ダフネ・デュ・モーリア作の神秘的なこの作品は、
映画化されたヒッチコックの代表作としても有名ですね。
この作品について、アメリカの作家クリストファー・モーリーが
「じかに皮膚に迫ってくるぞくぞくする戦慄感と、
繊細微妙な女性の愛の心理と、ぴんとはりつめた緊張感とによって、
あらゆる読者を一晩中眠らせぬ小説」
と絶賛したそうですが、本当にスリルとサスペンス、それに切迫感に満ち、
何度再読を重ねても、この独特の世界に惹きこまれてしまいます。
この作品は女性の一人称作品です。始まりは原作も映画も同じ・・・。
昨夜、わたしはまたマンダレイへ行った夢を見た。
最初の回想シーンで、マンダレイに何かが起こり、無くなってしまった事を
明かしてしまうのですね。。
一体何が起こったのか?ここから「私」の回想が延々と語られていきます。
この小説のヒロインには名前がありません。どこまでも「私」の一人称・・・。
そしてこの女性を名前で呼んでくれる人もいないのです。
この独特の手法により、先妻レベッカの大きな存在感に「私」が圧倒され、
孤立無援のヒロインの心理状態がより切迫して感じられます。
ヒロインはかつての自分を、
縮らしてない断髪、おしろいけのない幼稚な顔つき、お手製の不恰好な上着と
スカートとジャンパーを着て、まるで内気な子馬のように、おどおどと
ヴァン・ホッパー夫人の背後にくっついて歩いていたわたし自身を
はっきりと思いうかべることができる。―――と描写していますが、
外見も野暮ったく、自信が全くと言って過言でないくらい無い・・・、
また周りの人々も、ヒロインのおずおずとした態度を
侮蔑に近い目で見ていた様子が伺えます。
そんな彼女が、ヴァン・ホッパー夫人のほとんど偏執狂とも言うべき病癖ゆえに
マキシム・デ・ウィンターと知り合い、いつの間にか交際が始まるのです。
この辺の描写に関して映画はとても忠実ですね。。
でもウェイター達の態度に関しては、小説の中ではもっと赤裸々だし、
デ・ウィンター卿との会話を通して、なぜここまで急展開に
二人が心を通わせたかが理解できるので、感情移入しやすかったです。
映画の中では、こんな会話をするシーンがあります。
「本当は花や音楽があるプロポーズを夢見ていたんだろう?申し訳ない・・・」
「いえ、そんなことありません。充分ですわ。」
原作では、ヒロインが美しい結婚式を描いてみせ、デ・ウィンター卿がにべもなく
かつて一度、そういう結婚式を挙げた事を告げ、話はそこでおしまい・・・。
どちらかというと、原作のデ・ウィンター卿の方が現実的で
冷たい印象が強かったかも・・・。
とにかくこの辺の女性心理の描き方は素晴らしいです。
そして、急展開で結婚、マンダレイの女主人として嫁いでいく事に・・・。
こんな野暮ったい小娘に、大きなお屋敷の女主人が務まるもんですか!
要約すればこんな内容の意地悪なヴァン・ホッパー夫人の言葉を背に
夫を信じて一路マンダレイへ向かいます。
このマンダレイを舞台に、物語は本格的にスタートするのですが
マンダレイに、先妻レベッカに、そして不気味な家政婦・ダンバース夫人に圧倒され
マキシムの存在すら安らぎにならず、自分の居場所が感じられない
ヒロインの様子が淡々と、繊細に語られていく・・・。
このミステリアスな切迫した雰囲気・・・。静かな中に緊迫した文章・・・。
素晴らしいです~。
そしてそんなある日、仮装舞踏会が行われ、肖像画の衣装を真似た事から
マンダレイに起こった過去の事件が明るみに出て、
夫マキシムの、時折見せる偏屈な態度の理由も明らかになるのです。
前半の、幼稚でおどおどしたヒロインの、マンダレイに圧倒されている様子から一転
後半の、逞しく夫マキシムを支える妻として堂々と立ち向かっていく様子・・・。
全編通して、神秘的な、深い霧の中に聳え立つ美しい屋敷マンダレイを中心に
人々の心の葛藤が絶妙に描写され、サスペンスフルに展開されるこの物語は
本当に素晴らしい作品だと思います。
映画ではラストを微妙に変えていますね。。
きっと夫マキシムが、この事件を通してヒロインを想う気持ち―――愛情、感謝
―――そういった感情をもっと分かりやすく表現したかったのかな~と
勝手に解釈してますが・・・いかがでしょうね。。
それはともかく・・・この作品は私にとって大切な愛読書の一つなのです。
素材提供:AICHAN WEB