歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

武士道とキリスト教 3

2007-01-30 |  宗教 Religion

一 新渡戸と尊皇の思想

 新渡戸稲造は幕末に武士として生まれたのであって、教育勅語以後の明治政府の教育システムの中で天皇崇拝をたたきこまれた世代には属していない。従って彼の天皇にたいする限りなき敬意はより内発的なものであったとみなすべきいくつかの理由がある。 

 佐藤全弘氏は「新渡戸稲造の皇室観」という論文において、一八七六年に行われた天皇の東北巡幸が新渡戸の生涯に深刻な影響を及ぼしたことを指摘している。天皇は青森県三本木の新渡戸家を仮行在所とした。そのとき明治天皇は、新渡戸家の祖父や父が十和田湖の水を荒地であった三本木原に引き三千石の美田を拓いたことを讃え、「今後とも一族が農に励むように」と述べた。それは稲造にも伝えられ、彼はこの言葉に奮起して、農業に方向転換して、彼が札幌農学校へ進路変更する機縁となったという。そして、天皇の御下賜金の一部は東京で勉学中の新渡戸に送られ、彼はそれによって英文聖書を購入したという。つまり、新渡戸にとって、明治天皇と自分の一族との出会いが生涯の転機を形作り、彼自身の職業選択と宗教信仰の形成に大きな影響を与えたということである。新渡戸が『武士道』を執筆した動機は、もともとは、外国の友人や妻に日本文化と封建時代の日本人の道徳について説明したいというもっぱら個人的なものであったが、日露戦争に於ける日本の勝利とともに諸外国で日本にたいする関心がたかまるにつれて、この書が様々な言語に翻訳されるようになると、明治政府にとっても、そのキリスト教的な含意は除外して、日本古来の武士道精神を諸外国に伝えるものとして評価されるようになる。こうして、一九〇五年には新渡戸は妻とともに明治天皇に拝謁し、英文『武士道』を直接に献上する。いわゆる「天覧の栄」に浴したわけであるが、そのときの上書が三年後に邦訳された『武士道』の巻頭に載っている。つまり、武士道は、単に、外国人に古来の日本人の倫理を紹介するものとしてではなく、まさに同時代の日本人の教育のためにも役立つ書として再認識されたのである。新渡戸は、教育勅語に呼応するかに思われる古色蒼然たる文体で、次のように書いている。

上英文武士道論書

  伏して惟るに

皇祖基を肇め

列聖緒を継ぎ、洪業四表に光り、皇沢蒼生に遍く、声教の施す所、徳化の及ぶ所、

武士道茲に興り、鴻を輔けて、国風を宣揚し、衆庶をして忠君愛国の徳に帰<o:p></o:p>

せしむ。(中略、このあと、新渡戸家の盛岡藩での治水事業のことが書かれる) 

聖上東北を巡狩し、三本木駅にて、畏くも稲造の居宅を仮行在所に充て給ひ、爾時父祖の追賞を蒙り、子孫国事に奉ずべしとの聖諭を拝せり。稲造等一族感泣く措く所を知らず、各身を殖産の道に立て、父祖の遺志をつぎて、皇恩に報い奉らんことを誓へり。(中略、次に稲造のこれまでの経歴が書かれる)

稲造短才薄識、加ふるに病笶、宿志未だ為すところあらず、上は

聖恩に背き、下は父祖に愧づ。唯僅に卑見を述べて此書を作る。庶幾くは

皇祖皇宗の遺訓と、武士道の精神とを外邦に伝へ、以て国恩の万一に報い

  奉らんことを。謹んで此書を上り、乙夜の覧を仰ぎ奉る      

                           誠頓首明治三八年四月>

京都帝国大学法科大学教授従五位勲六等農学博士 新渡戸稲造 再拝白

  このような上書は、当時の格式に従ったものとはいえ、武士道が、新渡戸の著作自体にはなかった「皇祖皇宗の遺訓」と併置され、「以て国恩の万一に報いる」ために書かれたかのように思わせる。実際、新渡戸自身は、著作の中では武士道を遠い過去の道徳として語りながらも、「天覧の栄」に浴するようになると、教育勅語に呼応しつつ、国民の忠誠心を天皇に向ける「尊皇」思想のうちに、中世の武士道精神の繼承を見いだしているのである。この点、札幌農学校の同窓であった内村鑑三が、新渡戸と同じく武士道に共感を寄せつつも、尊皇思想とは一線を画し、日本への愛国心を直ちに天皇崇拝と結びつけなかったこと、いうなれば彼等の愛国心の質の違いに留意すべきであろう。

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