲を献上しています。

 

私が持っているこの曲のレコードの一つ、ピアノ、フィリップ・アントルモン

指揮レナード・バーンスタインのニューヨーク・フィル・ハーモニック版は

かなりのお気に入りです。

甘く切ないメロディを情緒豊かに演奏するこのピアニスト。。

正直言って、ラフマニノフ本人のピアノより好きだったりしてます

 

初めてこの曲を聴いた時の衝撃と感動。。

大袈裟に聞こえるかも知れませんが、本当に凄まじいものでした。

少々不安定な印象も否めませんが、そこにこそラフマニノフの持つ

類稀なる魅力があるのだと思います。

絶望のどん底から這い上がり、書き上げたこの曲は

ラフマニノフのピアノに対する激しいまでの情熱や切ないまでの愛情が

溢れているようで、何度聴いても込み上げるものを抑えることが出来ません。

 

第三楽章の甘美な主題部分は、映画「逢びき」の主題歌にもなっているので

タイトルだけではピンと来ない方も、聴けばおそらく「あ~、あの曲」って

納得出来るであろうポピュラーなこの曲。。

この曲の裏にこれだけの辛い戦いが潜んでいたのを知って以来、

私の中ではショパンを超えて大好きなピアノ協奏曲No1でございます。

 

素材提供:Pari’Wind


いま深紅の花びら咲き静まる

2005-11-03 00:55:38 | 詩と音楽♪

 アン達が学び、最も多く暗誦したと思われる詩人、

テニスンの長詩『王女』には、この長詩とは直接関係の無い

抒情詩が挿入されています。その中の一つがこれ。

以前も書きました、リラさんと豆猫さんとの妄想旅行はかなり本格化し・・・

エルミタージュ美術館に保管されている「ダナエ」の謎・・・

なんてミステリアスな事件を解明中・・・

・・・という事で、ダナエに纏わるギリシャ神話、

ゼウスが黄金の雨となってダナエを訪れる

という逸話が組み込まれた詩をここに掲載してみました。

 

 

  「いま深紅の花びら、純白の花びら、咲き静まり、

 宮殿の小径のいとすぎは、そよとも揺れず、

 斑岩造りの泉に浮かぶ金魚は瞬きもせず、

 蛍だけが眼を醒ます。私たちも眼を醒ましましょう。

 

  いま乳白色の孔雀は亡霊のようにうなだれ、

 亡霊のように微光を放ち続ける。

 

  いま大地は、黄金の雨となり降り注ぐ星の光に横たわり、

 そなたの胸はすべて私に開け放たれている。

 

  いま流れ星は音もなく流れゆき、一筋の輝き放つ

 跡を残す、さながらこの胸にそなたの思いが残るように。

 

  いま百合の花はその優美さをすべて包み込み、

 湖のふところに滑り込む。

 わがいとしき人よ、そなたも御身を包み込み

 私の胸が内に滑り込み、私の中に溶け入らんことを」

 

素材提供:AICHAN WEB